17.星降る夜の分岐点(2)
それから1週間ほど後の12月半ばの土曜日。門馬家の3人、弥生、玄弥、撫子は、緑ヶ丘市の隣り、大川市の駅前のホテルにいた。星羅が母親と再会したあの市だ。
「ホテルでお食事、お母さんも久しぶりなのよ~。お父さんとデートした頃だから、もう20年ぐらい?」
撫子と同じぐらいはしゃいでいるのは、母の弥生。彼女は玄弥が5歳までは別館で働いていたし、本館へ戻ってからは撫子が生まれて子育てに忙しかった。時人か弥生か、どちらかが本館にいるように気遣っていたこともあり、夫婦で出かけることもなかったのだ。
「え~! そんな若い頃来たっきりって何~? お母さんそんなに忙しかったの?」
撫子が思いっきり驚いた。
「撫子。いつ帰っても母さん家にいてくれただろう? 旅館の仕事もあるし、どこに遊びに行く暇があるんだよ」
玄弥が撫子に言う。だが玄弥も改めて弥生が忙しすぎるな、とも思う。
「今日は母さんも楽しんでよ。撫子とお出かけなんてそうそうできないだろう? 今日は俺が父さんから全部預かって来てるし、気にしないで食事しようよ」
玄弥はそう言うと、予約をしておいたスイーツバイキングビュッフェの受付へ向かった。
大川市は緑ヶ丘の辺りを流れる河川が、もう一つの大きな河に流れ込む場所にある街。近くには自然を楽しむ名所や、大きな寺や温泉などがあるので、観光客も多いから大きなホテルもある。そして交通の要所として古くから栄えていたため、企業の支店なども多く存在し、ビジネスの街としても重視されていた。
その大きな街のホテル オリーブリーブスは、この地方にしては都会の香りのする場所だ。ブランドの販売店や、都心部のホテルと同じように季節のイベントをするレストランやティーラウンジを備え、企業の接待や商談に使うスイートルームや会議室も備わっている。
ふかふかの絨毯を踏んで、門馬家の3人は昼下がりのティーラウンジへ足を踏み入れた。
今日、弥生は久しぶりに新調した小花柄の紺色ワンピース姿で、アラフォーにしては若々しい。いつもは旅館の仕事でまとめ髪にしているが、今日はストレートの茶髪を下ろした姿で、大人かわいいイメージだ。撫子は親子コーデを意識した、紺色に白いレースをアクセントにしたワンピース。普段は無造作に跳ねるに任せていた茶色い癖毛をしっかりブローして、毛先だけカールさせ、服と同系色のカチューシャで押さえている。玄弥は鮎彦のところでちゃっかりコーディネートしてもらった、ダークスーツ。ネクタイの色を紺系に合わせた。
この顔面偏差値高めの3人が奥のリザーブ席に案内されると、周囲からかなりの視線が飛んだ。玄弥はその注目がイヤで、そっとポケットから普段高校で使っている伊達眼鏡を出し、そっと掛ける。そして、一番陰になる席を選んで腰かけた。
「玄弥。やっぱりまだ緊張する?」
弥生が気遣って声をかける。
「……うん。最近高校じゃうまく隠れてるから忘れてたけど。素顔は緊張するね」
「玄にいちゃん。おいしそうな物取って来てあげようか?」
珍しく撫子が優しいことを言うので、玄弥は苦笑してしまう。
「いいよ。そこまでしなくても。メガネするだけで結構印象は変わるから、大丈夫」
そして飲み物をオーダーすると、それぞれ軽食とスイーツの並ぶビュッフェに行き、気になるものを持ってきて食べる。撫子はチョコフォンデュが気に入ったらしく、「チョコの滝!」と言って何回も取りに行っていた。
「こらこら、撫子。口の周りチョコだらけ!」
玄弥はウェットティッシュで撫子の口周辺を拭いてやる。そんな兄弟の様子に、弥生は2人が仲良しで嬉しい。ずっと疎遠にしていた玄弥が、撫子に親を奪われたと思っていないか、それなりに気がかりだった。でも、それが杞憂だった様子で弥生は安心していた。
「玄弥。撫子の世話で食べてないんじゃないの? ちゃんと欲しいもの食べてる?」
「大丈夫。ちゃんと軽食多めに食べてるから」
普段の飾らない笑顔が出ている玄弥。弥生は母親らしくホッとした。集落の門番としての門馬家は、外の人と会う時は緊張を強いられる。珍しく弥生も玄弥も、無邪気な撫子のおかげでリラックスしていた。
2時間ほどクリスマスビュッフェを楽しんだ3人は、会場を出てブティックやお土産を売る店などを覗きながら歩く。フロント近くに飾られたクリスマスツリーに近寄った時だった。
「おや、珍しいですね、女将さん」
そう声をかけて来た男性がいた。玄弥は撫子の手を引き、クリスマスツリーの母たちがいる所から裏側へ回った。話しかけて来た人物が、自分の別の顔を知る人だったから。
「あら。鈴木様、お久しぶりです」
弥生に声をかけたのは、鈴木 星一。星羅の父だった。
「伯父の派閥の会合がありましてね。それで来たんです。女将さんは?」
「ええ、久しぶりに休暇なんです。子どもたちとクリスマスメニューをいただきにね。……あら、どこに行っちゃったのかしら、ご紹介しようと思ったんですけど」
弥生はやはり表側の人だ。用心深い門馬旅館の女将として働いている時は、痒い所に手が届くような優秀な接客をする。だが、ここで子どもたちを紹介しようとするのは悪手だった。
「女将さん。それはなさらないでください」
星一が声のボリュームを落として弥生に言う。
「え?」
「お子さんたちは多分、「杜」のお仕事をされているのでは? 集落のお子様たちにそういうお立場があるのは、何度か助けていただいている私には分かります。だからご忠告です。……お気持ちだけいただいて、ここで失礼いたしますね」
星一はそう言うと笑顔を浮かべて、ホテルの奥の方へ立ち去った。
***
玄弥に手を引かれ、急にクリスマスツリーを回り込むことになった撫子は、兄がなぜこんなことをするのか分からず、ふくれっ面で兄をにらんだ。
「なにすんのよ兄ちゃん! お母さんとはぐれちゃうじゃん」
その撫子の方を向いて、人差し指を口の前に立てた玄弥は、何も言わずに弥生と話しかけた星一の会話に耳をそばだてる。だが、あくまでクリスマスツリーをよく見ようとしているかのように、自然にツリーを見上げていた。その様子に不満ながらも、同じように撫子はツリーを見上げた。
そして、しばらく聞いていると、弥生がきょろきょろと自分たちを探し始めた。それを見て撫子がツリーの裏から出ようとする。とっさに玄弥は抱き止め、いかにも中のよさそうな兄妹が、じゃれているように装う。
そして表側では弥生が子どもたちを紹介しようとして、星一にたしなめられた様子だった。
「なんで? ……なんでお母さんがあんなこと言われなきゃならないの? 私たち、お母さんの隣りにいちゃ……ダメなの?」
撫子は、いつも弥生の自慢の娘と言われて嬉しかった。集落では優秀なお兄ちゃんが2人もいるし、撫子は可愛がられてみんなが優しくて普通だったのに。そんな撫子の不満そうな顔を見て、玄弥が諭すように言う。
「撫子。……そろそろ言いたいこと我慢できるようになれよ。あとで説明するから」
いつのまにか、撫子に厳しいことを言うのは玄弥の仕事になってしまった。両親と上の兄はいつも忙しかったし、小さい撫子がかわいくて仕方がない人たちだ。そして、比較的年が近く夕方いつも一緒に過ごす玄弥は、撫子が不平不満を言ったり失敗したり、ずるいことをした時、近くにいることが自然と多かったのだ。




