7. ノノ
庭に面した、渡り廊下には。
私とシェイドの、二人きり。
中庭の白いバラのアーチが、ほのかな月の明かりに照らされ、くっきり浮かび上がってる。
大広間の喧騒が、遠くから、かすかに聞こえる。
シェイドはまるで何もかも、諦めたような目をして言った。
「ダンスはワルツでいいですよね。
おれはリードしませんから、いつも通り、あなたの好きにしてください」
そう言うと、従者は片手を差し出した。
私は当然の疑問を、当然のように口にした。
「なに、この手」
「何って、ダンスを踊るんでしょう?
今日は一体、何なんですか。いつにも増して、おかしいですよ」
いや、んなこと言われても。
だから、その踊り方ってやつが、こっちは分からないんだってばよ。
……ったく。そのぐらい、察しろよ。
ほんと、使えねぇ奴だな。
てんで気の利かない家来に、私がすっかり呆れていると、シェイドはイライラして言った。
「何をモタモタしてるんですか。
もう、とっとと終わらせて、これ以上恥をかく前に、さっさと家に帰りましょう」
そう言うと、奴は、あろうことか……。
片手で私の右手を握り、もう片方の手を、背中に這わせてきやがった。
私は渾身のパンチを、ガキの顔に向けて放った。
小賢しいエロガキは、小癪にも、かわしやがった。
「何するんですか!! 今の、もし当たってたら、顔の骨が折れてましたよ!」
「セクハラしといて、クレームつける気!? そっちがそういう態度なら、マジで折ってあげてもいいわよ」
「ダンスしろって言ったのは、あなたでしょうが!
なんで言われた通りにして、骨折しなきゃいけないんですか! まったく意味が分からないですよ!!」
……ああ、そっか。
ダンスの構えだったのか。
そういや、テレビで見たことあるかも。
なーんだ、そっか。そういうことか。
私は寛大にも、下手に出てやることにした。
「いやー、ごめんごめん。今のはほら、なんていうか……。ちょっとした冗談? みたいな感じ?」
「どんな冗談ですか、完全に直撃コースでしたよ。
まったく、あなたという人は。いつもいつも、理不尽なんだから……」
シェイドはブツブツ言いながら、さっきと同じ姿勢をとった。
それから、チビは慣れた様子で、カウントを始めた。
「1、2、3。1、2、3……」
カウントが1つ進む度に、私の焦りは増していく。
うぅ……。
なんかこれ、時限爆弾のカウントダウンみたい。
身動きできずにいる私を、従者が不審そうに見る。
私はついに腹を決め、足を一歩、踏み出した。
直進、直進、右折、ターン。
おまけに海老ぞり、はいリフト。
あら不思議、体が勝手に動いちゃう。
これってあれね……きっと、そう。
体が覚えてるって、いうやつね。
私は得意になって言った。
「いや~、流石はこの私。まさにダンスの天才ね。
私みたいなダンサーと組めば、地味で冴えないあんたでも、ちゃんと上手く踊れるのね」
「誰が天才なんですか!
おれがあなたに合わせてるんですよ!!」
ちっちゃな従者は、ため息をついた。
「……練習はもう、いいでしょう。
さっさとドレスに着替えて、ダンスを申し込んできなさい」
「えー? せっかくだし、もうちょっと付き合いなさいよ。
じゃあ、次。背中が地面スレスレで、コンパスみたいに回るやつ」
「そんな技、社交ダンスにないですよ!!」
パートナーの抗議を無視して。
私は気分よくダンスを続行した。
ーーーーーー
ーー気がつくと、月はすっかり移動していた。
舞踏会のざわめきは、さっきよりも小さくなり、少し汗ばんだ肌を、夜風が心地よく撫でる。
私は踊ってる相手に、なんとなく目をやった。
今日のシェイドは、タキシードを着て前髪を上げ、きちんとクシで撫でつけていた。
いつも隠れている右目も、今は普通に見えている。
うーん……。
別になんてことない、ごく普通の目ぇしてんだな。
なんだか妙に意味深に、片目だけ隠してるから、義眼とかオッドアイなのかと思ってたけど……。
単にキャラデザの都合か。
こうして、ビシッと決めてると。
いつものモサさと野暮ったさは、大分鳴りをひそめてる。
その分、ほんの少しだけ、大人びて見えなくもない。
……ふーん。……へーえ。
これがよく聞く、馬子にも衣装ってやつなのね。
なんとなく、気恥ずかしくなり。
私は努めて明るく、軽やかに言った。
「いやー、にしても、ちょっと意外だわ。
あんたって、ダンス出来たのね。しかも、結構うまいじゃない」
ーー突然、シェイドが動きを止めた。
一体どうしたのかと思って、あわてて顔を見てみると、シェイドはなぜか真剣な顔で、私をじっと、見つめてる。
主人の困惑も顧みず、従者はおかしなセリフを吐いた。
「帰りましょう」
「……はぁ?」
「今すぐ、家に帰りましょう。
もしかすると、転んだときに、どこか打ったのかもしれません。コブも出来てなかったし、化け物なみの石頭だから、大丈夫だろうと思ってましたが……。おれの考えが甘かったです」
「私は全然大丈夫よ。何大げさに心配してんのよ。
今はそんなこといいから、戻ってパーティー、楽しまない?」
「おかしいと思ってたんですよ。
突然『あんた誰』とか、妙なごっこ遊びを始めたかと思えば、ミハエル様との婚約について、聞いてきたり……。嫌いな馬車を出せと言ったり……。
大体、ダンスはあなたが8つの頃から、一緒に習ったじゃないですか!!
それなのに、『あんたってダンス出来たのね』って……。
こんなの、記憶喪失になったとしか、思えません」
おい、やめろ。
病院送りからの水没コースに、持って行こうとすんじゃねえ。
「私はすごく正常よ。元気元気、超まとも。
だから、ほら……。そろそろ広間に戻らない?」
「そういうわけには、いきません。
もしも脳をやられたのなら、今すぐ医者に見せないと、取り返しのつかないことになります」
……くそっ。
この従者、なんて邪魔なんだ。
こっちは向こうのことなんて、まったく何にも知らないってのに……。
ちょっと付き合い長いからって、ネチネチネチネチ、ケチつけて……。
あーあ。やっぱり、こんな奴、連れてくるんじゃなかったわ。
あんたは知らないだろうけど。
こっちは自分と好きな人の、大事な命がかかってんのよ。
一分一秒が惜しいの、なりふり構ってらんないの。
誰も死なないハッピーエンドは、悪魔ルートしかないんだから。
早くあいつに接触して、確実にこのルートに乗せないと……!!
正体は悪魔だとはいえ、仮にも相手は皇太子。
今日のチャンスを逃したら、次はいつ会えるか、分からない。
新学期が始まれば。
ヒロインと他の男との間に、わんさかイベント起きるんだから……。
今夜のうちに話をつけて、圧倒的なスタートダッシュで、他のイケメンに差をつけなくちゃ。
シェイドは無遠慮に私の腕を掴み、無理やり引っぱって行こうとした。
私は両足で踏んばった。
……ふん、馬鹿め。
貴様のようなチビ助が、力で勝てると思ったか。
「なに抵抗してるんですか! この、馬鹿力……!」
私は貴族の令嬢らしく、可憐に悲鳴上げてみた。
「嫌よ、離して! この、変態! 姑根性! 妖怪足ひっぱり!」
「……いいから!
大人しく、言うことを聞きなさい。今のあなたは、正常じゃないんです」
私は腕を、ブンブン振った。
が、一向に手が抜けない。
なんだこれ、うまく振りほどけないぞ。
ちくしょう、このガキ……。
妙な技を使いやがって。
おかしなワルツを踊り続ける私たちに、凛とした声が浴びせられた。
「――そこで一体、何をしておる」
慌てて振り向く、私たち。
そして、二人が目にしたのは…………。
月明かりに照らされた、美しい悪魔の顔だった。




