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最終飛行2章




 小学校の六年生ともなると、『責任』というやつがとかくついてまわる。

その点、五年生のときは気楽だったなぁ……と僕は六年生になった今思う。

もう少しつっこんで考えてみると、きっと中学校一年生になったら、六年生は楽だったなぁと思うことになるのではないかという考えにたどりついた。

けっこうあってるんじゃないだろうか、この結論は。

 そうそう、責任の話だった。

責任というのは、一年生の面倒を見るという責任であったり、学校の顔となるという責任であったり、学校の運営なんかにも、けっこう関わっていかなくちゃならなくなったりといったものだ。

六年生にもなると、委員会の司会とかをやったり、総合とかいう授業で発表するレポートの作成だとかもしなくちゃいけない。

大変なのだ。

 ところで、総合って微妙な授業だと思う。テーマにそって、資料をあつめて、まとめて、発表。なんかこういうの、学者とか社会人っぽい。

そういえば、低学年のときには「せいかつ」とかいう授業があった。

ホウセンカの観察をしたり、お店屋さんについて調べたり。

中学年から始まる、理科と社会への準備みたいなやつだったんだろうか?まあ、そんなことはどうでもいいか。

 それにしても来年は中学だ。どんな感じなんだろう。

そこまで考えたところで、楓の顔が浮かんだ。

そういえば、楓は中学生だった。今度聞いてみようか。

なんだか無性に懐かしい。

今やっている算数の授業もどうでもよくなるくらい。

 さんすう。

中学校になったら「すうがく」と名前が変わるというのは六年生である僕らの常識だ。

図工も美術。社会には公民とかいう種類の学問も増えるみたいだ。

なんだか難しそう。

 授業を聞こう。

先生の話はわかりやすい。

そういえば、中学校は、担任は、いるけれど、教科ごとに先生が変わるんだっけ。

ああ、なんだか色々変わるみたいだ。

わくわくするような、不安なような、そんな気持ち。

 先生に何人かが、前に出て解いてみてねと言われて前に出ていく。

かっ、かっ、かっ……というチョークの音。

こぼれる白い粉。

黒板消しが間違えた個所を消す。

 はいせいかーい、とか言いながら、先生が丸をつけていく。解説もしていく。

算数はけっこうわかりやすくて好きだ。国語と違って答えは一つ。

実に単純。わかりやすい。

しかも理論もきっちりしているから納得がいかないなんてことはない。

 国語はわかりにくい。ややこしい。

読み取りも大切なんだろうけど、正直なところ敬遠したい。

面白い本は嫌いじゃないけど、国語の問題はあまり好きじゃない。

 確かに、理論的な解説をされて、僕の解答がかんぺきにまちがっているとわかるときもあるのだけれど、微妙な答えというのも存在する。

 僕が素直に先生の解説をのみこまないときもあるんだけど。

だってしゃくにさわるじゃない?

コテンパンに理論でうちまかされるのって。

相手が正しいからこそ絶対に勝てなくて、くやしくて、それでなかなか素直になれない。

冷静になって考えてみると完全にあっちの方が正しいんだけど、それだと癪にさわるから、どこかに穴を見つけて、完全じゃなくしてから認める、ってパターンが僕は多い。

 だってあんまりにくやしいじゃないか。完全にあっちの理論が正論ってのは。

僕だって一生懸命に考えたのにさ、とも思えて、それも納得するのの障害になっている。これは理屈じゃなくて感情の問題だけど。

………なんか子供っぽいこと言ってる。確かに小学六年生は子供だけど。

でも子供っぽくても思ってしまうのは仕方ない。

がまんできるかどうかってのが大人と子供の境目なのかな。わかんないけど。

 でも、算数なら不満がない。

面白いことに算数ならすっ、と、「ああ、そうなんだ」と思えるのに、国語では思えない。中途半端に理論的に思えるからかな。

だって全部わかりやすい理論で、できているからかも。

まちがっているものをまちがっていると認識できる。

国語の理論は屁理屈みたいでわかりにくい。なんかこじつけっぽい。

いや、ホントは屁理屈でもこじつけでもないんだろうけど。

ただ、わかりにくいのだ。

 ところで、国語の模範解答というものは本当に合ってるんだろうか?

作者は本当にこんなつもりで書いたんだろうか?

この答えであっているか、作者自身が確かめたのだろうか?

もしも答えがいいえなら、国語の問題というのは読み取りというよりも、出題者の気持ちのくみとりのような気がする。

 まあ、答えがどっちであろうと、僕は解く事しかできないけれど、世の中には作者の意図と違う答えが「答え」としてだされている模範解答もあるそうだ。なんだかソレは変な気がする。



 休み時間。

校庭にいくやつ、教室に残るやつ、その他。

もうこの校舎にいるのも半年くらいと思っても、なんの実感もわかない。

とくにさびしい気持ちもない。

卒業式のときは、さびしいっていう気持ちになるのかな。

 校舎の窓から校庭を見下ろす。

六年生の教室からは校庭が見える。

サッカーがはやっている学年があるみたいだ。

ジャングルジムに人がたかっている。

鉄棒で舞う人々。

けんすいをひょいひょいと先へ先へと進んでいる男の子。すごい腕力だ。低学年だと思うんだけど。

「おーい、なに感傷にひたってんだ、相川」

 声の方を向く。

佐村だ。佐村さむら 夕夜ゆうや

元気で活発でちょっとギャンブラーみたいなオーラを出してる男。

ジーパンにシャツといういたって簡素な服装。

ちなみに我が小学校は私服である。

「別に感傷にひたってるわけじゃない」と答えると、

「へえ、そうかね。つまんねぇ」と返した。

 つまんねぇ、って面白いかつまんないかの問題じゃないような気がするが。

「スピードでもやらないか?」

 そういってトランプを出す。

別に断る道理もないので、ひきうけることにした。

「じゃあ、サイコロを振って大きな目が出たほうが先攻だ……じゃなくて好きな色を選べ」

 そう言って、二個のサイコロを出してきた。サイコロをふる。

1と1。赤い。

「珍しいのがでたもんだな。ま、珍しいけど最弱だ。勝ちはもらった」

 そういって振る。

4と5。とりたてて珍しくもない。

「じゃあ、俺は黒ってことで。ちょうど1と1で赤かったからお前に赤はふさわしいな」

 と佐村は言った。

そしてゲーム開始。

「スッピードッ!!」

 だだだだ……っ、とトランプが置かれる。

この遊びは速さが命なので、短い十分休みなんかには最適だ。

そして決着がついた。

「勝利だ」

 言われなくても僕の敗北はわかる。

「失礼。『俺の』勝利だ」

 強調するな。言われなくてもわかる。

「『俺の』な」

「いや、わかったから黙ってろ」

 ここいらで止めておかないと延々と言いそうだ。

「まあ、そう怒んなって。明日は明日の風が吹く。勝ち負けなんて時の運。そういうもんだろ?」

 確かにそれは一理ある。

「でも、『努力』っていう要素が人生にはふくまれてるだろ?」

「まあ、な」

 と佐村は答えた。

 僕は、かたん、と椅子から立ち上がり、窓のまわりについている手すりにもたれた。

 ふと、目を見ると、整った顔立ちの健康そうな男の子と、金髪のかわいらしい女の子が対局をしていた。

「将棋やってるのか」

 と僕はつぶやいた。

「ん?」

 と佐村は言ったが、なんのことかわかったようで、

「ああ、グレイと桐代きりしろか。あいつらもこまめに将棋してるよなー。十分くぎりなんてさぁ。ま、大休みや昼休みはあるけど」

 うちの学校には二時間目と三時間目の間に大休み、給食のあとに昼休みというのが存在して、それぞれ二十分の休みになっている。

「ってか休み時間とか大抵二人だけの世界だぜ。まだ残暑が厳しいってのに、さらにあつい、あつい……」

 そういってせんすを出して、片手で少し開いて、手首のスナップをきかせて、バッと広げる。そしてパタパタとあおぐ。

「つーか今時、婚約者はねぇよな、ちくしょうが」

 パタパタとあおぐ。

無地だが、アクアブルーとでも言うのか、そんな色をした紙をはってあるので涼やかだ。

しかもキレイだし、目立つ。

「ああ、そういえば二人は結婚の約束をしてるんだっけ?」

「確か低学年のときにしていたはずだ。けっこう古い約束なんだ。口約束だけど、約束は約束だ。しかも桐代は約束に関してはかなり几帳面な部分があるからな。むしろ、同窓会でも開いたときに違うやつと結婚してたらちょっとさみしいね」

「ああ、確かにそのさみしいって点は同感」

 なんだかそれはけっこう興ざめだ。さびしさとむなしさを感じてしまう。

結局、ごっこ遊びだったのさ、とその行動が示している気がして。

 ちょっと対局をのぞいてみた。

なかなか白熱した対局で、集中をきらしちゃいけないと思って、僕と佐村は戻っていった。チャイムが鳴り、授業が始まっていく。



 授業も終わって給食をぱくつく。

この時間がけっこう僕は好きだ。

基本的に、四つの机で、ひとつの班を形成して食事を食べる。

前から二つ、横から二つ、の四つを「いち」として合計で八班いるから、三十二人このクラスにいることになる。

とはいっても、もちろん五人班とかもいるわけで、実際には、三十六人の人間がこの六年三組にいる。ちなみにクラスは全部で四つだ。

「なー、相川ー。いちごっておいしいよなー?」

 横でそんな声が聞こえた。

佐村だ。何を言わんとしているかは容易に想像がつく。

「うん、おいしいね、いちごって」

 そういって僕はソフト麺をぱくつく。

「ああ、『すっげーおいしい』よな『いちご』って」

 強調しながらすりよってくる。

「あさましいな、佐村くんは」

 貴月さんのつっこみがはいる。

貴月たかつき みことさん。

すらりとした長身のかっこいい女の子だ。

佐村の隣。

 長身。かっこいい。

その単語はあの魔法使いのことを思い出させた。

あのスッとした切れ長の目を思い出す。

なぜだか、だくり、と体のどこかが動いた気がした。

「あさましいって俺はだね……」

 佐村の言葉で我に返る。

ちょっと別世界に意識がとんでたらしい。

 いちごを食べて、おぼんをかたづけにいく。

「うわ、いちご食べられた!」

 佐村の言葉は正確でない。

「君のいちごじゃないだろ。食べられたはおかしい」

 訂正してからおぼんを片付けにいった。



 六時間目が終わる。

六年生ともなると、全部六時間だ。

四年生のときは全部五時間だったのに……。

うう、やはりある程度、権力もあって、時間的余裕もあった五年生のときが絶頂期だったのかもしれない……。

 なにはともあれ下校だ下校。

ランドセルをかついで、校門へ。

 そういえばランドセルとも、もうお別れだ。

 六年生ともなると、もうランドセルではかっこわるいと思うのだろう、クラスの大半がバッグへと移行をはじめる。

女子のほとんど、男子の半数以上がバッグだ。一年生のときからバッグは異常だが、六年生になってくるとランドセルのほうが少数派においこまれる。

僕はこういうときに、時代は変わるなあと実感してしまう。

 ちなみに僕がランドセルを使っているのは、最後まで使おうと思っているだけだ。

ものは最後まで使う、という理念が僕にはある。

途中で捨てられるのは、「お前もういらないよ」と言っているようで、なんだか悲しくなる。

 ふと、気がつくと、公園だ。

魔法使いのいた公園。

数日前の話なのに、ずいぶん昔に思える。

次の休日にでもまたでかけてみるか。

「……………」

 また、会いたいんだろ?

「……………」

 足を家のほうにむけ、僕は止まっていた足をふたたび動かしはじめた。




 そして次の休日だ。また、外へ出向く。

あんまり外出するってことはないけれど、外の空気っていうのは新鮮でけっこう心地よい。

たまに散歩ってのもわるくない。

 眼鏡ケースを持って、この前と同じ、胸ポケットのあるカッターシャツぽい服を着て、胸ポケットにケースをいれる。

 てくてくと歩く。

やっぱり残暑が厳しい。

ねっとりとまとわりつくような大気が僕から体力をうばっていく。

暑い………。

だが、頭は平気だ。

なぜならば、先日彼女が僕にくれた麦藁帽子を僕がかぶっているからだ。

 公園についた。

水を飲む。しゅわわ~と水が蛇口から上へと噴水みたいにあがる。

ああ、生き返る。

 木陰に行く。

やっぱりあの人はいないか。

なんだか残念だ。疲れがどっと出る。

 ――――アブラゼミが鳴いている。

そういえば、先週も鳴いていたはずだし、先週から今日までも鳴いていたはずだ。

夏は彼らの大合唱。

たしか、セミは成虫になってから、一週間くらいしか生きられないんだったはず。

遠い昔に図鑑で見た。

なんだか哀れというか、悲しいというか、さみしいというか、とにかくそういう系統の感情がほんの少しだけど――ほんとにほんの少しだ――出てきたのを覚えている。

 眼鏡を外してみる視界は、悲しいほどに異常だった。

ひとことでその異常さを形容するなら、『ぼやけている』。

ピントがあっていない。色はわかる。ただ、その色がぶわっ、と広がって、形がつかめない。

ぴったりと「かたち」の中に色がおさまっていてくれない。

 焦点がさだまらない。

写真なんかで、ピントがあってないところを見ている感じ。

ピントがずれたまま、ファインダーをのぞいている感じ。

 りんかく線がはっきりとせず、色がオーラを放っているみたいに、「かたち」のまわりにぼんやりと広がる。

そして少ない色は、大きい色のオーラに侵食されて、見えなくなってしまう。

 りんかくが、つかめない。

「かたち」が、とらえられない。

ぼんやりとした異常視界。

 でも、これが僕の本当の視界。

レンズで矯正されていない、正常な視界。

そして、僕の正常な視界は、正常な目の見ている視界からすれば、異常な視界。

 ああ、見えない。

いや、見えないわけじゃない。光はある。

 ああ、わからない。

そう、それ。かたちをとらえることができず、ぼんやりとした色、にじむオーラ、ひろがる輪郭線、それによって壊れる形。

 ピントがずれている。

 壊れている視界。狂っている視界。異常な視界。僕の視界。



 ぼうっとしたままどれくらいのときが過ぎたのだろうか。

休んでいるのには、十分な時間がたった。そろそろ家に帰るとしよう。

 中学校。

それについて家に戻りながら考えた。

どんなところだろう。

どんな世界だろう。

面白いのだろうか。

それとも退屈だろうか。

大変だろうか。

忙しいだろうか。

自分の時間が削られるだろうか。

といったようなことを考えた。

 なんだか、さらにいちだんと強く、鎖がまきつくような、そんな感覚におちいって、気が滅入る。

鎖とは、つまり、責任だとか義務だとか制約だとか制限だとか秩序だとか……そういったもののなかで、とくに不快なものを指す。

 責任が増す分だけ、自由が増えるということはよく聞く。

だけれど、それは本当だろうか?責任が増しても、自由な時間なんて消えていくんじゃないのか?

自由な意思などというものも、本当に自由か?

それに、たとえ、責任が増す分だけ自由が増えたとしても、責任を増さなくていいから自由も小学生程度でいいよ、とは問屋がおろしてくれない。

 それに、ここでいう自由というのは、自由研究の自由みたいに、おっくうでくるしくてつらくて邪魔な自由である気がする。

 責任のうえに、こんなものがついたら、僕はとても不快だろう。

我慢できないわけじゃないけど。

それに快だろうが、不快だろうが、責任は増して、「自由」が増えるのは決定事項だろうと思う。

 思わずついたためいきは、まだ残暑の残る大気の中にとけこんで消えた。



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