06.回避してもトラブルはやってくる(3)
「兄さんお帰り」
「ああ、玄弥ただいま。……撫子も~ただいま~♪」
葦人は高2。村外の一番近い県立高へ通っている。ちょっとだけ着崩した濃藍のブレザーの制服、校則ギリギリあごのラインでカットしたストレートのロン毛。身長は170cmを超えて鴨居にぶつかるまで伸びるのかと思われたが、ギリギリ止まったらしい。祖父に似て骨太な体躯に茶髪ロン毛なので、下手すると喧嘩上等の不良学生なのだが、物腰の柔らかさと礼儀正しい言動で高校では優等生で通っている。さらに今、住居側の玄関に迎えに出てきた、この夏5歳になる妹を前にでれでれの笑顔で応ずる姿は、ただのシスコンだ。この顔面崩壊は外に見せられないと、玄弥は思う。
葦人に頭をなでてもらった撫子は、そのまま母との寝室におやすみを言って入った。
中学生まで週3回だった修練は、高校への通学のこともあって週2回に減ったが、その空いた1日で葦人はバイトをしていた。別にお小遣いのためではない。これも村以外の生活に慣れるためで、コンビニで働いている。コンビニの店長が集落関係者だから1日しか入れないけれど雇ってもらえた。
葦人は高校卒業後、旅館の経営を学ぶために大学進学を予定しているが、成績優秀だからまだしばらくバイトは続ける。でも今日は修練でもバイトの日でもないはずが、夕飯の時間を過ぎてすでに夜の9時。山間の集落まで来るバスは終わりも早い。
「兄さん。……遅いよね。そろそろ撫子は寝かす時間なんだよ。どうしてそこまで遅いのかな? ねえ?」
廊下を自分の部屋へ移動する葦人を追いかけながら、玄弥は母弥生が言いそうな言葉でチクチクと嫌みを言うが、実は大体予想はついている。
「怖いなぁ玄弥。母さん乗り移ったみたいだよ」
葦人が少し焦ったように玄弥に言うと、玄弥は大きなため息をついて言う。
「まあ、集落入り口までの終バスには間に合ってるから、ホントの理由は言わないでおいてあげるけど」
「なーに言ってんだ。友達とちょっと遊んだだけだから」
本当に何気ない理由を当たり前のように口にする葦人だが、内心はかなり動揺していた。密偵として葦人はかなり優秀で普通の人なら騙される。でも兄弟の玄弥には嘘だとバレた。葦人の部屋に着き、追って入った玄弥は後ろ手にドアを閉めると小声で言う。
「綾子さんとデートでしょ? そのぐらい見てりゃ分かるし」
「お前なぁ……そういうのは言わないでくれ」
今年葦人と同じ高校の1年に綾子が入学した。4月は新生活に慣れるまでと遠慮していた葦人だったので、今日は高校生同士になって初めてのデートだ。中2の夏にお付き合いから始めた2人は、受験の時期に少々喧嘩をしたが続いている。葦人は最近、高校で綾子の同級生の男子たちが彼女目当てに言い寄っているのを見て、気が気ではない。
「今日はちょっと自己嫌悪に陥ってるからね。聞かないでほしいなぁ」
先ほど葦人は、綾子の同級生たちのことで嫉妬深いことを言ってしまった。それで少し綾子に呆れられたのではないか、明日は謝らなければと反省しきりなのだった。
「兄さんの落ち込んでるところ悪いんだけど……相談があって」
玄弥が葦人についてきたのはからかうためではない。父母がまだ玄弥にとって、未だ信頼できる相談相手になっていないからだ。しかも内容が女性問題なので、思春期の息子が親に相談しにくい。幼少期ほぼ親代わりに玄弥を構ってくれた兄が、思いつく最善だった。
「最近じゃ珍しいな。玄弥が何悩んでるんだ?」
葦人は制服から部屋着に着替えながら玄弥に言う。玄弥は気が付いてしまった。脱ぎ捨てる兄の衣服から家のと違う石鹸の香りがする。6年生にもなれば上の若鳥たちからある程度、次の段階の教育を聞いている。日辻の料亭の2階に行って、どうやら兄は綾子と大人の関係を結んだらしい。どうりで帰宅が遅かったわけだ。母に挨拶しに行かなかったのも納得した。
「リア充の兄さんに相談するのがいいのか分からないんだけど」
「なんだよ嫌みか? お前の方がよっぽど父さんに似て女子受けいいじゃないか」
「それは……だからどうしていいか……困ってるんだ」
葦人は弟のはぜいたくな悩みだと言おうとしたが、玄弥の表情でどうやら深刻な悩みがあるらしいと感じた。
「何があった?」
玄弥をベッドに座らせ、机の椅子を引いてきて座ると葦人は訊いた。玄弥は目をそらしたまま答える。
「犬塚 夏生は知ってる? 戌井の分家の。そいつに今日学校で抱き付かれた」
その女子の名前は葦人も知っている。集落ではそこそこ見目が良いので年の近い男子から受けがいいが、本人は相手を選びすぎるため時々トラブルを起こすと、成鳥たちから問題視されていた。
「紅葉と桃香が間に入って助けてくれたけど、俺、神力暴走しかけた。……怖かった。……まだだめだった」
「まだだめだった? あの……1年生の時の女に手首つかまれたやつか」
「うん……体力ついてきたから、やっと普通にしてれば女子と話して大丈夫だったんだけど」
玄弥は無意識に体を抱え込むように自分の腕をさすった。
「見た目で判断してくっつかれるのは、気持ち悪い」
そして、膝を抱えてうずくまる。
「そうか……」
葦人としても弟の力になりたい気持ちがあるのだが、自分もまだ高校生だ。なかなかアイディアは出てこない。ただ、少しは気持ちを落ち着かせたいと、久しぶりに弟の頭をなでた。すると、
「ふふっ」
玄弥が笑った。
「なんだよ……おかしいか?」
葦人が言うと、
「くすぐったい」
玄弥が照れたように言う。そこで葦人は強めにぐしゃぐしゃとさらになでてやる。
「俺はこんなことしかできないけど。愚痴なら聞くから」
「うん、ありがとう兄さん」
「まあ女性の対策なんて言われてもね。多分……、もっと上の世代じゃなきゃ分からないな~。それか同じ女子か」
葦人は思いつくことを言ってみる。それにギクッとする玄弥。
「あー。それね……紅葉がさ、今日は変なうわさをわざと流したんだよね~。俺と銀河が付き合ってるって」
「をいをい。ホントじゃないだろうな?」
「馬鹿言わないで。冗談だから。紅葉は俺だけが標的にならないように違う話題を流したみたい」
「すごいな……紅葉ちゃんは発想が」
「うん……まあ……面白がってやってるところあるけど」
葦人は紅葉の手腕に内心舌を巻いた。成鳥の調査員並みに機転が利く。これを成鳥の守長が知れば、神子にしておくのを惜しむくらいだろう。
「とりあえずは集落の6年生5人でまとまって動けよ。今まで通り」
「そうだね。銀河も運動会で目立ち過ぎて、中学で運動部に誘われないようにするからさ、図書室にでも誘うよ」
「玄弥。お前は人が良すぎるからさ、女子から興味を引くような話されても無視していいぞ」
葦人は極端な話をしてくる。
「ええ~? さすがに無視すると他の男子にけんか売られる」
「だからそれがだめだって。女子は鋼メンタルだからな。しっかり振らないと脈ありって勝手に言い出すぞ」
「めんどくせ~!」
ああホントにめんどくさい。玄弥は思った。そしてこれが、「塩対応の玄弥」誕生の理由だった。女子に冷たい姿勢はしばらく続くことになる。
まだ続きます。続きも読んでくださるとうれしいです。
玄弥の成長が主軸なので、結末も決まってて脱線はあまりできませんが、「こんなエピソード読みたい(アップ済以降の部分)」みたいなご意見いただけたら踊って喜びまする(謎)。
遅筆、下手の横好きゆえ実現するかは保障できません。平にご容赦を。