9. 悪魔の休日
私はゆうべの屈辱を思い出し、ベッドの中で悶々としていた。
悪魔が一匹……、悪魔が二匹……。
まあ、なんて綺麗な血だまり。
妄想の中で、何度も何度も上司を殺すと、いくらか胸がスッとした。
コンコンコンと、ドアが叩かれ。
従者が部屋にやってきた。
シェイドは私の顔を見るなり、血相を変えて、こう言った。
「どうしたんですか、その目は!!
……まさかあの後、またベッドを抜け出して、殴り合いでもしてきたんじゃないでしょうね?」
あの後、というのはつまり。
パーティーのアレやコレやを片づけて、帰宅した後のことだろう。
私の機転によって、体よく追い払われた従者は。
ホールに走って医者を連れて来たものの、廊下に私の姿はなし。ついでに皇太子も行方不明。
大騒ぎになった家臣たち一同は、必死に私たちを探し回った。
その一方。
悪魔との取引に夢中になっていた私は、すっかりシェイドのことを忘れていた。
そのため、悪魔は歩いて自分の部屋へ。
私はジョギングして自分の屋敷へ、普通に帰ってしまったのだった。
記憶喪失は、全部ウィズのせいにした。
あいつの作った薬のせいで、私は記憶を失った。
しかし、時間が経つうちに、薬の効果が切れてきて、だんだん記憶が元に戻ってきた……
というセンで、どうにかこうにか誤魔化した。
私は病院送りを逃れ、心の底からホッとした。
でも、その後は散々だった。
お父様は心配と安堵のあまり、延々メソメソ泣き続けるし、シェイドはいつにも増して、ガミガミしつこく説教を垂れた。
結局、ベッドに入って眠りにつけたのは、明け方近くの3時過ぎ。
おかげで今朝は、寝不足もいいとこよ。
ほんと、災難にも程がある。
従者のしつこい説教を、私は華麗にスルーして。
手鏡を手にとった。
今日はお出かけをするから、お肌と目がむくんでないか、ちゃんとチェックしておかないと……。
鏡を覗きこんだ私は、びっくりとして、息を呑む。
……何じゃこりゃ??
昨日まで、赤茶色だったはずの目が、鮮やかな深紅になってる。
シェイドは焦ったような声で言う。
「誰が公爵家の令嬢に、目潰しなんてしたんです? 早く探し出して和解交渉しないと、まずいことになりますよ」
「あんた、なに賠償金の心配してんのよ。ここは普通、私の心配するとこでしょうが」
「普通の人間ならそうでしょうが。
あなたの丈夫な眼球なら、目潰しを受けても充血程度で済むかと思いまして。
それよりも、相手の方が心配です。
……まさか殺してませんよね?」
私は怒鳴った。
「殺ってないわよ! そもそも、殴り合いなんて、本当にしてないったら!」
「……分かりました。
では、念のために医者を呼びましょう。十中八九、なんともないと思いますけど」
一応、呼ばれた腕利きの医者は、一目見るなり、なんともないと太鼓判を押した。
ただ、魔力の素質が開花する兆候が見られるので、数日は外出せず、安静にしているように――と、カツラ頭の名医は、威厳たっぷりに言い渡した。
うーん……。
でも、これって。
明らかに、魔力をゲットしたせいよね。
入学式まで、あんまり時間もないんだし。
別になんともないんだったら、安静にしなくてもいいわよね。
しつこく「寝ろ」と言う従者に、私はオフを押しつけて、さっさと部屋から追い出すと。
私は庶民に変装し、一人で町にくり出した。
―――――――――――
悪魔との待ち合わせは、10時半。
待ち合わせ場所は、処刑台前。
「処刑台の前」っていうのは、死か恋では定番の待ち合わせスポットなのだ。
「目立たない服で来るように」って、いちおう言っておいたけど。
ぶっちゃけ、悪魔のすることだから、あまり安心はできない。
……にしても、今日はやけに人が多いなー。
なんか、あっちの方には、人だかりまで出来てるし。
きっとモブの奴らも、みんなデートとかに忙しいんだろうね。今日休日だし。
あーあ。私も推しとデートがしたいなー。
私は突っ立ったまま、ルシフェルが来るのを待った。
しかし、奴の姿は……一向に現れない。
おい、コラ。
もう待ち合わせの時間、30分も過ぎてんぞ。
この私を待たせるなんて、いい度胸してやがんな。
……ちくしょう、なんか無性にイライラしてきた。どっかその辺に、いいサンドバッグでも落ちてないかな。
突然、私は腕をグイッと、つかまれ。
後ろから、抱きしめられた。
……へえ。
この私にセクハラするなんて、いい根性してるじゃないの。
容赦なくぶちのめす前に、その汚いツラ、拝んでやるわ……って、あれれ。メチャクチャきれいな顔じゃない。
私を抱きしめていたのは、小綺麗な服を着たルシフェルだった。
いかにも「皇太子です」と言わんばかりのゴージャスな服とか。ドクロとか血糊だらけの、中二っぽい服で来るかと思ってたのに……。
えらく、まともな服着てる。
現代風に例えて言うなら、ファッション誌に載ってる「街角のオシャレ男子のイケてるスナップ」。
ダサすぎないけど、お洒落すぎなくて、庶民の中にいても浮かない。
けど、道ですれ違うとき、ちょっと目がそっちの方に行っちゃうわ……てな感じのファッションだ。
そんでまあ、それはいいんだけど。
……そのゾロゾロ引き連れてる女は何?
ひょっとして、全員あんたの愛人なの?
ルシフェルは、私をギュッと抱きしめたまま、女どもにこう言った。
「悪いが、おれには連れがいるのでな。お前たちの誘いには応じられない」
女の一人が、思い切り媚びた声で言った。
「え~、ざんね~ん。一緒に遊びたかったのに~」
「何よ。そんな女より、私の方がかわいくない?」
「そのデカ女と別れたら、いつでも声かけてね。これ、私の連絡先。あなたからの連絡、待ってるからね」
てめえら、よくも好き放題言ってくれたな。
上司と一緒じゃなかったら、そのお粗末なツラにコブシお見舞いしてるとこだぞ。
群がっていたモブ女どもは、一人、また一人と去って行き、置き土産にガンをくれやがった。
女どもがいなくなると、ルシフェルはすぐに私を解放した。
「勝手に体に触れて、すまぬな。
なぜだか今日は、妙にしつこく絡まれてな。
……ところでお前、寝坊したのか? 少々来るのが遅かったようだが」
「私は約束の10分前には来ておりましたわよ。
ルシフェル様こそ、何時にいらしたんですの?」
ほんとは20秒前の、かけ込みセーフだったんだけど。
まあ、ちょっとくらい盛っても、バレないわよね。
ルシフェルは、不思議そうに首を傾げた。
「はて、妙な話だな。おれは30分前には来ていたが……お前の姿は見かけなかったぞ」
そりゃ、あんたが女に囲まれてて、気づかなかっただけでしょ。ていうか、あの人だかり……あんたが原因だったのね。
まあ。
あいつらが食いつくのは、正直、分からなくもないよ?
だってこいつ、顔だけはいいからね。
中身は俺様クソ野郎だけど。
まだ首を傾げている皇太子に、私は気の利いた話題を振ってやる。
「今日はよくお城を抜け出せましたわね。
家来たちに反対されませんでしたの?」
悪魔はフッ……と、格好つけて微笑んだ。
「おれは少々、方向音痴だからな。
今頃は城内のどこかで、迷っていると思われているはずだ」
……それ、ドヤ顔して言うことか?
昨日から思ってたけど。
こいつって、ひょっとして……ちょっぴり天然入ってないか?
ルシフェルは時計に目をやった。
「……とはいえ、あまり長く留守にすると、城の者にも迷惑がかかる。出来る限り、手短かに済ませてくれ」
「ええ、そんなにお時間は取らせませんわ。
行き先はすぐそこですから、ご安心くださいませ」
――――――――――――――
方向音痴のデカい悪魔と、私は仲よく、お手々をつなぎ。通りを歩きだした。
悪魔は特に文句も言わず、大人しく付いてきた。
……なんかこれ、保育園の先生みたいな気分だけど、えらくでっかい園児だな。
5分も歩くと、私たちは目的地に着く。
ほんとなら、ここに小さな弁当屋があるんだけど……。
ものすごい列が出来ていて、店の中が全く見えない。
「チッ、しまった。
来るのが遅かったか。
……じゃなかった。遅かったみたいですわね。
とりあえず並びましょう。最後尾はあちらです」
「これは一体、何なのだ? 皆は何をしておるのだ?」
「まあまあ。とにかく、並べば分かります。
ですから早く行きましょう、ルシフェル様。こうしている間にも、どんどん列が伸びていきますわよ」
しぶる悪魔の手を引っぱって、私は列の後ろに並んだ。
そのまま1時間待つと、やっと店の様子が見えてきた。
店頭には、サンドイッチや海苔弁、おにぎりに焼きそばパンなど、庶民の味が並んでいる。
お値段はどれもワンコインで、ボリュームたっぷり、見るからに美味しそう。
……どれ、私も6つぐらい買ってくか。
ちょうどお腹が空いたしね。
レジに立ち、テキパキと客をさばいているのは、小柄で華奢な美少女だった。
つややかな黒髪は、まっすぐ肩のところまで伸び。
肌は雪のように白くて、くりくりとした丸い目は、晴れた日の空みたいな、きれいなブルー。
胸はあんまり大きくないけど、それがまた、少女らしくてよろしい感じね。
少女は感じのいい微笑みを浮かべながら、客の一人一人に、ていねいに声をかけていく。
しかもその間、手は片時も休めない。
このスゴ腕店員こそ、ミヤモト弁当の看板娘であり、ルシフェルの運命の相手(予定)なのである。
サクラ・ミヤモトは、死か恋のプレイヤーキャラで、原作のヒロイン。
生存率は40%で、年齢は16歳。
「どこにでもいる普通の少女」というのは、嘘っぱちもいいところで、顔はクラスで2、3番目ぐらいに可愛いし。
性格もよくて、料理もうまくて。
「最高の嫁にふさわしい女」だけが選ばれるという……聖女様にも選ばれている。
こんな子がお父さんを亡くして、お母さんと二人、小さなお弁当屋さんを切り盛りしてるっつうんだから、そらあ男がほっとかないわな。
いやー、にしてもこの子……ほんと清楚で可愛いわ。
今は「会いに行けるアイドル」って感じだけど、数年したら女子アナに進化しそう。
弁当を買う男たちは、心酔した顔でサクラに声をかけている。
「サクラちゃん、王立学園に行っちゃうなんて、本当かい? さびしくなるなあ~」
「学校が終わったら、また帰って来るんだろう? おじさん、その日をずっと待ってるからね」
「サクラちゃん、実はおれ、君のこと……。いやっ、なんでもない! なんでもないよ!」
……ここは握手会会場か?
んでもって今日は、卒業公演とかなのか?
デブにもガリにも不細工にも、サクラは天使のほほえみを、おしみなく分け与えた。
うーん、見事なプロ意識。
あそこのキモいデブなんか、私だったら見るのも嫌だわ。
私は、悪魔をつっつくと。
あっち、あっちと、ヒロインを差した。
奴の顔を見た瞬間、私はニヤリとほくそ笑んだ。
……ふふん。
どうだ、この可愛らしさ。恐れ入ったか。
恐れ入ったら、とっととモーションかけて、ヒロイン落とせ。そして津波を予防しろ。
ルシフェルは雷に打たれたような顔をして、サクラに釘付けになっている。
……間違いない。
こいつは一目惚れってやつだぜ。
悪魔は前髪に手を触れ、そわそわと落ち着きなく弄びだした。
頬はほんのり、赤くなり。
眉尻は少し困ったようにハの字に下がって、金色の瞳は不安げに揺れている。
……あんた、そういう顔してりゃ、結構かわいく見えるのに。
俺様にしとくのが、つくづく勿体ない男だわ。
私は揉み手をし、越後屋っぽく、コビを売る。
「大魔王さまが復活したら、あなたはきっと出世して、ふさわしい地位に就くでしょう。
そのとき、横に女の一人もいないのでは、部下にも示しがつきません。
超イケメンのあなたには、あの娘とかが、お似合いですわ。
……どれ。ここはひとつ、この私にお任せを。
恋愛経験豊富な私が、キューピッド役をしてあげましょう」
うーむ、これは当選確実。
よーし、あと一押しだ。
「大丈夫、何も心配などございません。
ここにいる中では、あなたが一番ハンサムなんですから。
……よっ、ニクいね、色男!
さあ、とっとと行って、あのブサイクな豚どもを、蹴散らしちゃってくださいな!!」
しかし、そのとき。
私は信じられない言葉を耳にした。
「いや……今はいい。
話しかけるのは、また今度にする。
要件はこれだけか? ならば、おれは王宮に戻る」
私はマジでびっくりした。
あまりの衝撃に、アゴが外れるかと思った。
「……はあ!?
何をおっしゃるんですの、ルシフェル様。
あなた様ともあろうお方が、まさか怖じ気づいたわけじゃないでしょう。何か問題があるなら、なんでも言ってくださいな」
「いや……、そういうわけではないのだが……。
とにかく、今日はもうよい。おれは城に帰る」
ルシフェルはそう言うと、列から抜けて、スタスタと歩きだした。
はっ?
ちょっ……。ええええ?
ちょっと待ってよ。
私、何か失敗した? あいつの機嫌を損ねるようなこと、いつの間にかやってたの?
……さっきまで、上手くいってたのに。
なんで突然、こうなるの?
津波の予防は? ミハエル様との幸せな未来は?
この先一体、どうなるの?