05.兄 中二の夏(2)
コンビニを出たところで2人は呼び止められてしまった。服装は一般人らしいスーツ姿だが、少々剣呑な空気を纏った男だ。2人は若鳥に上がってまだ浅いが一応内心を隠す訓練はしていた。それでも少し顔が引きつった。だがおかげで一般人らしくなって怪しまれなかった。
「父と待ち合わせしているんです。まだ時間にならないから、明かりと人がいる所で暇つぶししただけですよ」
葦人が決めておいた言い訳を言って、綾子の手を引いて立ち去ろうと歩き出す。
「待ちなよ。彼女連れで父親と待ち合わせだ?」
男はまだ絡んできて、横を通り抜けようとした綾子の手首をつかんだ。
「やめください!」
葦人は男の手をはたいて、男をにらみつける。
「この子はいとこです。彼女とか決めつけて、いやらしいのはおじさんじゃない?」
葦人は挑発するように言う。男は簡単に子どもを威嚇できるつもりが言い返され、戸惑った様子だ。
「……もしもし、警察ですか? 変な人に路上で言いがかりをつけられています。場所は……」
綾子が最新の携帯電話に向かって話し始めると、男が綾子の手から携帯を奪うと道路に叩き付け、さっと逃げ出した。
「……行こう」
葦人は綾子の壊れた携帯を拾いあげると、綾子の手を引いてその場を離れた。今の通報がふりだとしても、周囲に人がいたので誰かが警察を呼んでいる可能性がある。長居は無用だ。綾子のつないだ手が震えているのを葦人は感じ取り、しっかり守れなかった責任を感じていた。
先ほどの会合終わりの連絡からするとすぐ合流できそうだ。そして、運転手か晴秋のどちらかが男の写真を撮っていてくれるようにと葦人は願っていた。彼も動転して男の写真は撮れていなかったのだ。初めての任務は反省点ばかりになってしまった。
***
「葦人さん。反省会しない?」
あの任務から1週間は経った。今日は夢先杜地区の鏡の村である本村で、夏祭りが開かれる日。葦人は中学生数人で夕方から祭りに来ていて、その中に綾子もいた。あちこちの屋台をひやかして歩く中、綾子は少し勇気を出して葦人に話しかけていた。
「……うん。そうだね。いいよ」
葦人もちょっと緊張しながら答えた。
娯楽が都会ほどない村の子ども達は早熟な連中が多い。本村の中学生もお付き合いしだす子どもはよく見かけていたし、彼ら夢先杜地区の密偵の修練を受けている子どもは、任務中にどういう大人と出くわすか分からない関係から、中学に上がるとすぐ人心掌握術や男女の身体について学び始める。少しだけ期待してしまうのは、男子として当たり前といえば当たり前。だが葦人も一応自制心はあるので、抑え込んで綾子についていくことにした。
2人は無言のまま、夢先杜地区へ帰る山道を歩いていた。任務のことは本村で話すわけにもいかないし、まずは綾子に言いたいことを言わせないといけないと、葦人は黙って歩いた。今日の綾子は特に飾り気のないオレンジ色のTシャツとモスグリーンのショートパンツ。髪は普段縛っているが今日はただ普通に下ろしていた。葦人は大きめの明るい水色のTシャツに、裾に余裕のある生成色のショートパンツ。どこにでもいる中学生が2人。
「私ね……甘かったなと思う」
綾子がぽつりと言った。横を歩いていた葦人は、綾子の方を見やり、ただ次の言葉を待つ。
「日辻の料亭の小部屋でさ、男子もだろうけど、女子も性的な勉強があるけど。……指導のおねえさんたちに言われたの」
おねえさんとは言うが、普段日辻家地域の飲み屋でホステスをやっている大人の女性たちのことだ。調査員の仕事に出るときは、デパートの店員や企業の秘書などになるし、都心部の有名店から場末のキャバクラまで、いろいろな酒の席で見合う態度の女性従業員にも化ける。優秀な調査員だ。もちろん男子の指導もしている。
「生娘はいざという時覚悟ができないぞって。……私ね、この間手首つかまれた時、竦んじゃって何もできなくなってた。……情けないよね」
「そんなことないよ。俺も……不安でどうしようって思ってた。そう見えないように必死だった」
葦人は綾子が情けないとは思わなかった。それより自分の方が情けないと、本心を吐露していた。
「ううん。ちゃんと葦人さんは私を守ってくれたよ。私は……嬉しかった」
ちょうど2人は峠の中間点の開けた場所へ来ていた。東の空には月が昇って道と2人を薄明りが照らす。ふもとから強めの風が吹きあがってきて、今日はただ肩に流していた綾子の髪を巻き上げる。ふわりと女性特有の甘い香りが葦人の方へ漂った。やばい。いつもより綾子がきれいに見える。と葦人が焦る。
「それとね……おねえさんたちにはもう一つ言われたんだ」
「……なにを?」
情けないことに少し呆けた葦人は、ゆっくり綾子に言葉を返した。
「女の子は初めてを大事にしろって。……変な犯罪者やスケベ爺に会う前にって」
そう言うと綾子は葦人に抱き着いた。葦人の動悸が急に激しくなる。
「だっ……だめだろ。そんな……俺みたいのに抱き付いちゃ……」
うわーかっこ悪い。と思いながら、葛藤を抑え続ける葦人。ここで手を出したらマズい。それだけが頭の中をぐるぐるした。それでも押し付けられた胸や抱き付いた腕の感触で、理性が飛びそうになる。股間も存在を主張しだした。でも男子だっておねえさんたちに言われている。本気だったら我慢しろ、少しずつ近づいて優しくしなさいと。葦人は直感で今がやせ我慢のしどころだと気付く。
葦人は綾子の背中に回しそうな腕を押さえつけ、手を両脇で握りしめると、彼女の肩に手を置き体を引き離す。
「こんなやり方はだめだよ、綾子。俺の気持ちは関係ないの?」
「……あ」
憑き物が落ちたような顔で綾子は気が付いた。自分の思い込みだけで葦人を巻き込んでいると。そして急に暴走した自分が恥ずかしくて赤面した。
「落ち着いてくれた? ……俺ちょっと嬉しかったけどね」
苦笑した葦人は綾子の手を引いて歩き出した。集落の方に下る道へ入り、道すがら話し出す。
「俺さ、まだ綾子のことは同じ集落の子、程度しか分からないんだよ。だからさ……」
なんとなく視線を感じた葦人は、さっと道端の大きな木の陰へ綾子を連れて行き、寄り掛からせて言う。
「俺のこともこれから知ってほしいな。……ねえ、お付き合いから始めてみない?」
おねえさんたちの指導で絶賛免許皆伝を受けた「好青年の笑み」を浮かべて、葦人は綾子を見つめる。綾子は、葦人はずるいなと思いながら、その笑顔に負けて頷いてしまった。
「じゃあ、これからよろしくね。アーヤ」
ふと綾子は気が付いた。いつの間にか主導権が葦人に握られていることに。そして葦人は、綾子の頬に手を添えると、口にしっかりキスをした。
「え……いきなり口なの?」
呆然とした綾子が言うと、少し赤くなった葦人がいたずらが成功したような顔で言う。
「いや、何も聞かずに迫って抱き付く人に言われたくないな~」
「え! いや、それは……! ……ずるい」
綾子は葦人を軽くグーでたたきながら文句を言い、葦人は笑いながら逃げる。そして2人並んで集落へと下って行った。