04.初めて尽くし 東京(1)
玄弥たちが修練に参加し始めて1か月ほど経った金曜日。
給食が始まり、そろそろ大型連休が過ぎて落ち着いてきた学校から、いつものように峠道を歩いて帰ってすぐ道場のある根津の山へ向かうと、成鳥の指導役たちが集まり何事か相談している。
「若鳥からは……おい! 時雨。それから……小さいのがいたほうがいいな」
いつもはいない長老会の根津 文親がなぜかいた。そして、成鳥が決めるはずの補助の子どものピックアップを文親がし始めた。周囲の指導役たちもこれには不満がある雰囲気だが、訓練施設を持つ根津の長老だけに言いづらい。以前は眞白が越権行為の注意をしていたのだが、ブレーキ役がいなくなった文親は無敵になっていた。
そしてふと、離れた場所にいる黒髪が文親の視野に入った。そして、彼の心に若干の悪意が湧いた。
「そこの……門馬んところの次男。無害そうで適任だな」
「え? 玄弥は幼鳥だしまだ1年生ですよ。修練も1か月しただけの」
「ただの受け渡し役の連れでも危険です」
周囲の指導員たちが注意を促すが、文親は意に介さないのかさらに続けた。
「時人さんと眞白のばーさんが過保護にしてたからな。早めに現場を見せて気を引き締めさせろ」
その言い方に全員が固まった。葦人や銀河など近しい者からは殺気に近い怒気が漏れ出た。だが戦時中の猛者だった文親はそんなもの気にもしない。
「明日、土曜日に調査結果の受け渡しで家族連れに化けさせろ。時雨も濃い目の髪色だ、受け渡し役の夫婦の子ども役。兄弟に見えるだろう」
文親は1人だけ満足してさっさと長老会の事務所である外社務所へ戻って行った。成鳥のまとめ役、守長の羽鳥 潮がため息をついて、時雨と玄弥を呼びよせた。
「時雨。玄弥。長老会のご指名だから仕方ない。明日と明後日で東京へ出かけて、成鳥が客に成果報告を渡す時家族連れの子ども役をする。急な話しですまないが、詳しい話を隣の建物でするから来るように」
時雨と玄弥は頷いた。文親がいなくなって緊張が解けた子ども達がざわつきだし、移動しようと歩き出した玄弥の手首をいつの間にか近寄った葦人が握る。
「玄弥。大丈夫か? 不安だったら父さんからでも長老会に」
「大丈夫だよ兄さん。僕もいつまでも守ってもらっちゃ馬鹿にされるでしょ」
玄弥は笑顔を作って葦人に応えた。そして指定された場所へ、時雨の後を追って行った。
***
東北方面からの上りの新幹線が東京駅のホームへ滑り込む。ドアが開くと駅ホームのアナウンスが聞こえる。
「ご乗車ありがとうございました。東京。東京です……」
ホームに降り立った4人の家族がいた。建物の管理会社に勤めていて大型連休中出勤したからようやく休みが取れた父、その妻と、中学生ぐらいの長男、小学校低学年ぐらいの次男。……そういう設定の夢先の杜の調査員たちだった。
彼らは国の情報機関からのある宗教団体の調査報告を渡すために、遅れて休みを取った親と遊びに行く家族連れを装っていた。郵送で渡せないのは、途中で紛失する危険が冒せない以外に、文書に書けない感触を相手側へ伝える必要があったからだ。
子ども達も偽名を設定された。時雨が「慎吾」、玄弥が「元気」だ。言い間違えてバレないように音が近い名前にしていた。父親役の成鳥「ツバメ」、牛島 聖は36歳で実際に建物設備の管理会社の課長。母親役の成鳥「千鳥」雪子35歳は実際に聖の妻で、子どもは修練には向かず普通の生活をしている。
嘘をうまくつくには事実を混ぜておいた方がいい。この家族は子ども達は嘘だが夫婦は事実だから、大人の態度はとても自然だし、時雨の「慎吾」は思春期らしいぶっきらぼうは通常運転。玄弥の「元気」は学校で見せているよそ行き顔で人懐っこそうな笑顔をしていれば、うまく馴染めていた。
「新幹線かっこいいね、にいちゃん」
「ああ、元気は初めてだもんな」
「そう! お父さん忙しいから最近お出かけなかったし」
「じゃあいっぱい遊ばないとな」
時雨扮する「慎吾」は玄弥の「元気」の楽しそうな言動に、お兄ちゃんらしい返しができていた。正直時雨と母役の雪子は、緊張をほぐす玄弥の元気な振る舞いに助けられている。聖も長老会に強引に小さい子を押し付けられたと思っていたら、かなりうまく成りすましていて評価を改めていた。
玄弥はこれまで親の仕事が忙しく、こんなに遠くまで連れてきてもらったことがなかった。初東京だから、なんでも珍しい。自然体でお出かけにはしゃぐ低学年児童になっている。
初日は東京駅から別の路線へ乗り換え、有名なテーマパークへ遊びに行った。某アメリカの映画キャラクターを使った遊園地で普通の家族連れと同じように遊び、遊んだ場所からも都心からも少し離れた、お手頃な値段のホテルに4人で一緒に宿泊することになった。
「……眠れるか?」
「多分大丈夫。まだ何もできなくてごめんなさい」
消灯したホテルの客室。隣のベッドに寝ている時雨が玄弥を気遣った。時雨は若鳥2年目だから、一応夜襲に備える眠り方の訓練を受けている。だが玄弥は幼鳥でも1か月修練に参加しただけだから、周囲の負担を増やしてしまうことに子どもながら悪いと思っていた。
「いや。お前は悪くない。悪いのはあのじじい」
時雨がなだめる。時雨もあの子役の決め方はわざとらしいと思っていた。それと、受け渡し役の牛島夫妻が止めることもしなかったことに、若干イラっとしていた。
「お前さ、やっぱその髪や目の色のこと悪口言われてるだろ? 俺も小さい頃はそうだったから」
「え? しぐ……慎吾兄ちゃんも?」
「大丈夫だここまで注意は要らないよ。さっき牛島さんたちが壁やコンセント確認したから」
事前予約をしないで素泊まりのホテルを探したり、敵対しそうな相手に盗聴されにくい対策はしているが、最近は素人が面白がってネットでその手の知識を仕入れてひどいいたずらをするので、油断がならない。が、夢先の杜の調査員に抜かりはない。
「で、まあ俺もこの通り滝沢の本家なのにかなり髪が黒に近いだろ? そのせいで母親が一時期俺と話しもしなかったよ」
「そうなんだ……。僕の場合はお母さんが村の別館から戻ったら少しマシになった。あと、眞白おばあちゃんや兄ちゃんがいたし、女中のおばちゃん達もいたから大丈夫」
「ん……そうか。お前かわいいからな……」
「え?」
「なんでもない……早く寝ろ」
「うん……ありがとう時雨さん」
礼を言うと玄弥は目を閉じた。部屋の反対側にいる牛島夫婦が見えないよう、玄弥の側へ横向きになって時雨は寝転がっていた。というのも明日の任務の不安を抑えたいのか、布団をかぶって同衾している彼らがイチャコラしているのを玄弥に見せないためだ。若鳥の先輩から時雨は牛島夫婦の夜の話を聞いていたが、気付かれていないと思っているのは本当のようだ。自分たちが若鳥だった頃を忘れてるな、と時雨は思う。
「それにしても……困った」
1日はしゃいで疲れたからか、もうしっかり眠っている玄弥。女子みたいに長いまつげの鼻筋が通った顔を眺め、後ろからしっかり何をしているか聞こえてくる物音を聞いていると、時雨はドキドキしてしまう。そういう趣味はない時雨だったが、その彼がうっかりその道に走りそうな美少年ぶりに、余計眠れなくなっている時雨だった。
***