エスメラルダとローラ
エスメラルダが彼女に初めて声をかけられたのは、毎日の日課である婚約者ルイスとの昼食の後だった。
「ねぇ、なんで悪役のアンタが、王子と険悪じゃないのよ。毎日一緒にランチされてたらアタシのイベントが起きないんだけど」
彼女――ローラはエスメラルダたち貴族の通う魔法学園に先日編入してきた少女だった。
平民には珍しく魔力量が多いこと、癒しの魔法が使えることから伯爵家へ保護され編入が決まったとエスメラルダは婚約者から聞いていた。元平民の伯爵令嬢という事で、学園内でも話題になっている人物である。
「ルイス様との昼食は、学園卒業までのお約束ですので」
険悪だとか、イベントだとか、何故そんな単語が出てくるのか不思議に思ったが、エスメラルダは気にせずに答えた。
「じゃぁ明日だけでもいいから、お願い」
ローラが両手を顔の前で合わせる。パチンといい音がした。
「そもそも、ルイス様のご予定を勝手にどうこうしたいというのは失礼ではなくて?」
ルイスはこの国の王子であり、王太子だ。エスメラルダはその王子の婚約者であり、現在妃教育も受けている最中である。婚約はお互いが十歳の時に決まり、七年もの間婚約者として信頼関係を築いてきた。そんな二人が険悪な関係であるなどあり得ない。
エスメラルダは、きっとローラはまだ貴族のことや学園に慣れていないことから、こんな突拍子もないことを言っているのだろうと考えた。ローラにきちんと礼儀を学んでもらわないといけないし、その役目は自分が一番適任なのかもしれない。などと考えていると、ローラは真剣な表情でエスメラルダを覗き込んだ。
「アンタだって死にたくないでしょ?」
「……なんて?」
エスメラルダは公爵家の令嬢にあるまじき言葉遣いをしてしまったことに気付かなかったが、自身の生死に関わるのであれば話くらいは聞かねばなるまいとローラの話を聞くことにしたのだった。
ローラ曰く、ここはローラがヒロインのゲームの世界でエスメラルダは悪役令嬢なのだそうだ。エスメラルダはこのままでは破滅の道を辿ると言う。ほとんどわからない言葉だらけだったが、自身の破滅ということだけはしっかりと理解できたエスメラルダだった。
馴染みのない言葉や不穏な未来の話を聞けば、取り乱してしまうのも致し方ない。
「そんな未来嫌ですわ! どうしたら回避できるのか、あなたなら知っているのでしょう? わたくしを助けてくださらない!?!?」
「はぁ? なんでアタシが」
「お願い! 今後わたくしが学園でのあなたの後ろ盾になりますから!」
ローラは先ほどまでとは打って変わったエスメラルダの動揺っぷりに、にやりと笑う。
「じゃぁ絶対王子様ルートに入る手伝いをしてよね」
「わ、わかりましたわ」
「まずは明日の昼食からね」
「ルイス様に話してみます」
翌日、急な用事ができたとルイスに昼食の断りを入れたエスメラルダは、ルイスとローラの様子が見える物陰へ潜んだ。
こんな、他人の逢瀬を盗み見るような事をしたことがないエスメラルダは緊張していた。ドキドキする胸を押さえつけ、ゆっくり静かに呼吸する。二人はしばらく会話を交わしていたが、にこにことローラがご機嫌な様子で去っていくと、エスメラルダも自身の死の回避への第一歩だと少しホッとしていた。物陰から離れようとすると、ルイスがこちらへとズンズンやってくるのが見え、エスメラルダはヒュッと心臓が縮んだ。
なぜこちらへやってくるのだろう!?
「やぁ。エスメラルダ。急な用事とはこの事だったの?」
「ルイス様……」
ルイスは王子スマイルでエスメラルダを見下ろす。この笑顔を貼り付けている時は、あまりいい気分でない時だ。
「申し訳ありません。けれどわたくしの未来には必要な事なのです。お許しください」
「僕には相談できない事?」
「あまり大事にはしたくありませんので……」
「君の未来の事は僕の未来の事でしょう。それは大きな事ではない?」
「いえ……確かにその通りですわ」
「では話してもらおう」
ルイスに問い詰められるとエスメラルダは小さくなる。
そんな姿を見てルイスはクスクスと笑った。
「エスメラルダは僕にすぐ言いくるめられてしまって心配だな」
「ルイス様だけです……」
しゅんとするエスメラルダにルイスは微笑む。
「もう昼食は終えた?」
「これからですわ。ご一緒してもよろしいですか?」
「約束だからね」
ローラは美しいホワイトブロンドの髪を耳にかける。
この美しい髪も、愛らしい顔も、老若男女を惹きつけてやまない。この学園に来てからも、ローラの姿に振り向く生徒の多いこと。
この世界へ生まれ変わったことを自覚した時から、王子ルートを選ぶことは決めていた。
前世ではできなかった本物の恋愛をしたい。この美貌の相手は王子でなければならないと鏡を見ては自分に言い聞かせていた。
病弱で学校にも通えずに入院生活の長かった前世では叶えられなかった事をたくさんしたい。その一つが恋だった。
それが、生まれ変わった世界が前世でプレイしていたゲームの世界だと知った時の喜びといったら。転生というものへの混乱や戸惑いよりも喜びの方が強かった。
だってアタシはこの世界のヒロインであるローラなんだから。
前世の推しは王子の護衛であるオリヴァーだったが、推しと結婚相手は別というのがローラの持論だ。
オリヴァーとももちろん恋愛してみたいけれど、オリヴァーは鑑賞するのが一番だ。だって見た目が大好きだから。
ヒロインとして癒しの魔法に目覚めたローラは、隣の領地の伯爵家へ保護された。ローラの故郷を治める男爵家へと養子に入ったのだが、その男爵家の娘がローラへの嫌がらせをしたことをローラが教会へ告発したため、伯爵家へと移ったのだった。
アタシを拒否するなんて、本当にバカね。
将来は王妃となる自分を大切にしない家があるとは思わなかったローラだったが、おかげで伯爵家に入れたことはラッキーだった。
伯爵家では義理の姉と弟が良くしてくれた。ローラは週に一度、治癒魔法で怪我や病気の人を治すために教会へ出掛けていたが、義姉などは心配して毎回一緒に着いてきたものだった。
ヒロインである自分に対する扱いはこうでないと、とローラは更に高慢になっていく。
仲良くなった義姉には、「アタシは学園に行ったら王子様の婚約者になるんだ」とよく話していた。義姉はそんな話をするローラに「そのような大それたこと、他の人にはいってはダメよ」と言い聞かせた。男爵家で受けた傷がローラをまだ苦しめているのだと義姉は心配していたのだ。男爵家で受けた傷などローラはもう綺麗さっぱり忘れている。叩かれても熱い紅茶をかけられても治癒魔法ですぐに治せたし、ドレスを破かれても今の方がずっと良いドレスを着ている。
それよりもローラには学園に入ってからの事の方が大事だった。
三ヶ月後、ゲームのストーリー通りに学園へ編入となった。しかし、王子であるルイスとその婚約者エスメラルダの仲は険悪どころか睦まじいようだった。
(ゲームの設定とは違う)
ローラはすぐに気がつく。
編入したその日の昼休みに起こるルイスとの出会いイベントが起こらない。これではルイスルートに進めないではないか。
一週間様子を見たが、イベントが起こることはなかった。
ルイスのイベントが起きないので、他の攻略対象とのイベントも起きないように細心の注意を払う。
毎朝遅刻をしない、図書室に行かない、食堂で暇を弄ばない、職員室の前で転ばない。
ゲームのヒロインはちょっとドジという設定だったが、実際のローラは活発で運動が好きだった。なにせ前世では激しい運動ができなかったため、健康な体がとても嬉しく毎日飛び回っていたのだった。木登りだって得意になった。けれど伯爵家の義姉には木登りは禁止させられていた。貴族ってめんどくさ、とローラは煩わしく感じた事だった。
そんなわけで、この世界のヒロインであるローラとルイスの出会いイベントを起こすべく、ローラはエスメラルダに直談判をしに行く。
エスメラルダはゲームの印象――ヒロインを見下し偉そうに何かとローラに嫌味を言い自らの手は汚さずに取り巻きに意地悪をさせる、よくいる悪役令嬢のような――とは違い、ローラの言葉に目を白黒させたり令嬢らしくない声を出したりする女の子だった。
ローラは「死にたくないでしょ?」と聞いた時のエスメラルダの「なんて?」というまるで前世の友だちのような反応がとても気に入ってしまった。ヒロインに対立する存在だと思っていたエスメラルダのことを普通の女の子だと思ってしまったのだった。
それからローラはエスメラルダを友だちと思い接している。
エスメラルダもなんだかんだと嬉しそうに自分に話しかけるローラを邪険にできずに、学園では一緒にいる時間が一番多い人物になっていた。