4. ノノ
「自分の体で払うって……。
あんた、本気で言ってんの?」
ウィズは悠々と、うなずく。
「もちろん、私は本気だとも。
お金でも物でも払えないんだから、体で払うのが当然だろう?」
私はフンと、鼻で笑った。
「あんた、うちの厨房で皿洗いでもするつもり?
そんなショボい労働じゃ、百年経っても払えないわよ」
「天才は皿洗いなんかしないさ。
あんまり失礼なことを言うと、やさしい私でも怒るぞ」
こいつ…………。
いい年した男のくせに、ほっぺた膨らませてやがる。
微妙にかわいく見えるのは、目の錯覚に違いない。
ウィズはテーブルから立ち上がると、お気楽な調子で言った。
「じゃあ、支払いを始めるから、私はちょっと着替えて来よう。
その間に、君もその服を脱いで、これに着替えておいてくれ」
……こいつ、本気で言ってやがるのか?
まあいいや。
襲ってきたら、殴って逃げよう。
魔術師が部屋を出て行くと、私はドアの前に立ち、女の子らしくコブシを構えた。
―――――――――――――――――
「……で? これは何のつもりなの?」
「何って、聞かなくても分かってるだろう。
君に前々からせがまれていた、『天才と行く、ディープな下町ツアー』だよ」
何が「体で払う」だよ。
ただのデートじゃねえかよ、おい。
ウィズと私は、庶民のカップルに成りすまし、下町の通りを歩いていた。
通りは物や人でごった返し、服屋に雑貨屋、食べ物屋、芝居小屋に怪しい薬屋、他にも色々な店が、左右に軒を連ねている。
町並みはヨーロッパ風だけど、昔ながらの商店街みたいな、懐かしい雰囲気が漂っている。
ウィズは楽しそうな声で言った。
「今日は私の奢りだから、何か欲しいものがあったら言ってくれ。
支払いはツケにしておくから、お金の心配はいらないよ」
ウィズの案内で、私たちは色々な店を巡った。
ストリップ劇場に酒場、賭場、地下格闘場に芝居小屋。どれも刺激的で面白かった。
ツアーが無事に終了すると、私たちは通りをぶらぶらし、気が向いた店に入ったり、屋台の食べ物を片手に、大道芸を見たりした。
二人で通りを歩いていると、色んなモブキャラが声をかけてくる。
「よお、ウィズ。こないだの薬、よく効いたぜ」
「今度はいつ、お店に来るの? あの娘、あなたが来てくれるのを、ずっと健気に待ってるのよ」
「とっととツケ払えや、この飲んだくれ」
ウィズはどこに出しても恥ずかしくない、正真正銘のクズなのだが。
実は、下町の人間には、わりと慕われてたりする。
貧しい人にタダで薬をあげたり、子どもに読み書きを教えたり。そんなパフォーマンスをしてるから、善良な人々が騙されるのは当然だ。
武器屋で剣を眺めていると、赤ら顔の男が声をかけてきた。
「おっ。
今日はえらく綺麗な子連れてるじゃねえか、ウィズ。
……お嬢さん、もしかして、こいつの彼女?
ダメだよ、こんなのと付き合っちゃ。泣かされる前に、おじさんに乗り換えない?」
「残念だけど、この子はまだ、彼女になってなくてね。
君、あっちから来たんだろう? トムの店、今日やってたかい」
……出たよ、トム。
このゲーム、モブの名前、片っ端からトムにしてあるからな。
「トムの店」って言われても、どのトムのこと言ってんのか、こっちにゃサッパリ分かんねえんだよ。
しかし、おっさんは迷わず言った。
「ああ、やってたよ」
おお、さすが地元住民。
普通に「トム」で通じるらしい。
酔っぱらいのおっさんは、残念そうな顔をした。
「……ってことは、今日は仕事かよ。ちぇっ、なんだよ。つまんねえなぁ。一杯誘おうかと思ってたのによ」
ウィズはおっさんの肩をポンポン叩いた。
「またいつでも誘ってくれ。君との飲みは最高だ。潰せば、支払い全部、押しつけられるしね」
「言ったな。
今度こそ、潰してやるから覚悟しとけよ。
……そんじゃまたな、美人のお嬢さん」
酔っぱらいと別れた私たちは、川向こうにあるトムの店に向かった。
―――――――――――――――――
店での用事を済ませると、辺りはすっかり暗くなっていた。
通りには、オレンジ色の明かりが灯り、買い物袋を提げた女たちが、足早に通り過ぎていく。
陽気な人々が列を作って歩き、飲み屋の店員が威勢のいい声で呼び込みをしている。
私たちは一軒のバーに入ると、冷えたビールで乾杯した。
「あんた、いいとこ知ってるじゃない。中は結構きれいだし、料理もなかなかイケるわね」
「ここは私の行きつけだからね。本当は誰にも教えたくない、秘密のお店なんだ。だから君も、他の人には教えないでくれよ」
そう言うと、魔術師はホクロのある方の目を閉じて、愛嬌たっぷりにウインクをした。
3杯目の中ジョッキを飲み干すと、ウィズはにっこり笑って言った。
「……それで? 今日のデートは楽しんでもらえましたか、お姫様」
「うん、めっちゃ楽しかったわ。でも、期限は延ばさないわよ」
「うーん、なかなか厳しいな。それじゃあ、どうしたら支払いを待ってもらえるんだい」
「何度も言ってるでしょ。津波の研究をしなさい。
それさえ約束するんなら、あんたが今、しょってる借金、全部もってあげてもいいわよ」
ウィズはちょっと心を動かされた様子を見せた。
「えっ、本当かい?
それはちょっと魅力的だな……」
「あら、ほんと? だったら、ここにサインして」
そう言って、私はシェイドに用意させたものを、テーブルの上に置いた。
ウィズはその紙を見るなり、大声で笑いだした。
「ははは。そんな冗談を言われても困るな。
それは『悪魔の契約書』だろう?
そこにサインするのは、連帯保証人になるよりも危険なことは、子供だって知ってるよ。
もし契約に背いたら、命を落とすだけでなく、死後も地獄の苦しみを与えられる、黒魔術の外法……。
君、こんな危ないもの、一体どこで手に入れたんだい」
「心配しなくても平気よ。
ちゃんと契約通りにすれば、何のペナルティもないんだから」
「しかし私は、契約という言葉が大嫌いでね。
風の向くまま、気の向くままに、毎日を自由に過ごしたいのさ」
「なら、その自由も今日でおしまいね。
契約書にサインしないなら、お父様に言いつけて、あんたの財産、まるごと全部、差し押さえるわよ。
さあ、いい加減、観念しなさい。もう他に方法はないんだから」
ウィズはニヤリと笑った。
「いいや、まだ方法はあるとも」
「へえ、どんな方法があるっていうの?」
ウィズは私の手を取ると、まっすぐ目を見て、こう言った。
「私と結婚しないか、ロザリンド。
君は凄まじいお転婆だけど、顔と体は最高だ。
……何より、君と結婚すれば、一生金に困らない」
私はテーブルをはっ叩いた。
「そんなセリフで、落ちる女がいるか!!」
ウィズは本気で驚いたような顔をした。
「えっ、そうなのかい? 今のセリフで落ちた人、結構多いんだけどなあ。
うーん……。これは口説き文句の改良が必要だな」
そのまま私をスルーして、何かブツブツつぶやき始めた。
……こいつ、発明家じゃなくて、結婚詐欺師でも目指してるのか?
クズはもう立ち直ったらしく、なれなれしく、こう言った。
「まあ、さっきのはちょっとした冗談だよ。……うん。そういうことにしておこう」
それから体をぴったり寄せて、腰に片手を、回してきやがる。
「……だけど、君に興味があるのは本当だよ。
私は君を、面白いお嬢さんだと思ってるんだ。
君のことが、もっと知りたい。
ずっと君のそばにいて、今日みたいに楽しい毎日を過ごしたいと思ってる。
これは嘘じゃない、私の本心だ」
そう言って、熱っぽい目で見つめてくる。
……くそっ。
こいつ、乙女ゲームのキャラだけあって、顔と声が、無駄にいい。
中身はただのヤリチンで、借金まみれのクズなのに。
切なげに歌う男の、甘い歌声が、耳をくすぐる。
ギターの音色に合わせて、踊る人々の熱気が、肌を灼く。
強いアルコールの香りに、くらくらと目眩がしそう。
ウィズは耳元で囁いた。
「どこか二人きりになれる場所に、行かないか」
「……そうね。あんたとは、もっとゆっくり話がしたいわ」
「それじゃ、私の家に来るかい?」
「ええ、いいわよ」
そのとき、この場に不釣り合いな、冷たい声が、浴びせられた。
「……いい加減にしてください。
酒癖が悪いくせに……。
こんなところで、何してるんです」