09.憧れと夢とその先は(3)
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「やっぱりここでもいい本なかった……」
今は7月下旬。梅雨が明けて夏の初めの蝉がうるさく鳴く夏の午後。夏休みを利用して、玄弥は近隣の大きな市の図書館や郷土資料館を訪れていた。集落や村ではあまり感じない忙しない車の音、舗装された歩道からムッとする熱を感じるが、通り沿いに植えられた木々の影と通り抜ける風が心地よい。玄弥は、自分たち夢先の杜に住む者の歴史を知りたいと、最近受験勉強そっちのけで「風土記」のような地域の古い歴史書を紐解いた解説本を探している。
「やっぱりね。 そういうのって多分普通の地域の「歴史の本」には書かれないんじゃないかな~」
今日は紅葉が付いてきていた。理由はお勉強。だけど本当は、単に集落にいると息が詰まるせい。神子だからと戌井の実家に戻ればやたらと気を遣われ、外神殿に居ればなかなか外歩きもできない。学校以外で気軽に話せる場所がない彼女にとって、長期休みは嫌いな時期だ。
紅葉は神子だから、外の通学がいる高校へは進学できない。集落の長老たちは、神子の価値を知っている社会的地位の高い人たちに狙われないよう、彼らに護衛のいる集落や村以外へ長時間、定期的に出るのを避けさせている。今は日本で独自進化した携帯電話もかなり普及して、外出先で写真を撮られるのも当たり前だし、隠しても簡単に暴かれる時代に、外の学校へ通わせないから変わるのか? とか、かなり束縛の酷いヤンデレみたいでうざいと、よく若い神子の間で話が出る。その辺、長老会に認められていない神子の玄弥は、かなり楽をさせてもらっている。
「玄弥は外の高校受けるんだよね? 紅葉は通信の高校には進学するのかな?」
……なぜか、県立高校2年生の炎樹が付いてきている。中1で玄弥と銀河に対してあれだけ牽制した炎樹は、1年間かいがいしく紅葉の世話を焼き、中学卒業の時に告白してしっかり紅葉を彼女にしていた。玄弥としては紅葉も炎樹も一緒でなくとも良いのだ。炎樹はもちろん、中学3年生たちに勉強を教える口実で図書館に付き合いつつ、紅葉とデートしたがっている。だから玄弥は邪魔なようだ。さっきから話しに割り込んで来る。
熱風を浴びせるように車道を配送トラックが走って行った。それが玄弥を余計にうんざりさせる。
「先輩……。修練に参加してればよかったのに~。別に俺わざと邪魔してるわけじゃないですよ。神子は護衛なしで村外に出られないんで」
「じゃあなんで玄弥が付いてくることになってるんだ? 他にも修練生はいるじゃないか」
「えーと。……俺が図書館に行きたかっただけで、紅葉は図書館で涼みたかっただけだと思うんすが」
「そーなの。私はくそ暑~い外神殿で神子の修行で疲れたから、涼しい所に行く玄弥に便乗したの」
なるほど逆だったのか、と炎樹は気付いたが、なんとも自由な紅葉に呆れてもいた。
「紅葉~。だったら先に俺を誘え。勉強口実にいくらでも付き合うし」
紅葉は束縛が大嫌いだ。だから炎樹と付き合いだしたけれど、玄弥と道で行きあって近隣の市の図書館へ行くと聞いたら、自分も行きたい! となってしまう。そこにブレーキを掛けろと言われても、はいそうですかとならないのが、紅葉らしいといえばらしい。
「え~? だって玄弥すぐ行っちゃうし、私は涼みに行きたかったし、それから炎樹に話してたら、護衛決めたりで明日になっちゃうじゃ~ん」
「くそ暑い日に熱々ごちそうさま~」
口喧嘩に巻き込まれたくない玄弥は、早々に離れてバス停で次のバスの時刻を確かめる。なんだかんだ言ってじゃれあいのような喧嘩はすぐ収まるのだ。間に挟まれるのが面倒で、かといってあの2人がデートするのに他の護衛が来た日には、また距離感が分からずに困り果てる幻影が見えるので、もう腐れ縁で生贄だと達観している玄弥だ。
「時刻表だとあと5分ぐらいでバス来ますよ」
何事もなかったかのように玄弥が2人に言いに戻ると、文句を言い合っていたのが嘘のように仲良く近くの店でアイスを買っていた。
「ほい。玄弥の分ね。ソーダ味でいいでしょ」
チープだが暑い日に食いたくなるシロップを凍らせた系の棒アイス。高級な小さめのカップアイスも好きだが、玄弥はこういう時は棒アイス派だ。友達歴の長い紅葉はその辺り外さない。
「こんな安上がりでいいのかよ。パフェ食いに行ってもいいぞ。バイトで今潤ってんだから」
「中3はそこまで暇じゃないですよ。そろそろ家に帰らなきゃ……あ、バス来ました」
村の方へ戻るバスがバス停に止まり、プシューという音とともにドアが開く。棒アイスを持ったまま3人バスへ乗り込んだ。まだ夕方には早い時間帯、ほとんど乗客がいないバスの一番後ろの座席を占領する。終点一つ手前まで乗る彼らは、路線バスならではで直行しないため、1時間近く乗るのだ。乗り降りする人の邪魔にならない席を無意識に選んでいた。
走るバスの中、アイスを食いながらふと、炎樹が玄弥に訊ねた。
「なあ。なんで集落のこと調べようとか始めたわけ?」
玄弥は、周囲に集落以外の客がいないか視線で確認して答える。
「それは……俺がこういう姿で生まれたから、かな」
「炎にい。玄弥に長老会みたいな偏見で物言わないで」
紅葉が口をはさむ。が、玄弥は手を振って紅葉を止めた。炎樹は嫌みでなく単に理由を知りたがっていると感じたからだ。
「紅葉が言う通り、長老会は俺が黒髪黒眸で生まれたから血筋を怪しまれたことを知ってるし、そのことで父と前の長老会長に確執があったのは確かですよ。それより……なんで日本の田舎の集落に、髪の色や瞳の色が薄い人がこんなにいるのかって方が、一般の日本人には不思議でしょ」
「確かに……俺たち村の外に出ると、最初に「とこかのハーフ?」とか訊かれるの当たり前だな」
「そう。あの村やこの辺りの街はまだ、あの集落に色味が薄い人が多いの知ってる。でも、外では普通じゃない。それに、俺たちは当たり前に神子が生まれてくるのを受け入れてるけど、いつからなのか、なんでそうなったのか、あまり知ろうとしない。まるで……諦めたみたいにね」
「そりゃ~不自由よ。私なんか1人で街に買い物も行けないし、高校行って普通にJKやりたくても無理だし、仕事だって選べないんだから」
紅葉は明るく言ったが、くやしさがにじみ出る。炎樹は紅葉の抱えるフラストレーションを感じ取り、膝の上に置いた彼女の手をそっと握った。玄弥はその様子を見て少しだけ羨ましく感じ、でも安心もした。一人だけ外にいる神子は、外神殿に押し込まれる立場に寄り添うことができない。それこそ紅葉に失礼だと思っている。