09.憧れと夢とその先は(5)
撫子は銀河と桃香の手を引いて、自分の部屋へ連れて行ってしまった。静かになった玄弥の部屋は、エアコンの音と秋金のシャーペンを走らす音ぐらいで、とても静かだ。
「な~ぉ」
猫用のくぐり戸が、なぜか門馬家にはできている。ふみが玄弥になついて散歩コースにしてしまったから、撫子のおねだりで玄弥が作った。その戸をくぐって、ふみがやってきた。
「紅葉の飼い猫よく来るね~。最初に拾ったから懐かれてんのか?」
秋金がそばを通るふみを見て言う。玄弥はその首輪に、小さく巻いた紅葉の手紙が付いているのを見つけた。
「そうだね~。ふみの縄張りらしいよ、うち」
言いながら玄弥はふみを抱き上げて、雑巾で足を拭いてやる。そして、さりげなく首輪の手紙を回収した。秋金の前へふみを下ろしてやると、案の定秋金がふみを構いだした。その間に玄弥は手紙を読む。
『集落の資料のこと、先見様が見においでだって。いつでもいいそうよ。 紅葉』
その内容にニッと笑うと玄弥は、ふみと遊ぶ秋金に言う。
「かねっち~暇そうだな。まだノートかかりそう?」
「え? ああ、もう終わる終わる!」
慌てて最後までやっつける秋金に、玄弥は言った。
「俺、ちょっと用事できたんだけどさ。どうする? 銀河たちと一緒に撫子と遊ぶか?」
「ああ、そうだな。俺も遊びに行ってくる。2人には言っとくよ」
秋金は桃香にくっついていたいようだ。本人はまだ自覚がないみたいだが、桃香が言うことにいちいち振り回されている。桃香は桃香で、秋金は何でも言って平気な相手としか思っていないらしい。2人結構お似合いだと玄弥は思うのだが。
「じゃあ多分母さんがおやつ用意してると思うから、食べてって」
そう言うと玄弥は外神殿へ向かった。もちろん肩にふみを乗せてやる。夏の外で地面を歩くのは、猫の足に過酷だ。多分紅葉の神力がなければふみは絶対拒否しただろう。
***
夢先神社の丘の西側はアジサイやつつじの低木と草原。そこに外神殿と長老会の使う外社務所がある。普段その辺りは神子以外大人ばかりがよく通る場所だ。そこを玄弥が肩に猫を乗せて歩いていると、どうしても目立つ。
「おや。玄弥じゃないか。こんなところに珍しいね~」
もう日辻 朝也に見つかってしまった。また何を言われるのかと内心玄弥は焦ったが、顔や態度は平静に会釈をする。さて、どう返事をしようかと考えながら顔を上げたが、どうやら返答しなくて良くなった。
「ああ、日辻さん。彼は私が呼びつけたんだよ、門馬の家からね。外神殿の用事をお願いするのさ」
珍しいことに外神殿から先見様が外に出ていらっしゃる。そのことに玄弥はもちろん、朝也も驚いている。
「……そうですか。彼がこの辺りを通るのは珍しかったので」
「なるほど……。予想外のことはいくつになっても人を驚かせるんだね。騒がせてすまなかったよ。今後も玄弥を連絡役に使うことがあるから、構えないでくださいよ」
先見様はそう言って、資料を読むため玄弥が来やすいように先手を打ってくださった。普段の文箱をやり取りする大人と同じように、玄弥はただ深くお辞儀をする。その様子をうかがっていた朝也に軽くもう一度会釈をすると、先見様の後ろに付いていく。何事もなかったかのように朝也が外社務所へ去っていくが、きっとまだ耳をそばだてているだろう。玄弥は中へ入るまで無言を貫いた。
そして、外神殿の戸が閉められると改めて、玄弥は先見様へお礼を言った。
「先見様。助かりました。いろいろと便宜を図っていただいて、ありがとうございます」
「いや、たぶんこれは夢先の杜に必要なことだから。君がこの集落の始まりを調べてくれるのは、むしろありがたい」
中から事違え様と、兄の葦人と同学年の神子、丑山 涼太が現れる。
「おお。生身の玄弥! 珍しいね~」
「ご無沙汰しております。事違え様、涼太さん」
「うわー。玄弥が礼儀正しいなんて、今日はゲリラ豪雨だわ、きっと」
「事違え様……。わざと天気変えないでくださいね、困ります」
玄弥がすんとした顔で言うと、先見様が面白がって笑う。涼太が玄弥の頭にすまして乗っているふみに気が付いた。
「あれ? ふみはまだ玄弥の頭に乗ってるの? ……紅葉~! まだ見てるな」
ぷいっとふみが玄弥の肩を伝って床に降り立ち、逃亡する。入れ違いに紅葉が現れた。
「やっほー。ふみ連れてきてくれてさんきゅー。暑いからふみも歩くの嫌がるのよね~」
「それはいいけど。……俺の頭は猫のクッションじゃない。さすがに成猫は重いっ」
「ごめんて。でもさ~玄弥の頭に乗ってるふみ、かわいいんだから勘弁して」
なぜか涼太と事違え様がうんうんとうなずく。どうやら味方がいないと玄弥は察した。そして、そろそろ本題に入ろうと先見様が促す。
「玄弥。あまり遅くなってはいけないだろう。今見られる資料の部屋はこちらだ」
先に立って玄弥を案内してくれる。遠巻きに胡桃や他の神子たちが彼らを見やる。紅葉は自分が話しを通したからか、玄弥がどうするのか見たがり付いてきた。
「さて、この中なのだが。近年使うことがなかったのでね、かなり放置されているんだ」
先見様が開けた引き戸の中は、なんとも埃臭くなった書庫だった。それなりに時折はたきをかけたり床を掃いたりするようだが、それでも汚れは顕著だ。おそらく書物特有のちっさい虫もいるだろう。
「今、中は誰もいませんね? いたら困るんで」
「多分誰もいないよ。この時間祈りの時が近いから、ちゃんと広間にいるよ」
「なら、ちょっと強引に”虫干し”します」