12.それぞれの夏休み(3)
「星羅。今日は隣りの市まで電車で行くからね」
「え? 隣りの市? 何か面白いものあったかしら?」
「いや、今日は星羅に会わせたい人がいるんだ」
「え? 誰に?」
まさか両親とか言わないよね? などと思ったのはおくびにも出さず、星羅は訊く。
「近くまで行ったら教えるよ。今は人目が多いからね」
そして隣りの市までほんの数駅の電車旅。それだけでも星羅は心が躍る。
通勤の客はいない時間帯、車内の人影はまばら。そんな中でも星羅の心の中は、「隣りにいるイケメンは彼氏なの! すごいでしょ」っと周りに言いふらしたくなるような、不思議な多幸感があって、でもそれを「達也」に知られたくない気恥ずかしさもあり、ふわふわ落ち着かなかった。
並んで腰かけ、1駅を過ぎた頃だった。「達也」はポケットから小ぶりのケースを取り出し、中身を自分の手に取りだした。
「これ、持ってきたんだけど。つけてみない?」
手の上には小ぶりの模造真珠のイヤリングがあった。先日星羅の耳にホールがないのを見た「達也」は、イヤリングをチョイスしていた。
「え? いいの? 高いんじゃない?」
「模造真珠だから安物なんだけど。……今日の服はアクセントが白だし似合うと思う」
「あ……うん、じゃあお言葉に甘えて……」
「つけてあげる。こっち向いてて」
「達也」が手慣れているかのように星羅の両耳にイヤリングをつけた。実のところ例の日辻の練習でつけたきり、内心ドキドキだったが、何とか心の中の玄弥が恥ずかしがらない時間で済んだ。
「……ありがとう。大事に使うね」
「いいね。さらにエレガントな感じで」
赤面する星羅を微笑んで眺める「達也」。空いている電車内で離れて座っていたおばさん達が、微笑ましいものを見たような顔で騒いでいる。アラ奥さんあと10年若ければ~などと、冗談で盛り上がっているが、玄弥は内心知り合いでなくて良かったと思っていた。
***
時刻はお昼前。隣市の中心地の駅で2人は下車した。緑ヶ丘よりも観光地が近い地域なので、駅前を行きかう人々は他所から来たのか、夏休みで浮かれているような妙な明るさがある。その近くに地域の普段使いの商店街や、地元の会社などが集まったビジネス街があって、そこは空気感が違っていた。
その、商店街とビジネス街の外れが隣り合わせになった地域。大きな通りを一つ入った所で、「達也」は星羅に話しをした。通りの向かい、オフィスビルの2階に看板が出ている。「竹田 正信事務所」――星羅の父が秘書をやっている鈴木 太一郎議員の、先輩議員の事務所だ。
「ここにね、星羅が知っている人が勤めているって分かった。もうすぐお昼時だから、たぶん会える」
「え? 誰のこと?」
「見たら分かる」
ちょうどビルの自動ドアが開き、オフィスカジュアルスタイルにサンダルを履いた、細身の女性が現れた。髪が肩辺りでカットされたストレートである以外、星羅に佇まいが似ている。少し丸い星羅の目と違ってキリっとした目元が、意志の強さを感じさせた。
「お母さん?」
「行っておいで。お父さんの事じゃなくて、自分がお母さんとどうしたいのか話してみて」
そう言って「達也」が背中を押す。星羅が振り向くと「達也」が安心しろというように微笑んだ。それに頷き星羅は狭い通りを渡って母へ駆け寄った。
「お母さん!」
「え? 星羅? どうして」
星羅の母、鈴木 灯里は声の方を振り返り、娘を見て驚いた。
「知り合いに教えてもらって……あれ、いない……」
星羅は「達也」の方を振り返ったが、どこかに立ち去ったようで姿がなかった。
「星羅、私お昼休みなの。一緒にそこのお店に入って話しをしない?」
「え、あ……うん」
急にいなくなった「達也」が気になったが、星羅はさっきつけてもらったイヤリングを勇気をもらうようにそっと左手で触れて、頷くと母について数軒先の定食店へ入って行った。
「いらっしゃい、鈴木さん。あれ、娘さんかい?」
「はい。近くまで来たのでお昼を食べようって」
「鈴木さんにそっくりな美人だね~。定食屋だからゆっくりとも言えないんだけどさ、まあ飯食ってって」
「はい。ありがとうございます」
急に話を振られて星羅は驚いたが、お礼を言う。それを見て灯里はホッとした顔をする。家にいる頃は定食屋のような騒がしい店は連れて行ったことがなかったが、星羅も成長しているように感じて、灯里はちょっと嬉しく思った。
定食屋だけれど夕方から酒を出すこの店は、入り口近くカウンターの脇はテーブル席、奥に座敷席のある形をしている。その座敷席側へ親子は上がり、隅の座卓席へ座った。
定食の種類は毎日3種類。焼き定、かつ定、日替わり定。焼肉定食、とんかつ定食、日替わりでおかずの変わる定食。今日は塩サバらしい。2人はそれぞれメニューを見て注文すると、出て来た水を一口飲み、灯里から話し始めた。
「どうしたの? 一体。あなたが最初に来るとは思わなかったけど」
「私だって……それなりに味方はいるから。その人から聞いて、お母さんがここで働いてるって知ったの」
「そう……。元気だった?」
「それなりに……。でも、ここじゃ言えないけど色々あった。……でも勇気出していいこともあったから」
「勇気? ……あなた、無理したの?」
灯里は離れていたとはいえ母だ。やはり娘に苦労を掛けたか心配だった。
「違うの。ただ、……諦めて知らない顔するのやめただけ。でもそれで良かったんだって今は思うから」
どうやら星羅は何か努力をして、自分の改善になったらしい。そういえば家で星羅は「聞き分けの良い子」だった。灯里が精神的にストレスいっぱいで気付かなかったのだろうが、星羅も親に余計な心配をかけまいと抑え込んでいたのだろう。今日会った星羅は、吹っ切れたように明るく見えた。
「そう……私がいなくても星羅は成長できるわね」
「ううん。そうじゃない。私……母さんがいない家は寂しいの」
母が「自分は必要のない人間」と受け取ったのが分かった星羅は、自分の言いたかったことをしっかり言おうと話し出した。
***