10. ノノ
愛しい愛しい王子様との、幸せな未来のために。
私は原作ヒロインを、悪魔の嫁にしようと、がんばる。
明らかに、ヒロインに惚れたはずなのに。
悪魔は声をかけもせず、突然、帰ると言って、あさっての方向へ歩きだした。
……おい、ちょっと待て。
方向音痴のくせに、どこ行くつもりなんだ、お前は。
まずい。
ここであいつを見失ったら、計画が全部パーになる。
私はあわてて、悪魔の後を追いかけた。
ルシフェルの姿は、すぐそこの公園で見つかった。
奴はベンチに腰かけて、いかにも物憂げな顔で、池の水面を見つめている。
……うお、ヤバい。
顔がメチャクチャいいだけあって、ものすごく絵になってる。
通行人の女が、悪魔をチラチラ見てるのに、するどく気がついた私は、すかさずガンをお見舞いした。
根性のないモブの女は、シッポを巻いて逃げだした。
モブを追いやった私は、悪魔の横に腰かけた。
「先程はどうなさったんですの、ルシフェル様。
突然『帰る』とか言い出すから、女をくどくのが怖くて、バックレたのかと思いましたわよ」
ルシフェルは押し黙ったまま、答えない。
「まさか、お気に召さなかったとか、贅沢ぬかすんじゃないでしょうね?
一応、言っておきますけどね。
あなたの人生、あれ以上の子に出会えるほど、甘くありませんわよ。
分かったら、ちゃっちゃと話しかけて、物陰に連れ込んで、一発チューでもしちゃいなさい」
悪魔はパッと、こちらを向いて。
突然、声を荒らげた。
「……この、痴れ者が!
そのようなこと、出来るわけなかろうが!!」
「……はい? いま、なんて仰ったんですの?」
「だっ、だから……。
あの娘に話しかけて……。キ、キキキキ、キスなど、出来るわけなかろうが!」
そう言うと、真っ赤になって黙りこむ。
えっ?
……なに、こいつ。
なんでこの程度のことで、いちいち恥ずかしがってんの?
だってあんた、原作じゃ……。
あの子の顔を見るたびに、壁ドンだとか、あごクイだとか、お姫様抱っことか。
やりたい放題、やってたじゃないの。
私は目の前にいる悪魔を、もう1回、まじまじと見た。
顔は、真っ赤っ赤にほてり。
瞳はうるうると潤んで、唇はギュッと結ばれている。
ちょっと突っついてやったら、簡単に泣き出しそう。
うん、大変かわいくて、よろしい。
……じゃなくって。
このヘタレは、一体なんなの?
ひょっとして、顔と名前がまったく同じ、そっくりさんか何かなの?
そのとき。
いくつもの光の玉が飛んできて、ルシフェルの周りに、ふよふよと漂いだした。
人魂はチカチカと瞬いた後、その正体を現した。
おおっ、悪魔だ!
人型じゃない、本物の悪魔だ。
……まあ、サイズは大分ミニチュアだけど。
ミニチュアっていうか、手のひらに乗っかるくらい、ちまっとしてるけど。
手乗りサイズの悪魔たちは、子供みたいなかん高い声で、ルシフェルに話しかけた。
「どうしたんですか、ルシフェル様。また誰かにイジメられたんですか」
「それとも、迷子になったんですか? お家がどっちか、分かります?」
「まあまあ、そんな顔しないで。グチぐらいなら聞きますよ」
ルシフェルは、グチり始めた。
「うう……。
どうせ、おれはダメな男なんだ……。
方向音痴だし、すぐ物をなくすし……。
好きな女に、声もかけられないし……」
悪魔たちは、全然悪びれずに言った。
「なんだ。そのくらい、いつもの失敗に比べたら、全然大したことないじゃないですか」
「どうせ声かけたって何にも出来ないんですから、結果は一緒ですよ。忘れましょう」
「ほら、このキャンディあげますから。さっさと立ち直ってください」
アホは感動したらしく、まずそうな飴を受け取ると、ハンカチで涙をぬぐった。
それから、幸せそうな顔で笑った。
「……皆、ありがとう。
お前たちのような部下を持てて、おれは本当に幸せだ」
いや、お前、今……。
思いっきり、部下にディスられてたぞ。
そんなんで悪魔とか、皇太子とか、やってけるのか?
そのとき、1人の悪魔が前に進み出た。
「……ルシフェル様。
ここは、私にお任せください」
そいつは毛むくじゃらで、まんまるい腹をした中年っぽい悪魔だった。ひかえめに言って、大分醜い。
しっかし、なんで、こいつだけ……。
やたらダンディで、渋い声をしてるんだ。
めっちゃいい声の悪魔は、フッと不敵に微笑んだ。
「私は、今はあなた様にお仕えしておりますが、実は以前、変わった職場に勤めておりましてね……。女性の扱いには、少々自信があるんです」
「なに、本当か?」
「ええ。実は私、昔は『鬼枕のペドロ』という名で呼ばれていたんです」
その名前が出たとたん。
ちびっこい悪魔たちは、ザワザワと騒ぎ始めた。
「まさか……あいつがペドロなのか!? かつて存在した伝説のホストクラブ・血の池のナンバーワン、鬼枕のペドロ!」
「泣かせた女は数知らず。巻き上げた金の使い途は一切不明。20年前、突然表舞台から姿を消した、女心のプロ!」
「……信じられない。そんなすごい奴が、どうしてルシフェル様の家来なんかに?」
ペドロは片手を、すっと挙げ。
悪魔たちを黙らせると、渋い声でこう言った。
「ルシフェル様。あなた様の恋路を、微力ながら、この私がお助けしましょう」
「本当か、ペドロ! 本当に、おれを助けてくれるのか!?」
「ええ。
ではまず、私の実力をご覧に入れましょう。
……そこの美しいお嬢さん、少しご協力いただけますか?」
ーーそう言うと。
ペドロはポンッと煙を上げて、ルシフェルの姿に化けた。
あっと言うヒマもなく、ペドロは私の顎をクイッと掴み、俺様っぽく微笑んだ。
「どこを見ている?
女、お前はおれの物だ。
余所見などする権利はないぞ」
元ホストのオッサンは、流れるように私を抱いて、耳元で甘く囁いた。
「立場の分からぬ雌犬には、お仕置きが必要だな。
……ふん。
今さら後悔したところで、もう遅い」
私には、ミハエル様がいるのに、ダメ……。
ドキドキが止まらないよぉっ!
俺様なくどき方はイラつくけど……だってだって、顔がいいんだもん!!
――しかし、そのとき。
私の脳裏に、ある記憶がよみがえる。
……あれっ、ちょっと待てよ。これって確か、死か恋のセリフでは……?
原作のルシフェルは、典型的な俺様で、ワガママな自己中だった。
私はプレイ中、ずっとこう思っていた。
「……こいつ、せっかく顔も声もいいのに、なんでこんなキャラなんだろう?」
しかし、なぜかユーザーには人気があって。
「死か恋の人気ナンバーワンは、ルシフェル」などという、とんでもないデマまであった。
ルシフェルのファンたちは。
「普段は強引だけど、時々見せる優しさがたまらない」とか。「いつも自信満々な彼が、私の前でだけ見せる弱さが愛おしい」とか。
わけの分からない感想を口にしていた。
どうも信者たちの目には、見えないものが見えてるらしい。
ペドロは追い討ちをかけるように、どこかで聞いたことのあるセリフをくり出した。
……これは初回限定盤付属の、ドラマCD。
こっちはミニゲームクリア後の、ご褒美ボイス……。
くどき文句をくり出す度に、ペドロは周囲から熱狂的な拍手を浴びた。
恐ろしい事実に気づき、私はガクブルと震えた。
もしかして、死か恋のユーザーって……。
原作ルシフェルのファンって……。
みんなこのオッサンに、ときめいてたの!?
ペドロは元の姿に戻ると、渋い声で講釈を垂れた。
「……と、このように接していると、女性の好感度が上がっていきます。
そちらのお嬢さんは、あまりお気に召さなかったようですが……。これが一番受けのいい、定番のキャラですから。
まずはこのキャラでやってみて、相手の反応を見ながら、徐々に切り換えていきましょう」
ルシフェルは、尊敬の目をペドロに向けた。
「すごいぞ、ペドロ!!
お前はなんて頼りになる奴なんだ。
……頼む。おれの代わりに、あの娘を口説いてくれ!」
「勿体ないお言葉です。では早速、そのお嬢さんに会いに行きましょう」
全員の期待を、一身に背負って。
元ホストのオッサンは、颯爽と歩きだした。
ーーそして、次の瞬間。
つっ込んできた、馬車に轢かれた。
馬車は猛スピードで公園を突っ切り、林の方へと消えてった。
そして、辺りはシーンとなった。
公園の池の周りには、ペドロの肉片と体液が、飛び散っていた。
悪魔たちは悲鳴を上げた。
そして全員が、泣きながら地面に這いつくばった。
それから、ペドロの残骸を拾い集めると、落ちていた瓶に詰めだした。
うーん……。
なんか、こいつら……。
甲子園で負けて、砂持って帰るみたいだな。
空気は完全にお通夜で、一番うるさく泣いているのは、名前の長い皇太子だった。
悪魔たちは全員で肩を寄せ合って、シクシクと涙をこぼしている。
周りのノリについていけず、私は一人、呆然と立ち尽くしていた。
ルシフェルは突然、懐からナイフを取り出した。
鞘から抜くと、自分の左手に刃を向ける。
私は、あわてて羽交いじめにした。
「なに早まったことしようとしてんのよ!
あんた、悪魔でしょ! たかが部下が死んだぐらいで、自殺しようとすんじゃないわよ!!」
「そのような罪深い行いなど、誰がするか!!
おれはただ、ペドロを復活させようと……」
「みえみえの嘘つくんじゃないわよ。あんたがリスカして、なんで死人が復活すんのよ」
「おれは全ての魔族の祖である、大魔王様の血を引いている。その血を介して魔力を与え、月の光を浴びさせれば、ペドロは元通り復活するのだ」
私はホッとして、ルシフェルを放した。
「なんだ、そういうことだったの。じゃ、そいつ、とっとと復活させちゃって」
ルシフェルは、ナイフで自分の指先を切ると、血を瓶の中にポタポタ垂らした。
「……で? そいつ、どのぐらいで復活すんの?
3日? それとも1週間?」
「体がバラバラになって、かなり弱っているからな……。だが、案ずることはない。定期的に月の光を浴びさせて、こまめに血を与えてやれば、50年ぐらいで元の姿に戻るだろう」
「ごじゅ……。
バカ言ってんじゃないわよ! 今すぐ元に戻しなさい!!」
「仲間を案ずる気持ちは分かる。
だが、50年など、またたく間に過ぎるであろう。焦る必要などないぞ」
「だから、それじゃ遅すぎるのっ!!
最低でも、3年以内になんとかしなさい!!!!」
「では、ペドロの体を神殿に運ばせよう。3年は無理であろうが、復活が早くなるはずだ」
ルシフェルが目配せすると。
ペドロの体の入った瓶は、ふわふわと宙を舞い。
どこかへ飛んで消えてった。
ああ……。
さよなら、私の希望……。
できれば早めに、帰って来てね。
タフさがご自慢の私は、すばやく気を取り直し。
ちっこい悪魔たちを見た。
「まあいいわ。これだけ悪魔がいるんだもの。もう一匹ぐらい、女をくどける奴がいるはずよ。
……で?
おれが行ってやろうっていう、根性のある奴は、どいつなの?」
手のひらサイズの悪魔たちは、互いに顔を見合せると、お前が行け、いやお前だ、とでも言うように小突き合った。
それから、キョロキョロと辺りを見回すと。
全員ポッと、頬を染め、俯いてモジモジし始めた。
チビどもは、全員で示し合わせたように頷くと、光の玉になってその場から消えた。
おいおいマジかよ。勘弁しろよ。
私は怒鳴りつけるのを必死でこらえ、冷静に腹をくくった。
……もう、こうなったら。
このヘタレにやらせるしかないぜ。
私はルシフェルを弁当屋の前まで引っぱって行くと、ホラ行けとせっついた。
しかし、肝心のヘタレは顔を赤らめるばかりで、一向に動こうとしやがらない。
すでにこの時点で、時刻は2時になっていた。
私のかわいそうなお腹は、空腹でキリキリと痛み。
堪忍袋の緒は……ブチ切れる寸前だった。
ピーク時を過ぎたため、客の数はかなり減り。
弁当屋の店内にはのんびりとした空気が漂っている。
原作ヒロインのサクラは、いったん奥に引っ込むと、エプロンを脱いで裏口から出てきた。
おそらく、遅めの昼休憩に行くのだろう。
「……チャンスですわよ、ルシフェル様!
今なら気持ち悪いファンもいないし、声をかける絶好の機会ですわ!!」
しかし、ヘタレは動かない。
やむを得ず。
私はヘタレの腕を引き、ヒロインの後を追いかけた。




