14.ご都合よく歪むは人の視線か(4)
翌日の放課後、秋金と桃香は鮎彦の店でバイトに入る。だから玄弥は1人、バスで帰宅することになった。いつもの集落前待避所ではなく、終点の夢先村まで乗って行くと、バス停前で守長の羽鳥 潮が待っていた。
「放課後ゆっくりできなくて悪いね。場所は……君んちの別館だから」
「え?」
玄弥に場所を伝えなかったのは、潮が玄弥と祖父母の仲を心配してのことだった。両親とは現在、集落の本館で表向き平穏に暮らしている。ただ、祖父母が玄弥の黒髪黒眸を忌避して未だに関係が悪いことは、集落の関係者に知られていた。
「大丈夫。先代様たちとは出会わないように、離れを面会場所にしているから」
「いえ。お気遣いいただいたようで、ありがとうございます。……それと、長老会から誰かいらっしゃるんですか?」
「ああ、日辻の朝也さん。長老会長がいらっしゃるよ」
その言葉につい、一瞬表情が凍り付く玄弥を見て、潮は苦笑した。
「それがな、門馬の先代様たちと始まるまではお茶してくれるみたいだから、面談時間前は緊張しないで済みそうだぞ」
潮は、おそらく朝也が玄弥を気遣っていると見ていた。根津の先代長老会長が、時人の申し出を聞いたのに玄弥を否定した。その現場にいたという朝也は、何か思うところがある様子で、時折玄弥に関わる。ただ、玄弥にとってはストレスでしかなさそうだと、潮は思う。
「それとほら……この子を預かってきたから、世話を頼む」
玄弥は先ほどから気になっていた。潮が場違いなキャリーケースを持っているのだ。のぞけば緑の双眸がキラりと光った。
「なぜにふみ? ……ああ、紅葉の代理」
「この猫玄弥にも懐いてるって聞いているから。面談の間膝に置いてほしいそうだ」
「わかりました。ところで……さすがに制服だと舐められませんか?」
門馬旅館別館は、村の終点バス停からすぐの場所にある。そこに向かいながら玄弥は、高校からそのまま来てしまった服装を気にしていた。
「そこは大丈夫。鮎彦から一式預かってるよ。2~3歳は大人に見える「達也バージョン」」
「げえ。」
村でその恰好はしたくなかった玄弥は、顔をしかめた。中学までの玄弥を知っている人がいる場所で、外面作ってどうするというのか。ただ、少しは大人を装えた方が舐められないとは思う。その辺の葛藤を潮は面白そうに眺めている。この真面目で普段は不器用な玄弥だから、緑ヶ丘支部長の鮎彦も構うのだと潮は思った。
「まあまあ。中で着替えて外に出なきゃいいだろう?」
門馬旅館別館の入り口をくぐる。すぐにフロントマンたちが彼らに気付いた。
「いらっしゃいませ……玄弥坊ちゃま?」
別館に来ることがほぼない玄弥を見て動揺する彼らに、玄弥は苦笑した。
「ああ、特に祖父母に用があるわけじゃないんだ。今日は別件だから、普通にしてて」
「そう、集落のお客様がおいでになるでしょう? そのために玄弥君呼んだだけだから。館内には内緒でね」
潮がフロントマンたちに説明する。そして、何事もなかったかのように2人は、離れの方角へ向かった。
離れも集落の本館では1つの和室しかない庵だが、村の別館の離れは3つほど客室がある立派な建物だ。最近はベッドのある部屋を多くしている村の別館だったが、離れの3部屋は昔の情緒を楽しみたい客向けに、全て和室だった。その中の一番小さい6畳の部屋を今回、集落からの彼らが休む控室にしている。その部屋も他と同じく、畳の部屋の中央に座卓を配した造りだった。ちなみにあとの2部屋は8畳と窓側に椅子とテーブルを置いた広縁のある部屋で、今回面談は一番奥の2方が庭に面した部屋だ。
「スーツだと堅苦しすぎるだろうから、今回は大学生風に長袖のシャツとスラックスにしたそうだ」
鮎彦から預かった衣装は、すでに部屋入り口のクローゼットにかかっていた。玄弥の好きそうな水色の細かいストライプのカッターシャツ。スラックスはいかにも生真面目な学生が履きそうな黒系だった。あらかじめ玄弥は黒系のソックスを履いていたので、特に浮くことはなさそうだ。玄弥はすぐに服装を整えた。
今回は別に「達也」になる必要はない。通学に持っているバッグから集落の資料をまとめたファイルを取り出し、準備は整った。そして、当たり前のような顔をしたふみが、しゃがんだ玄弥の膝を踏み台に肩に飛び乗る。
「さて。少し早いですが面談場所へ行きましょう」
「そうだな。待たせるのは悪いしね」
だが、入った部屋にはすでに、呼び出した例の子どもの母親は来ていた。
「申し訳ございません! 私の教育が悪かったのです」
入ってきた2人を見て中年の女性は即、座布団から降り平謝りした。
「待ってください。お顔をお上げください。責任者はこれから参りますから」
潮が女性をなだめようとする。その時玄弥は、彼女の背に何か黒い塊が乗っているのを見た。
「潮さん! まずいです……人払いはできてます?」
「どうした、玄弥?」
玄弥は潮に説明するべきか逡巡した。が、その女性のためにも早く動かなければならない。
「潮さん……。これからすることは他言無用で」
玄弥は素早く、自分の中から溜めていた穢れを以前と同じように槍状に伸ばし、黒い塊を横から弾く。廃社の中は穢れだらけだから吸い込むものがあったが今回は自前。その分髪から色素がさ~っと抜け、ほぼ白い元の色が露わになった。
「玄弥。その髪……」
「まだです……潮さん。今から抑え込みます」
胡桃と中学生になった頃から練習した「穢れの浄化」。今はかなり使えるようになっている。玄弥は黒い塊を自分の領域に取り込むと、神力で包み込むが、どうやら中心に別の存在がある。そこから穢れを吸い出すようにして、濃い穢れの部分に「浄化」をかけた。
中の存在が清められたらしく、白いきつねとなってパタリと女性の脇に倒れる。玄弥は周囲に残った穢れを自分に吸い込み、髪の色は黒に戻った。集中するために閉じていた目を開けば、薄茶になっていた瞳にじわりと黒い煙のように色味が広がり、元の黒眸に戻って行った。
浄化されたきつねとそれが乗っていた女性は、意識を失っていた。