10.それでもおそらくは平穏な日常(3)
「ああ、そうそう。君たちの名前聞いてなかったね。私はここの店長、滝沢 鮎彦だ」
「子安 秋金です。こっちの女子は猪目 桃香」
「ああ、北側の分家さんか。……ところで、うちでバイトしない? 最低時給じゃ申し訳ないから色付けて100円増し」
「ええ? いいんですか~。アパレルって興味あるんですぅ」
桃香がいきなり乗り気だ。どうせバイトは探す気だったので、誘われたなら大乗り気だ。
「それって俺もですか?」
「そうだね~集落の事情が分かってる一般人って貴重なんだよ。やってくれるならありがたいな。桃香ちゃんは接客に欲しいし、秋金君は荷物の出し入れとか事務をね……どうだろう?」
「あ、ありがとうございます! 最近バイト先いい所は競争たから、ぜひ」
秋金は桃香といる時間が増えるので、あまり体力はないがやってみたくなっていた。そして玄弥にも訊く。
「玄弥はどうする? 俺も桃香と同じでバイトしてみたいけど」
「あー俺はパス。今は外神殿の資料整理で忙しいから」
「そうだな。玄弥はそっちに夢中だったっけ」
「外神殿の資料整理? 玄弥、そんなことやってるのか」
鮎彦が不思議そうに玄弥に訊く。修練生が外神殿に入れることはほぼないので、意外なのだ。
「ええ、うちは文箱で毎日つながる程度外神殿と付き合いがありますから。俺が集落のことを知りたいって紅葉を通して訊いてもらったら、資料整理を任せてくれたんです」
「そうか……興味があることがあるなら、学んでみるといいね」
「はい。そういうことなので、秋金と桃香をよろしくお願いします」
「まるで保護者だね~。……まあ、その擬態に疲れたら裏から寄ってって。この2人がいれば寄りやすいでしょ」
「ありがとうございます。学校が始まったらまた来ます」
こうして秋金と桃香はバイト先を手に入れ、玄弥は擬態に疲れたときの避難場所を手に入れた。
***
玄弥たちの高校生活は、小さなトラブルはあれど順調で平穏に過ぎた。玄弥の擬態がうまく行って、普段の学校生活は変に注目されずに済んでいる。集落から3人だけの進学で、通学が遠くてお互いのフォローがいるからと、村の中学から一筆高校へお願いを入れてくれたらしく、3人は同じクラスになっていた。
ちょっと玄弥が注目されてしまったのは、腹筋が割れていたせいだ。体育の着替えで他の学校からの男子たちに、鍛えた腹筋が見つかってしまった。ダサいもじゃ髪黒縁メガネのおとなしいやつなのに、腹筋われてる! と男子更衣室は騒然とした。
「なあ門馬~。なんだよそれ、隠れ腹筋!」
「すげー。なんちゃってじゃなくてしっかり筋肉じゃん」
ぺちぺちとさわり心地を確かめられてしまう。一緒にいた秋金はフォローしたいが、体育会系な男子が集まってしまい、近寄ることもできない。
「ええと……。うちの方山の中だから。……いつも運動してるようなもので……」
「うっそだぁ~。だって子安は……こうじゃん」
相手はそう言いながら、振り向きざま秋金の腹をつまむ。
「うひゃっ。やめてよ急に」
つままれた秋金が悲鳴を上げる。修練生じゃない秋金の腹筋と比べたら、違いはバレる。
「あは……ええと、俺、筋トレは好きなんだ。肥満予防で始めたらハマっちゃって~」
玄弥がわざとへらっと笑って言う。へぇ~と周囲が納得したように頷き、そこで注目度が下がった。あとは、筋トレが好きな数人が、道具だとか回数とか色々とこだわりを訊いてきて、後々そっちの話題で付き合う友人になった。それは怪我の功名だ。ただ、どこかから話が漏れて、翌日廊下で女子に囲まれてしまった。
「門馬君ってさ、腹筋すごいんだって?」
「気になる~。ちょっと見せてよ」
玄弥、貞操の危機だ。
「や、やめてよ……。それはちょっと……」
敵の制圧なら一瞬だろう。だが相手は一般人の女子だから、力業は使えない。マジで勘弁して欲しい状態。
「ちょっとー。みんなそれ、セクハラじゃん。先生にバレたら親呼び出しだよ~」
救世主、桃香が乱入した。
「も、桃香……」
「ああもう情けないわねっ。兄貴の出来が良すぎて自信ないのは分かるけど、こういうのはきっちり断らなきゃ」
言い訳用の設定で桃香が玄弥をかばった。桃香は少し嬉しかった。なぜならいつも優秀で、自分たちの手を借りることがない玄弥を自分が助けているのだ。
「へぇ。猪目さんって門馬君の彼女?」
取り囲んでいた1人が、面白いものを見たような顔で言う。内心邪魔されて面白くないのだ。ダサい男でも彼女がいるとなれば、なんとなく邪魔をしたくなる女子はいる。非常に残念な嫉妬という感情だ。
「ちがう……友だち」
「そうそう。小学校から一緒だからつい、世話焼いちゃうだけだし」
桃香は内心がっかりしながらも、本当のことなので気負わず言う。玄弥は桃香に悪いと思いながらも、後で秋金と時間を取ってやろうと考えていた。
そして、ある程度の割合でいる筋肉好き女子が、時々狙うように玄弥を見て行くようになり、平穏な生活を送るハードルが上がってしまったので、例の衣料品店の裏で鮎彦にからかわれるのがお約束になってしまった。
玄弥たちの高校1年生の年は、こうして表向きは、何事もないかのように過ぎて行った。
***