18.誰かさんの後ろにへびがいる(4)
玄弥が高校1年生の正月は一見穏やかに過ぎた。
何もなかったわけではない。目立ったトラブルがなかったというだけだ。
紅葉たち神子は元日の朝、神社の中の神殿前で神楽を奉納したし、2日と3日は両隣の十二家との親睦を深める会が、いつの頃からか毎年行われていた。つまり門馬家は、2日は日辻家の一門と、3日は辰巳家の一門と過ごすことになった。
以前、根津 文親が長老会長だった頃は、根津家がまず両隣どちらと先に宴会をするか決め、それに合わせて他の十一の家は順番を決めていた。今は日辻 朝也が長老会長なので、日辻家が決めるのがお約束。今回は日辻側から2日が指定された。
場所はありがたいことに、日辻の「夢先庵」が使われた。もちろん全員が入れるわけがないから、子どもたちは外で餅つきをしたり、温かい汁物を食べたりして、遊ぶのがほとんど。すぐに大きい子どもは飽きて、何人か集まるとどこかの家へ行って遊んでいた。
玄弥ぐらいの年になると遊ぶというほどのこともないので、適当に暇をつぶすとさっさと家へ戻るのが例年なのだが、今年は面倒なことになった。
「おい、玄弥。ちょっと話を聞かせろや。この間の緑山のことだ」
いきなり朝也に呼び止められて、不本意だが夢先庵に上がることになってしまった。しかも正月の宴席、出来上がっている大人たちがいる中を通る。だが、緊張して入ってみれば、すでに話の合う者同士で酔っぱらう大人たちが、側を通る者に気を留めることなどない。
今日は新年会だからと、玄弥は普段より少しめかしこんで、以前雅子に面会する際鮎彦に貸してもらったパンツとストライプのシャツを買い取った上下に、白いセーターを合わせ、少し大人びた服装だ。でも、そんな気遣いなど気にする大人は既にでき上っていたので、何やら損をした気分だ。
奥の小部屋に通されると、中には羽鳥 潮となぜか、父の時人がいた。
「ああ悪いね玄弥。正月気分で休ませたかったんだけど、一つ気になる情報があってな」
そう話しかけて来たのは潮だ。そして続ける。
「新年には先見様から今年の見通しが出されるのは知っているね? 最近は大きな災害など避けようがなくて重大な物以外、先見様が上にはあえてお伝えしていない」
「やはり、上の方でも夢先様のお告げを軽視する人がいるんですね」
最近玄弥が考えていたことは、事実となって表れていた。夢先様と集落を軽視して、その辺の探偵と同程度と考える連中がいる。
「そりゃ~表向き、神や仏は目に見えたり何かしてくれるものじゃないって、みんな思ってるご時世だよ。ご神託を軽視する連中はそこら中にいる。だから……先見様は自然災害とか人がどうこうできない危険だけ、教えているんだそうだ。人が起こす事件は、この先別の事件につながりそうな案件だけ、事違え様が運気をいじるらしいよ」
時人が玄弥に丁寧に説明した。門馬旅館は集落の門番。だから時人は表仕事のみの当主だが、その辺りの事情は教えられている。
「それで、そのご神託がどうかしたんですか?」
玄弥が先を促した。それに答えたのは時人だった。
「そのいくつか秘匿したご神託に、我々が備える必要のあるものがあって、それが門馬旅館との通いの文箱に入っていた」
だから父がここにいたのか。玄弥は納得した。
「いいんですか? 俺なんかが重要な案件聞いても」
あれこれ料理の並んだ座卓の前、末席に座ると、上座にいた朝也が頷く。
「お前に一番関係が深い内容だから呼んだんだ、玄弥。お前に出張れとは言ってない」
「そう。昨日発せられた先見様からの今年の神託だが、秋に大きな地震が起きるというのと、家畜関係の病気を心配するということだった。でも、この夢先の杜に関わるトラブルは、あまり大っぴらにしたくないみたいでね」
そう言うと時人は、玄弥に筆で書かれた書を見せた。
「夢先の杜の存在を暴こうとする者がいる……?」
「驚いただろ。実はな、緑山地区を年末うろついてる怪しげな連中が、確認されたんだ」
そう言うと潮は、部屋のテレビを点け繋いであったビデオを流す。音は他の部屋に聞かれぬよう消している。そこには、健太の手首をつかんだ女と、それを止めさせた男が映っていた。
「時雨に確認してもらったが、似ていると言っていた。気分がいい内容じゃないが、どう思う? ……玄弥?」
「大丈夫か……玄弥、……玄弥!」
時人は隣りに座っていた玄弥が震えているので、声をかけながら思わず抱きしめる。こんなことは、玄弥と時人の間に今までなかったようなことだが、驚きつつも玄弥は時人にしがみ付いていた。
「俺……大丈夫だと思ってた……」
気持ちが悪い。震えが止まらずとにかく、おぞましい。嫌悪感しかない光景。映っていたのは、あの時の自分に見えた。それだけで吐き気がする。
「玄弥。急に見せてすまん。あの2人、……あの時のやつらで間違いないか?」
潮が玄弥に訊ねた。その言葉に、玄弥の心は憑き物が落ちたかのように、急速に落ち着きを取り戻した。あれは、自分じゃない。今の自分に起きたことじゃない。落ち着け。それに……やつら?
「……もう、大丈夫です」
「無理をするな。玄弥」
心配した時人が止める。その父を押しやり、玄弥は座り直した。そして、心の中から「達也」のペルソナを引っ張り出す。顔をあげると、時人の知る玄弥と違う青年がそこにいた。
いつのまにか玄弥は、自分の心をガードするために演技の人格を引っ張り出すのが、当たり前になっている。誰が教えたわけでもない。この料亭の2階で潜入する時の演技などのテクは、成鳥たちが指導をしているが、ここまでしっかり人格を装う者は、潮が知る限りない。それはきっとさっきの玄弥の反応からして、小1の時の仕事上のトラブルで傷ついた、自分の心を守るために作り出した方法なのだ。
「もしあいつらなら、ここで社会的に抹消しましょう。そうすれば俺、なんか変われる気がする」
穏やかそうに見えてかなり強引な「達也」は、もう彼らを制裁するのが当たり前だと言う。それは守長としての潮、長老会長としての朝也も、そう思ってはいる。そして、ゆっくり思い返した「達也」が、うっすら口元に笑みを浮かべて言った。
「……まちがいありません。もう9年経ったけど、少し老けた程度で見間違うほど変わっていませんから」
「達也」は断言した。あんな気持ち悪い女、他にはなかなかいない。そして、女を止めるあの特徴がなさそうで薄気味悪い、中肉中背の男。特徴を失くしわざと社会に埋もれて、人目に付かず謀をするような、危険な人物に見えた。
「人をつかまえる時に手首をつかむ癖、下からじいっと瞬きしないで見てくる感じ、アレで間違いないでしょう。あのうさん臭げな笑顔の男も、笑い方はあの時と同じです」
「よし。決まりだ。こいつらには社会的制裁を受けてもらおう。そして、場合によっては……」
「まあまあ羽鳥。先走らんでくれ。あいつらに情報を流した出所を吐いてもらわんと、その後が大変だ」
朝也が潮をたしなめる。普段は穏やかで物静かな年寄りに見える彼が、眼光鋭く油断のならない本性を現している。外へ出ている女性の成鳥たちが未だに、老齢の羊飼いへ何も求めずとも勝手に情報を寄せるのだ。成鳥たち以外の情報を持ってもいた。




