ヒロインの恋
ぐすん、と鼻をすするミラの背中をエスメラルダが優しく撫でる。ようやく涙が落ち着いてきたところだった。
「エスメラルダ様、ありがとうございます」
「友人が辛い時くらい、そばにいられなくて将来王妃など務まりませんわ」
こんな優しく美しく聡明な方と友人になれて私は幸せ者だとミラは傷心の中しみじみと思った。恋がダメでも、友人と学園生活を楽しめばいい。もともと、はじまらない恋だったはずの恋だ。
「それにしても、本当にこれで良かったのですか? ミラ様は後悔なさらない?」
「いいんです、このままアレクサンダーと一緒にいても辛いだけだから……」
そう答えると、再び涙が溢れ出た。
「あああっ、わたくしったらせっかく落ち着いたのに余計なことをっ」
慌てるエスメラルダにミラは泣きながら「すみません〜」とハンカチで顔を覆った。
エスメラルダとミラが2年生になって3ヶ月。
年度末の卒業パーティーで顔見知りから友人、そして恋人へと急速に関係が進んだアレクサンダーとミラだったが、恋人になって1ヶ月程でアレクサンダーの態度が一変したのだ。
恋人となったばかりの時は、暇さえあればミラの教室へ来てミラとひとときも離れたくないと言っていたあの頃を思い出すと心が張り裂ける様だった。
ここ1週間、アレクサンダーはミラの教室へ来ることもなく、ミラが彼の教室へ赴いても「忙しいから」と素っ気ない態度を取られる様になってしまった。
急変した彼の態度に戸惑うミラ。
そして今日、とうとうアレクサンダーから「思っていたのと違った」と別れを切り出されたのだった。
ミラには『もしかしたら私たちはもうダメなのかもしれない』という想いはあったが、それが現実となるとすんなりと受け入れられるかどうかはまた別だった。
私の何がいけなかったのか、どうしたらやり直してくれるのか。
そんな風に縋りたい気持ちもあったが、「思っていたのと違った」という拒絶があまりにも辛く、素っ気ない態度を取られることにも疲れてしまい、別れを受け入れたのだった。
それからミラはずっと放心状態のまま授業を受けていたが、エスメラルダに声をかけられ「アレクサンダーと別れました」と伝えると涙腺が崩壊してしまったのだった。
それからしばらく泣き続け、冒頭に戻る。
「私もアレクサンダーに理想を押し付けていたのかもしれません」
この世界ではゲームのキャラクターと必ずしも性格が一致しているとは限らなかったのに、ミラはゲームで見てきたアレクサンダーをこの世界のアレクサンダーに当てはめてしまっていたのではないか。
そんな後悔ばかりが頭をぐるぐるとしていた。
アレクサンダールートのエンディングでは、草原に咲いた満開の花畑を見ながら「来年も、その先も、毎年一緒にみような」と約束をするスチルを思い出す。
全く同じ状況になった時に、そのセリフがなかった事にミラはとても落ち込んだのだった。
(そうだ。あの時、まだ私たちは友情も愛情も築き始めたばかりだった。あのエンディングのセリフは友情も好感度もパラメーターが上がり切った関係性のアレクサンダーだからこそ出た言葉。それなのに今の私に対してあのセリフが彼の口から出るわけがないのに)
今になってあの時落ち込んだ自分が愚かだったと気がついた。
落ち込んだ様子のミラを見て、アレクサンダーは悲しそうな顔をしていた。
こうなった原因は自分にあったのだ。後悔してももう遅い。
あの花畑は、アレクサンダーが大好きな場所だからミラを連れて行ってくれたのだ。
特別な場所だと、ミラは知っていたのに。
確かにゲームの登場キャラの中では1番の推しだった。
ピアスは亡くなったお祖父様の形見で、家族を大切にしているアレクサンダー。そんなところがいいなと思って好きになった。
ゲーム内では一貫して先輩の立場で接してくる中で、パラメーターを上げるのにプレイヤーとして間違った選択肢ばかりした。少しふざけた選択肢を選んでも好感度が下がるのだ。そんなところはプレイヤーの間では選択肢がわかりやすいとまで言われていた。なのに前世のミラは失敗ばかりしたのだった。けれどそこもまたアレクサンダーというキャラの良いところだと悶えるポイントでもあった。
その点、この世界のアレクサンダーはどうだ。
先輩風を吹かせながら、ミラが少しでもふざけたことを言ったりおどけて見せるととても楽しそうに笑っていた。
クールに見せてるのに、ひとときも離れたくないなんて言ってのけてしまう甘え上手のギャップにもやられた。
なんでも相談してくれと言うわりに、試験勉強の相談をしたら困っていた。勉強を教えるのは上手くないからと言って。
どれも、ミラにはアレクサンダーがとても愛おしく思える瞬間だった。ゲームの中の彼ではなく、目の前にいるアレクサンダーに。
今回は選択肢ミスでバッドエンドというわけにはいかない。
まだ終わらせられない。
ミラの人生も、アレクサンダーの人生もまだ続くのだ。
ここは、ゲームの世界ではない。
「謝らなきゃ……」
ミラはハンカチの下でボソリと言った。
「今なんと?」
「私、アレクサンダーに謝らなきゃ。もう恋人になれなくても、それでもこの気持ちを伝えなくちゃ」
「そうですか……」
ミラの涙は止まっていた。
エスメラルダは魂の抜けた顔をしていた友人の目に力が宿っているのを見て、もう大丈夫と安心した様だった。
「エスメラルダ様、ありがとうございます。私行ってきます」
「頑張ってくださいね」
エスメラルダは力強く歩き出すミラを見送った。そこへ入れ替わる様にローラがやってくる。
ローラの姿を認めると、エスメラルダはミラの背中を見つめながらぽそりと呟いた。
「みんなそれぞれの好きな人と幸せになれたら良いのに……」
これにローラはフンと鼻を鳴らす。
「これだから失恋を知らないお嬢様は!」
ローラとて、想い人のオリヴァーが振り向いてくれる気配が全くないのだ。実らぬ恋をしている身としては、幼い頃から婚約者がいて現在溺愛されているエスメラルダには辛い想いなど理解できないと決めつけている。
確かに婚約者から現在溺愛されている箱入り娘のエスメラルダには想像するしかない感情である。
「確かにわたくしには全てを理解することは出来ませんが、幸せを願うのは友人として当たり前のことですわ」
ローラの言葉に少ししょんぼりするエスメラルダ。その姿を見て、ローラはわずかに罪悪感を覚える。
「初恋が実らないなんて、前世では当たり前の話だよ。と言ってもアタシも恋なんて全然わかんないけど! だからミラだって今回がダメでも次の恋に進めるって。もっと良い男はいるよ」
「そういうものでしょうか」
「そうだよ」
「ではあなたもオリヴァー様よりもっと良い殿方がいらっしゃると思います?」
「それはぁぁぁぁ、オリヴァー以外とは絶対ムリだしオリヴァーじゃないとヤダって言ってるじゃん〜。オリヴァーのことが本当に好きなのぉ! 今はそんな事考えたくないぃぃ」
ローラは頭を抱えて食いしばるように答えを吐き出す。今は自分がオリヴァー以外の男性とどうこうなることは考えられない。それが恋する乙女というものだ。だから貴族社会の愛のない結婚などもってのほかだ。将来もしかしたら自分がそういう結婚をするとは、ローラ自身これっぽっちも考えていないのだった。
「それだけ彼のことが好きなのですものね。ローラの気持ちがオリヴァー様に伝わりますように」
ちょっと意地悪を言ってローラに仕返しをしたエスメラルダは、くすりと笑って祈るポーズを取る。
ローラもエスメラルダがわざと意地悪を言ったことに気がつき、もう、と頬を膨らます。ふたりは顔を見合わせてあははと笑い合った。
こんなふうに軽口を言い合える友人ができたことがエスメラルダには幸せなことだった。そして、友人の恋を応援するということも。
「絶対振り向かす!」
拳をあげるローラ。
少し離れたところから婚約者を見守るルイスは、嬉しそうなエスメラルダの笑顔に自然と顔が綻ぶ。話の内容までは聞き取れないが、幸せそうな彼女の姿を見るだけで心が満たされる。
そんなあたたかい気持ちになっているルイスの横で、オリヴァーは悪寒を感じ身震いをしていた。
もうしばらくお付き合いくださいませ!




