呂色の元薔薇は緋色の元悪役令嬢に愛を告げる
数多くある作品の中から、こちらへお越しいただき誠にありがとうございます。
前作『緋色の悪役令嬢は呂色の薔薇を染め上げる』の続き、ロイロがスカーレットの為に頑張るお話です。
皆様にお知らせする事柄がないのと、読了後の余韻をお邪魔しない為に後書きの方、省かせていただいております。
活動報告の方にこちらの裏話など投稿しておりますので、よろしければお気軽にお越しくださいませ。
お手数おかけ致しますが、ご感想や評価を受け付けておりますのでお手隙の際にでも、ぜひよろしくお願い致します。
また、どこかでお会いできることを願いつつ。
それでは、こちらどうか楽しんでいただけますように。
心を込めまして。
「んっ…」
柔らかな日差しと暖かさと。
そんな微睡の中で僕は目を開けた。
ゆらり、風にそよぐカーテンと優しく香る朝食の匂い。
──まさかこの僕が、こんな穏やかな日々を送れるだなんて、思ってもみなかった。
♦︎♢♦︎♢♦︎
僕の名はロイロ。
…僕は、かつてサラントナ王国を滅ぼそうとし、地下に封印された魔王と呼ばれる存在だった。
何百年も孤独で無意味な日々を送っていた僕を救ってくれたのは、緋色の髪にアンバーの瞳のそれはそれは美しい少女。スカーレット・マルコーニだった。
ある日突然、サラントナ王国の第一王子と共に現れたスカーレットは、封印され鎖に繋がれた呂色の薔薇である僕に恐れもせず触れたのだ。
侵入者を弾くはずの結界は古びていたのかスカーレットに反応することなく、彼女は僕の元までやって来た。
当時8歳と幼い少女であったが、立ち姿は品に溢れ歩く姿は天使を連想とさせた。
細く可憐なしろい指を伸ばし、僕を閉じ込める薔薇の花びらの先へ。
彼女の指先が触れたその瞬間。
何故だかわからないが、数百年消費することなく蓄えられていた僕の魔力が溢れ出し黒い霧のようなものとなって、スカーレットを包み込んだ。
第一王子はその現象に怯えスカーレットを置いて走り出し、スカーレットは僕の魔力に包まれて気を失った。
【っ、大丈夫なのか…】
何が起きているんだ。封印されている僕は動くことができずに、その様子を見ていることしかできなかった。
立ったまま、気を失ってしまった彼女はまるで作り物のようで、まさか死んでしまったのではないだろうかと不安になる。
【おい、目を覚ませ!返事をするんだ!】
今まで酷い扱いを受けて人間不信に陥り、そして終いにはこの国を滅ぼそうとした僕が人間の少女を心配するだなんて変な話だ。けれど、不思議とスカーレットのことが気になった。
僕はひたすらにスカーレットへと呼びかけ続けた。その声が届かないとわかっていても。
しばらくして、スカーレットにまとわりついていた黒い霧が晴れた。閉じられていた瞳から一筋の涙が零れ落ちる。
ドクリ。
その清い涙に、心を揺さぶられた気がした。
どうして僕は、こんなに心乱されているのだろう。
…彼女はどうして、ここへ来たのだろう。
僕を封印した王は、ここに人が寄り付かないように緘口令を敷くと言っていた。訪れた者は殺すとも。だからなのだろう、今まで人が訪れることは一度もなかったのに。
あの頃からどれだけ日が経ったのかわからないが、年月が経てそれは失われたのだろうか。
この少女も先程の逃げた少年も、おそらく遊び半分で来たのだろう。
【なんと、愚かな人間だ】
かけられた封印魔法により、僕の声は人の耳には音にならず、僕の姿も薔薇にしか映らない。ここから動くこともできないし、もちろん魔法だって使えないのだ。
どうせ僕の声は彼女に伝わることはないのだから、と皮肉げにつぶやいた。
【こんなところにやってきて、置き去りにされるとは、なんとも哀れな人間だ】
だが、まるで聞こえているかのようにゆっくりと開かれて覗いたアンバーの瞳。僕は目を離すことができなかった。
僕の姿は黒い薔薇にしか見えないはずなのに。見つめ返され、彼女に見惚れていたことが後ろめたくて誤魔化すように言葉を紡いだ。
【っ、何故このようなところへ来たんだ】
届くはずがないのに、僕の本来の姿が見える筈もないのに。苦しげにスカーレットの眉根が寄った。
「…だって、逆らえなかったんです。無断で足を踏み入れて、本当にごめんなさい」
弱々しく、小さな声で返された言葉に僕は動揺した。
───声が、届いている。
数百年ぶりの会話だった。封印されてからは、当たり前だが誰とも会話などしてはいなかった。
…いや、そもそも封印される前から僕は、家族以外の人間と会話が成立したことがなかったんだ。
バケモノだと魔王のようだと罵られ石を投げられた幼少時代。無視をされたことも沢山あった。人間ではないかのように、声をかけても返ってくるのは罵倒と醜い名称で。
僕のせいで両親は街で野菜や生活用品を買おうにも売ってもらえず、仕方なく様々なものを家で育てたり作ったりと僕たちは自給自足で生きていた。
「見ろ、こんな立派な大根ができたぞ!ロイロがよく育つように魔法をかけてくれたおかげだな。ありがとう」
黒髪を撫でる、豆が潰れてゴツゴツした優しい手のひら。
「まあ、本当だわ!なんて美味しそうな大根なの。今日はこれでスープを作りましょうね」
使い古されたエプロンを身につけて嬉しそうに微笑み、優しく抱きしめてくれた温かい胸のなか。
こんな親不孝者である僕に両親はまるで普通の我が子に接するように愛を注いでくれた。
何百年ぶりの会話というのもあるが両親以外の相手に、ちゃんと言葉を返されたことがなかったせいだろうか。こんなにも衝撃的なものだとは。
もしかすると答えなければ殺されるかもしれない、という強迫観念から返してくれたのだとしても。
たった一言でも、言葉を返してくれたことがロイロはとても嬉しかったのだ。
発言から予想するに無理矢理こんなところに連れて来られたのだろう。このか弱い少女のことが何だかとても不憫に思えた。
【だからといってこのような場所にやってくるとは…危ないだろう、死にたいのか…!】
考えてみると、相手のことを気遣って声をかけるとしたら大丈夫か?とかだろうと今では思う。だが、この時の僕は人に認知してもらえた喜びや彼女を案ずる気持ち、スカーレットをこんなところへ連れて来た第一王子への怒りなど様々な感情でいっぱいになって、無意識に強い口調になってしまったのだ。
スカーレットも驚いてしまったのだろう。僕を見つめたまま、黙り込む。
お互い黙ったまま、暫く見つめ合った。
こんな風に誰かの瞳を見つめたことなどなかった。誰もが僕を避けていたから。
…僕に一度でも言葉を返してくれた。それだけで充分だ。
この子は、こんなところにいるべきじゃない。
【君はこのような場所に来る人間ではない、早く帰るといい】
ロイロはあえて冷たく言い放った。
もしも彼女が戻ったら親にでも泣きつかれて、とうとう僕は殺されるかもしれないな。そんなことをぼんやりと考えながら。
両親を殺されたことで、この国への怒りと悲しみから街を壊し、暴れ回る僕を王都の魔導士たちは数人がかりで攻撃した。
魔王呼ばわりされるほど魔力が多くあったロイロでも、魔法を使う人間とは闘い慣れていなかったのもあり、強力な魔法を使う何十人もの魔導士を相手では分が悪く、捕まってしまったのだ。
捕まった時は、拷問をされるかまたは殺されるのだろう思っていた。だが、当時の国王は随分と風変わりな男だった。
「拷問をして、苦しむ姿を見たってつまらない。殺してしまったって死んだら何も残らないから、結局つまらないよ。だが街をめちゃくちゃにしたことは実に腹立しいし…」
頭のネジが一本飛んでしまっている、変わり者で有名な当時の国王は口元に親指を置いてしばらく考えると、ふと思いついたかのように指を鳴らした。
「…そうだぁ。禁書に書いてあったアレをいつか実践してみたいと思っていたんだ。フフ、お前は何がこの世で一番苦痛か、知っているかい…?」
"生きていることだよ"
王はそう言って笑った。
「自分は何をやっているんだろう、そう思ってしまうほど孤独で気が遠くなるほどの、ながいながーい無意味な時間。それが一番恐ろしいものなんだよ。だから…お前にはそんな時間をあげる。一分、一時間なんてものではないよ。何十年も何百年もだ。この魔法が解けるまでお前が老けることはないし、身体は別のものになっているから欲求や感覚もない。もちろん魔法は使えないからね。人がもし訪れても、お前の声は届かないし、お前が人だと思われることはない。絶対に死ぬことはできないよ。下手をしたら、魔法が解けてしまう前に世界が滅んでしまってるかもね」
顔を歪めて愉快そうに笑った。
「醜い魔王であるお前は、誰にも愛されることなどないだろう。だからこそ、この"魔法"が一番良い」
拘束されたロイロに、何十人もの魔導士が何日もかけて魔法をかけた。それは強力な魔法だった。
手のつけられない、恐ろしい魔王を封印するためだけの魔法。何とも悍ましくて馬鹿げた魔法だった。
ロイロの絶叫が地下に響き渡った。
身体が潰れるような感覚に襲われた。強烈な痛みだった。身体が小さくなり、やがて薔薇の姿になった。
そして、薔薇は突如出現した魔法の鎖で雁字搦めに縛られたのだ。
国王は成功したことを知り、訪れると嬉しそうに笑った。
「素晴らしい…!この魔法を使う機会があって本当に嬉しいよ」
国王は、結界に阻まれない近さまで呂色の薔薇の元までやってくると最後にこう言った。
「生まれてきてくれて、ありがとう」
その言葉が、ロイロが最後に聞いた人間からの言葉だった。
それからロイロは、気が遠くなるような時間を何もできず、只々ひたすらに消費し続けた。
──自分が、人間など信用せずに家に結界魔法を張っていたなら。両親は殺されずに済んだかもしれない。
──そもそも、自分など生まれてこなければ両親は幸せに生を全うできたのかもしれない。
──どうして、僕がこんな目に…!憎い…憎くて堪らない…!無関係な人を殺めるのも、両親を殺したアイツらと同じことだと思って街を壊すだけしかしていなかったが、こんなことならこの国諸共、皆殺しにしてやればよかった。
悲しみ、苦しみ、後悔、憎悪…
持て余すほどの時間があるだけに様々な感情が、ロイロのなかを駆け巡った。
途中で気が狂って叫び続けるだけの日々もあった。だが、気が狂ったところで状況は変わらない。涙の出ない身体で、ロイロは虚しくも悟ってしまったのだ。
自分は誰にもみつけられないまま、ずっとここに居続けるのだと。
永遠に閉じ込められるのなら、殺された方がいいのかもしれない。
短い間だったけれど、一度だけでも家族以外の誰かと言葉を交わし合うことができたのだ。これ以上、望んではいけないのかもしれない。
「ふふっ…」
笑い声がした。
なんと、彼女はこんな恐ろしいであろう場面で笑っていたのだ。
この少女は頭がおかしくなってしまったのだろうか、ロイロは本気でそう思った。
【恐るるべき魔王を見て笑っているとは、恐怖のあまり気が狂ってしまったか】
僕は人と話すのが最後であろう時まで恐れられるのだな、と虚しさからそう言った。
しかし、予想外にもスカーレットはかぶりを振って答えた。
「いいえ、魔王様。私は嬉しいのです。尊き貴方様と巡り会えたことが、心から嬉しいのです」
驚いた。
そんなこと、人生で一度だって言われたことがなかったからだ。
素直に嘘だと思った。
媚を売って騙そうとしているのだと。
ロイロは、じっと真意を測るようにスカーレットを見つめた。
しかし、疑いとは裏腹にスカーレットに嘘をついている気配は全くない。そして、少女はどこか嬉々とした表情をしている。
嘘ではないのかもしれない。
その事実がロイロを動揺させた。
この少女は僕と会えて嬉しいのか。本当に…嬉しいのか。
なんだか気恥ずかしくて、ロイロは【そうか…】とこぼしていた。これまでに感じたことのない感情だった。
ロイロが言葉を発してから一拍置いた後に、スカーレットは顔を両手で覆い、物凄い勢いでのけぞった。
あまりの挙動不審さにまさかこの少女、誰かに操られたりしていないよな、とロイロは怪訝な顔をした。
そんな風に思われているとは知らずに、気持ちが落ち着いたスカーレットは両手を胸に当てて深呼吸をすると、どこか恥ずかしそうに少し俯いた。
「魔王様、またここへ来てもいいですか…?」
伺うように、弱々しくスカーレットは尋ねる。
ロイロに衝撃が走った。
こっ…!この少女は何を言っているんだ!?
【なっ何を馬鹿なことを…!君はここに来るような人間ではないと…】
遮るように、愛らしい唇が開く。
「私が…!ここに来たいのです。貴方様とお話がしたいのです」
真剣なその表情に、魔王は目を見開いた。
僕と話がしたいなんて、意味がわからない。
魔王と呼ばれ、両親を殺した仇であるが人さえ殺してしまっている恐怖の対象であるこの僕と、話がしたいなんて…
だが、魔王は思った。
何十年もずっと、この地下に封印されていたのだ。
魔法を解く方法はわからない。つまり、今後も己にかけられた魔法が解ける可能性は無に等しいだろう。
ならば、気の遠くなるような日々をまたこれからも一人で過ごすくらいなら、この少女と過ごしてもいいのではないか。
ほんの気まぐれでもいい。少しでも長く、孤独でない時間が欲しかった。
ロイロはこの決断に迷いを抱きながらも、ひとつ息をつく。
【いいだろう…だが、決して他の者には言うでないぞ】
魔王らしく、自分は危険なんだぞと伝わるように威厳を持って、どこか偉そうにロイロは答えた。
「っ…!はい、心得ております」
だが、ロイロの思いが伝わることはなく…スカーレットはまだ教育途中であるが、幼いにしては上品なカーテシーをすると、それはそれは美しく微笑んだのであった。
♦︎♢♦︎♢♦︎
スカーレットとの出会いを思い出して、ロイロはくすりと苦笑を漏らした。
「きっと、あんな命知らずなことをするのは後にも先にもスカーレットしかいないだろうな」
少女はまた来ると言って、本当に再び僕の前に現れた。
会う回数を重ねるうちに今度はいつ来るのだろう、なんて密かに期待している自分に気がつかないふりをしてスカーレットが訪れるのをロイロは次第に待つようになっていた。
まあ案の定、話すうちに最初のような魔王を意識した威圧的な口調はスカーレットの手によってボロボロと剥がされていったが…
そして後から知ったのだが、スカーレットには時折、僕が朧げに人の姿に見える瞬間があるらしい。なんだそれ、恥ずかしいな。
…スカーレットを見ていたのもバレていただろうか。
相変わらず、結界の中から動くことはできないし、できることは少なかったがスカーレットといられる時間はとても心地よかった。
時にスカーレットが通う学園の話を聞き、ある時は僕が扱っていた魔法の話をした。
作物がよく育つ魔法や魔物の討伐に使っていた攻撃魔法。
僕が独自に生み出した魔法は一般的には型破りなものばかりだったようで何度もすごい、すごいと言っては褒めてくれた。
誰からも認められず生きてきた僕に、彼女の言葉は温かく僕の心に染み込んでいった。
暗く影を落とした人生を彼女は照らしてくれのだ。その髪の色の如く、まるで太陽のように。
スカーレットとの日々を過ごすうち、次第に想いは募っていく。
魔王であり、このような姿をした僕は彼女に相応しくないと理解していても。
楽しそうに笑う笑顔に。例えその身体では関係ないのだとしても心配だ、と言い僕が封印されていた洞窟を魔法で綺麗にしてくれたそんな優しさに。夜も僕が寂しくないように一緒に眠るのだと枕を抱えて、鎖に繋がれた薔薇の近くで目を閉じる君の寝顔に。
目が離せない。
苦しくて、たまらないよ。
だって触れたくても触れられないのだから。
…あの頃は、そんなことを考えていた。
スカーレットが好きだ。
君が僕に求める言葉がこれで合っているのかは分からない。僕はスカーレットと共に外へ逃げ出してから、まだ想いを伝えられていなかった。
十年もの月日をかけて僕の魔法の解き方を模索し、最終的には悪役令嬢になってまでスカーレットは僕を救い出してくれた。
そんな彼女には恩もあるし、一人のスカーレットという人間として心から愛している。
ようやく元の人の姿に戻れたのだ。この口でちゃんと伝えたい。
…君に、この想いを。
「おはようございます、ロイロ様。朝食はいかがですか?」
そう考えているのを知ってか知らずか、スカーレットがひょっこりとドアから顔を覗かせた。
(可愛すぎか…!)
悶えずにはいられないが、それは仕方のないことだろう。
封印されていた場所以外で目に映す彼女の姿もそれはそれは愛らしいのだ。
「ロイロ様…?」
(首を傾げるんじゃない…っ!)
ロイロへの効果は抜群だ。
顔を背け、歯を食いしばって愛らしさを噛み締める。
「すっすまない…ちょっと考えごとをしていたんだ」
いただくよ、そう言ってロイロは立ち上がった。
「今日もスカーレットのご飯は美味しいな…」
ほう、と息をつき感心したようにロイロは言う。
まだ片手で数えられるほどしか食べられていないが出された料理はどれも美味しかった。
「スカーレットは、どうしてこんなに料理が上手なんだ?」
スカーレットは愛する人からの褒め言葉に照れて返答できないが、ロイロの言葉はもっともである。
スカーレットは元とはいえ公爵令嬢、王太子妃になるために育てられた人間だ。
スカーレットの実家もそうだが、王室にはお抱えのシェフがいる。料理の腕など必要ない。
にもかかわらず、何故こんなにもできるのか。
答えは単純。
彼女は婚約破棄されようと決めた日から地道に練習していたのである。
どうやって厨房を借りたんだい、と言う話なのだが"料理を通して民のことを知るのも王太子妃になるものの務めです"だとか、"社会勉強"だなんだと適当な理由をつけて厨房を使わせてもらっていたのだ。
誰もがまさか将来悪役令嬢になって第一王子に婚約破棄をしてもらい、家を出るためだなんて想像もつかない。シェフたちは国の為に勉強熱心なお嬢様に心打たれ、快くスカーレットに厨房の一角を貸してくれた。
「ふふ、ナイショです」
どこか恥ずかしそうに、くちびるの前に人差し指を立てて笑う。
顔を赤らめたスカーレットの姿にロイロは改めて、この人を幸せにしたい、守りたいのだ、と心の底から思う。
今日こそ。
そう強くロイロは決意するのだった。
「スカーレット。よければ、一緒に散歩しないか?」
日も沈み、夜空に星が瞬く頃。
ロイロはスカーレットに声をかけた。
「いまからですか?」
読んでいた本から顔を上げて、スカーレットは聞き返す。
「その…連れて行きたい場所があるんだ。来て、くれるか?」
どこか緊張した面持ちをした彼にスカーレットは胸の高鳴りを抑えられずにはいられなかった。
「もちろんです。ご一緒させてください」
夜風が二人の頬を撫でる。スカーレットはロイロと空を飛んでいた。
本当は転移魔法を使えば早い話なのだが、ロイロは心の準備をする時間を稼ぐ為にあえて空を飛んでの移動を選んだ。
…スカーレットには絶対、内緒だが。
スカーレットはお姫様抱っこをされて、内心ときめきながらロイロの能力の凄さに何度目かの驚きを感じていた。
何十年、何百年と封印されていた彼は魔力が溜まりに溜まっていて、どれだけ使っても底を尽きる気配がないらしい。なんともまあ、便利なものだ。
空を飛ぶ魔法というのはそこまで難しいものではないのだが、魔力には限度がある。こんな長時間飛んでいられる人なんて、世界で数えられるくらいしかいないだろう。
そして、彼が独学で生み出した魔法もサラントナ王国に、もしかしたら世界に革命を起こすことになるかもしれない代物ばかりだった。
サラントナ王国の者たちも、髪や瞳の色なんてくだらないものに感けずにロイロ様に友好的に接していたら、もっと国が発展していただろうに。ロイロ様に限らず、そういった見た目や立場の問題で潰れてしまう若き才能たちが多くいることだろう。
正直、とても悔しい。
そういう人たちの力になることができたら。王太子妃という立場であったなら、そういった活動もできていたのかもしれない。
けれど、わたしはロイロ様を選んだ。
サラントナ王国を離れることに未練はなかった。愛のない、あの家にも。
「どうした?スカーレット」
少し険しい顔をしていたスカーレットにロイロは声をかけた。
「いいえ。明るい時間帯もいいですが、夜を舞うというのもとても良いものだなと思って」
「…そうだね」
また一緒に出かけよう、ロイロはそう言って目的地まで空を飛び続けた。
「ついた」
ふわり、と衝撃一つなく地面に舞い降りた。
「こっ、ここは…」
スカーレットがつぶやいたのと同時に、風が勢いよく通り抜けた。そして、様々な花びらが彩り鮮やかにフラワーシャワーのように舞っていく。
そこに広がっていたのは人生で一度出会えるかどうか、と言われるほどに稀少な【妖精の楽園】と呼ばれる花園だった。
何故、一目見てスカーレットが理解できたのかといえば、人間では生み出せるはずがないであろう七色の花や花自体が発光しているものなどとにかく規格外の花たちが多く咲いていたからである。
この世界は、生きとし生けるもの全てに魔力が宿っている。ロイロの魔力が人並み外れて多いのは、例えるなら魔力を貯めておける器が人よりも大きいからに他ならない。
【妖精の楽園】は魔力が多く宿る土地でしか起こらない現象で、花が自身の器に収められないほどの魔力を吸い上げることによって発育に異常を起こし、ごく稀に誕生するものだった。
「どうやって、ここをみつけたのですか…?」
「スカーレットに教わって、文字を覚えているだろう?勉強にと思って読んでいた本からこの存在を知ったんだ。見つけられるか分からなかったけど、とりあえず探そうと思って魔力を薄く広げて広範囲に魔力探知をしていたら見つけたんだ」
にっこりと笑って、とんでもないことを言うロイロにスカーレットは若干頬が引き攣った。
どれだけ、とんでもないことをやってるか気がついていないのだろうなと思って。
魔力探知は神経が擦り切れると言ってもいいほど集中しなければ使えない魔法である。
それを別荘から行ったというのだから、こんな遠くまで魔力を伸ばして使ったということだ。人間技ではない。
だが、そんなことより。
「ロイロ様がこんな素敵なところをわたしのために探して下さったことが、とても嬉しいです…!」
「っ!喜んでもらえたようで、良かったよ」
嬉しそうに彼は笑う。
ほら、ロイロ様はこんなにも可愛い。
どんな容姿だろうと、どんな能力を持っていようと関係ないのだ。
二人は少しの間、それぞれ個性を持った花たちを見つめていた。
花々がさわさわと揺れている。
「ロイロ様、あの時のこと覚えてらっしゃいますか?わたしが…、一緒に踊ってほしいと言った時のこと」
突然、君は言う。
「覚えているよ」
君が、舞踏会であの第一王子と踊りたくないとこぼして、できるならロイロ様と踊りたいと言って。
僕は結界から出られないし、薔薇の姿だから君と踊ることもできなくて。
そうしたら、スカーレットは言ったんだ。
「わたしがここで踊るから、ロイロ様も心の中で一緒に踊ってください」と。
あの言葉がどれだけ嬉しかったか。
だが、今は違う。
僕にはこの身体がある。
スカーレットへと手を差し出した。
「僕と、踊っていただけますか?」
緋色の髪が風で揺れている。公爵令嬢の時のようなドレス姿ではなく、代わりに着るようになったワンピースはとても彼女に似合っていた。
「はい。喜んで」
それから、二人は飽きるまで何度も何度もダンスをした。
僕は踊り慣れていなくて、拙かったけれどスカーレットがさりげなくカバーしてくれた。本当に頭が上がらない。
二人で笑い合って、月明かりの下で星々と花々に見守られながら踊った。
「ああ…!楽しかった!」
スカーレットは嬉しそうに、大きな声でそう言った。
「ロイロ様と踊れることができて、すごく嬉しかったです。お付き合いくださって、ありがとうございます」
「…僕も、嬉しかった。だって、僕には前までスカーレットと一緒に踊れるような身体がなかったからさ。君と一緒に踊りたいと思ってた。…スカーレットに、触れたいと思っていた」
ロイロは、スカーレットの左手をとった。言葉を紡ぐためにゆっくりと息を吸い込む。
「スカーレット、君が好きだ」
スカーレットの瞳が大きく見開かれる。
「ロイロ、様…」
「様なんて、つけなくていいんだ。名前で呼んで欲しい。君には心から感謝しているんだ。僕にかけられた魔法を解いてくれて、そしてこんな幸せな日々を僕に与えてくれた」
「ロイロ……」
「っはは、スカーレット泣かないで?」
「だって…!」
「言うのが遅くなってごめんね。母さんがよく、父さんが綺麗な夕焼けのなかで告白してくれたのが嬉しかったって話をしてくれてたんだ。だから僕も、スカーレットの為にどこか素敵な場所を、と思っ…」
ロイロは言葉を続けることができなかった。
スカーレットが胸に飛び込んできたからだ。
ロイロは腕のなかにある存在に心から愛おしさを覚えて、流れ落ちる涙を優しくぬぐってあげてはスカーレットへ言葉を贈った。
「愛してる、愛してるよ。スカーレット」
ロイロは優しくスカーレットの頬に手を添えると、ゆっくりとくちづけをした。
スカーレットは思った。本物のくちづけは薔薇の花びらと違って、柔らかくそして温かいのだな、と。