8. ノノ
悪魔はまるで虫けらを、見下すような目で言った。
「嫌がる女を無理やり連れて行こうとは、無粋な男よ。今すぐ去れ。目障りだ」
従者は私の手を握ったまま、呆然とした顔で黙りこくっている。
悪魔は不愉快そうに言う。
「……なんだ、貴様。
このおれを、誰だか知らんと申すのか?
エンペラドールの皇太子、ルシフェル・カルロス・レオン・ホセ・デ・レイ・イ・エンペラドールだぞ。
そのおれが、お前に去れと言っておるのだ。
従わぬのなら、相応の報いを受けることになるが」
シェイドは妙に畏まった調子で、しかし、きっぱり、こう言った。
「……おそれながら、殿下。
そうするわけには参りません。
この女性は私の主人で、頭を打って具合を悪くしているのに、医者にかかろうとしないのです。
早く連れ帰って治療をしないと、手遅れになってしまいます」
「ならば、おれの侍医に診せてやる。
今から医者を呼ぶよりも、その方が早いであろう」
「それは……。
大変ありがたいお話ですが……。
殿下のような高貴な方に、そのような迷惑をおかけするわけには……」
「おれがよいと言ったのだ。
何も気に病む必要はない。
ホールに戻って、アルフォンソという者を探せ。『青いポピーと花瓶の件で』と言えば、おれの用だとすぐ分かる」
「……申し訳ございません、殿下。
お心遣い、感謝いたします」
シェイドは深く、頭を下げた。
そして、こいつには珍しく、足音を立てて走って行った。
邪魔者がいなくなったのを、確認すると。
私はすかさず、ターゲットに話しかけた。
「危ないところを助けていただいて、ありがとうございますわ、皇太子さま。
あの男は、前から私にしつこく言い寄っていて、しかも頭がおかしいんです」
「……なに?
では、本当にナンパだったというのか?
しかし、そのような男には見えなかったが……」
「あいつはストーカーのくせに、外面だけはいいんです。しかも、妄想癖があって、自分を私の従者だと思い込んでるんですのよ。
早くここを離れましょう、皇太子さま。私、怖くてたまりませんわ」
「うむ……。
忠義な召し使いに見えたのに……。
人は見かけに寄らぬものだな。
だが、おれはエンペラドールの皇太子だ。
か弱い女を見捨てはせぬ。
安心しろ。
お前はおれが安全な場所まで送り届けてやる」
「ありがとうございます、皇太子さま」
こうして私はうるさい従者を追い払い、悪魔との接触に成功した。
―――――――――――
私は野生の勘に従って、ずんずんと人気のない方へと向かって行った。
べつに行く当てはないけど。
誰かに話を聞かれなければそれでいいや。
とりあえず、前進、前進。
迷いなく進む私の後ろを、悪魔がトコトコ付いてくる。
ルシフェルは、いぶかしげな声で言う。
「……本当にこちらで合っておるのか? どんどん人気のない方向に向かっているようだが」
私は辺りを見回した。
……うん。
確かに、こんだけ離れりゃ、人も多分いないだろ。
だけど一応、用心しておくことにしよ。
「ええ、こちらで合っておりますわ。……ところで皇太子さま、周囲に人の気配はありますか」
悪魔は宙に視線を向けると、きっぱりと言いきった。
「ない」
「それを聞いて、安心しましたわ」
「……なんだと? 貴様、まさか」
「ええ、そのまさかですわ」
私はバッと、地面にひれ伏し。
華麗なジャパニーズ・ドゲザを披露した。
そのまま目線を少し上げ、ちらっと、相手の反応をみる。
あれっ、おかしいな。
なんか困惑してるみたいな顔してるぞ。
……しまった。
外国人には日本の心が通じなかったか。
私は、あわてて説明した。
「実は、私……。
ずっとあなたにお会いしたかったんですの。
私、私……っ、悪魔教の信者なんです!!!!」
私は用意してきたセリフを、ペラペラ喋った。
「私、今の世界には、マジでうんざりしてますの。
『くさった世界を変えるには、大魔王様の復活しかない!』……そう思って、大魔王様が復活するよう、毎日お祈りしていたところ……。
とある筋から、
『ルシフェル様が、大魔王様の後継ぎに、選ばれた』という話を聞いて……。
あなたの手下にしてもらおうと、急いでとんで来ましたの」
ルシフェルは黙ったまま、こちらをじっと見つめている。
うう、やっぱりちょっと厳しいかな……。
そら、急にこんなこと言われて、ホイホイ信じるバカなんか、中々いないわよね。
……とはいえ。
全員無事に生存の、ハッピーエンドを迎えるためには、この悪魔とヒロインを、両思いにさせるしかない。
私に出来る、たった一つの冴えたやり方は――。
【悪魔の子分にしてもらい、原作知識をフルに使って、二人をサッサとくっ付ける】。
私には、これしかない。
っていうか、他にアイディア浮かばない。
それに、もし。
詩人の始末にミスッた場合……。
あの地獄のイベントを、クリアしなければならない。
あのボスを倒すためには、強い魔法を使える仲間が、絶対に必要になる。
ルシフェルは強力な炎を使えるから、あのボスを倒すのには、うってつけ。
ミハエル様は、巻き込むわけにいかないし。
ヒロインは戦えないし、クズは素直に言うことを聞くか……はっきり言って、大分あやしい。
だから、ここは、なんとしてでも。
こいつに恩を売りつけて、味方につけておかないと……!!
私は、アタフタしながらも。
なんとかこの失敗をフォローする方法はないか、脳みそグルグル大回転をやってみた。
頭はグルグル回ったが、うまい手は浮かんでこなかった。
ずっと黙ってた悪魔が、ようやく重い口を開いた。
「……なるほど、そういうことだったのか。お前の格好を見て、妙だとは思っていたのだ。
メイドにしては派手ななりだが、この国ではそれが普通なのかと思って、黙っていたのだが……。
おれの下で働くために、変装までするとは、あっぱれな奴よ。
いいだろう。
お前をおれの部下にしてやろう」
えっ。
……こいつ、あっさり信じたぞ。
ひょっとしてこの悪魔、バカなんじゃないだろうか。
予想外の展開に、私はビックリしながらも、冷静に次の作戦にうつる。
「じゃっ、私は今から、ルシフェル様の子分です。
『そのかわり』。
……と、言っては、なんなんですけど……」
「……なんだ?
何か褒美が欲しいのか?」
「見れば分かると、思いますけど。
私は、かよわい美少女です。
このままじゃ、たいして役に立ちません。
ですから、どうか私に……。
あなたの魔力を、分けてください」
悪魔がハッと、息をのむ。
私は不安な気持ちを、隠し。
魔族界のプリンスと、堂々と取引をする。
「……私を強く、してくれるなら。
私はあなたの手足になって、大魔王様・復活のために、バリバリ働いてあげます。
私、かよわい乙女ですけど。
頭のよさには、ちょっと自信があるんですのよ。
きっと、お役に立ちますわ」
本当は、私……。
前世でヤンチャしてたから、ケンカは得意なんだけど。
私のほんとの目的は、
【愛するフィアンセを、絶対に死なせないこと】。
ーー津波を起こさないためには。
実は、2つの方法がある。
1つ目は。
原作ゲームのヒロインと、悪魔の二人が結ばれること。
そして、2つ目は。
ミハエル様を、生け贄にして……起こった津波を、止めること。
1個目の方法が、うまくいったら、それでいいけど。
もしも、失敗した場合……。
ーーミハエル様を、助けるか。
ーーミハエル様を殺すかわりに、他の奴らを助けるか。
そんな選択が待ってる。
ミハエル様は、超絶クールなご性格だから。
もし、このことを知られたら……。
「だったら、ぼくが死ぬのが合理的だね。
ぼく一人の命を犠牲に、他の全員が助かるのなら、悪くない選択だと思うよ」
とか、なんとか仰って、あっさりお亡くなりになるだろう。
……でも。
私は、そんなのは嫌。
自分が、死ぬことになっても。
大勢のモブの命を、犠牲にすることになっても。
絶対に、推しを助けたい。
だから。
ミハエル様には、このことを……。
絶対に、知られちゃいけない。
ーーところで、話は変わるけど。
精霊魔法の使い手は、「ギフト」っていう名前の……超能力みたいな力を、みんなひとつは持ってるんだけど。
ミハエル様の能力は、どうもテレパシーらしいの。
だから、このまま放っておくと。
ミハエル様に、頭の中を全部読まれて……。
色んなことが、バレちゃうんだけど。
自分も魔法使いになれば。
テレパシーを無効化できて、ミハエル様に、頭の中を読まれなくって、済むようになるらしいのよ。
……と、いうわけで。
私は悪魔と取引をして、魔力をゲットしたいんだけど。
この賭けが、うまくいくかは……。
五分五分、ってところでしょうね。
私は内心、ハラハラしながら。
悪魔の返事を、ジーッと待った。
しばらくの、沈黙の後。
ルシフェルは鷹揚に頷いた。
「いいだろう。
だが、おれも悪魔である以上、タダというわけにはいかんな。
お前の寿命、50年分と引き換えだ。
それで良いのなら、お前に力を与えてやろう」
私は元気よく言った。
「……いいともっ!!」
ルシフェルはずっこけた。
「……ず、随分あっさりだな……。
お前、死が恐ろしいとは思わぬのか?」
だって、私って。
すでに1回、死んじゃってるし。
もし、バッドエンドになったら、実質寿命3年なんだし。
私って、健康には自信があるから。
もし、津波さえなければ、100年ぐらいは生きられるはず。だったら、寿命が50年減っても、50年ぐらい残るはず。
推しと同じ世界で、32年も生きられるんだから……。迷う必要なんか、全くないわ。
私はキリッとして、言った。
「何があっても、私の決意は揺らぎません。
どうか、あなた様のお力を、この私にお与えください」
悪魔はフッと、笑って言った。
「よい心がけだ。
……とはいえ、魔力を与えるとなると、相手は誰でもいいというわけにはいかない。
お前の忠誠心を、試す必要がある」
「……で?
何したら、よろしいんですの?
根性焼きなら、余裕ですけど」
「こういう場面ですることと言えば、『あれ』に決まっておるだろう」
「えーっと……。
確か、『あれ』ですわよね。
『あれ』……、『あれ』……。ええ、『あれ』は本当に素晴らしいですものね」
……ヤバい。
「あれ」って何なんだ。いったい何のことなんだ。
ルシフェルは満足げに頷いた。
「うむ、確かに『あれ』は良いものだ。
主君への忠義を示すのに、『あれ』ほど良い儀式はないぞ。大魔王様の時代から続く、ありがたい儀式なのだからな。
……では、さっそく始めるか。
女、お前の名は何と申す」
「ロザリンドと申します」
「フルネームは何だ」
「ロザリンド・アドミラブル・フェンサーです」
「……お前の願い、確かに聞き届けた。
わが名は、ルシフェル。
ルシフェル・カルロス・レオン・ホセ・デ・レイ・イ・エンペラドール。来たれ、熱にして乾なる者よ、万物を変性させる者よ……」
中二病的な呪文を長々と唱えると、悪魔は私にこう言った。
「……よし、いいぞ。
では忠誠の証に、おれの靴を舐めよ」
「は?」
「聞こえなかったのか?
『ひざまずいて、おれの靴を舐めよ』と言ったのだ」
私がポカーンと、固まってると。
悪魔は、あおるようなセリフを、さらにぶつけてきやがった。
「どうした? 出来ぬのか?」
てめえの汚い靴なんか、誰が舐めるか。
てめえみたいな俺様は、[ピー]して[ピー]の[ピー]でも[ピー]してろよ、このクソが。
……という、言葉は。
すんでのところで、飲み込んだ。
これは、ミハエル様のため。
ミハエル様のためなのよ……。
心の中で毒づきながら、私は憎い悪魔の前に、ひざまずいた。