6. ひざまずいて靴を舐めよ
「……ねえ、ちょっと。
せっかくの舞踏会なのに、なんであんたがエスコートなのよ」
従者はいかにも、うやうやしく、勿体ぶって、こう言った。
「お嬢様のフィアンセは、大使館でスピーチです。
……大事な公務なんですから、文句を言っても仕方ないでしょう」
私はお上品にグチった。
「あ~あ……。ったく、やんなっちゃうわ。
せっかくお洒落して来たのに、隣にいるのが王子様じゃなくて、召使いのお子様なんて」
……というのは、真っ赤なウソ。
ほんとは王子様が来るなら、パーティーはサボるつもりだったのだ。
だって今、あの人に会うと、ゲームオーバーなんだもん。
ーーここは、お城の大広間。
私、建築様式とか、そういう小難しいことは、さっぱり分からないんだけど。
大理石の広い床とか、シャンデリアとか、赤絨毯とか……とにかく高そうな物ばかりの、豪華で広い部屋の中。
時刻は夜。
丑三つ時にはまだ早く、みんなまだまだ、元気な時間。
大広間はカラフルなドレスと、黒いタキシードで賑わう。
優雅なオーケストラの音色と、くるくるダンスを踊るカップル……。
そして、ずらりとテーブルに並ぶ、おいしそうなグルメたち。
……いやあ、マジで優雅だねぇ。
金とヒマをもて余してる、セレブのパーティー感がすごいわ。
赤ちょうちんの屋台で、ラーメンすすって、チューハイ飲んで。
よっぱらったオヤジのグチとか、競馬中継とか、演歌とか……。
そんなの聞かされてた頃と、完全に別の世界だわ。
あー。
ほんと、死んでよかった。
トラックに、ひかれてラッキー、超ラッキーね。
私は壁にもたれかかって、周囲の会話に耳をすませた。
「あの方が、エンペラドールの皇太子様ですって」
「まあ、なんてハンサムなのかしら。それに、とっても気品があって、堂々としてらっしゃるわ」
「ええ、そうね。でも、ちょっと危険な感じのする方だわ……」
「ねえ、お聞きになりまして?
今回のご留学は、お妃探しのためという噂ですけど……。それって本当なのかしら?」
女たちの、視線の先には。
この場でもっとも存在感のある、華やかな美貌の男が立っていた。
その男は、炎のように鮮やかな、赤い色の髪をしていた。
丹念にセットされた髪型は、襟足が少し長くって、毛先は外にハネている。
……うん。
この髪型って、よくホストがやってるやつよね。
身長は、180センチぐらい。
豪華な衣装を見にまとい、形のいい切れ長の目は、金色に輝いている。
態度には、自信と威厳がみなぎっていて、まるで皇帝みたいな感じ。
ルシフェルは、ゲームの攻略対象で、生存率は50%。
「大国の皇太子様」というのは、仮の姿で。
この俺様の正体は、魔王復活をたくらむ、悪魔。
海外留学という形で、この国にやってきた、魔族界のプリンスなのだ。
この、ルシフェルって、クソ野郎……。
ドSな俺様系キャラが、ファンの心をガッチリ掴み。私の愛するミハエル様と、人気ナンバーワンの座を争っている……らしいけど。
こういうオラオラ系のキャラって、私はどうも、好きになれない。
はっきり言って、こんな奴、ミハエル様の足元にも及ばないわ。
今日はルシフェルの歓迎パーティーという名目で、王族貴族やセレブが集まり、どんちゃん騒ぎをやっている。
私、堅苦しい集まりって、あんま好きじゃないんだけど。
うまいもん、タダでたらふく食えて、イケメンいっぱい見れるから、意外と悪くない気がしてきたわ。
気分よく、イケメンを物色してると。
大階段の向こうの方に、人だかりが出来ていた。
輪の中心にいるのは、性格メチャクチャ悪そうな、エリートぶった、メガネの男。
メガネはいかにも嫌らしい、愛想笑いを浮かべて、何かペラペラ喋ってやがる。
私がウンザリしていると、メガネ野郎と目が合った。
私はすかさずガンをくれてやる。
……と、向こうも負けじとばかり、こっちを睨んできやがった。
私は視線を、そらさずに。
殺気をこめて、メガネを睨む。
こういうのは、先に目をそらした方が、負けなのだ。
そのとき、空気を読めない声が、集中力をガクッと削いだ。
「なにガラの悪い顔してるんですか?
とりあえず、食べ物持ってきましたよ。
あなたに自分で取らせると、後の人のこと考えずに、ムチャクチャな取り方しますからね」
「……ちょっと、シェイド!
余計なことすんじゃないわよ。私は今、大事な勝負を……」
……って、しまった。
思わず、目線をそらしてしまった。
ああっ、メガネが勝ち誇った顔してやがる。
くそっ、あの野郎……。
人目がなければ、殺してやるのに。
何にも分かっていない従者は、知った風な口を利きやがる。
「何が大事な勝負ですか。
どうせあなたのことだから、かっこいい男性を、物色していただけでしょう。
今日は外国からのお客様もお見えなんですから、これでも食べて、大人しくしててくださいよ」
ふてぶてしい従者の嫌味を、私は華麗にスルーして、王室グルメをバクバク貪る。
さっきの小さな失敗は、全部なかったことにして。
そこら中にいるイケメンにも、極上の酒にも目を奪われず、心はあくまで冷静に、ターゲットへと向けている。
……とにかく。
ここは、なんとしてでも。
悪魔と二人っきりになりたい。
そのために、まずは邪魔なこいつを、どっかに追っ払わなくっちゃ。
私はサッと目を走らせて、壁の花になってる女を、適当に一人、指差した。
「あーっ! ほら、見て、シェイド! あの子、メチャクチャ可愛いわよ。
あんた、ちょっとあっちに行って……。あの子と踊ってみたくない?」
「別に。おれ、ダンスとか好きじゃないので」
……うっわ、ノリ悪っ。
こういう面白味のない男が、一番女にモテないんだぞ。
私は親切に言ってやった。
「あんた、そんなこと言ってると、彼女いない歴イコール年齢、一生独身になるわよ。
いいから、あっち行きなさい。
なんなら、そのまま二人一緒に、しけこんで来てもオッケーよ」
ガキは人の親切を、土足で踏みにじりやがった。
「言ってることが、その辺の酔っぱらいオヤジと、全く変わらないんですが。
そんな下品な発想してて、ミハエル様に愛想尽かされても、おれは一切、知りませんからね」
私はイラッとした。
ので、生意気なクソガキに、立場の違いというものを、教えてやることにした。
「……おい、下僕。
この皿、片づけに行きやがれ。
ついでに、ステーキとフォアグラと、カレーとグラタン、餃子とワイン。あと、ビールと焼酎と、スナック菓子でも取って来いや」
「それが人にものを頼む態度ですか?
そんなだから、新聞記事に、あることあること書かれるんですよ」
負け犬の遠吠えを、私は華麗にスルーして。
さっそうと、その場を去った。
――――――――――――――
私は人混みをかき分け、まっすぐ目的地に向かう。
行く途中で何回か、カップルにドンと、ぶつかってみたり。足踏んだけど、わざとじゃないわよ。
ちくしょう、人の気も知らないで、呑気にイチャイチャしやがって……。
なーんてこと、ちっとも思ってないんだからね。
私が邪魔なアベックどもに、正義の鉄槌を下そうとすると、偉そうな声が飛んできた。
「そこの二足歩行するゴリラ! ちゃんと前を見て歩きなさい!!
……まったく、あなたという人は。
どれだけ人様に迷惑をかけたら気が済むんですか。
最低限の礼儀も分からないなら、今すぐ野生に帰りなさい!!」
この私に、イチャモンつけてくるなんて、どこのどいつだ。
……と思って、振り返ると。
そこには、大道芸人がいた。
2人がかりでも持てそうにない、大量の皿とグラス。
それをシェイドは1人で持ち、しまいには、頭の上にも皿を載せてる。
どの皿の上にも、料理が並々と盛られており、テーブルからここまで、どうやって辿り着いたのか、ちょっと想像もつかない。
私はほんの少しだけ、こいつを見直した。
……おお、すごい。
まさに、驚異のバランス感覚。
これなら今すぐ従者をやめて、サーカスのピエロに転職できそうね。
シェイドは刺々しく言った。
「人に料理取らせておいて、どこに行こうとしてるんですか」
「別にどこだっていいでしょ。
私は公爵家のご令嬢よ。つまり、とっても偉いんだから、何をやろうが勝手じゃないの」
「そんな都合のいいルール、どこにも存在しませんよ。
人様に迷惑をかけるような、人間未満のゴリラには、この場にいる資格がないですよ」
私は大声で怒鳴った。
「うるさいわね! 私はトイレに行きたいの!
ついて来んじゃないわよ、この変態!!」
シェイドは少し、ひるんだようだ。
「……そういう発言を大声でするのは、ちょっとどうかと思いますが」
「ったく、いちいちうるさい奴ね。
とにかく、私はトイレ行くから、あんた、その料理、食べといてよね。
全部一人で食べ終わるまで、ここを動くんじゃないわよ。……分かったわね?」
「はあ!? こんな量、一人で食べられるわけないじゃないですか」
「そんな甘ったれたこと言ってるから、あんた、そんなにチビなのよ。
よく食べて、しっかり寝て、毎日いいことでもすれば? そうすりゃ、少しは背が伸びるかもよ」
「……ご親切に、どうもありがとうございます。
でも、おれは15ですからね。ご心配をいただかなくても、そのうち勝手に伸びますよ。
あなたこそ、食べる量を控えた方がいいんじゃないですか? その調子で育ち続けると、いつかミハエル様よりも、背が高くなりますよ」
こっ、こいつ……。
なんて野郎だ。
笑顔で人の地雷を踏みやがった。
実はデカいの気にしてる、年頃の乙女に向かって……。
なんてデリカシーのないチビなんだ。
嫌味マシンのチビを放置して、私はトイレに駆け込んだ。
――――――――――――
トイレの個室に、駆け込むと。
私はドレスのスカートから、メイド服を取り出した。
ドレスを脱いで、メイド服を着て。
清楚なメイドに早変わりすると、何食わぬ顔で広間に戻る。
私は酒を注ぎながら、ルシフェルのそばに近づいた。
あとは、奴が一人になったスキを狙って、声をかけるだけ。……なんだけど。
この野郎、全然一人になりゃしねえ。
落ち着いて、よく考えてみれば。
大国の皇太子様なイケメンと、みんな仲良くなりたいわけで……。
つまり。
ひっきりなしに、人が押し寄せてきて、二人っきりで話すタイミングとか、そんなの全然ないわけで……。
えー、どうする?
いっそ、もっかいドレスに着替えて、正々堂々、ダンス申し込む?
でも私、今は王子のフィアンセなのに……。そんなことしても、いいのかな?
私がオロオロしていると、突然、誰かが後ろから、私の首根っこをひっ掴んだ。
そいつは、「すみません」の一言もなく。
乱暴に私を引っぱり、広間の外まで連れ出すと、人気のない廊下を、ズルズルと引きずって行った。
仮にも、公爵家の令嬢に……。
なんたる無礼、乱暴狼藉。
私は憎い犯人のツラを、おがんでやろうと、振り向いた。
……が、しかし。
そいつが一体誰なのか、さすがに察しがついていた。
私が振り返った先には、すっかり身軽になってる従者。
シェイドは仏頂面で腕を組み、口の端をピクピクと、小刻みにひきらせている。
「……そんな格好で、何してるんですか、あなたは」
私はうろたえて言った。
「そんな、完璧な変装だったはずなのに……。なんでバレたのよ?」
シェイドは即座にツッコんだ。
「どこの世界に、盛り髪でフルメイクのメイドがいるんですか!!」
小僧はため息をついた。
「世間に顔の知られた公爵令嬢が、バレバレの変装をして、客にワインを注いで回って……。
はっきり言って、ものすごく悪目立ちしてましたよ。
まあ、あなたの奇行はいつものことなので、みんな見て見ぬフリをしていましたが」
……何それ。めっちゃ恥ずかしい。穴があったら、入りたい。
シェイドは呆れた様子で言った。
「仮にも王子の婚約者が、わけの分からないことをして……。まったく、ちょっと目を離すと、これだから……」
お小言が始まりそうな気配を察知し。
私は巧みに話題を逸らした。
「そういや、あんた……。
あの料理、ちゃんと一人で全部食べたの? まさか、残したんじゃないでしょうね」
「話を逸らそうとしても無駄ですよ。
……それで? なぜこんなことを、したんです?」
……いや、なんでと言われても。
「国の水没を防ぐために、悪魔に接触しようとしました」なんて言ったら。
この世界じゃ、良くて一生病院の中、悪くてギロチンか、首吊りだし。
本当のことは言えないんだから、とにかく適当に誤魔化すしかない。
「だって、だって……。
ウワサの皇太子様を、近くで見てみたかったんだもん。新しいイケメンと、ちょっとお話してみたかったんだもん……」
従者はあっさり、こう言った。
「だったら、普通にダンスを申し込めばいいでしょう」
「でも私、今は王子の婚約者だし。
ていうか、そもそもダンスって、女の方から申し込めるの?」
「まともな貴族のご令嬢なら、そんなはしたないマネは、絶対にしませんけどね。
あなたは貴族の令嬢じゃなくて、野蛮人のゴリラですから」
礼儀のカケラもないクソガキは、バカにしきった顔で言う。
「大体、いつも美形を見かけたら、見境なしに申し込みまくってるくせに。今さら何を言ってるんですか」
……なんだよ、ちくしょう。
恥かいて、損したじゃねぇか。
「あっそ!!
じゃ、私、もっかいトイレで着替えてくるわ。
そしたら、列に割り込んで、皇太子にダンス申し込んで……。あれ?」
……そういえば。
私ってダンス、踊れるの?
ゲームのロザリンドだったら、踊れるに決まってるけども。
私、前世は庶民だし。
社交ダンスなんて洒落たもの、一度もやったことないし。
「あ~~。……うん。
でも、ちょっとその前に、軽く復習しとこうかしら。
とりあえず、練習台はあんたでいいわ。ちょっと体、貸しなさい」
「はあ? ダンスは得意じゃないですか。何も今、そんなことをしなくても……」
「うっさい。いいから言うとおりにしなさい。
あんたが言うこと聞かないんなら、この格好のまま、皇太子にダンス、申し込むわよ」
反抗的すぎる従者は、深く深く、ため息をついた。