2. ノノ
前世の私は、もう何年も前から、あるゲームにドはまりしていた。
そのゲームの名前は「デッド・オア・ラヴィン」、通称「死か恋」。
「いま一番死にまくる乙女ゲー」というキャッチコピーで売り出された、女性向けの恋愛ゲームだ。
物語のヒロインは、16歳のときに「湖の聖女」に選ばれ、王族貴族に天才、金持ちの子弟など、選ばれた者だけが通う、王立学園の生徒になる。
そして始まる、イケメンだらけのスクールライフ……。
と、ここまでは、ごく普通の乙女ゲームなのだが。
――この死か恋、とにかくキャラが死にまくるのだ。
ほんのちょっと選択肢を間違えただけで、モブや脇役はもちろん、プレイヤーであるヒロインも、攻略対象のイケメンも、バッタバッタと死んでいく。
数々の死亡フラグを乗り越え、無事エンディングまで辿り着くと、ヒロインはお気に入りのイケメンと結ばれ、二人は幸福の絶頂に至る。
――しかしその直後、巨大な津波が発生し、ユーレシア大陸は海の底に沈没。
愛し合う二人は、魔術師の作った脱出ポッドに乗り込んで、命からがらオーストレリア大陸まで辿り着く……というのが基本のストーリーだ。
理不尽すぎる展開や、異常な難易度のミニゲーム、1000通りもあるエンディングなど、とにかく攻略がめんどくさいこともあり、死か恋の売り上げはサッパリだった。
会社の倉庫には在庫の山が積み上がり、発売後半年で開発元は倒産。
今では幻のゲームとなっている。
……え? じゃあ、なんでそんなゲームにハマってたのかって?
そんなの決まってるでしょ、推しが魅力的だったからよ。
ミハエル王子はお気に入りのキャラクター、なんてチャチなものじゃない。
私の心の恋人、生きる理由……そして、人生だったのだ。
私が転生したのは、死か恋に登場する公爵令嬢、ロザリンド・アドミラブル・フェンサー。
ヒロインの恋路を邪魔するライバル、いわゆる悪役令嬢だ。
このロザリンドが最後まで生存しているエンディングは、3つしかない。
1つ目は、ヒロインが悪魔と結ばれるルート。
このルートでは、なぜか津波は起こらない。
みんな死なない、ハッピーエンド。
私が目指すエンディングは、これ。
2つ目は、ヒロインとロザリンドの友情エンド。
親友二人で脱出ポッドに乗り、どんぶらこっこと海を渡って、オーストレリア大陸に流れ着く。
そして、最後の3つ目。
その身に大天使の力を秘めている王子・ミハエルは、自分の命と引き換えに津波を鎮め、人々の命を救う。
……このエンディングは、何がなんでも阻止しなくっちゃ。
――とにかく、話をまとめると。
私の生存率は、たったの0.3%なのだった。
せっかく冴えない現実世界とおさらばして、金と地位と美貌と、推しと同じ次元に生きる喜びをゲットできたのに。
遅くても3年後には、津波でどざえもんになるなんて、いくらなんでもひどすぎる。
私はどんなことをしても(まあ、この際だから、ちょっと汚い手を使っても……)、神に課せられた苛酷な運命を克服し、1/1000のハッピーエンドに辿り着いてみせる。
とにかく、これ以上考えていても始まらない。
入学式まで、残り1ヶ月。それまでに、一通り出来ることをしなくっちゃ。
私は不安を追い払うために、胸を張り、拳を突き上げて高らかに宣言した。
「だいじょーぶ、こっちには原作のエンディング1000通り分の知識があるんだから。
とりあえず、入学式前に、ヒロインと攻略対象に接触して……、全員に一通りツバつけとくのよ!
そして私は、王子様と結ばれて、お城でいつまでも仲良く楽しく暮らすんだから!」
ーーーーーー
ーー突然、背後で音がした。
驚いて、振り向くと。
そこにはさっきの少年が、お盆を持って立っていた。
「ちょっとあんた、いつからいたのよ」
「あなたが『入学式前に一通りツバつけとくのよ』とか何とか言ってたあたりからですね」
少年はテーブルに、テキパキ皿を置きながら、淡々とした声で言う。
「前々から、危ないと思ってましたが。
ついに頭がおかしくなったんですか?」
「あ、あれは……、そう!
今読んでる本のセリフよ!!
別に気ぃ狂ったりしてないわよ。ちょっと真似してみたかっただけなんだから」
少年はベッド脇のテーブルに、ちらりと目をやった。
そこには、
『サルでもわかる 一般魔法キソのキソ』
『1週間でレディになれる かんたんマナーブック』
『絶対落ちこぼれない! 秘密の楽ちん勉強法』
『王立イケメン学園 ~~王子と私と、ときどき従者~~』
といった本が山盛り置かれていた。
「……なるほど。
1月後に備えて、今から学園生活の予習ですか。
勉強嫌いが柄にもなく……。
この間の婚約が、よっぽど嬉しかったんですね。
『将来はミハエル王子のお嫁さんになるの』って、いったい何度聞かされたことか……。
まあ、よかったんじゃないですか? 子どもの頃からの夢が叶って。おれには全然関係ありませんけど」
少年は皮肉っぽく続けた。
「相手があの方なら、見栄っ張りのあなたにも、文句はないでしょうしね」
「ちょっと、あんた。
分かったようなこと言わないでくれる?
言っておくけど、私はミハエル様がイケメンで、お金持ちで、この国の王子様だから好きになったわけじゃないのよ。
まあ、顔がいいところも、お金持ちなところも、王子様なところも大好きなんだけど。
ミハエル様の本当の魅力は、そこじゃないのよ。一番の魅力は……」
「はいはい、分かりました。それじゃ、精々大人しく猫被っててくださいよ。せっかくの婚約が破棄されないように」
まったく。
いちいち嫌味な言い方する奴だなあ。
この、この……。
…………。
……えっと。
こいつの名前、なんだっけ?
なんだか妙に、なれなれしいし。
多分、私とは、それなりに親しい間柄なんだろうけど……まったく見覚えのない顔だな。
……あれ?
そういえば、今気付いたけど、そもそも私って、いつミハエル様と婚約したんだっけ?
私は会社帰りに事故で死んで、生前にプレイしていたゲームの中の、悪役令嬢に生まれ変わった。
……うん、ここまでは大丈夫。
何の違和感も疑問も、一切存在しないわね。
だけど、この世界の私は……今日まで一体、どうやって暮らしてきたんだろう。
……うそっ。
なんにも思い出せない。
これって、ひょっとして、あれかしら。
前世の記憶を取り戻した代わりに、現世の記憶がスポーンと、抜け落ちちゃったってことなのかしら。
……でも、そんなまさか。
「うぅ……っ。
なんか、頭がズキズキするわ。
さっき転んだ拍子に、頭でも打ったのかしら?
ちょっと、記憶がとんでるみたい」
「なに普通の人間みたいなこと言ってるんですか。
超合金製のハンマーで叩いても割れない、石頭のくせに」
「……うるさいわねっ!
私はいま、大事な考えごとしてるんだから。
あんたはちょっと、黙ってなさい!!」
「ない脳みそを絞ったところで、いい考えは浮かびませんよ。まだ寝ぼけてらっしゃるなら、中庭の噴水で顔でも洗ってきたらどうです?」
ああもう、ムカつく。
さっきから、好き勝手言ってくれちゃって。
……ていうか、あんたは誰なのよ?
私は少年を睨みつけると、ありったけの苛立ちを込めて言った。
「言いたいことは色々あるけど……。
まず、あんた誰?」
「今度は何に影響されたんですか?
あなたももう18なんですから、いい加減、スパイごっことか海賊ごっことか、そういう遊びはやめてください」
「いいから、質問に答えなさい。
あなた、お名前は? ご趣味とご職業は? お休みの日は何してるの?」
少年はため息をつくと、死ぬほど面倒くさそうに言う。
「……名前はシェイド・サルトビ。
趣味は睡眠で、仕事はあなたの従者です。
休日の過ごし方については、ノーコメントで」
シェイド・サルトビ……?
忍者みたいな名前だな。
だけど、こんな地味な奴、ゲームの中にいたっけな……?
私はシェイドを、じっと見た。
どうやら日本人らしく、髪も目も真っ黒だ。
鬼太郎みたいな髪型してて、無駄に長い前髪で、右目がすっかり隠されている。
こいつ多分、私より……3つぐらい下じゃないかしら。
縦にも横にも小さめで、執事服に着られている感じがする。
あっさり目な顔してるけど、顔立ちはまあ、悪くはない。
髪型と服を変えて、数年待ったら、そこそこいい男になりそうな気もするけど……。
現時点では、生意気なモサいガキ。
それ以上でも、以下でもないわね。
私はかしこい脳みそが、びっしり詰まった頭をひねる。
うーん。
シェイド、シェイドねえ……。
「死か恋」はかなりやり込んだけど、こんなキャラ、攻略対象にも脇役にも……。
ああっ、思い出した!!
ロザリンドの従者で、いつも無愛想な顔してた、モブキャラだ。
原作のゲームでは、出番もセリフもほとんどないけど、こんな性格だったのね。
私はゴホンと、せき払いをした。
「あ~~。
そうだったわね、シェイド。
……で、次は私とミハエル様との婚約について、聞かせてもらえないかしら」
「ついこの間のことが思い出せないんですか?
頭突きのしすぎで、頭がどうにかなったんですか? 石頭なのに」
「うるさいわね! あんときゃ緊張してたから、よく覚えてないのよ!!
いいから、ちゃっちゃと説明しなさい」
「別に、これといって説明するほどのこともないんですが……。
お二人の婚約が決まったのは先月のことで、それからの流れも、おおむね普通でしたよ。
お互いの両親の顔合わせとか、贈り物の交換とか、祝賀パーティとか、国民への記者会見とか……。
詳しいことは、これを見れば分かります」
そう言うと。
シェイドは一冊のスクラップ帳を手に取った。
私はシェイドのちっちゃい手から、スクラップ帳をひったくり。パラパラパラッと、ページをめくる。
スクラップ帳には、新聞や雑誌の切り抜きが、何枚も貼りつけてあった。
写真の中の私は、豪華なドレスを着て、王子様の横に立ち、誇らしげに笑っている。
シェイドはやる気なさそうに言った。
「……ああ。
これは婚約式のときの写真ですね。
あなたが今はめている指輪も、そのときに渡されたもので……。表面に彫られているのは、この国の王家の紋章です」
そう言われて、左手を見ると。
えらく豪華な指輪がはめられていた。
えっ……。
これ、もしかして本物のルビー?
めっちゃでかっ。
何これ、1千万とかすんじゃない?
シェイドは相変わらず、淡々と話し続けている。
「その指輪は、今回の婚約に合わせて作られた特注品です。
あなたがはめる指輪ですから、かなり乱暴に取り扱っても、壊れない魔法をかけてあります」
私はページを、さらにめくった。
スクラップ帳の写真には、微笑みを交わす私たち二人の様子から、王子様が私の薬指に指輪をはめるシーンという、破壊力満点のものまであった。
こんな素敵すぎる記憶……。
なんで忘れちゃったのよ、私のバカ~~!
「世間は今もこの話題で持ちきりで、『ついに我が国の破滅が始まった』とか、『世紀のおバカ・プリンセス誕生』とか、冷静な意見で溢れかえって……。
……あの。これ、いつまで続けるんですか?
いい加減、飽きてきませんか?」
「ええ、もういいわ、シェイド。
にしても、そこまで言われるなんて……。私って、世間では一体どんな評判なのかしら」
「はっきり言ってよろしいんですか。
……というか、まさか知らなかったんですか?」
「何よ、その言い方。
勿体つけてないで、はっきり言ったらいいじゃない」
シェイドは棚から新聞をとると、横一列に並べていった。
「酒とケンカと、うまいものと、いい男に目がない脳筋令嬢――これは一昨日の『社交界ジャーナル』。
見た目は美少女、中身はゴリラ、お行儀のよさはヤクザ以下――『デイリーウィークリー』、ほか各紙」
それから、上質そうなクリーム色の新聞を手に取って、淡々とした声で読み上げた。
「『フェンサーズタイムズ』は……。
――ロザリンド嬢は、年齢も家柄も、王子の婚約者にふさわしい。
彼女は大輪の薔薇のような美貌を誇り、その立ち居振舞いは、実に独創的で……。
よき妻、よき母となる素質も、一概にないとは言えないし……。その独特な人柄も、暴力的でチンピラじみていると、決めつけることは出来ない。
……とにかく、家柄のいい、若い美人が王子の婚約者となったのだから、めでたいことには違いない」
シェイドは納得した様子でうなずくと、新聞記事を絶賛し始めた。
「いやあ、流石ですね。
公爵家が出資してるだけあって、旦那様にものすごく気を遣ってます。お仕事とはいえ、記者の方も大変ですね。
それに、カメラマンの腕も見事です。
ほら、この写真、見てください。
ミハエル様の前だからって、まるで人間の女性みたいな顔をして……。何度見ても、傑作ですよ」
ちょっと待った。
確か、原作ゲームのロザリンドは……。
「高飛車でワガママだけれど、類まれな美人でマナーは完璧、男たちの憧れの的」みたいな扱いだったはず。
それが、なんでゴリラだの、脳筋だの言われてるのか、さっぱりワケが分からない。
何もかもがおかしくて、私は思わず、頭を抱えた。
……と、突然。
シェイドが顔を、近づけてきた。
吸い込まれそうな、黒い瞳が……。
目の前に、どアップで迫り。
コツンと、おでこが密着した。
私はパンチを繰り出した。
けれど、すんでのところで、避けられた。
「ちょっと、あんた!
急に何しやがるのよ、アホッ!!」
「いつにも増して、言動がおかしいので……。
知恵熱でも出たのかと」
「さっきから、思ってたけど。
あんた、どんだけ私のことバカにしてるのよ!
……それでも、私の従者なの!?」
「おれの態度が気に入らないなら、いつでもクビにしてくれて結構ですよ。
手のかかるご令嬢の世話には、いい加減うんざりしてきたところですから」
……こいつ、マジでむかつく。
クビとは言わず、縛り首にしてやろうか?
「まあ、それだけ元気があるなら、大丈夫そうですね。おれはもう行きますから、用があったら呼んでください」
シェイドはお盆を持って部屋を出て行き、音もなくドアを閉めた。
私は扉に向かって、思い切りあかんべーをした。
……と。
扉が音もなく、開き。
出て行ったはずのシェイドが顔を出した。
シェイドは表情一つ変えずに言った。
「言い忘れました。
その紅茶、早く飲まないと冷めますよ」
そして、今度こそ、本当に部屋を出て行った。
一人部屋に残された私は、ぬるくなった紅茶をすすり、スコーンをモシャモシャ食った。