最終飛行3章
「お仕事体験、ねぇ……」
めちゃめちゃかったるそうに佐村がつぶやく。
口調からすでにやる気のなさがひしひしと感じられる。
「社会体験ってことで、大事なんじゃないか?」
貴月さんが言う。
「んー、でも実際の話、こんな体験して『実際の仕事』ってやつがわかるもんでもないだろ」
「そりゃ、確かにそうだけどさぁ……」
貴月さん、論破されてる。
「おい、そこの眼鏡かけたの。なに外をぼうっと見ておるのだ」
佐村がこっちに話し掛けてきた。
「ん?ああ、ごめん」
班の話し合いにくわわる。
総合学習の時間。今回はどこかの職場にいって、その仕事についてインタビューさせていただくというもの。それでインタビュー内容をまとめて、先生に提出しなくてはならない。
そこで今僕らは頭をひねってこの内容を考えているわけだ。
無論、職場への了承は学校側がとってある。
とはいっても、さらに詳しい日時、つまり何日の何時からといったことはこちらから電話をかけて決めなくてはならないが。
「あー、まあ、仕事のやりがいってのをきくのが定石じゃねえの?」
佐村がぽいっ、とゴミでも投げるかのように言葉を出す。
ぞんざいな口調のわりにいってることは筋が通っている。
口調のいいかげんさと論理の正しさがアンバランスだなー、といつも思っている。
「ジョウセキ?」
貴月さんが言う。
定石。確かにあんまりなじみのない単語だ。僕も意味は知らない。
聞き流した。
こういうところを質問する貴月さんはすごいと思う。
「ああ、定石っていうのは、お決まりの手順って意味。だいたいこういう風にしてこうしようっていうめやすみたいな?」
佐村っておちゃらけてるのに、知ってる単語や知識がけっこう多い。
見た目は非知的なのに、中身は知的だ。
不思議なやつ…………。
「ふうん、よく知ってるね。歩く辞書みたい」
「ありがとう。うれしいねぇ、そう言ってもらえると」
にこにこ~と破顔する佐村。
ホントに嬉しそうだ。
「さあて、気分のいいところでちゃちゃっとお仕事終わらせちまいましょう!」
佐村の気合で仕事に戻る。
お仕事、か。
夜、寝ながら考える。
眠る前には色々考えるものだ。やることないし。
お仕事。
不思議な響き。
僕もすることになるんだろう、と思う。
やっぱり会社にはいるんだろうか?
それとも、何か自営業のようなことをしているのだろうか?
なんだか、会社って怖いなぁ、と漠然と思った。
そこでは、なんかつまらないことして、つまらないことし続けて、どうにかなっちゃうんじゃないか?
そんなことを思った。
正しいのかどうかはわからない。会社に勤めた事ないんだから。
ただ、漠然とそう思うだけ。もしかしたら違うのかもしれないけど。
翌日の朝だ。
僕の部屋は二階。和室。障子にたたみ。
障子をからりと開けると、下界が見えた。整然と続く瓦。
日本を感じる。晴れた日にはこの瓦にふとんがならぶことになるわけだ。
いいなぁ、と思う。
たかが二階だけど、けっこう気分がいいのだ。
昔は目覚し時計で目覚めていたが、毎日の生活パターンがそう乱れるわけないので、大抵はなる前に目覚める。二度寝したときのために、完全におきるまでスイッチをきらない。
今日は土曜日。
学校がある。ランドセルをかついで授業を受けに行く。
「おはよー」
佐村が手をあげて僕をむかえてくれた。
「ああ、おはよ」
返事を返す。
まだ朝の会は始まっていない。遅刻してないんだから当然だけど。小学校は四十五分授業。これが中学校に入ると五十分になるんだっていうんだから大変だ。げんなりしちまう。
「いやあ、なんての?俺たちも、もうすぐ中学生だよなー」
いつになくしみじみとした口調で佐村が言った。
顔がほのかに、にやけている。いや、ほほえんでいるのか?
「なんか楽しみなような不安なような。微妙だな」
確かに微妙だ。
不安なような。それでいて楽しみなような。
何が待っているのかわからないけど、ぞくぞくする。
不安でもぞくぞくして、楽しみがありそうでもぞくぞくする。
「っていうかさ。俺たちが小学校最後の年が二十世紀最後の年なんだぜ?すごくない?」
「すごいと思う」
「だろ?なんかさー、新世紀っていい響きだな」
君も同意見か、佐村クン。
そういえば。あの魔法使いのお姉さんも新世紀はワクワクする響きだって言っていた。
そのあとしばらく佐村と話していると、先生が入ってきて会話は打ち切り。
朝の会がはじまった。
帰宅して、ランドセルを下ろす。
なぜかしら、うちの学校には日記なる宿題がある。
月曜日に今週のできごとの何かを書いて先生に提出するのだ。
自室に行く途中で、居間にあるPCを見た。
今年の春にきたやつ。ちょっとさわってみたけど、案外使い方は簡単だった。
まだキーボードを見ないと打てないけれど、見ないでも打てるようにするためのソフトがPCを買ったときに一緒に買った解説書に付属していたので、そいつを使って打てるようにしたいと思っている。
ますます目が悪くなりそうだ、と思った。
二階の自分の部屋に行く。
この和室はけっこう好きだ。文机を出してきて、その上にノートを出して日記を書き始める。文机とは横に細長い机で、正座をして何かを書くときに最適な高さになっている。
つまり、僕は正座して日記をかいているわけだ。
たたみにじかに座るといたいから、座布団をしいている。
この無地の藍染めの座布団がまたしぶい。
この和室は、小学校六年生の部屋とはとても思えない。
うちのおじいちゃんとおばあちゃんの部屋なんだよと言っても、みんなすんなり信じてくれそうだ。
どうでもいいことだが、僕は習字を習っている。
小学校までだけと父は言う。小学校一年生のときに父に「習字をやらないか?」ともちかけられて承諾した。
承諾したとは言ってもなかば強制的ではあったのだが。
父は絶対に何かの習い事をさせたかったらしいから。
さらに僕はその習字の他に塾も行かされている。なにが望みで僕を行かすのか。まったく。こっちは身も心もへとへとだ……。
教育熱心な父を持つと子供が苦労する。やれやれ。
宿題を終えて、もう何もすることがないので、外に出てみることにする。
麦藁帽子を頭にかぶる。赤いリボンがなんだかにぎやかだ。
ガラガラと戸を開けて外に出る。いやはや、今日も暑い。
むっ、とするような大気。夏の香りがする。九月というと、すっかり秋っぽく感じるが、全然そんなことはない。二学期になっても、夏はまだ残留している。
てくてくと歩いて公園へむかう。
夏の残留する世界はまだ熱気を帯びている。
あいかわらず人気がない。
1999年現在、暑い夏の昼間、アスファルトの道を歩く物好きはいない。
必要性もない。今は車があるんだから。
ふと、車道を見てみた。
車が走っている。なんか、ちゃっちい気がした。
なんだか笑える。あんなもろそうなモノが走っているんだから。
ちょっとぶつかっただけで大破しそう。危ない感じを受ける。
あんなのに座って、時速何キロと出すんだからそりゃあ不思議な物だ。
車は僕とあまり背が変わらないのにあんな力をもっていて、ホントに不思議。
車って本当にちっちゃいモノだともう一度思った。
これがびゅんびゅん道を我が物顔で走ってんだから、ソレはマジで面白い。ちょっとこっけいであり、少しほほえましい。
公園に至った。
びう。と風が吹いた。ざざざあ、と木の葉が鳴る。
じきにこれらの葉が色づくだろう。秋はすぐそこだから。
グラウンドの方を少し見る。トラックを走る人がいる。トラックの中の芝生でボールあそびをしている子たちがいる。
テニスコートの方に足を運ぶ。当然のことながらテニスをしている人たちがいる。
図書館の方に足を運ぶ。入る気はない。窓から中がちょっとだけ見える。
あそこにはクーラーがついていて、中にはいるとあの、空気がシャキッと変わる感じを味わえるんだろう。
図書館のとなりには美術館がある。さらにそのとなりには博物館が。
てくてくと遊具のある場所に行ってみる。子供たちが遊んでいた。ほほえましい光景だ。ザァァァァ………と水の音がする。
そういえばここには噴水があるのだ。常に水が吹き出ているわけではなく、噴出す時間が決まってるんだけど。
でも、水は吹き出ていなくても、常に水の循環はされているから音は出るわけだ。
その噴水の近くには藤棚があって―――藤棚ってのはでっかい文机の骨組みみたいなのに藤のつるがキュルキュルまきついているアレだ―――その文机の下あたりにベンチがあって、本が読めたりするわけである。
これら全てが、『公園』の中に入っている。
他にも色んなモノがあるけど。
とりあえず、藤棚のベンチに腰をおろす。
座ってる人は僕以外いない。読む本はないので、ぼうっ、としてみる。
すると、ぴゅー、と僕の右の方を紙飛行機がかすめとんだ。
白い軌跡を描いて。
ぱちん。と小気味よい音がした。
「あー、外しちゃった~」
なるほど。さっきの音は指をならした音か。
うまいなぁ。僕にはできないや。
彼女はこの前と似たような、いでたちで立っていた。
真夏に黒いコートなんて目立ちすぎです。そして頭には紺色のリボンの麦藁帽子。
「木陰で麦わら帽子ってのはどうなんだろうね?貴理くん?」
楓がにっこりと笑った。
「夏だね……」
「九月だよ」
まあ、九月も夏だろうな、この暑さじゃ。
僕たちは藤棚の下のベンチでゆっくりとおしゃべりに興じていた。
麦藁帽子は脱いでいる。
「夏の香りがするから、夏でいいんだよ」
いいのか。
「まあ、たしかに季節には匂いっていうか香りみたいなものがあるけどさ……」
うん、確かにあると思う。
「あ、そーいえばこんなところで何してるの?」
「え?」
ああ。そういえば。
何もすることがないのでとりあえず出てきたって感じだ。
いったい、何がしたかったんだろう。
………いや。言うまでもないことだ。
「楓に、会いに来たんだよ」
「え?」
今度はあっちが「え?」と言った。
「いや、なんかヒマだったから。魔法使いなら面白いことしてくれそうじゃない?魔法を使ってどっかーん!と、さ」
「ふむ。なるほど」
「ちなみにそっちは何のよう?」
楓が、ん?と首をやわらかく曲げる。
「あ、わたし?うんとね。することもなかったので、公園に来てみればこの前あった面白い男の子に会えるかと思って」
「ひまだったってことは、彼氏、いないの?」
すると、彼女は、ふっ……とちょっと物憂げにほほえんで、「いないんだなぁ、これが」と、言った。
「貴理くんこそ、どうなのよ?」
「いるわけないでしょう。六年生だよ?」
「イヤイヤ。最近の子供はませてるからなァ……でも―――、」
とこっちの方を向いた。
「けっこうモテなくもなさそうなのにね」
―――――――。
なんだその「モテなくもなさそう」っていうのは。
微妙だ……。モテそうと断言できない感がうかがえる。
そして彼女は唐突に「ね、髪さわっていい?」と聞いてきた。
「ああ、いいけど……」
すうっ、と彼女の手のこうで髪をなでられる。
「あー、いいなぁ。キレイな黒髪で直毛だ……きもちいい」
彼女の方が背が高いので、姉に髪の手入れをされているような感じだ。
ちなみに僕には姉はいない。
「わたし、黒髪だけど、けっこう波打ってるんだよね……」
ちょっと悲しげに自分の髪をさわる。
気にしているのかな。
「でも、楓はきれいだよ」
おい。
僕の口は何を?
案の定、彼女はちょっとびっくりした。
でも、すぐに笑顔になって、「ありがとう」。
「さて―――、それじゃあそろそろ行きますか?」
楓が言った。
「どこへ?」
そう。どこへ?魔法使いのお嬢さん?
「君を私の一番弟子として贔屓の店につれてってあげよう」
そうすると彼女はすたすたと歩き出した。
師匠についてきなさい。とでも言うように。
その店は、なんだか良い感じがした。
佐村流の言い方で言うなら、「よさげなオーラをまとっている」だ。
公園を出てちょっと行ったところ。
僕の家とは反対方向だし、学校とも道が違うから、存在すら知らなかった。
ただ、目立たぬようにひっそりとたたずんでいる感じで、道を通ったとしてもあまり意識しないかもしれない。
『"Frozen Air"- 凍れる大気』
と看板には書かれていた。妙な名前の店だ。
クアラリ。と爽やかな音を立ててドアを開ける。
クーラーがかかっていないようなのにもかかわらず、けっこう店内は涼しげだ。
「いらっしゃい」
マスターっぽい女の人がにっこりと微笑む。
でもマスターにしては若すぎる感がある。でも若くったって店を出せないことはない。
条件さえ揃っていれば。
僕たちはカウンターに座った。
「なに?楓。彼氏?」
けっこう親しい間柄のようだ。
「ちがうよぉ。私の一番弟子」
「あら、なんの?」
「人生の」
そこで、ふいっ、とお姉さんが――つまりはマスターである――僕の方に顔を向けた。
「はじめまして」
「あ、こちらこそ」
そういって会釈してから自分がまだ麦藁帽子をかぶっていたことに気付く。
外を歩いてきたからかぶりなおしたのだ。さっ、と脱いだ。
「えっと、わたしは楓の従姉の栗原 睦月です。どうぞよろしく」
しゅっ、と名刺を出される。
名刺をもらうなんてはじめてだ。
「僕は、楓の……なんていうんでしょう……友達?弟子?なんていうのか微妙な間柄の、相川 貴理っていいます。相性のアイに、棒がみっつ縦に並んだカワに、貴族のキに理科のリ。」
「ふむふむ。なるほど。それじゃあ、ごゆっくり」
すっ、と睦月さんがメニューを出してきた。
しかし、僕は財布なんか持ってきてないし……。
「おごってあげる」
それを察したのか、楓が言った。
おお。
なんていい人なんだろうか。だが、ここで、これ幸いと高いものをたのんでしまっては思いやりというものにいささか欠ける。
ここは「レモネード」で攻めるのが妥当なところだろう。
しかも外は暑いから酸味のあるやつはけっこう効くはずだ。
「じゃ、レモネード」
「ん、わかった。じゃ、わたし……パフェもいいけど……フローズンヨーグルトで」
睦月さんに注文してしばし待つ。
「ね、ね、貴理くん。学校どうだった?」
「え?学校?そうだなぁ。フツーだったなあ。あと、土曜日は集会があるんだよ。みんなで遊ぼう、みたいな。って知ってるよね。楓と僕は同じ小学校だったんだから」
同じ小学校だったってことはこの前会ったとき……つまり、最初に会ったときの会話で知った。
「知ってる、知ってる。中学校は授業授業だよ~」
「うわー、地獄だ」
そんなとりとめもない会話をしているうちに注文の品が運ばれてきた。
「おごってくれて、ありがとう」
「ううん。いいんだよ」
ごくり。とレモネードを飲む。
ああ、マジできもちいい。
「うーん、きもちいい」
彼女もフローズンヨーグルトを食べて笑う。
なんだかすごく楽しい気分になれた。
色あせていた人生が急に極彩色、すなわちカラフルに変化したみたい。
その後もぺちゃくちゃしゃべったあと、僕たちは別れた。
「僕に会いたかったら、公園にいるから。まあ、いつもいるわけじゃないけど、運がよければ、会えるよ」
「そうだね。それじゃあ会いたくなったら公園に行くよ」
それじゃあ、と言って僕たちは別れた。