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灰色の彼方にて(2)


空間が(よじ)じれる。

魔王の咆哮が空気を引き裂き、それと共に黒い亀裂が空間に奔った。


勇者たちの周囲を囲むように複数の黒き魔法陣が展開し、真紅の稲妻が走る。

――召喚陣が再び開かれる。

大地が震え、空気が痺れ、空間そのものが別次元へと変貌するかのようだった。


魔王が口をひらく

「【 上位アンデッド:超多重召喚・黒死の戦士(ドレッド・ウォリアー) 】」


その言葉が終わるや否や、闇から這い出るように、異形の影が現れた。


それは人間の何倍もある巨躯を持つ、骸の戦士。その数、10体。


角を生やし、髑髏の奥に潜む眼窩からは、終わりなき深淵のような闇が覗いている。

フルプレートの鎧は怪しく黒光りし、その堅さを象徴するようだ。

体からは死と腐敗の瘴気が立ち上り、手にした巨大な斧や剣には、血が、傷が、その強さの痕跡として焼き付いていた。

まさに“死の戦士”――魔王に仕える不死の兵。


勇者たちは一瞬、呼吸を忘れた。


「なっ……あの数、あの質……っ!」

動揺と共に、漆黒のローブを纏った魔導士の女の顔が引き攣る。


弓を構えた男は即座に弓を引き、前衛の盾の戦士が盾を構え直す。


半透明の障壁は、なおも仲間を守っている。

しかし、側近の悪魔からの攻撃は続いており、

もうじきそれが破られることは、戦士の表情からも明らかだった。


「……このレベルのアンデッドを同時に10体召喚するなんて、常識ではあり得ない……!!」

魔導士はそう言いながら、即座に杖を構える。だがその手は震えていた。


戦場の均衡が、音を立てて崩れていく。


「くそっ、あのレベルのバケモノに囲まれるとは……!」

戦士が叫ぶ。


魔王の力は、常識の範疇をとうに超えていた。


その魔王が、さらに両腕を広げ、闇の奔流を全身に纏う。

「終焉を刻もう。貴様らの命ごと、この地を(ちり)と化す」


大地が唸りを上げ、空気が収縮し、黒いオーラと共に熱気と冷気が混ざり合った嵐が魔王の周囲を包み込む。


「まだ、それほどまでの魔力を残していたのか———!?」

弓兵から声が漏れる。同時に、焦りと共に勇者の方向を見る。


勇者の足元に展開された魔法陣が、八重の光輪となって神々しく脈動している。

勇者の口元では静かに、しかし力強く呪文が紡がれていた。

「……火神よ、我が剣に火を――」


魔王の詠唱が重なる。

「闇より生まれし我が呪詛よ、暗黒の最奥をもって地を屠り……」


空間が悲鳴を上げる。

世界が割れそうな圧に満ちる中、両者の詠唱が競り合う。


「どちらが先に放つかで、すべてが決まる……!」

魔導士の女が、押し殺した声でそう呟いた。


魔王の側近の悪魔が、その意味を察する。

「……魔王様の詠唱が邪魔をされれば、先に勇者の奥義が来るぞ!」

「死んでも止めろ!あの勇者が詠唱を終える前に!」


黒死の戦士(ドレッド・ウォリアー)たちが一斉に動き出す。

ただの突撃ではない。


魔王の詠唱を完了させるために、何としてでも勇者パーティを押し留めるという、狂気の突撃だった。


***


嗣春は、その光景を呆然と見ていた。


骸となった身体――骨の姿となった自分が、なぜ思考できているのかも分からぬまま、ただ目の前の異常さに圧倒されていた。


魔王が放とうとしている魔法――それは言葉では形容できないほどの災厄の予感を孕んでいる。


そして黒死の戦士(ドレッド・ウォリアー)たちを見る。

彼は何が召喚されたのかを知らない。


ただ、それでも感じられる圧倒的な存在感。


嗣春は思った。

(俺も、あの骸骨の戦士たちのように召喚されたのか)


薄々理解してはいた。


しかし、いざ召喚を目の当たりにするとその現実味のなさに震える。


その時、頭上から再び側近悪魔の咆哮が響いた。

「スケルトンども! 動けッ!!勇者の妨害をしろ!!」


それは魔力を帯び、魂に直接干渉する――悪魔による強制の号令。


ゴギッ……ガキィ……!


硬直していた骨の群れが、一斉に軋みながら動き出す。


壁となっていた者、倒れていた者、棒立ちしていた者――全てが、まるで糸に引かれた人形のように動き始めた


彼らの眼窩には、赤黒い光が灯っていた。


(……他のスケルトンたち……!)


その一体一体は弱くとも、数は多い。

それが全体として襲いかかる。それがスケルトンの強さだ。


しかし、嗣春だけが、そこから逸れていた。

悪魔の命令も届いた、だが嗣春には強制力を持たないようだった。


(……俺だけ……なぜ……?)


戦場を駆け、剣を振るい、絶叫を上げながら突進する彼らの中に、嗣春を意識する者は一人もいない。


(……俺は、認識すらされてない)


しかし、その事実が、彼にとって“唯一の救い”だった。


(……逃げるなら、今しかない!)


嗣春は決断する。

魔王と勇者の奥義がぶつかり合う直前――

あらゆる注意が一点に集中する、今この瞬間こそが、抜け出す好機。


彼はそっと背を向け、瓦礫の隙間を音も立てず踏みしめた。

なぜ動けるのか、なぜ思考できるのか。答えは出ない。


だが一つだけ、確かなことがある。

それは――


(終わるわけにはいかない……!!)


本能だった。名もなき骨の存在になってもなお、“生”への執着が、彼を突き動かしていた。


――背後で、大きな衝突の音。激しい戦闘を物語っている。


金属同士が激しく弾かれる音で、ないはずの背筋が震える。


――その瞬間。


背後で、空間そのものが破れるような破壊音――。


(……今のは――)


骨の身体にまで伝わるほどの振動。

直感的にわかった。


――勇者たちを守っていた障壁が、今、砕けた。


さらにもう一度強い衝撃音。


その衝撃波と共に、嗣春の走る先に、“何か”が飛来する。

目の前を通り抜け、転がってきたのは、焼け焦げた塊。

熱と煙をまとった何かが、地面を転がりながら目の前に落ちてきた。


「くっ……ぐああああああ!!」

戦士の悲鳴。


焦げた鉄。砕けた鎧。

それは、かつて”人間の腕”だったもの。


(な……!?)


金属が激しい炎によって色も形も変わってしまっているが、嗣春には見覚えがあった。

――勇者パーティ、戦士の腕だ。


血の気配すら失われ、ほとんど全てが炭化したかのような断片。

未だに熱を放ち、黒煙を上げながら地面でくすぶっている。



背後では、戦士の障壁が破れたことでさらに激化した戦闘。


魔法使いの女が絶叫し、命を削るように幾つもの大魔法を撃ち放つ。

弓兵は全身に力を込めて連射し、その矢は太い光となって空から地を裂いた。


あまりの技の連続に、あたり一面が虹の残光に染まる。

大技と魔力の衝突が、空間の色彩すらねじ曲げていた。


そのとてつもない猛攻に何体もの黒死の戦士(ドレッド・ウォリアー)が斃れる。


一方で、右半身を悪魔に切り飛ばされた盾の巨漢が、最後の気力を振り絞って半狂乱で斧を振るう。

それを正面から受け止めた側近悪魔は、黒い剣に魔力を込め全霊で戦士にとどめを刺す。


***


嗣春は絶句していた。


目の前には無惨な腕。

そのこの世のものとは思えない惨さに。


しかし、彼が冷静を取り戻すのは意外にも早かった。


視界に、不意に輝きが入ってきたのだ。


近づいてよく見る。


炭化した手首のあたりに、ひときわ目立つ黄金の輝き。

それは、いくつもの宝石が散りばめられ、見事な彫金が施されたブレスレットだった。


その美しさが、かえってこの惨劇を際立たせる。


だが、嗣春はそこに“確かな力”を感じた。


嗣春は、逡巡した。

この腕輪をどうすべきか。

だが、迷っている暇はない。

彼は、黙って手を伸ばした。


その死者の腕から、装飾のブレスレットを丁寧に――しかし迷いなく取り外す。


一瞬、“何か”が心をかすめた。

それは共感でも、悲しみでもない。

ただ――

「グロテスクなものを見た」という、生理的な嫌悪感。


感情の一部が、どこか鈍くなっていることに、彼自身が驚いた。

それでも、彼は静かに言葉を飲み込んだ。


(それでも……俺は……)


そのブレスレットを、骨の腕につける。

それは吸い込まれるように骨に馴染み、まるで最初から彼の一部であったかのように――そこに留まった。


ピリ……ッ。


ブレスレットから、何かが流れ込む。

音ではなく、波だった。

骨の指先から腕、肩、背骨にまで、何か微細な波が駆け抜けていく。


熱くも冷たくもない。


ただ、“それ”は確かにそこにあり、己の存在に何かを刻んだ。


(……これは……なんだ……? でも、これを持っていれば……)


理屈ではなかった。


体が軽くなり、力を持った感覚。体の能力が向上しただけでなく、圧倒的な速さを手に入れたような感触があった。


嗣春は確信する。常人では動かすことすら困難な、とてつもない巨躯とフルプレートをまといながら、あの戦士が俊敏に立ち回れていたのは――間違いなく、これのおかげだったのだ。


「これがあれば、生き延びられる」


それは王国の七秘宝のうちの一つ、疾雷神の(フォース・オブ)腕輪(・サンダー)。身につけた者のステータス、特に敏捷さを飛躍的に向上させる。そしてステータス向上だけでなく、特定の条件で発動する上位の”魔法”が刻みつけられた魔法具。


嗣春は先ほどとは別次元の速度で出口――玉座の間の入り口まで駆ける。


そのとき、入り口付近の瓦礫の合間で、何かが揺れた。


黒い布。


(……?)


血のような赤で縁取られた、異様な質感の布が、戦場の熱風に揺れている。

あまりにも唐突だったが、嗣春の視線は自然とそれに引き寄せられた。


駆け寄って拾い上げる。


それは――魔族の高位存在が纏っていたと見られる、漆黒のローブだった。

おそらく勇者一行に屠られた魔族の所有物。


一部は焼け焦げていたが、織り込まれた呪符のような文様。


(……これも、“使える”)


それは確信だった。


崩壊しゆく世界の中心。

勇者と魔王の奥義が、いまにもぶつかり合おうとしている。

光が空を裂き、闇が空間を呑み込むようにうねる。

終末が、もうすぐ彼の背後から襲いかかる。


嗣春は、急いでローブを身にまとい、腕輪を確かに巻いたまま――音もなく、瓦礫の道へと駆け出した。


ローブによって多少基礎能力が上乗せされたのだろうか、先ほどよりもさらに速い。


全力で駆け抜ける。


地を蹴る音は軽く、瓦礫すらも滑るように越えていく。


汗は流れない。息も上がらない。


走っているのに、心臓は鳴らない。


(早く……早く……!)


玉座の間を飛び出し、無人の城を駆け抜ける。


廊下には無数の異形の死体が転がっていた。


突き当たりの窓から飛び出す。

数階分の高さを跳び降り、石壁に囲まれた内庭を一息で越えた。


体のどこにも痛みはない。


一直線で走る続ける。

戦いの音は聞こえなくなった。


嗣春は立ち止まり、一息を付ける。

安心感がどっと訪れる。


(......逃げ切れた……のか……?)



――その瞬間、背後の全てが、光と闇の奔流に飲み込まれた。

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