4. 魔法使いの弟子
魔術師のクズに会うために、下町にやって来た私は。
クズん家の玄関の前で、影の薄い奴と出会った。
「あれっ、ソード。
あんた、こんなところで何してんの?」
「……ランニングのついでに、プリントを届けに来た」
ジャージ姿のデカい剣士は、無表情でボソボソ言った。
「直接、渡そうと思ったのだが……。留守だった」
「そんなの、ポストに放り込んどきゃいいじゃない。つか、あいつ……どうせずっと来ないだろうし。届ける必要ないんじゃない?」
「仕方ないか……」
ソードはプリントをポストに入れ、ジョギングしながら去っていった。
登校拒否のクズなんか、ほっときゃいいのに、律儀だねえ。
まあ、あいつがプリント係になるように仕向けたの、私なんだけどな。
だって、サクラに届けさせたら、クズが学校来るようになるし。んなことになったら、あっさりクズに手込めにされて、大陸、水に沈むしな。
女癖の悪いタラシは、攻略の邪魔だから、不登校のままでいろ。
……しっかし、あいつ。
こんな遅くに、どこほっつき歩いてんだ?
酒場か、酒場か……。それとも賭場か。
次の行き先を考えていると、奥の方で物音がした。
私は庭を突っ切って、音のした方に走った。
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裏口から出てきたのは、絶賛登校拒否中の、魔術師のクズだった。
魔術師はバンドマンみたいな服に、アクセサリーをジャラジャラとつけ、肩までの茶髪を後ろで一つに結んでいる。
うーん、このクズ……。中身はただのクズなのに、見た目だけは、死ぬほどいいな。
芸能人みたいなチャラい格好が、ムカつくぐらい、よく似合う。
クズはホッとした顔をした。
「……なんだ、君か」
「何よ、その反応。まさか、浮気相手が家に押しかけて来たとでも思ったの?」
「それはよくあることだから、特に気にすることじゃない」
こいつ、相変わらず、すがすがしい程のタラシっぷりだな。
私はさらに突っ込んだ。
「そんじゃあ何?あんた、借金取りにでも追われてるわけ?」
「人聞きの悪いことを言わないでくれるかな。今は金には困ってないよ」
「だったら、なんでわざわざ、裏口から出ようとしてんのよ」
クズは深刻そうにこう言った。
「実は最近、ソードくんが毎日プリントを届けに来るんだ。
なんか彼、私のこと、対人恐怖症のかわいそうな人だと思い込んでるみたいで……。
『……お前も本当は、学校に来たいのだろう。何も恐れることはない。……クラスの皆も、お前が来るのを、待っている』とか言って、キラキラした目で見つめてくるんだよ」
……うわ、きっつ。
この年で、学園ドラマの再現とか……寒すぎて鳥肌が立つわ。
クズは疲れきった様子でため息をついた。
「プリントも、いらないって言ってるのに、わざわざ手渡ししようとするし……。
彼、ちょっとコミュニケーション能力に問題があるんじゃないかな」
まあ、不真面目な悪人のお前には、あいつの相手はキツいわな。普通の善人の私でも、あいつの相手、なんかキツいし。
遊び人は「やれやれ」と言わんばかりに苦笑した。それから、気を取り直したようにこう言った。
「これからクラブに踊りに行くけど、よかったら君も来る?
……それとも、今日は私のベッドで一緒に寝るかい?」
「とりあえず、座って酒を飲ませなさい。あんたと話すのは、それからよ」
「ということは、外出は取り止めかな?
家に上げるのはいいけど……今夜はなるべく優しく頼むよ。この前みたいな乱暴なやり方は、あまり好きではないからね」
「気色悪い言い方すんな!誰があんたに、優しくなんかしてやるか!」
クズは楽しそうに笑った。
気さくな感じの明るい笑顔は、いかにも女ウケがよさそうで……。要するに、バンドマンとかホストとか、遊び人特有のものである。
「それじゃあ、今夜は君のために、家にいることにしようかな」
そう言うと、魔術師はホクロのある方の目を閉じて、茶目っ気たっぷりにウィンクした。
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クズは寝室に通そうとしたが、私はくだらない誘いをはねつけて、リビングのイスに腰かけた。
招待された客らしく、行儀よくテーブルを叩いてやると、クズは酒とグラスを持って、向かいのイスに腰かけた。
「やれやれ。君の女王様っぷりには、流石の私も完敗だな。
……それで?今日は何をしに、家まで押しかけて来たのかな。まさか、学校に来いって言うわけじゃないだろう?」
私は鼻で笑ってやった。
「ハッ。あんたみたいなクズ野郎、一生、登校拒否してれば?
私が今日来てやったのは、仕事の話をするためよ」
魔術師は、残念そうに肩をすくめた。
「なんだ。てっきり、この間の続きをしに来たかと思ったのに」
「して欲しいんだったら、してあげるわよ。今日は骨が折れるまででいいかしら?」
「君って、SM趣味なのかい?まあ、ソフトなプレイだったら、つき合ってあげてもいいけど……。そこまでハードなプレイには、今は対応してないよ」
「仕事の話っつってんだろうが!!」
クズはすねたような顔をした。
「えー、つまんないなあ。こんな時間に、男と女が二人っきりなんだよ?もう少し色っぽい話をしてくれてもいいのに」
……だから、お前な。
こっちはてめえとヤるだのヤらないだの、くだらない話する時間、ねえんだよ。
大体お前、ヤるだけの女だったら、はいて捨てる程いるだろ。
私はビシッと宣言した。
「茶番につき合ってるヒマはないから、とっとと本題に入るわよ。
私がここに来た理由は二つ。
『魔法の粉』を買うためと、研究の進み具合をチェックするためよ」
クズはわざとらしく、とぼけた。
「『魔法の粉』なら、在庫は今、一応あるけど。
……研究って、何の話だい?」
「何すっとぼけてんのよ。津波対策の研究に決まってるじゃない。
大体あんた、契約書にサインしたでしょうが。
あれがある限り、あんたは研究から逃れられないわよ」
クズは軽い調子で「あ~」と言った。
「なるほど。研究って、そのことか。
……でも、あの契約書は偽物だよ?」
「えっ」
「そりゃ、本物にサインしたなら、死にもの狂いで研究せざるを得ないけど。あんなオモチャにサインしたって、何の呪いも発生しないよ」
あまりの衝撃に、私の体は硬直した。
こっちの狼狽をスルーして、クズは冷酷に畳みかける。
「あれが偽物なのは、見た瞬間に分かってたんだけどね。……あのときは、ちょっとお金に余裕がなかったし。
『なんか本物と信じ込んでるみたいだし、適当に話を合わせておけば、この場を切り抜けられるかなー』と思ってね」
……おいっ!!
何だよ、この展開。
ってことはあれか、私はまんまと騙されて、体よくあしらわれたってことなのか。
ふざけんじゃねえ。そんなバカな話が、あってたまるか。
私は自分を取り戻し、冷静に現実を直視した。
「ふん、強がったってムダよ。あれがある限り、あんたは私の奴隷なんだから」
魔術師は往生際悪く、現実逃避を続けている。
「そう思いたければ、そう思っていればいい。
だけど私は、君の手助けなんか、してやるつもりは、さらさらないね。あんな学園には行かないし、王宮魔術師になる気もない。
私は私だ、誰かの思い通りには動かない。特に、その『誰か』が……王族・貴族の場合はね」
私は指をポキポキ鳴らした。
「だったら、体に思い知らせてあげるわ。
そうすれば、あんたのネジ曲がった根性も、少しはマシになるんじゃない?」
クズは余裕の態度で言った。
「どうぞ、遠慮なく」
私はコブシを振り上げて、右ストレートをくり出した。
私のコブシは、クズの顔面スレスレで、見えない壁にぶち当たった。
「いっ……たぁあああっ!!」
私が痛みにうめいていると、クズはあきれたような目を向けてきた。
「君もこりない人だねえ。
ここは魔術師の家なんだから、暴力を無効化する方法ぐらい、あって当然だと思わないか?
……いくらゴリラだからって、そのぐらい予想がつくだろうに」
「あんたね!人をおちょくるのも、いい加減にしなさいよ!」
私はテーブルをはっ叩いた。
クズはヒビを気にもせず、するりと手を重ねてきやがる。
「まあまあ、そうカッカしないで。
私は貴族は嫌いだが、一緒に寝てくれる女の子なら、話は別だ。
……君のお願いも、少しは聞く気になるかもよ?」
そう言って、色気たっぷりに微笑みながら、妙な触り方をしてきやがる。
私は薄汚い手を振り払い、思い切りすごんでやった。
「気安く触んじゃないわよ、この[ピー]野郎!私はミハエル様一筋よ。
あんたみたいな[ピー]野郎、絶対相手にしないんだから!」
クズはあからさまに不機嫌になった。
「……それじゃあ、交渉は決裂だね。
君みたいなゴリラは放っておいて、ナイトクラブに行くとしよう」
「はあ!?ふざけんじゃないわよ。こっちの話は済んでないわよ。
……つか、『魔法の粉』は? 金なら払ってあげるから、とっとと、よこしなさいよね」
クズはポンと手を叩いた。
それから棚をゴソゴソやると、汚い液体の入った酒瓶をよこした。
「……ちょっと、何よこれ。元は何の生ゴミなのよ」
「ほら、君のお父上に頼まれてた、『例のアレ』だよ。
こないだ完成したんだけど、わざわざ届けに行くのもめんどくさいし。君、ついでに持って帰ってよ」
……そういや、そんなのあったわね。
確か、こいつと初めて会ったとき、家に上がり込む口実に使ったやつか。なんか、あれからドタバタしてて、完全に頭から消えてたわ。
「適当にやったら、出来たから。まだ試作品だけど、それなりの育毛効果は見込めると思うよ」
「例のアレ」って、育毛剤だったのか。そういや、親父の頭……、大分てっぺんが薄くなってたわね……。
魔術師は自信満々に言った。
「動物実験もまだだけど、多分安心・安全だから。
というわけで、そろそろ帰ってもらおうか。君にその気がないのなら、これ以上の長居は迷惑だからね」
「ちょっ……。こら、待ちなさい!
だから、津波の研究はどうなるのよ?せめて、『魔法の粉』を売りなさい!!」
「うん、その話はまた今度にしよう。今日はもう、仕事する気分じゃなくなったし」
そう言うと、魔術師は懐中時計のフタを開いた。
私の体は、凍ったみたいに動かなくなった。
ふざけんな、このクズ野郎。てめえみたいな平民が、この私にこんなことして、許されるとでも思ってんのかーーと言ってやりたいが、喉まで凍りついていて、ちっとも声が出てこない。
無礼者の平民はニヤニヤ笑いながら、愉快そうにこう言った。
「いい酒飲ませてあげたんだから、このぐらいのお返しはしてもらわないとね」
卑劣なクズは、あろうことか、この私の……。
この私の、うるわしい唇に……無理やりキスを、しやがった!!
身動き出来ない可憐な乙女に、こんな狼藉するなんて……。こいつ、人間のクズ道を、どこまで極めれば気が済むんだ。
激しい怒りと屈辱に、私はもだえ苦しんだ。
この許しがたい[ピー]の体を、頭から真っ二つに引き裂いて、[ピー]を[ピー]してやらないと、私のプライドが浮かばれない。
……だけど、悲しいことに、体が全く動かない。
[ピー]野郎は楽しそうにニヤニヤ笑い、私の顔の前で、ヒラヒラと手を振りやがった。
「今日はなかなか楽しかったよ。……それじゃ、おやすみ。また来てね~」
誰が来るか!
てめえの方が、おととい来やがれ!!
ーーそんな魂の叫びは、音にならずにむなしく消えて。私の手足は、持ち主の心を裏切って、勝手に帰り支度を始めた。
シャカシャカ夜道を歩かされながら、私はクズへの復讐を、固く誓った。




