02.穢れの洗礼(3)
ちょうど着替えを持って戻った松子へ葦人は訊ねる。
「松子さん。今日の外神殿への手紙ってもう届けに出てる?」
夢先神社の神子にお願いをしに来る人々は、それなりに国の重要人物から委託された者たちだが、持ってくる相談が神子の力で解決できるかは聞いてみなければ分からない。また、集落のことを理解できない客も中にはいる。門馬旅館はそういう宿泊者の様子を確認する門番の役を担っているので、毎日外神殿へどんな依頼者がいるか手紙を出している。それは葦人も時人がやっていることを見て知っていた。
「いいえ……たぶん時人さんがお戻りになってからだと思いますよ。もう番頭さんが書いて通いの文箱に入れてる時間でしょう」
「じゃあちょっと、……いたずらでもしてこよっかな」
いつも真面目な葦人が、珍しくいたずらっこのようなずるい笑い方をして松子に言う。まあまあうふふと松子も葦人にしては珍しいこともあると、面白がった風に笑って送り出す。葦人が本当にいたずらをするわけじゃないと分かっているからだ。
葦人は自分たちの子ども部屋へ戻ると、旅館の事務所から何枚かさらってきた便箋を取り出す。
「もうちょっと真面目に習字しとくんだったなぁ」
ぼやきながらも、丁寧な字で書いていく。
『初めてお手紙いたします。門馬家の長男、葦人です。弟の玄弥が、外神殿の神子様に連絡したいと言うので書きました。今、玄弥は体の調子が悪くねています。玄弥が母の体調を悪くしたくないといって、旅館のはなれにいます。辰巳家の眞白様のお葬式でたおれました。さっき見たら玄弥のツメが黒くなっています。自分ではどうしようもないみたいです。どうかお助けください。おねがいもうしあげます。』
「なんかホント……いたずら書きにしか見えないよね、これ」
小学6年生のレベルなのだから、これだけ書ければ傍からすると十分だろうが、玄弥に頼ってもらえた葦人は、もっと立派にやりたかった気持ちがあって、出来上がりに不満があったのだ。でもこれ以上やりようがないのも本当なので、葦人はそのまま手紙を封筒に入れ、旅館の事務所から番頭さんが出たすきに、通いの文箱の下の方へそっと紛れ込ませた。
その夜のこと。門馬旅館の裏門がそっと開かれた。
夜陰に乗じてすっと入ってきたのは、1人の神子。若いと言うには少し年増というと本人からかなり叱られるらしいが、そんな妙齢の女性だった。茶色い髪を後ろでしばりシニョンでまとめ、パンツ姿の身軽な服装をしたかなり小柄な人。まだまだ若々しい彼女はこれでも小学生の子どもが2人いる。外神殿にいるからなかなか子どもに会えないが子供好き、という彼女は離れの引き戸をすっと開けた。
「玄弥君、入りますよ」
「あ……胡桃様。……ありがとう……ございます」
少し薄れたとはいえ悪意の真っただ中にいたことで、玄弥はまだ動くのもままならなかった。やってきた女性の神子は、寅松 胡桃という。寅松家の長女で、「祓いの神子」だった。
「なるほど。……玄弥君の神力は「祓い」というより「穢れ吸い」って感じね。まあ、私が一番相性がよさそうだ。さて、まずは溜まってる穢れを祓いましょう」
胡桃は手に神力を湛えるとすっと周囲を祓っていく。玄弥から漂い出ていた穢れがすっと消えて行った。
「……すごい。胡桃様ありがとう。すごく楽になりました」
玄弥が礼を言うと、首を横に振って胡桃が言う。
「う~んまだ残ってるでしょ? ……玄弥君の中に溜まってる……今度追い出し方を教えるよ」
「え? ……追い出すの? どうやって……」
玄弥は「追い出す」ということは考えてもみなかったし、方法があるとも思っていなかったので慌てた。神子となって外神殿に入ったなら、必ず教えられたはずの神力の感じ方。それも玄弥は教わっていないのだ。
「玄弥君。あなたはまず、神力を感じ取ることからやりましょう。そうすれば、やり方は自ずと分かってくるから」
「神力を感じる……?」
「そう。我ら神子は神力を感じ取れると夢先の神に見いだされたの。だから、自分の身体の奥にそれは必ずある。……今日すぐ無理でも、ゆっくりやりましょう。なかなか神子がここに来られなかったからね、これからは毎週末私がここに来るから」
「えっと、じゃあ……胡桃様が僕の先生なの?」
胡桃は嬉しそうにふふふっ、と笑って言う。
「そういうのは~、「師匠」って言ってね。あー初めての弟子だわ~」
「……なんだか嬉しそう」
「そりゃ~こんなにかわいい弟子ができたんだから、嬉しいに決まってるでしょ~?」
胡桃はにこにこというよりにや~っという笑い方をして、続けて言った。
「私の教え方は厳しいよ~。んふ。楽しみだなぁ」
「ええと。……お手を柔らかに? だっけ。お願いします」
玄弥は焦りながら、親たちが言う言葉をまねして挨拶した。その初々しさにますます嬉しくなってしまった胡桃だった。