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01.望まれなかった覚醒(4)

 門馬(もんま)旅館はいわゆるビジネス旅館ではない。だから宿泊客の朝の出立はゆっくりが多く、朝食も部屋でゆったり召し上がる上客が多い。令和の時代には人件費の節減で朝をビュッフェにするホテルが多いが、平成に入ったばかりのこの時代の歴史ある旅館なので、時人(ときと)はやり方を変えるつもりはなかった。この時間忙しいのは、朝食を用意する厨房と仲居だけ。そのため夕飯よりも時人の時間が取れるからと、子ども達との食事を朝一緒にすることが多い。


「「おはようございます」」


 子ども達が挨拶をすると、読んでいた日刊紙から目を離し時人は返事をする。


「ああ、おはよう」


 戦後の混乱期に旅館を仕切っていた陽一(よういち)に比べられると、充人(あつひと)時人(ときと)は古参の上客に「凡庸」と言われてしまうが、それでも旅館の主人を任されている時人は、子ども達の様子がいつもと違うことは気が付いた。


「どうした? 2人ともなんだか変だぞ」


 日刊紙をたたみ、経済紙を広げながら時人は子ども達にたずねた。


「あ……のね、おとうさん」


 玄弥(げんや)が言い出そうとしたが、どうもちゃんと聞きそうにないとふんだ葦人(あしと)が割り込む。


「玄弥が「夢先杜の神域に呼ばれる」夢を見ました!」


 時人の新聞を開く手が止まる。意外なことを聞いたといった顔で時人は2人をじっと見る。


「ホントです。……一昨日の満月の夜に。空から神社の中に飛び込む夢……です」


 あまり自分をじろじろと見たことがない父の視線が怖かったが、玄弥はがんばって言い切った。


 その様子を見た時人は、なにを思っているのかため息をついた。その様子を見てイラついた葦人がつい文句を言う。


「玄弥が嘘ついたりしない子だって知ってるよね。……女中のおばちゃん達から聞いてるでしょ」


 葦人の言葉は無意識に、玄弥本人を時人が見ていないことを責めていた。葦人がそこまで辛辣な性格ではないと分かっていた時人だが、それだけに余計責められている気分だった。


「わかっているよ……玄弥。正直に言ってくれてありがとう。お母さんや長老会には言っておく」


 朝食もそこそこに時人は席を立ってしまった。実のところいたたまれなくなったのだ。玄弥にどう声をかければいいのか時人は分からなかった。5年も放置してしまった関係を変えるにも、時人はどうすればよいのか分からず、ただただ混乱した。そして普段の仕事に没頭することで平静を保とうとしていた。


「大丈夫だよ、お父さんは怒ってないよ」


「うん。兄ちゃんありがとう。ちゃんと言えた」


 そして2人で朝食を食べると、それぞれ学校と幼稚園に行く支度をして家を出た。


 ***


 客人を送り出したお昼前、仕事が一段落した時人は、隣村の別館に赴き妻の弥生(やよい)を呼び出した。家族の中でも玄弥に関する話題は祖父母の充人(あつひと)桜子(さくらこ)を刺激する。長老会の反応を見てからでないと、祖父母をぬか喜びさせられないと時人は考えたのだ。


「別館まで来るなんて珍しいわね。どういう風の吹き回し?」


 弥生は不機嫌そうに夫に言う。別館の庭の四阿はこの時間、まだ客も来ないので簡単な話をするには良い場所だ。秋は深まっているが今日はまだ日差しがあって気候も穏やかだから、本来ならばゆっくり座って話しをする場面だろうが、色づき始めた紅葉も目に入らないのか機嫌が悪い弥生は、腰かけている時人の向かいに立ち、見下ろしている。未だに疑念を持った時のことを謝罪しない夫を許していないのだ。


「弥生……。玄弥が「夢先杜の神域に呼ばれ」た。一昨日の満月の夜だ」


「はあ? 何を今さら。……玄弥が寂しがって嘘でもついた?」


 弥生は玄弥が生まれたことも忘れたいのか。あんまりな物言いに時人は怒りを覚える。が、自分も今朝まで玄弥を厄介者のように放置していたのだ。お互い様だろう。


「違うようだ。葦人が面と向かって俺に諭したぞ。10歳の子どもがな」


「葦人は情に(ほだ)されてるだけでしょう? 子どもはかわいそうな者を見たら構いたがるんだから」


 弥生は近頃言い始めたら止まらない。時人は自分をけなすついでに子ども達を悪く言いだす弥生にがっかりしていた。こんな女だっただろうか? 本館の特殊な来客のことがあるから別館の仕事をさせていたが、実のところ充人と桜子が健在であるから弥生に若女将という肩書以外何もない。


「弥生。俺のことを許さないというのは分かるが、なんでそこで子ども達を悪く言う必要がある? お前の子どもだぞ」


 弥生は桜子が別館の従業員だった時に気に入った縁で、時人とは見合い結婚だった。時人はそれなりに弥生を大切にしていたのだが、離れて暮らし過ぎたかもしれない。だが、子ども達が大人になるまで醜聞は避けたかった。注意された弥生は言い過ぎたことに気付いたのか、少し顔を青ざめさせた。


「……ごめんなさい、言い過ぎました……。あの子たちの前にいるときはこうもならないのに、こっちにいるとどうしても言い過ぎて……」


 確かに弥生が本館に来た時は、ここまで子ども達にひどい態度を取らない。悪いうわさの元になった玄弥にあまり会いたくなくて、2人だけになるのを避けているようだが、言葉で傷つけるようなことはない。むしろこちらにいるときよりも穏やかな態度で、ただどう玄弥に接すればよいか分からないといった様子だ。


「わかった……まず長老会の報告をしてからだが、一度葦人と玄弥の顔を見に戻ってほしい。あいつらも母親と最近会ってないのだから、それなりに寂しいだろうし」


 もしかすると弥生は、舅姑と別館にいるより本館にいる方が良いかもしれない。子ども達と合わせてからだが。時人はそう考えた。そして、その日はその足で集落の長老会へと向かった。

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