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進路希望調査票

進路希望調査票

 夏休みに入るというのに、憂鬱なプリントが目の前に配られた。

 宿題なら、まだどれほど良かったか。

 ぼやぁっとした視界で「進路調査票」と書かれた紙を眺める。


 姉はこの街を出たくて、他の地方の大学を決めた。

 両親に引き止められながらも。


 俺は……何をしたいんだろうか。

 姉からは、離れられたらいいとは思う。

 でも、この街を離れる選択肢はない。

 俺にとっては、大好きな街だから。


 クラスメイトたちはザワザワとしながらも、先生の言葉に相槌を打っていた。

 ペンを走らせる音と、先生の声が重なる。


「高校二年生の夏は、重要だ。すでに、進路を決めている人も多いと思うが、自分が将来どうするか、夏休みの間に考えるように」


 偉そうな教師の言葉にと息を飲み込む。

 クラスメイトたちは「うぉー」と変な雄叫びを上げていた。

 男が多いのは気楽でいいが、こういう時は少しだけ煩わしい。


「夏休みだからって、はしゃぎすぎないように。節度を守った生活を送れよ」

 

 教師の言葉もほどほどに、クラスでは将来の夢発表合戦が始まってる。

 俺はその輪には入らず、窓から海を眺めていた。


 窓際の席になって良かったことは、海を四六時中見つめられることだ。

 ただ太陽が照らしつけて、熱くなる難点はあるけど。


 海を見つめながら、将来を少し考えてみてすぐに辞める。

 やりたいことも、出来ることもない。

 海が好きだから、家から通えるから。

 そんな理由でこの学校を選んだ俺には、将来は見えて来ない。


「おい、ソウはどうすんだよ」


 クラスメイトのミツルは、夢を語り合う輪から逃げてきたらしい。

 後ろの方ではまだ「恋人欲しいー」とか「モテる職業ってなによ!」とかふざけてる声が聞こえていた。

 ミツルは俺の肩に手を掛けて、体重を押し付けてくる。

 右肩に掛かる重さで、体がイスに沈み込む。


「なにが?」


 海を見つめたまま答えれば、ミツルはますます俺に体重を乗せてきた。

 太陽を浴びてキラキラと反射しながら、海には観光客が賑わっている。

 他の地域では、もう夏休みに入ってるんだろう。

 家族連れが多く目立ってるように見えた。


「だーかーらー、進路だよ、進路。漁師継ぐのか?」


 それでもいい、と思っていた。

 父さんに相談したこともある。

 でも、父さんは俺には継がせないときっぱり断りやがった。

 その理由も、納得のできるものではあったけど……


「答えろよー」


 ふざけた調子で、ミツルが俺の進路調査票を奪い取る。

 奪い返す気もなく、ただ寄せては返す海を見つめた。


「何も書いてねーじゃん」

「そんなすぐ書いてるやつ、いるかよ」


 ムッとなって反論すれば、ミツルの進路調査票を突きつけられる。

 第三希望まで書ける欄、全てが埋め尽くされていた。


「俺は決まってるもんね」

「ミツルはいいよな、夢があって」


 ため息と一緒に吐き出した言葉は、やけに冷たく聞こえた。

 気を悪くさせたかもしれない、と慌ててミツルの方を向く。

 ミツルは怒った顔もせず、むしろ心配そうな顔で俺を見つめていた。


「なに、どうしたわけ急に」

「別に、何もねーよ」

「そういう答えの時こそ、なんかあるんだって! 俺に言ってみろよ」

「いいってそういうの」


 肩にのしかかってたミツルを、突き放す。

 そして、窓の外に目を向けたまま黙り込んだ。

 ミツルの顔を見れば、不満や不安が溢れ出しそうだった。


「わかった、市内のファーストフード行くぞ」


 ミツルが俺の腕を引っ張って、決まりごとのように呟く。

 市内は行くだけでも、一苦労な場所にあるのに。

 とも思ったが、ミツルの家はそういえば市内の方だったと思い直す。


 その一苦労をしながら、毎日通ってるんだから偉い。

 将来のやりたいことがあるから、そこまで出来るのかもしれないけど。


「俺は良いって」

「いや、聞かせてもらうからな!」


 諦めの悪いミツルに、仕方なく付き合うかと腰を上げようとした。

 窓の外に、マリンがいる。

 ハッとして窓に近づけば、やっぱりマリンだ。


 夜の海にいる人魚だと言ってたくせに、普通に歩いてんじゃねーか。


「悪い、用事ができた」


 行く気満々というように準備していたミツルに、謝る。

 

「はぁ?」

「また今度! メッセして!」


 ぽかんっと驚いたミツルをそのままに、カバンを肩に掛けて教室を飛び出す。

 じゃれあってる同級生たちの間をすり抜けて、玄関まで急ぐ。

 俺が行くまで、あそこに居てくれればいい。


 人間のマリンと、話がしてみたかった。

 表情のわからない夜の海じゃなく、面と向かって。


 下駄箱で、上履きからスニーカーに履き替えて玄関を飛び出す。

 ジリジリと焼けつくような太陽が、背中に汗をかかせる。

 それでも、止まらずに海岸まで走った。

 息がどんどん上がっていくのも、気にせずに。


 こんなに走ったのは、いつぶりだったろうか。

 岩礁で割り箸に糸をつけたものを垂らしてる、マリンにこっそりと近づいていく。

 スマホで釣りの様子を、撮影してるようだった。


「夜しかいなかったんじゃないのか、人魚」


 声をかければ肩をビクッと揺らして、顔を上げる。

 俺を認識した瞬間、割り箸も、近くに置いてたバケツも放り投げて、走り出そうとした。


 岩礁で転けたら……


 咄嗟に手を掴んで、抱き上げる。

 軽々しくと持ち上がったマリンは、足をジタバタと暴れさせた。


「悪い、危ないから落ち着いて」


 声を掛ければ、非難するような視線で俺を見つめる。

 近くにいた観光客たちが、「なになに?」と、不躾な視線も隠しもせずこちらを見ていた。

 居た堪れなくなってマリンを下ろす。

 そして、その場から逃げようとした。


 俺の制服のズボンをぎゅっとマリンに握られて、逃げきれなかったが。


「ソウくん、驚かせないでよ!」


 少し潤んだ瞳で俺を見上げて、ふぅふぅっと息を荒げている。

 後ろから近づいたのが、よっぽど怖かったらしい。

 割り箸やバケツを拾い集めてマリンに渡す。

 少しだけ、落ち着いたようだった。


「ごめん」

「びっくりしたから、許さない!」


 まさか、許さないと答えられるとは思っていなくて、ぐっと息が詰まる。

 次の言葉を待てば、マリンは唇をにぃっと広げた。


「罰として、釣りに付き合ってもらいます。せっかく取ったカニも、逃げちゃったし」


 空っぽのバケツを俺に投げ渡してから、ポケットに手を突っ込む。

 様子を見ていれば、ポケットからはもう一本割り箸の釣り竿が飛び出してきた。


「はい」

「エサは?」

「スルメ!」


 反対のポケットからスルメを取り出して、俺の前に差し出す。

 受け取ろうと手を伸ばせば、引っ込めてためらいなく噛み出した。


「さっき驚かされた、仕返し!」


 にししと笑う顔を光の下で見れば、胸がとくんっと熱くなる。

 太陽のせいか、人の多さのせいか、熱中症になりそうなくらいだった。


 

 二人でじっと岩の間に、糸を垂らして待つ。

 ツンツンという刺激を感じて、釣竿をあげればスルメをガッチリ挟んだカニ。

 バケツに放り込めば、マリンが「おぉー」と感嘆の声を上げた。


「なに?」

「掴めるんだね」

「慣れてるからな」


 目の前を黒い物体が通っていって、マリンは「ひゃあ」と悲鳴をあげて飛び上がる。

 ガッチリ俺の肩に捕まって「ジー! ジー!」と騒ぎ立てた。

 何を言ってるのかわからず、首を傾げる。

 ようやく意味がわかって、お腹を抱えて笑う。


「フナムシだよ」

「カサカサ動いてた! むりぃいいいい!」


 鳥肌をぶつぶつと立てて、立ち上がってバケツを持ったまま逃げていく。

 マリンを追いかけながら、笑いが止まらない。

 海に行けば付き物だろ、と言いたくなった。


 フナムシが比較的少ない、道路沿いまで逃げてからマリンは立ち止まる。


「あんなのにも慣れるの? 無理」

「人魚なのに?」


 意地悪を言えばマリンは頬を膨らまた。

 そして、俺にバケツを押し付ける。


「人魚はそういう設定だって、わかってたでしょ!」

「ごめんごめん、意地悪言った」


 謝れば満更でもなさそうな顔で、「許そう」と腰に手を当てて偉そうに仁王立ちをする。

 まっすぐに立ってる堂々たる姿に、本当に人間なんだと再確認した。

 人魚設定を信じきっていたわけではないけど。


「で、会いたい人には会えた?」

「まだ、会えてない。どこにいるんだろ。お家にでも篭ってるのかも。全く、連絡も返さないで」


 ぷんぷんとするマリンに、燃える胸に気づかないふりをする。

 心配されてることが羨ましいとか、どんだけ飢えてんだ俺。


 一人で悶々としていればマリンは「あっ!」と声を上げて、また走り出す。

 今日だけで、何回走ったか。

 こんなに体を動かしたのは、久しぶりな気がする。


 額を伝う汗が心地よくて、走ってマリンを追いかけた。

 ぐんぐんと、水族館に近づいていく。

 水族館の駐車場は、多くの県外ナンバーの車で埋まっていた。


 やっぱり夏休み効果で、観光に来てる人が多いのだろう。

 三台並んだ自販機の前で、ぴたりと止まる。

 そして、マリンは俺の方を向いた。


「パインサイダーでいい?」

「なにが?」

「この前勝手に貰ったのと、タオルのお返し!」


 律儀に、「お返しする」という言葉を守ろうとするマリンについ頬が緩む。

 どうしようかな、と悩みながら自販機を眺める。

 待つこともせず、マリンはパインサイダーを押した。


「俺は……」

「これは、私の! ソウくんは好きなの選んでいいよ、はい」


 結局、俺も同じパインサイダーを選んだ。

 ピッとスマホを押し当てて、決済してくれる。


「少し歩かない? ここだと、人も多いし」

「いいけど」


 確かに後ろでは親子連れが、わぁわぁと騒いでいて声が聞き取りづらい。

 マリンに誘われるがまま、歩道をゆっくりと歩いていく。

 パインサイダーを開ければ、プシュウっと爽やかな音がして炭酸が抜けた。

 喉に流し込めば、奥でパチパチとはぜた音がする。


「こっちの人はこれ好きだよねーとは言ったけど、私も飲んだらハマっちゃった」


 まっすぐ前を見つめながら、照れたように頬を染める。

 沈んできた太陽のせいか、本当に赤く染まってるのかは、わからないけど。


「俺も好きだよ」

「急な告白?」

「ちげーよ! パインサイダー!」

「知ってるー!」


 ふざけたように答えて、タッタッタと小走りになる。

 先ほどからこの小さい体のどこに、こんな体力があるのか。

 いつもより動いたせいで、俺は少しへとへとだった。

 俺の高校を見上げながら、マリンは羨ましそうな顔をする。


「いいよね、海の前の高校」

「まぁ、楽しいよ」

「えっ、ここの学校なの?」


 驚いて、俺を振り返ってフェンスによし掛かる。

 まるで疲れたというように、足をパタパタと片足ずつ振った。

 ビタンビタンとヒレを打ちつけていた姿と、なぜか重なってしまう。

 

 水族館前よりも俺にとっては、知り合いの多い場所だから早く離れたい。

 そんな俺の思いも気にせず、マリンはプールを覗き込んでいた。


「羨ましいなぁ、楽しそう」

「何も楽しくないよ」

「無気力少年め!」


 間違いない。

 やりたいことも、好きなことも、失った今無気力という言葉がしっくりくる。

 乾いた笑い声を出せば、マリンはじっと俺の目を見つめた。


「なんかあったの?」

 

 なにかあった?

 今日二人目の問いかけに、情けなさが湧き上がる。

 隠せもしないまだまだ、大人にはなれない自分を突きつけられたようだった。


「とりあえず、もう少し行こうぜ。クラスメイトに会いたくないし」

「それもそっか」


 フェンスから離れて、マリンはまたゆっくりと歩き始める。

 学校から遠ざかりながら、マリンに問いかけた。


「なんで人魚のフリしてたわけ?」

「人魚になるんだよね、私」


 思いもよらない答えに、ポカンっと立ち止まってしまう。


「あの人にも釣り合うようになれるから、いいんだけど」


 微かに聞こえた言葉に、首を傾げる。

 信じきってる将来の夢みたいに、「人魚」と答えた。

 マリンはそれでも、立ち止まった俺を置いて進んでいく。


「どうして人魚?」

「人魚って美しい歌声でしょ。私この声がコンプレックスだし、音痴だったの」


 俺には、可愛らしい鈴の鳴るような声にしか聞こえない。

 音痴は、わからないけど。

 マリンは「変な声でしょ」と、吐き出すように笑った。


「良い声だと思うけどな」

「お世辞はいいって」

「お世辞じゃなくて、本気」

「あはは、嬉しいよ」


 感情のこもってない「嬉しいよ」に、胸が詰まる。

 マリンの過去に何があったか、俺は知らない。

 ただの赤の他人だから、なんとでも言えると思ってるんだろう。

  

「だから、人魚になったら美しい歌声をもらえるかなって! だって、人間になりたい人魚から声を奪ってるんだよ。私の足を上げるから、美しい歌声を貰って、そしたら、聴いて欲しい人がいるんだ」

「探しにきた人?」


 夜の海で「会いたい人がいる」と切ない声で呟いていたマリンの姿を思い出した。

 そこまで思う相手は、どんな人なんだろうか。


「そう。美しい歌声だから、それはもうすぐに元気出ちゃうでしょ。歌が好きな人だし」

「相手は、落ち込んでるわけね」

「多分ね、本当にそうかは、わからないけど」


 こくんこくんと頷きながら、マリンはパインサイダーを飲み干した。


「落ち込んでなければ一番いいんだけどね。他人に優しさを配って自分を後回しにしちゃう人だから」


 独り言のようにぽつん、とマリンは声にした。

 今のマリンの声で「元気を出して」と伝えればいいのに。

 そういう簡単な問題じゃないことはわかるから、思うだけに止める。


「で、ソウくんは? 夏休み、何するの?」

「なんで急に俺の話だよ」

「だって、普通こんな学校ある時間に海に来るんだから、夏休みになったんでしょ」


 ビシッと指で俺を指して、にししとまた笑う。

 潮風がマリンの髪をさらって、ふわりと宙に浮かせた。


「何にもないよ」

「何にもなくはないでしょ」

「俺には何にもないんだよ」


 ふいっと顔を逸らせば、マリンはズカズカと近づいて俺の前に立ちはだかった。


「私は会いたい人がいるし、動画配信もしたいし、海で泳ぎたいし、おいしい海鮮も食べたい! あとは」


 指折り数えながら、やりたいことを口にしていく。

 普通の人間らしいやりたいことに、「人魚はどこへいった!」と言いたくなった。

 それでも、何個も、何個も、すぐに出てくるマリンが純粋に羨ましいと思う。


 俺の思ってることがわかったのか、マリンは「人魚になっちゃう前に、ね!」と、明るい声で答えた。

 人魚に本当になるような気がする。

 そして、マリンは人魚になっても、きっと美しいだろうなと思った。

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