10. オペラ座の麗人
バレンタインも終わった、2月半ばのある夕べ。
私は胸に、真っ赤なルビーのネックレスをつけ。
王立劇場の2階の、VIP専用シートに座って……。
王子様と、オペラを見ていた。
金髪碧眼の王子は、タキシードに身をつつみ。
私の耳もとで……甘く、やさしく、ささやいた。
「今夜の舞台はどうですか、レディ?」
王子様の甘いマスクに、私はうっとりして言った。
「……めっちゃ、感動してますわ。
だってこれ、人生・初オペラですもの」
王子様は、クールに言った。
「そうなんだ。
ぼくの記憶が確かなら、君は1年10ヶ月前も、同じセリフを言っていたはずだけど。
ひょっとして君には、人生が2度あるのかな?
だとしたら、とても興味深いね」
「…………。
ミハエル様、あなた……。
やな奴だって、言われません?」
キングストンの第二王子は、いたずらっぽく、ほほ笑んで言った。
「その点は、ご心配なく。
ぼくは普通の人の前では、無難で退屈なことしか、言わないようにしているからね。
きっと世間の人々は、ぼくを善良で品行方正な王子と、勘違いしているはずだよ」
「はあ、そっすか……」
「ぼくが本音を話すのは、特別な人の前だけだ。
……ロザリンド。
君は本当の意味で、かしこく、有能な女性だ。
ぼくは、君のことを……。
信頼できるパートナーだと思っているよ」
……すると。
ひざの上に置いていた手に、ミハエル様の手が重なった。
王子様の手が太ももに触れて、私はちょっとドキドキとした。
「えっ……。
えっと……。
それって、つまり私のことを……。
信用してくださってるのね?」
王子は、にっこりほほ笑んで言った。
「もちろん、ぼくは君を信用しているよ。
だから君も、もう少しぼくに心を開いて、本当のことを話してほしいな。
この間、王宮の庭で、ゴブリンの死体が見つかった件だけど。
あの死体は、もしかして、君が……」
私は、サッと話をずらした。
「にしても、すんげー迫力ですわね。
あの、でっかいシャンデリア……。
あんなド派手にふり回したら、客席に落ちてきそうじゃありません?」
軽い気持ちで、そう言うと。
シャンデリアのロープが突然、カクッと曲がって、はね上がり。
こっちに向かって、突っこんできた。
ーーうおおお、ヤバい!
ーーこっち来る!!!!
そう思った私は、とっさに王子にとびついて、思いきりタックルをかまし。
シートの下に、つっぷした。
ものすごい衝撃と、音がつたわって。
やがて……。
劇場の中は、シーンとなった。
……ふぅ。
どうやら直撃は、避けられたみたいね。
私が、ホッと一息つくと。
誰かが、私をつっついた。
「……失礼、レディ。
よろしかったら、体をどけていただけませんか?」
そう言われて、ふと、下を見ると。
王子様の端正な顔がーー……。
目の前に、アップになってた。
サラサラとした金色の髪は、明かりを落とした劇場の中で……ほんのり、淡くきらめいていて。
奥にするどい知性を秘めた、深い緑色の瞳は。
ほんの少しの揺らぎも見せず、まっすぐ私を見つめてる。
んでもって。
ドレスの腰のあたりには、服ごしに伝わってくる、ミハエル様の体温があって……。
まあ、要するに。
私は、王子の上に乗ってた。
私は、あわててとびあがり、王子様の上からどいた。
「わわわわ!
すみません!!
私ったら、マジはしたない……!」
王子はサッと立ち上がり、タキシードの乱れを直すと。礼儀正しくほほ笑んで言った。
「どうもありがとう」
「ミハエル様……。
あの、えっと……。
……そっ、そういえば!!
シャンデリアは?
シャンデリアは、どうなったのかしら?」
王子様の美しい指が、すっと上を指さした。
指先のさす方向を見ると。
客席を暴れ回って、王子の命をねらってた奴は……。
天井にめりこんで、動けなくなっていた。
命の危機にめっちゃ慣れてらっしゃる王子は、冷静におっしゃった。
「バリアをはってたんだけど、どうやら必要なかったようだね」
私はガクッと、気が抜けた。
そうだった……。
いまは「誰も死なない一月」だから、ミハエル様は死なないんだった。
なのに、いつものクセでつい……。
私は、王子にあやまった。
「すんません。
ムダにタックルかまして、あなたの上に乗っちゃいまして……」
金髪碧眼の王子は、おだやかにほほ笑んで言った。
「いいえ。
あなたの深い愛情と、みずからの身もかえりみず、危険に飛び込む勇気には、感銘を受けました。
やはり、あなたは……私が見込んだ通りの人です」
「……えっ。
えへへへ、いやぁ……。
どういたしまして……」
「ところで、レディ。
つかぬことをうかがいますが……。
この怪奇現象は、一体いつまで続くんでしょうか?」
「……はい?」
王子様は、リピートなさった。
「この怪奇現象が、いつまで続くか教えてほしい。
ロザリンド……。
君は、未来を知ってるんだよね?」
私は、とぼけようとした。
「いやですわ、ミハエル様ったら!
突然、何をおっしゃるのかしら。
私はどこにでもいる、フツーのお嬢様ですわよ?
未来のことなんて……。
知るわけないじゃないですの」
王子は、真摯な瞳で言った。
「……ロザリンド。
君がぼくを助けるために、危険をおかしてきたことは……もう、察しがついているんだ。
君の気持ちは、うれしいよ。
でも……。
大切な人が、自分のために傷ついて、何も知らないでいるのは、もう嫌なんだ。
だから、ぼくにも君の重荷を背負わせてほしい。
でなければ、君と……。
婚約している意味がない」
「ミハエル様……」
いい雰囲気になったところで。
ひかえめな咳ばらいがして、執事のジジイが現れた。
「……失礼いたします、殿下。
1階席では、興奮した観客たちが、神の奇跡だと騒いで、暴走し始めております。
死傷者を出さないためにも、ここは殿下がお姿を見せて、観客席のみなさまに避難をお呼びかけするのが……。
よろしいかと存じます」
王子様は、ため息をついた。
「頭の悪い人たちが、何人犠牲になったって、ぼくにとってはどうでもいいのに……。
立場上、そう言うわけにもいかないし。
王族って、面倒だなぁ」
そう言うと。
冷酷鬼畜でドSな王子は、端正なお顔の上に……みんなのことが大好きな、やさしい王子の仮面をつけて。
バルコニーにお立ちになると、凛々しい声でおっしゃった。
「……みなさん、どうかお静かに」
王子様の一言で、興奮していたアホどもは、一斉にシーンとなった。
「ご協力、ありがとうございます。
天井のシャンデリアは、先ほど魔法で固定しました。
落下の危険はありませんので、入口に近い方から、順番に避難しましょう。
スタッフの指示が聞こえるように、劇場を出るまでは、沈黙を守ってください。
……よろしいですね?」
ーーこうして。
王立劇場における、シャンデリア落下事件は、死傷者ゼロで、おしまいになり。
今夜やってたオペラには、「奇跡」っていう、あだ名がついた。