表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/51

01.望まれなかった覚醒(1)

 そして5年が経った。


 本格的に秋がやってきて、お店に新米が並び秋の食材が店先を彩る頃。少し日本列島でも北側に近いこの村の辺りには、バブル景気が崩壊したがまだ楽観視する富裕層が、秋の穴場を探して訪れ観光客は増えていた。おかげで門馬(もんま)旅館(りょかん)の別館は客の入りも良く(わか)女将(おかみ)弥生(やよい)が忙しいため、葦人(あしと)玄弥(げんや)は集落にある本館の方で時人(ときと)が面倒を見ていた。集落には一般のお客は来ない。ほぼ十二家(じゅうにけ)に依頼のある要人関係者が、長老会へ相談のついでに静養していくだけなので、別館よりは落ち着いている。


 ***


「ただいま~!!」


 園バスで幼稚園から戻った玄弥が門馬旅館の裏門から裏庭に入る。幼稚園のスモックと半ズボンを着てバッグを下げた玄弥は、短めに切った黒いくせ毛をくりくり揺らし、若干子どもっぽく丸みを帯びているが、将来は曽祖父の陽一(よういち)や父の時人に似た涼やかな目元になりそうな切れ長の目を輝かせ、裏門から走りこんだ。表はお客様が入る場所、というのは子ども達も小さい頃から言われているので当たり前のように従業員用の出入口を使う。


「おかえりなさーい。ゲンちゃん」


 出迎えたのはリネン類の洗濯物を取り込んでいた、女中さんをやっているパートの分家筋のおばさん達だ。表仕事の仲居さんと違って、裏方仕事のおばさん達は和装ではなくスカートの制服にエプロン姿。だから子ども達も接しやすい。旅館の主人で雇い主の時人の前では、女中さんたちも子ども達をちゃんと名前で呼ぶ。だが、弥生にもあまり甘えたことがない玄弥には、おばさん達が甘えさせてあげようという気持ちがあり、こっそりゲンちゃん呼びをしていた。


「おてて洗っておいで。休憩室でおやつ食べようね」


 女中頭の松子(まつこ)さんが、いつものように玄弥に言う。あと2人、ユリさんと道子(みちこ)さんが、松子さんと軽口をたたきながら取り込んだリネン類を抱え、通用口から入って保管室へ行く。玄弥は脇を抜けて自分の部屋に通園バッグを置くと洗面所で手を洗って、また通用口に近いおばさん達の休憩室へ戻った。

 

「ゲンちゃん、幼稚園は楽しかったかい?」


「うん、今日はねーブロックでお城作ったよ。でもね、ギンちゃんが追いかけっこしててぶつかっちゃってさー、全部やり直しーあはは。あ……でもギンちゃんブロックふんじゃったけど大丈夫だったかなぁ」


 道子さんが幼稚園の話を振ると玄弥は、堰を切ったように話し出した。ちなみにギンちゃんというのは同い年の、猿渡家(さるわたりけ)銀河(ぎんが)のことだ。同学齢の子どもは集落に毎年大体5~6人はいる。ただ集落だけで幼稚園を運営するほど子どもはいないので、隣の村までバスの送迎があった。


「ゲンちゃんはやさしいね~。ギンちゃんは身軽だし丈夫な子だからきっと大丈夫だよ。明日大丈夫だったか訊いてあげな」


 松子さんが玄弥の心配をフォローしてくれる。


「ゲンちゃん。こっちのクッキーはもういいの? 夕飯までまだあるからおなかすくでしょ~」


 ユリさんが最近お客様が従業員へと手土産でくれた、東京のお菓子屋さんのクッキーを玄弥にすすめる。玄弥はへへっと笑うと一枚だけ取る。丸い缶に入ったセレクトクッキーは、田舎の子どもにはあこがれの的。よほど良いお客が来たりお歳暮でも貰わないと手に入らない。玄弥にはおばさん達もこういうお菓子に目がないのが分かるので、今日のおやつでおなかも膨れたし遠慮して1枚にした。


「ええー1枚? いろんな味あるからもっと持っていきなよ」


 人のいいユリさんが言うが、玄弥は首を横に振る。


「おやつ食べたばっかだから空いてないよ。おばちゃん達も食べてね」


 兄の葦人のまねをしたように、玄弥は遠慮した。ちょっとお兄ちゃんぶりたいのかと玄弥を見ていたおばさん達3人は、ほほえましいなと顔をほころばせた。


 10月2日で玄弥は5歳になった。だがその誕生日も葦人が気付いてくれなければ、両親とも忘れていたかもしれない。その程度に玄弥は期待されていなかった。従業員のおばさん達が様子を見るに任せ、放置していると言ってよい。玄弥も幼いながら葦人との父親の反応の違いが何となく判るので、父といると気まずいから女中のおばさん達と過ごす方が気易かった。旅館の仲居さんや調理場のおばさん達には、よく笑って幼稚園での様子を面白そうに話したりしている。玄弥は周囲に育ててもらっている感じだった。


 休憩時間が終わったおばさん達が仕事に戻り、休憩室は玄弥1人になった。テレビの夕方の子供番組をただ流しつつ玄弥は、先日辰巳家(たつみけ)眞白(ましろ)おばあさんにいただいた、夢先杜様(ゆめさきもりさま)の絵本を読んでいた。


 終戦後神道の政治関与がタブーとされるようになった日本では、熱心な宗教の信者の家以外であまり見かけない宗教教育。欧米では週末のキリスト教会でのミサに子どもを連れて行くのが当たり前だが、日本の一般家庭ではまず珍しい光景。だがこの集落は、宗教がまだ当たり前に身近な地域だ。

 

 十二家の本家や、分家でも血筋が近い家には、幼い頃から夢先の杜のことを教えることが当たり前。ただ、陽一が亡くなった頃玄弥がまだ幼な過ぎ、門馬本家には玄弥にそれを教える大人がいなくなった。祖父母の充人(あつひと)桜子(さくらこ)も、玄弥の髪と瞳の色に忌避感があって時人に強く言ってまで教えさせようとしない。だから重要性を理解していた眞白が手を差し伸べ、時折教えていた。


 葦人と従業員たちは旅館内で玄弥を気遣っていた。家の外の人間は普通の子として分家筋の子たちと同じように、子どもとして扱ってはくれたが、十二家本家の大人たちは腫物でも見るような目で玄弥を見るか無視した。曽祖父の陽一が数年前に亡くなってから、玄弥を十二家本家の子どもらしく扱う大人は唯一眞白だった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ