8. ノノ
レジに金を叩きつけ、私は店の外に出た。
夜の町のにぎわいが、すさんだ心にちょっぴり沁みる。
別に私、負けてないから。
これは負けとか、逃げとかじゃなくて……。こっちから勝負を降りてやったのよ。
道の小石をけってると、誰かが私を呼び止めた。
「ーーそこのあんた、ちょっと待ちな」
ふり返って、見てみると。
そこには黒服のボーイと、貫禄のあるババアが立ってた。
私はカッコよく言った。
「おつりだったら、いらないわよ」
ババアはあきれた顔をした。
「なに言ってんだい。50ゴールド足りないよ」
さっきのムカつく黒服が、後ろでスタンバっている。
何だよゴラァ、やんのかオラァ。
私は黒服をにらみながら、50ゴールド差し出した。
ババアはコインを受け取ると、なれなれしく話しかけてきた。
「……あんた、あいつのコレかい?
だったら、今は許してやんな。可愛がってた弟子と離れるんで、ちょっとばかり荒れてるんだよ」
私はバカな女を笑った。
「なに言ってんのよ、バッカじゃない?
あいつは血も涙もないクズなのよ。あいつの頭の中には、酒と女とルーレットのことしかないの。
弟子の将来のことなんて、何にも考えてやしないわ」
「あんた、遊びの女だね。
……ま、そう思うのも無理ないさ。あいつは自分の心の内を、あまり他人に見せないからね」
私は思わずドン引きした。
「……あんた、あいつとつき合ってんの!? どんだけ年下趣味なのよ」
「バカ言うんじゃないよ、小娘が! あんな小僧、誰が相手にするもんか。
……私はあいつのじいさんと、古い知り合いだったからね。あいつのことは、ガキの頃から知ってるのさ」
要するに、近所に住んでる、ばあさん枠か。
……ってことは、色々事情に詳しそうだな。
私はこの機会に乗じ、クズの弱味を握ろうとした。
が、ババアはなかなか口を割らない。
だんだんイライラしてきたとき、ババアはとんでもないことを言い出した。
「はぁ!? あんた今、なんつった?
あのクズが、トムのために発明を売ったって……。しかもそれが、転職先を確保する条件って……。
あんた、もうボケてんじゃない?」
私の頭に、ゲンコツが飛んできた。
「何すんのよ、クソババア!!」
「目上の人間には、ちゃんと敬語をお使いよ。まったく、近頃の若い娘は、礼儀ってもんがなっちゃいないね」
てめえこそ、貴族のお嬢様相手に、よくも暴力ふるいやがったな。あんま調子に乗ってっと、過保護なパパに言いつけて……てめえのキャバクラ、つぶしてやんぞ?
ババアは私のガンにもビビらず、知ったふうな口を利いている。
「ま、トムも今はつらいだろうが……。あの子にとっちゃ、これ以上の話はないさ。
リッチマン商会といえば、もうかってて景気がいいし。あそこの社長は従業員を大事にするって、評判だしね」
なに言ってんだ、このババア。その言い方じゃ、あの性格悪いメガネが、いい経営者みたいじゃないか。
まったく。これだからアホな庶民はダメなんだよな。新聞や雑誌の言うことを、片っぱしから真に受けて……。
なんか大物っぽいばあさんだと思ったけど、所詮こいつもモブの一人か。
「しっかしあいつ、気でも狂ったんじゃないかしら。真性のクズ野郎のくせに、キャラ崩壊もいいとこじゃない」
ババアは遠い目をして言った。
「あいつはガキのときに、親父を亡くしたからね。
きっとトムの境遇が……昔の自分に、重なって見えたんだろうさ」
あいつがそんな殊勝なタマか? 特殊性癖に目覚めたとかの方が、まだ説得力あるんだけど。
……ま、いいわ。
とにかく、クズが金に困ってないことは、ハッキリしたし。後は登校さえさせれば、トムもサクッと転職するでしょ。
転職先がメガネの会社ってのが、アレだけど……。
まあ、かろうじて……いや、ギリギリ! ほんっとギリギリ、アウト寸前で、クズのところにいるよりマシだし。
「しっかし、頭の悪いクズだな。
弟子を心配してるなら、そう言えばいいだけなのに。
登校だって、モタモタ拒否って遊んでないで、サクッと行くだけ行っといて、後で拒否ればいいだけなのに」
「ま、あいつにも意地があるんだろうさ。
ミハエル王子は悪くないけど……兄貴が親父のカタキだからねぇ」
私はびっくり仰天した。
「ちょっと、あんた! 人の頭ん中、読むんじゃないわよ!」
ババアはすかさずツッコんだ。
「今、思いっきり声に出てたよ。
……それからあんた、サッサと帰りな。
ここは危険な通りだからね。あんたみたいな若い娘が、一人でウロウロするもんじゃないよ」
私は札束を取り出し、ババアの顔に突きつけた。
それから、笑ってタンカを切った。
「これでもう1回、入店させてもらうわ。
ーー私はあいつの登校拒否を、終わらせる。トムとそう約束したの」
ババアはニヤリと笑って言った。
「……あんた、いい目をしてるじゃないか。
その気があるなら、ウチで働いてみるかい? もちろん、その口の利き方は、叩き直させてもらうがね」
「この口は生まれつきよ。今さらどうにもなりゃしないわ。
……それと、相談なんだけど。
酒の出し方に、オプションつけてもらえない?」
ババアは食えない顔でこう言った。
「もちろん、それは料金次第さ」
ーーーーーーーーーー
「なんだい君、また来たの? 見れば分かると思うけど、こっちは今、いいところなんだ」
クズはうんざりした様子で、顔だけこっちに向けている。クズに腕を絡めているキャバ嬢は、殺しそうな目でこっちを見ている。
私はサルどものイチャつきを、水際で阻止してやった。
「その続きは、またにしなさい。
たんまり金をつかませたから、店は私の味方するわよ」
クズは鬱陶しそうに、ため息をついた。
「……君は本当にしつこいな。これ以上、何を話すつもりなんだい」
「あんたと話すことなんて、何もないわよ」
「だったら君、何しに来たの? 私は忙しいんだよ」
私は髪をファサッとやって、大胆不敵に宣言した。
「ーーこの間のリベンジよ。
あんたの登校を賭けて、飲み比べで勝負してもらうわ」
「君はこりるという言葉を知らないのかな。
勝負するのはかまわないけど、そっちは何を賭けるんだい?」
「もし、あんたが私に勝ったら、一つだけ言うこと聞いてあげるわ」
「ふーん……。ずいぶんな自信だね。勝算があるとは思えないけど」
「そんなの、やってみなくちゃ分からないでしょ。
とにかく、そういうことだから。……そこのあんた、イチャつくのは今度にしなさいね」
キャバ嬢はしぶしぶクズから離れた。
クズはチラリとババアを見て、面倒くさそうに立ち上がった。
ーーーーーーーーー
私たちは勝負のテーブルについた。
大ジョッキが二つ運ばれ、店中の人間の視線が、このテーブルに注がれている。
私はジョッキを持ち上げて、勝負の開始を高らかに告げた。
「それじゃ、始めるわよ。正々堂々、戦いましょうね」
クズもジョッキを持ち上げた。
「無謀な挑戦を歓迎するよ。ご褒美がとても楽しみだ」
黒服の合図で、私たちはジョッキをあおった。
私とクズは、次々とジョッキを空けていった。
途中でビールが足りなくなり、違う種類の安酒が、次から次へと運ばれる。
日本酒、焼酎、ブランデー。ワインにスコッチウイスキー。
客たちは固唾を呑み、勝負の行方を見守っている。
「なんだあいつら……。どんだけ飲んだら気が済むんだよ」
「あのお嬢さん、何者だ? なんでウィズに付いていけるんだ?」
私は思わずほくそ笑んだ。
ふん、バカめ。だからお前らはモブなんだよ。
こんなザルの化け物相手に、正々堂々、やるわけねえだろ。
私は空になったグラスを叩きつけ、黒服の男に目をやった。黒服はうなずいて、グレープジュースを持ってきた。
私は赤い色のジュースを、ワインのフリして飲み干した。
アホなモブどもの歓声が、どっと上がって、気分がいい。
観客の声に応えると、私は向かいの席をチラリと見た。
……。
…………。
……こいつの体、どうなってんだ?
アホみたいに飲ませたってのに、つぶれる気配が全然ないぞ。
私はババアに目線を送り、最終兵器を要求した。
ババアは重々しくうなずいて、黒服にサッと指示をした。
ーーそして、勝負の時はやって来た。
黒服のボーイが、おごそかに進み出て、酒豪のクズの目の前に、運命のグラスがそっと置かれた。
……さあ、早く飲め。
そのグラスには、眠くなるクスリが入ってるんだ。いくら酒に強くても、薬にゃ抵抗できねえだろ。
レモネードを飲みながら、私はクズの様子をうかがう。
性格の悪い魔術師は、グラスを手の上で転がし、意味深な目をこちらに向けた。
「今日は君、やけに強いね。この間の倍は飲んでるのに……あまり堪えていないみたいだ」
「ふん。私が本気を出せば、ざっとこんなもんなのよ。……どう? そろそろ降参する? いま降参するんだったら、登校1週間で許してやるわよ」
「これが君の本気ねえ……。本気というか、なんというか……。正々堂々って、何のことだろうね」
やべっ。
もしかして、気づかれたか?
……いかん。これはまずい。
とにかく、早くクスリを飲まさなければ。
私は冗談っぽくクズを急かした。
「あんた、いつまでしゃべってるつもり? その酒、飲まないんだったら、取り上げるわよ」
「だったら、どうぞ。
お返しに、君の飲んでるそれ、くれないかな」
えっ。ちょっ……。
何言い出すんだ、この野郎。
そんなことしたら、イカサマの証拠つかまれた上、こっちが潰されちまうじゃねえか。
クズはニヤリと不敵に笑った。
「どうしたんだい? 同じ強さのはずだから、何の問題もないはずだろう。
それとも、グラスを交換されるのが、そんなに不都合だったのかな?」
「はっ? べっ、別に……。不都合なんて、何もないけど……」
「だったら、早く交換しよう。そのお酒、美味しそうだと思ってたんだ」
「じょっ……。じょじょじょ、上等じゃないの!
……言っとくけど、考え直すなら、今のうちよ?」
「それじゃ、遠慮なく」
クズは私のグラスを奪い取ると、自分のグラスを私に寄越した。
ーー絶体絶命。
そんな言葉が、頭をよぎった。
もしも、このまま、こいつに負ければ……。
相手は鬼畜なクズだから、何をされるか分からんぞ。
かよわい私が、腕力で抵抗しても……死ぬより辛い辱しめを、魔法で無理じいされかねない。
クズはクスッと笑いやがった。
「グラスを持つ手が震えてるよ。
降参するなら、それでもいいけど。……約束は守ってもらうからね」
私はツバを飲み込んだ。
それから、クズのムカつく顔を、思い切り睨みつけてやった。
「あんたみたいなクズ相手に、誰が降参するもんか!
私はトムと約束したのよ。
あんたの登校拒否を治して……あの子を安心させてみせるわ!」
私はグイッとグラスをあおって、クスリの入ったカクテルを、一気に全部、飲み干した。
やっべ。この酒、めっちゃ強いわ。おまけにクスリも飲んじゃったし……。だけど絶対、負けられない。
ふんばれ、私の肝臓!!
体にクスリが回っても、あの子のために、耐えるのよ!!
クズは感心した顔で、ピューッと口笛を吹いた。
「いやぁ、見事な飲みっぷりだね。それじゃあ私は、こっちをいただくとしようかな」
しまった! 証拠を始末しないと……ノンアルコール飲んでたのが、対戦相手にバレてしまう!!
私はあわてて立ち上がったが、一瞬早く、クズがグラスに口をつけた。
店内は異常な熱気と、重い沈黙に呑み込まれている。誰かがツバを飲む音が、耳元で聞こえたようなーーそんな気がした。
クズはグラスを飲み干すと、テーブルの上に突っ伏した。
「流石にもう、限界だ。……今回ばかりは、私の負けだよ。君と約束した通り、1週間だけ登校しよう」
爆発するような歓声が、フロア中にあふれかえった。
私は猛烈な眠気と戦いながら、なんとかその場に立っていた。
観客の熱い拍手に応え、私はガッツポーズをした。
それから、敗者の倒れたテーブルを、ほんの一瞬、振り返った。
クズはさっきと同じ姿勢のまま、テーブルに突っ伏して動かない。
……ったく、面倒くさい野郎だな。
芝居なのがミエミエだけど、騙されたフリしといてあげるわよ。
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翌日の新聞の一面は、クズの登校を知らせる記事一色だった。
「誰が魔法を使ったのか!? 天才魔術師、初登校」
「まるでマジック! 正体不明の美人酒豪、夜の闇に紛れて消える」
「魔法省も一安心。登校拒否が、ついに止む」
「魔法使いの魔の手から、女子生徒の保護、早急に」
私はフィッシュアンドチップスを食べ尽くすと、包み紙の新聞を、その辺にポイッと投げ捨てた。
私の捨てた新聞は、風にフワリとさらわれて、海の上にポトリと落ちた。
船着き場には、アメリカっぽい国へと向かう人間と、それを見送る人間が、野次馬みたいにあふれてた。
トムは弟の手をしっかり握り、私にペコリと頭を下げた。
それから、自信に満ちた目で、かつての師匠に別れを告げた。
「……師匠。今まで、お世話になりました。
ぼく、立派になってみせますから。いつかマネリカに、遊びに来てくださいね」
ウィズはトムの頭をクシャッとなでた。それから、めんどくさそうに言った。
「まあ、気が向いたらね」
トムは、船への橋を渡って……。
途中でこっちを振り返って、何か叫んだ。
船の出港を知らせる、ボーッという音に消されて、うまく聞き取れなかったけれど、ボロ泣きしてるみたいに見えた。
弟子の船出を見送ると、私はクズの肩を叩いた。
「弟子がいなくなって、寂しいんじゃない? 今夜だけは特別に、つき合ってあげてもいいわよ」
「じゃあ、君のおごりで飲んだ後、ベッドにお邪魔してもいいかな」
「調子に乗んな、このクズが!」
私はクズの顔面めがけて、右ストレートをくり出した。




