最終飛行1章
夏休み、最後の日。
僕は死んでいた。
………いや、これは、たんなる比喩表現。
現実には死んじゃあいない。
ただ、死んでいる感じがするだけだ。
なんだか、空虚感がある。
魂というのか、生気というのか、そういったものが抜けてしまったみたいに。
かわりに、瘴気が僕のまわりに充満している気がする。
だから、僕は、外に出た。このままだと、部屋の中でひとり腐っていく気がしたから。
実際、外に出るのは面倒だった。だがら僕はいくつかの手順をふんだ。
窓を開放する。新鮮な空気が、こもった空気を切り裂いて、こちらにやってくる。
これで少しは、生気が戻った。
そうしたら、次は外を少し眺めて、眼鏡ケースを持つ。眼鏡を外す。そして、ケースの中にいれる。今日来ている服は、形がカッターシャツに類似したモノであったので、胸ポケットにケースを入れる。眼鏡をかけていると、非自然な感じがして、好ましくないから。
そうして、サンダルをはいて、外に出る。
新鮮な空気が体を駆け抜ける感じがした。
だが、暑い。
夏休みの終わりが夏の終わりじゃないことは、今まで生きてきて知っている。
九月いっぱいはこの暑さは続くか。
灼熱空間。
そんな言葉がぴったりだ。
すごく暑い。日射病になりそうだった。なにか帽子でもかぶってきたほうがよかったかな。でも、そんなものは持ってない。
炸裂空間。
この言葉もぴったりくる。
まぶしい。
光が色々なものに反射して、目を射る。
石にも、葉にも、水にも反射して、目をまともに開けてられない。
目をしばしばとまたたく。
灼熱の午後。
人はあまり歩いていない。
遠くに車の音。
なんだか、生気がかけている、昼。
おそらく、今日だけではないのだろう。
いつもこんな感じなのだろう。
灼熱の午後に炎天下の中を散歩する人間は、もういないのか。
今は、主要な交通手段は、車。学生ならば自転車か。
歩く人間はそういない。どこかのおばあちゃんが、袋に野菜をつめて、歩いているぐらいだ。
買い物袋からねぎがぴょこんと顔を出している。
ああ、暑い。水が必要かもしれない。
公園を見つけたので、はいる。
上の蛇口で飲む。下は手を洗うためだろう。この上の蛇口は噴水みたいに上に水があがるから、水飲み用とみて間違いない。
少しは生き返った。誰もいない公園。
ブランコには誰も乗っていない。ちょっと乗ってみたくなった。
乗った。
きこきことこぐ。
なんだか、面白いぞ、これ。
まわりに立ち並ぶアパート。
きっとあの中では、クーラーの効いた部屋でのんぴりしている子供たちがいることだろう。
だって、今はまだ夏休みだから。
夏休みだからといって、外に出る人間はあまりいないか。
炎天下の中、灼熱の大気に身を焦がす馬鹿は僕ぐらいか。
ああ、暑い。
ブランコをおりる。
薄手の生地のはずなのに、暑い。
また歩きだす。
遠くの方に山が見える。上を見上げれば空がある。
そして僕のまわりには、コンクリートの建造物がひしめきあっている。
金属で生成された乗り物がアスファルトの道路の上を走り回っている。
硝子。車のガラスが光る。
ああ、まったく。なんだか気分が悪い。
今年は2000年、二十世紀最後の年。
来年はいよいよ新世紀。
だが、大気はまったりと、緩慢で、べっとりと体にまとわりつき、僕から生気を奪って去っていく。なんだか、生きていることを放棄したくなる、そんな大気。
いや……大気のせいか?正確にいうと、大気のせい「だけ」じゃない。
世界。
そう。世界自体が、生気を奪う。
どうなっているんだ?世界というものは、こんなにも退屈なものだったか。
記憶している限り、違う。楽しい時代があったはずだ。
だが、いつのまにか、変わっていた。気付いたら、世界は味気ない、つまらない、退屈な場所へと変貌していた。
おかしいな。確かに小学校低学年ごろまでは、世界は明るく生気につつまれていたはずなのに。それとも、変わったのは、世界じゃなくて、僕の方か?もしくは、昔は見えていなかった世界のいやなものが見えるようになったせいか?
そんなことを考えていると、でっかい公園についた。
ここは、市の施設かなんかで、図書館や、美術館や、博物館や、テニスコートや、陸上競技用トラックや、遊具や、体を休めるような安らぎの場所や、いろいろなものが揃っている場所だ。
公園・・・たしかに漢字を考えると、あながち間違いともいえない。なんてったって、園だし。
"park"といった感じだ。英国やら米国の公園――"park"はけっこう大きいと聞いたことがある。
なんでも、一日じゃ全部見回れないものもあるとか。それが本当なら、"park"にとっては、この公園も目じゃないけど。
施設内部をいれたとしても、一日あればこの公園は見回れそうだ。鑑賞はできないかもしれないが。
トラックでは、誰も走っていなかった。
夏休み最後の日だし。大会とかも終わってるんだろう。
しかも今は「太陽の南中」とかいう二時前後を公園の時計が指している。確か一日中でもっとも暑い時間帯だ。
トレーニングなどをする人も、今の時間帯は避けるのだろうか?
まあ、よくわからないけれど、とにかく走っている人はいない。
もちろん幾人かトラック内にいて、なにかしているけど。
とにかく、トラックを走っている人はいなかったために、僕はゆうゆうとトラックをよこぎって、内部の芝生のところまでたどり着いた。
ちなみにトラックのまわりを歩いている人はいた。
芝生に、とさりと腰をおろす。時計を見た。
ああ。もうそろそろ帰ったほうがいいかもしれない。
なんだか頭がぼんやりくらくらしている。暑い中、帽子もつけずに歩きまわったせいか。
時計を見ると、三十分程度歩いたことになる。…………帰るのにも、三十分か?
ちょっと悲劇的だ。
そのとき、ぱさっ、と僕のかたわらで音がした。
見ると、飛行機が落ちていた。飛行機っていってももちろんあの、JALとかの、要するに本物のやつじゃなくて、おもちゃのやつだ。
ゴムでプロペラを回してとぶタイプだった。
「あ、ごめーん」
爽やかな謝罪の声が聞こえた。
人は第一印象が大事だということは、よく言われる。
第一印象というのは、その人のイメージを生成する材料になるからだ。
まあ、もっと深くつきあっていくことによって、そのイメージは変形していくことになると思うけれど、最初に悪印象を与えてしまうと、深くつきあうことすら出来なくなり、イメージを回復させる機会すらなくなってしまうことになる場合もある。
そして、その人は、ちょっと変わった風貌をしていた。
すらりとした長身の体。波打つ黒髪、漆黒のスッとした切れ長の瞳。
紺色のリボンがついた、麦藁帽子。
白い半そでのTシャツ。
青いジーンズ。
サンダル。
そしてなぜだか、真っ黒いマント―――いや、コートか?
しかもけっこう長い。
最後のひとつが、その女性を怪しげな人にしている。だって今は夏。しかも相当暑い日だ。そんな日に長い外套を着る人種なんて、この世の中で僕は露出狂しか知らない。
でも、この人、コートの前は、はだけてるし・・・。
だから、僕がこの人に持った第一印象は、「ちょっと風変わりなお姉さん」といった感じだった。
「ちょっと飛行機飛ばして遊んでたんだけどね。ちょっと方向がずれて、貴方の方にいっちゃった。ごめんね」
「あ、いえ、そんなのは別にいいんですけど」
さらに謎が深まる。
学生さんだろう。でも、間違いなく小学校の低学年ではない。
…………にもかかわらず飛行機とばして遊んでたって?
「飛行機とばし………って面白いですか?」
「え?」
きょとん、とするお姉さん。
「ああ、けっこう面白いよ。やってみる?」
ひょいっ、と飛行機を目の前につきだされる。
「…………」
えーっと……まあ、やってみても、いいかな。
「では、お言葉に甘えて」
くるくる………とプロペラをまいていく。構えて。
「よっ、と」
ぴう~と、飛んでいく飛行機。
なにやら爽快な気持ちで、空を飛ぶ飛行機を眺めた。
さきほどブランコに乗った気持ちに類似している。
なにやら瘴気が晴れていくような、そんな感じ。
「ねっ、面白いでしょ?」
にっこり笑いながら彼女が言う。
「予想以上の笑顔だよ。そんなによかった?」
ん?僕はそんなに笑っていたのか?
「あの、僕そんなに笑顔でしたっけ?」
「うん、けっこう」
「そーですか……まあ、楽しかったですけど」
「うん、けっこうけっこう、コケコッコー」
「……………」
悪い人ではなさそうだが、少し変わった人かも知れない。
「えっと……飛行機とってきますね」
「あ、私、次飛ばすから」
そういって、てくてくと僕の後についてくる。
「私、栗原 楓。こんな暑い日に外に出るなんて、けっこう変わってるね」
こういうのを、「自分のことを棚にあげる」というのだと僕は思った。
「家の中にいるとちょっと気分が悪くなるというだけですよ。あ、僕は、相川 貴理です」
「きり……って言うんだ。きりちゃんだね」
「きりちゃん……まあ、そう呼んでもいいですけど」
「あ、そんなに硬い言葉じゃなくて、もっと砕けた感じでいいよ。私のことも楓でいいし」
「はあ。そうで……じゃなくて、そう?」
「うん、そんな感じ。ところで貴理ちゃんって呼んでいい?」
「別にいいですけど……」
「あ、また堅い」
「別にいいよ……これでいいですか?」
「…………。混ざってるね」
「う……まあ、許し…許せ」
うわ、許せはなかったか。砕けた感じでもあるけど、取り方によっては見下す感じだ。
「まあ、いいや。まぜこぜってのも面白いし」
その点は大丈夫だったらしい。
「それにしても、暑い」
「うーん、そうだね。っていうか帽子は?」
「ないけど」
む………実際ちょっぴりくらくらしている。
「危ないよ、日射病になっちゃう」
「じゃあ、帰ります」
三十分かけて、か。まあ、大丈夫だろう。
「ちょっと待って。もっと遊んでいこうよ」
「え?」
ちょっとびっくりした。
もっと遊んでいこうよなんて言われるとは思っていなかった。
「ようするに、帽子があればいいんだよね。それに帰るときも大変じゃない?」
「……まあ、帽子があればしばらく遊んでもいいですけど」
でも、帽子なんてどこにあるんだろう?
そんなことを思ったが、僕は瞬時にその問いの答えを自分で出した。
はたしてそれはあたっていた。
「じゃ、はい」
ぽすっ、と僕の頭にかぶせられる麦わら帽子。
かわりに楓の頭には帽子が無くなる。
「でも、それじゃあ、楓が・・・」
あれ?なんか普通に呼び捨てできているじゃないか。
「ああ、問題ないよ。魔法使いは用意周到なのだ」
そう言って、僕の頭に手を置く。
まほうつかい。
彼女の言ったその言葉は、なぜだか僕の心をスッとさせた。
なんでだろう。よくわからない。ただ、スッとした。
彼女の言う魔法使いとはどういう意味なのかも深く考えなかった。
『まほうつかい』というなんとなくの意味が素敵だったから、別にはっきりとした意味なんてどうでもよかった。
まあ、それはともかく、彼女は麦わら帽子に手をかけて、言った。
「実は二重構造なのです」
ぱこり、と手を持ち上げれば、僕の頭にあるものと、彼女の手ににぎられているものと。
「なんで?」
「日射病になりそうな人がいると困るでしょ?」
まあ、確かにそうだけど……。
「と、いうのは冗談で。さっき買ってきたばっかりなんだよね、私が今持っているのは」
「え?誰かへの贈り物ですか?」
それならもらうわけにはいくまい。
「ああ、違うよ。色違いの欲しいなー、と思って」
ん?と、いうことは……
自分の帽子をはずしてみる。
そこには真紅のリボン。楓がもともと持っていた麦藁帽子か。
「赤って元気な感じで、好きなんだ。私はいつも元気だけどさ」
「元気……か」
そういえば、最近元気がないかもしれない。
「いつも元気な私は、ちょっと落ち着いた感じの紺色にしてみましたー」
そういって微笑む彼女。
確かに、落ち着いた方がいいかもしれない。
「じゃあ、貴理ちゃん。あーそびーましょ」
まるで三歳くらいの女の子のように彼女は言う。
「ああ、いいよ」
なんだか、冷めてるな。僕。
「あれ?なんか胸ポケットに入ってるね。なに?」
目ざとい。
「眼鏡ケース」
「あ、貴理ちゃん、私と同じで目わるいんだ」
「コンタクトなの?」
彼女は眼鏡を掛けていなかったから。 「そゆこと。……ねえ、いっぺん掛けてみてよ、眼鏡」
ちょっと奇妙なリクエストだ。
だが、僕はそのリクエストに答えて、眼鏡をかけることにした。
「はい」
「うーん、なるほど……眼鏡をかけた貴理ちゃんはこんな感じかぁ……なんだか気難しい学者さんみたい」
「……そうなの?」
「うん。でも眼鏡を外すと、優しい顔だね。なんだか、ふんわりしてる。かけないほうが私は好きかな」
ほめられた……んだよね。
「ありがと」
「ううん、別に感謝しなくてもいいんだよ。あ、でもしてもらうと嬉しいから、別にいいか」
そういうと、彼女はくるくるとプロペラをまきはじめた。
「えーい」
ひゅー、と青い空を横切って飛んでいく。
にこにこと笑いながらそれを見送る彼女。
どくり、と。
心臓が上に上がった感じがした。
なんだか、すごく、すごく今のはよい感じがした。
今の爽やかさは、自分の周りの瘴気を一蹴して自分に元気をくれた。
なんだろう。
なんにも心配はいらないような―――この人といれば、大丈夫なような――そんな感じ。
魔法使い。魔術師。
さっきこの人は自分のことを魔法使いと呼んだけど。
もしかしたら、本当にこの人はそういう類の人なのかもしれない。
もちろん、RPGみたいに火炎をだしたり、雷撃を落としたり、傷をふさいだりはできないだろうけど――、人にできる範囲の、奇跡に近い行いを、できる気がした。
「おーい、貴理ちゃん。投げるよ~」
こっちを向いてそう言う彼女の声で我に返った。
ぶーん、とプロペラを回して空中を飛んでくる飛行機。僕の手前ですうっ、と落ちる。計算されたような的確な動きだ。
「とばしてー」
彼女の、声が聞こえる。
綺麗な黒髪がコートにかかって、なんだかとても綺麗だと思った。
疲れたので、木陰にはいる。
「あー、やっぱり夏の木陰はきもちいいね」
ほほえみながらそう言う楓。
「そうだねー」
まったくもって同感だと思った。
爽やかな風が吹き抜けて、炎天下のもとにいた僕には、とても気持ちよく感じられた。
「ねぇ、いくつ?」
ぽいっ、とそんな質問がなげかけられた。
「十二。来年は中学生」
「あ、そうなんだ。あたし中学一年生なんだよ」
あれ?なんだ、けっこう僕と年近いじゃないか。
「けっこう近いね」
「そうだね」
さわやかに笑って肯定する。
「そういえばさ、貴理ちゃんは、新世紀になったら小学校から中学校にきりかわるんだよね」
「厳密に言うならば新世紀になってから、三ヶ月のちになるんだけどね」
「年で数えたらそうだけどね。年度なら、まだいけるよ」
「確かに」
新世紀。か。
今年は二千年、二十世紀最後の年。
来年は二十一世紀だ。新世紀だ。
しかも千年紀、ミレニアムだ。ただの変わり目とはちょっと違うって感じがする。
なんだか、それを考えるとわくわくした。
何かが変わる、何かが起こる。そんな感じ。何か面白いことが、楽しいことが、おこりそうな予感がする。
「新世紀って、なんか起きそうだよね」
ふっ、とそんな台詞を言ってみた。
「あ、貴理ちゃんもそう思った?あたしもそう思う。やっぱり新世紀だもんね」
「そうそう。やっぱり新世紀だからさ」
ふっ、と、もう、帰らなきゃいけないかな。と思った。
だってもうけっこう遊んでるし。家に帰らなきゃ。
でも。
このままずっとこうしていたいという気持ちもあった。
死んでいる街に帰りたくないという気持ち。
家に帰るとまた自分は死んでしまうのではないかなという思いがある。
だから、帰ります、とは言えない。
そんなことを思いながら、 前を向いていた頭を彼女のほうに向けた。
かちり。と。
目があった。
彼女の目と僕の目がかっちりと。
彼女も僕を見ていたし、僕も彼女を見ていた。
止まった。
どちらも無言で、どちらも微動だにしない。
なんだか、緊張してきた。体が固まっていく。
ただ、心臓の鼓動だけが聞こえる。
実際にはそんなに時間はたっていないんだろうけど、僕にはとんでもなく長い時間に感じられた。その緊張を破ったのは彼女だった。
「なんか、緊張しちゃった」
てへっ、と顔をほころばせて彼女が笑った。
一気に緊張がとける。
「ははっ、確かに……」
ちょっと萎えているであろう笑顔でそれに答える。
ああ、なんだか無駄に疲れた気がする……。
「それじゃあ、もう遅いし、帰ろうかな」
彼女が別れの言葉を口に出した。
「そうだね」
なんだか、さびしかった。
冷たい風が胸の中を駆け抜けていった感じ。
「じゃ、ばいばい。またね」
「うん、じゃあ、また」
またね。
確かに、彼女はそう言った。
だから僕はなんだか妙に興奮したような暖かい気持ちで家に帰れた。