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柔らかい風の中で最後に


 うーんっと、マリンは小さくつぶやいて、海を眺める。その瞳が遠くてキレイで、吸い込まれてしまいそうになった。


「ソウくんはさ、会った日のこと、ちゃんと覚えてる?」


 マリンの言葉に、小さく頷く。むしろ、あのインパクトのある出会いと、それに続く自称人魚の自己紹介を忘れる人がいるなら知りたいくらいだ。


 海から女の人がヌッと出てくる瞬間を思い出して、体がぞくりと震える。そして、マリンの人魚のような仕草を思い出して笑ってしまう。


「人魚って言い張ってたよな」

「嘘ではないんだけどね」


 そして、ぱしゃんと水を跳ねさせたヒレは、本物のように光を浴びて反射させる。


 俺が、学校の窓からたまたま昼のマリンを見つけてしまった。そこから、俺たちの縁はつながり直した。

 

 そもそも、人魚になりたかったのも……俺に、美しい歌声を届けたいからって、言ってなかったか?


 あの当時の、思ってる相手が俺だったことに今更気づいて、頬が熱くなっていく。マリンは気づいたのか、少しだけ口元を緩めて俺から目を逸らした。


 あの頃のマリンの顔を思い出す。今となって考えれば、どこか、影のある笑みだったかもしれない。


「人魚になんかならなくても、俺はマリンに元気をもらったし、美しい歌声だったよ」

「そう言ってもらえたなら、よかった。結果として湊音を元気付けられたからね」


 肝心の俺と、カップルチャンネルの答えを聞いていない。マリンの前に顔を突き出せば、マリンはぐるっと顔を背ける。追いかけては、避けられを繰り返して、そのまま波に揺られた。


「で、なんで俺と、カップルチャンネルやろうと思ったの」

「湊音を元気付けに鶴岡まで来たけど、初めて会った時のソウくん、夜でもわかるくらい酷い顔してたんだよ」


 空を見上げるマリンに釣られて、俺も空を見上げた。青空は少しずつ、オレンジ色を混ぜ始めている。マリンが一言ずつ、こぼすように呟く。


「最初は本当に困ってるからもあったけど、放って置けない顔してたから。次会ったら、何の約束をすれば、慰められるかなって考えてたんだよ」

「それが、カップルチャンネルな訳?」

「そう……湊音を元気付けるって目標もあったけど、目の前のこの人を放っておいたら、私は湊音に顔向けできないなって思ったの。優しい人だったから」


 マリンは、俺を過剰評価してる。俺はそんなに優しい、いい奴じゃない。ただの、自分勝手な、ソウだ。


 マリンは俺の心を読んだように、俺の方を向いて首を横に振った。


「ソウくんは、いつだって優しいよ。私に元気をくれた湊音という形のソウくんも。一緒に動画撮影をしてくれたソウくんも」


 海夢とのやりとりを、思い出す。学校での辛かった出来事を聞いて、何を伝えればいいかわからなかった。でも、俺は海夢が傷ついてる事実が嫌で、持ちうる限りの優しい言葉を吐き出した気がする。曖昧な記憶だけど……


 それくらい、海夢は俺にとって大切な、仲間だった。


「だからね、私もその分落ち込んでる湊音に、ソウくんに、元気をあげたかったの」

「たくさん貰ったよ」


 本当に、数え切れないくらい幸せな、優しさを貰った。マリンの思い人に嫉妬したこともあったけど、それ以上に隣で笑ってくれるマリンに元気をもらっていた。まぁ、その思い人も、俺だったわけだ、けど……


 俺とマリンはつまり、両思い?


 ぶわりと吹き荒れた風が、髪の毛を乱す。

 胸いっぱいに吸い込んで、マリンを見つめた。


「あのさ」


 思ったよりも大きくなった声に、マリンはくすくすと笑う。そして、微笑みながら、俺と向き合った。

 

「なーにー、急に」

 

 変わらずのマリンらしい、ちょっと変わった表現に、胸に思いが降り積もる。本当にマリンと再会してる実感が、湧いてきた。こんなことを今、伝える予定はなかったのに。

 心臓は、どくんどくんっと脈打って、告げろと俺を急かしてる。


 マリンの手を取れば、ふわりと柔らかい感触がした。そこに実在してるマリンに、胸がいっぱいになる。


「マリンが好きだ。カップルチャンネル、再開しないか」

「本物の恋人として、ってこと?」


 紛らわしい言い方になった俺を、すかさず訂正する。きちんと伝わっていることが、うれしくなって大きく頷いた。


 マリンも俺の手を強く握り返して、そして、瞳に波を浮かべる。一瞬、海に泡が消えていくように。人魚姫のように、叶わない恋を想像して、恐怖が体中を支配したけど……


「私は、湊音に恋して、ソウくんにも恋した。だから、どんなソウくんも大好きだよ。でも……」

「でも?」

「もう時間がないみたい、ごめんね。それに、ソウくんは、もう私が居なくても元気になれるでしょ?」


 潤んでる瞳で、じいっと見つめるマリンを思わず引っ張って、抱きしめた。触れてるところから、お互いの脈の音が重なっていく。どちらも、何も言葉にせずに、ただ、とくん、とくんと、同じ音を奏でていた。


 ザプン。


 波の音で俺たちの世界は、一瞬の静寂を迎える。


「思ってること言っていい?」

「俺も同じこと思ってると思う」


 俺だけの期待じゃない。

 多分、きっと、そう。


 マリンを抱きしめていた腕を下ろされて、指が、手が繋がれる。一ミリもない距離に、言葉はいらない気がした。


 マリンが目を閉じたのを確認して、俺も目を閉じる。そっと重ねた唇は、柔らかくて、暖かくて、幸せの感触がした。


 目を開ければマリンと目が合って、二人して、微笑んでしまう。この幸せが一生続いてけばいいと思った。それでも、俺とマリンの時間はもう重ならない。


 そんな事実を確かめてしまって、胸の奥が軋む音がする。


「どっちも、本当の私って言ったけど、やっぱり最後は涼音って呼んでほしいかも」

「本名なの?」

「そう、涼しい音って書いて、涼音」

「涼音」


 呼んだ名前は、とろけるくらいに甘い。涼音は、耳を真っ赤に染め上げて「はぁい」と小さく答えた。


「海の泡になっちゃう前に」

「湊音も本当は消えてたんだけどなぁ」

「ソウっていうから、わからなかったよ。って待って、ソウって湊って書いてソウ?」

「気づいてなかったのかよ」


 ハーバーマリンチャンネルって名前にした時点で、普通は気づくだろう。湊音と同一人物だと気づくのは、難しいかもしれないけど。

 涼音は小さい声で「きゃああ」と、悲鳴をあげて、顔を揺らした。


「気づかなかった……」

「まぁ俺も、海夢がマリンって読むとは気づいてなったけど」

「二人して漢字に弱いね」


 へへへっと笑う涼音に、湊音という名前をやめることを考えていた。ソウ一筋に絞っても、いいかもしれない。涼音にとっての名前と同じで、湊音はもう消えてしまった弱い頃の俺の名前だ。


 涼音に気づいてもらうために、湊音にこだわって名前を続けていたけど。涼音と再会できた今、もう俺は湊音じゃなくていい。


 全てを無かったことにするわけじゃないけど。新しい出発として、新しい俺として、ソウという名前で活動を始めるのも、アリだ。


 涼音と本当に、もう会えなくなるんだろうか。人魚になるだなんて、嘘だろ。いまだに、信じきれなくて、ただ、波が揺れるのを見つめる。


「何考え込んでんの?」

「また、会えるかなって」

「どうだろう。会えるかもね」


 涼音の言葉に、胸が震える。海に来れば、いつだって会える。そう答えてくれたら、嬉しかったのに。それでも、会えるとは言ってくれない。涼音をぎゅっと力強く抱きしめた。


「なになに、急に、ってか、この角度、サムネにしたらバズりそう!」


 すぐにそういう思考に行く、涼音を頼もしく思う。ちょっと残念感はあるけど。だから、頬にちゅっと軽くキスをした。


「な、不意打ち!」

「両思いだった幸せを噛み締めませんか」


 丁寧な敬語で話しかければ、涼音はむずがゆそうに、体を捩らせた。そして、振り返って、噛み付くように俺にキスをする。


「仕返しー!」


 バタバタと腕の中で暴れる涼音を、もっと力強く抱き留めた。


「溺れたら危ないだろ」

「人魚は溺れません!」


 完全に信頼してるというように、身を委ねる涼音に愛しさが体の中心から込み上げてくる。涼音といるだけで、ワクワクが止まらない。いつだって、可愛い、腕の中の涼音をどうしたらいいのか、悩んでからもう一度だけ「好きだ」を口にした。


 涼音は、小さく「私もだよ」と答えてから、もう一度俺の頬にキスを落とした。


 これが、物語だったら、涼音の足は人に戻ってハッピーエンドだろうか。そうはならない気もする。それでも、まだ、腕の中に涼音は居る。


「最後にね、ソウくんに会えて、キラキラした顔を見れて、本当に良かった」

「もう、取り返しはつかない?」


 できたら、恋人として時間を過ごせればいいのに。そんな期待から、バカみたいな言葉を口にする。先ほどから、涼音はずっと俺にそう告げているのに。


「取り返しはつかない、って言い方やめてよ」

「……ごめん」

「私は、結構満足してるんだよ」


 ぱしゃんっと水飛沫が上がる。自由自在に、ヒレを動かす涼音は楽しそうだ。


「俺は、少しだけ寂しい」

「でも、大丈夫でしょ」


 大丈夫か、大丈夫じゃないかで言われれば……大丈夫じゃないと思う。涼音のことばかりが頭を占めているし、離れたくないし、せっかく両思いだったのに、という気持ちばかり湧いてくる。


 それでも、涼音の選択だから、口を出す権利はない。それに、一夏の夢だったとも思えはしなさそうだった。


「ソウくんと出会えて、楽しかったよ」


 終わりの時間が近づいてるような言葉に、涼音を抱きしめる力を強めた。制服は水を吸って、重たくなってる。それでも、手を離したくなかった。涼音のおかげで、また、取り戻せたものはたくさんある。それでも、まだ、離れたくない。


「涼音と」


 一緒にいたい。それを口に出してしまえば、きっと、悲しい顔をさせる。だから飲み込んで、もう一度だけ口づけた。


「一緒にいられて俺も楽しかった」


 強い風が吹いて、波が荒れる。俺と涼音の距離が開いて、大きな波に飲まれたかと思えば涼音は目の前から消えた。


 本当に人魚になってしまったんだなという感想を抱けば、耳に涼音の歌声が響く。俺も重ねて口ずさめば、くすくすと笑う声が、聞こえた気がした。


Fin

 

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