第937話 フェアラート
フェアラートは両足を無くしていた。俺達が近づいて来たのにも気づかないのか、俺達が周りを囲んでも必死で前に進もうとしている。両手で這いつくばりながら、何かを求めるように手を伸ばした。
そこにモーリス先生がいる。
俺が先生に言った。
「先生、危険です。転移させらるかも」
「大丈夫じゃ」
フェアラートはモーリス先生の足を掴んで、力を振り絞って上を見上げる。すると先生がしゃがみ込み、フェアラートの顔を覗き込んだ。フェアラートの顔にはうっすらと幾何学模様のような、黒い線が走っており、それは体にまで及んでいるようだった。
「お師様」
「フェアラートよ。自分の体までアーティファクトにしおったのか……」
だがフェアラートの様子が変だ。さっきまでは鬼のような形相をしていたが、何かが抜け落ちたような優しい表情になっている。
「どうされたのです? お師様、随分とお年を召されたような気がします」
「……」
「なぜか体が思うように動かないのです。私はどうしたのでしょう?」
「覚えておらんのか?」
「はて? 魔法の実験に失敗でもしたのでしょうか?」
モーリス先生はじっとフェアラートの目を覗いた。
「あの頃のような澄んだ目をしておる……」
「あの頃? それはいつです?」
なんだ? まるで記憶が抜け落ちたかのような事を言っている。
「フェアラート……」
「お師様。私はなにか、夢でも見ていたように思います。気が付いたら、このように体が動かなくなっていた。私の足はどうなっていますか?」
するとモーリス先生はフェアラートを転がし、仰向けに寝かせる。俺達が覗いているのに初めて気が付いたようで、少し目を見開いたが直ぐ穏やかな表情になる。
「どうしたのです? 生徒があつまっているのですか?」
「生徒か……」
フェアラートの視線が動いて、イオナに止まった。
「こ、これは……イオナ様ではないですか。どうされました? なぜ私などを見てくれているのです?」
イオナがしゃがみ込んでフェアラートの手を握る。
「あなたはとても優秀な魔法使いですもの」
「私など……とんでもない。お師様に比べたら足元にも及びません。お師様の言うとおりに精進せねばならないのですよ」
「……流石はフェアラート様。そんなに魔法がお上手なのに、もっと上手くなるおつもりですか?」
「はい! もし私が王宮一の魔導士になったら、その時は思い人にこの心を打ち明けるつもりです!」
「そうですか。そんな目標がおありですのね」
「はい!」
嬉しそうだ。心なしか若々しくなったような気もしてくる。
《どうなっている?》
するとシャーミリアが答える。
《入ご主人様。こやつは正気です。嘘を話してもいません》
《まるで記憶が抜け落ちたかのような感じだが?》
それにアナミスが答える。
《デモン干渉があったようです》
《デモン》
《はい》
だんだんと分かって来た。
俺はモーリス先生の肩に手を置いて言う。
「ちょっといいですか?」
「うむ」
そしてフェアラートから離れた場所に行って、モーリス先生に分かった事を告げる。
「恐らくフェアラートは支配されていたようです」
「支配か……なんと……」
「学校時代からの記憶がないのは、支配されていたからだと思います。その支配が僕の攻撃のショックで外れ、本来のフェアラートに戻ったと推測します」
「なんと……。ならば魔法学校が昨日のように思っているという事かの?」
「そうなります」
そしてモーリス先生がフェアラートを見た。幾何学模様の黒い線は更に濃くなっていて、もう手を挙げる事も出来なくなっているようだ。モーリス先生はフェアラートに近づき、するりと手を取って言った。
「疲れたじゃろう?」
「そうですね。なぜかとても疲れているようです。魔力切れでも起こしたのでしょうか? 生徒との魔法実験で事故でもおきましたかね?」
「事故。かもしれんなあ」
「私とした事が、焦って実験の準備を省いてしまったのでしょうか?」
「慎重にやれとあれほど言ったであろう?」
「そうでした。私は何か焦っていたようです。先生のお言いつけを守らずすみませんでした」
「馬鹿者が。お前ほどの才があるものは他にはおらんのじゃぞ」
「ふふっ。そう言ってくださるのはお師様だけでございますよ」
フェアラートはとても嬉しそうに笑顔を浮かべ、ただモーリス先生だけを見つめていた。しばらくその静かな時間が流れ、そしてフェアラートが言う。
「ど、どうしたのです! お師様! なぜ泣いておられるのです! 私が実験を失敗したから?」
「なんじゃ。爆発の煙でも吸い込んだのじゃろうか」
「お、お年なのですからいけません。有害な煙が出たかもしれませんので! すぐに他の先生を」
「わしの体を気遣ってくれるのか?」
「当たり前ではないですか! お師様は私の父上も同然の方です」
「そうかそうか……」
「お! お師様泣かないでください! だ、だれか! お師様が!」
「いいのじゃよフェアラート」
「あ…お師様。なんでしょう? 目の前が真っ暗に……お師様…」
「ここにおる」
「そうですか。良かった…なんだかとても眠いんです。睡眠剤でも吸いましたかね?」
「疲れておるのじゃろう。もう眠るが良い」
「ありがとうございます。お師様の手は暖かい……私はお師様についてまいります」
「うむ。ついて来るがよい、わしはいつでも一緒に歩いて行くよ」
「はい。ありがとうございます……、私は幸せで……ござ……ます……」
フェアラートの目から光が消えて行き、肌の幾何学模様が一気に広がった。イオナがフェアラートの瞳を閉じさせ、先生と一緒に手を握る。そして幾何学模様の形に、フェアラートの体が崩れ始めた。ばらばらと崩壊していくフェアラートの手を、モーリス先生とイオナがいつまでも握っていた。
「先生……もう。いなくなりました」
「うむ」
そうしてモーリス先生は深々と帽子をかぶった。イオナもカトリーヌも泣いていた。
そして俺は立ち上がって皆に言う。
「王城にまだ火神がいる! フェアラートのアーティファクトはもう動かない! 行くぞ!」
「「「「「「「「「「は!」」」」」」」」」」
「先生達はエミルと居てください。エミル! 危険だと思ったら逃げてくれ」
「わかった!」
「グレースもここまででいい。直属は俺と行く! オージェもついて来てくれるか?」
「もちろんだ。真相を突きとめねばな」
「そうだ」
俺が王城に向かって歩き出すと、皆が俺の後ろをついて来た。今回の事で分かった事は、フェアラートも犠牲者の一人だった可能性があるという事だ。このような大きな事をしでかしているのに、その記憶の一切が抜け落ちたという事は、魅了や支配系の何かを施されていたはずだ。
「アナミス」
「はい」
「記憶を残しつつ支配するのは可能か?」
「可能です」
「それを数年にわたって維持する事は?」
「ラウル様が行うような、魂核の書き換えならば数年どころか一生です。ですがフェアラートは解けました。ラウル様の、魂核の書き換えであれば解ける事はないのです」
「それに近い技があると考えられるか?」
「考えられるかと思います」
「だよな……」
俺達が崩れた王都を歩いていると、あちこちに死体が転がっている。
「酷いありさまだ」
今までの事が全て、何らかの支配を受けた奴らの仕業だとしたら、確実に大元の奴は俺と同等の力を持っている奴だ。そいつが火神なのか、それとも他にいるのか? アナミスはデモン干渉だと言ったが、そうだとすればフェアラートを支配した奴は火神ではない。
俺達の前に崩れた王城が現れた。
「火神いるかな?」
「神は……わかりません」
気配は感知できないらしい。俺達は瓦礫を乗り越えて再び王城へと侵入していく。半分はフェアラートのアーティファクトで崩れてしまっているが、まだ残っている部分があった。いるならばそこだが、これだけの破壊の中で留まっているとも限らない。
「皆で手分けして探そう! 火神を見つけたら手を出さずに俺に教えてくれ」
「「「「「「「「「は!」」」」」」」」」
隊を分けて、残った王城を走らせる。だがどこを探しても、火神らしき者はどこにも見当たらなかった。使用人があちこちで死んでいたが、生き残った者もいるようなのでそいつらに聞く事にする。
「その前に治してやらんとな。みんな! 死にそうな奴にエリクサーを、怪我をしている奴にはポーションを使って治してやれ!」
「「「「「「「「「は!」」」」」」」」」
「瓦礫に埋もれた奴も掘り出して、一人でも多く救出するんだ」
「「「「「「「「「は!」」」」」」」」」
皆が回復薬を持って、王城内に散って行った。俺のそばにはマリアが居て、ぽつりと言う。
「なんとしても真犯人をつかまえねばなりませんね」
「その通りだ。俺と似たような力を使ったとすれば、人を生かす方向に使えばいいものを、ただ破壊の為に使ったんだからな。そんな奴を野放しにしたら、いずれまた同じことが起きる。何としても見つけ出して、報いを受けさせねばならない」
「はい」
それから魔人達は生存者を救出し、治る見込みのある者に治療を施した。そいつらを崩壊しそうな王城から連れ出して、大広場に集めて座らせる。
戦闘糧食の水のペットボトルを召喚し、魔人達が蓋を開け助けられた者達に配っていく。
だがその中の一人が言った。
「ど、毒が入ってるんじゃないですか?」
俺が答える。
「入ってないよ」
「なぜ敵が私達を救うのですか?」
「あんたらは被害者だからだよ。自分達も戦おうとしてあそこにいたわけでは無いだろう?」
「それは……そうです」
「戦いってのは兵士と兵士がやるもんだ。この都市の住民や城の従者に責任は無い。だから救っているんだが?」
「……」
すると若いメイドが言った。
「あの!」
「なんだ?」
「王様はどこに行ってしまったんでしょうか?」
「王様? フェアラートの事か?」
「いえ! あの人は恐ろしい! 前の王様です!」
「火神?」
「神様? 何を言ってるんですか?」
なるほど。使用人は詳しい事を知らないのかもしれない。
「もしかしたら肖像画の人かい?」
「そうです。ある日突然、王様が変わったのです」
「えっと、その変わった新しい王様というのはどこに?」
「王城にいたはずですが…」
「どんなひと?」
「私達よりも肌の黒い人です」
なるほどな。だとしたら逃げた可能性があるか。
「今探している」
「あなた方は、一体何者なのです?」
「俺達か……」
何て言ったらいいんだろう? 遥か北の国からあんたの国を侵略しに来たんだよ、なんていう訳にもいかないし、そもそも侵略なんかしようとしていない。俺達は世界を脅かす脅威を取り除きに来て、こんなことになっている。
俺はアナミスを見て言う。
「一旦寝てもらおう。反乱とかされても、殺したくはない」
「はい」
アナミスから赤紫の靄が発生して、救出した城の使用人たちに降り注いでいくのだった。
2024年はありがとうございました!
事情があって、更新頻度がゆっくりになってしまいましたが、ずっとお付き合いくださってうれしいです。
来年はコミカライズ出来るように頑張りますので、何卒よろしくお願いいたします。