第891話 敵の残滓
月が雲に隠れ、村は漆黒の闇に包まれる。不穏な空気が漂う中、俺達が持っていた鏡面薬も底をつき、転移魔法陣の探索を途中で諦めざるを得ない状況となる。モーリス先生とデイジーが居れば、あっという間に終わるような事が、その能力を持たぬ俺達三人では出来る事も限られた。またデモンや敵の出現を警戒しているのだが、シャーミリアが言うにはデモンの気配は一切ないらしい。
「村に敵の気配はないか…」
「はい」
「さっきの魔法使いは、唐突に消えたよな?」
「そのようでございました」
「フラスリア領で、俺がかかった転移罠と同じに見えた」
「似ています」
俺は以前、フラスリア領の牢獄でブービートラップ的な転移罠に嵌った事がある。あの時はケイシー神父との握手がトリガーだったが、モーリス先生曰く、俺の魔力に反応して発動したのだろうと言っていた。あの時はシャーミリアが見ている前で、俺とトラメルとケイシーがザンド砂漠に転移させられてしまい、北大陸に戻るまでかなりの時間を要したのを覚えている。俺がいなくなったことで、シャーミリアが暴れオージェに怪我をさせてしまったという事件も起きた。
それを考えると、なんかヤな感じだな。
「転移魔法陣が魔法使いの魔力に反応した、って考えるべきなんだろうな」
「魔法使いが消えている事から考えても、そうだと思われます」
「銀等級以上の魔法使いが消えているところを見ると、一定以上の魔力を保有していないと発動しないんじゃないか? 俺も魔力は多い方だし、見習い程度の魔力では発動しないんだろうな」
「はい。ご主人様、敵はいったい何を目的にしているのでしょう?」
「魔法使いをさらって、戦力の補強でもしているのだろうか?」
「となりますと魔法使いたちは、モエニタ王宮に飛ばされているという事になります」
「わからん。強い魔法使いを人知れずさらうならこの方法は最適だと思うが、集めるのに時間がかかりすぎないか? それなら強制的に連行したほうが良さそうだ」
「はい」
不気味すぎる。このやり口を見る限り、俺が北大陸で戦っていた時の感覚に似ている。あの時は、まるで蟻地獄にかかったように、次から次へネチネチとやられていた。南大陸に来てからは、比較的単純な攻めが多かったように思うが、このやり口は北大陸で味わったあの感覚だ。
俺達は今、村で一番高い建物、教会の鐘が吊り下げられているところから村を見下ろしながら話している。周囲に動きが無いか見ているが、まだ日の上がらぬ村はただただ静かだった。
「まてよ…」
ベルゼバブの時のように念話が繋がらなくはなってないだろうか?
《ギレザム》
《は!》
よかった。
念話が繋がった事に、俺はほっと胸をなでおろす。
《そちらは何か動きはあったか?》
《変わりありません。ラウル様の方では何かありましたね?》
《そうだ。強い人間の魔法使いが転移罠で飛ばされるところを見た》
《デモンの仕業ですか!?》
《いや。それがいないんだよね。ただ魔法使いが、何人も消えているという証言は取れている》
《くれぐれも、お気を付けください》
《わかってる。ひとまず予定の変更はない、そちらはまだ待機していてくれ》
《かしこまりました》
村が薄っすらと漆黒から青に変わってきたが、そろそろ太陽が上がるのだろう。すると教会の下の方から物音が聞こえてくる。
「ご主人様。この教会の神父が起きて来たようです」
「神父の朝は早いからな」
ケイシー神父みたいな寝坊助もいるけどね。
「いかがなさいましょう?」
「神父は何か知ってるかな?」
それにはアナミスが答えた。
「それならば尋問してみましょう」
「そうだな」
俺達は鐘のある塔の螺旋階段を下って行く。村の教会にしてはしっかりした作りとなっており、建物の上部にはステンドグラスがはめ込まれていた。薄っすらと開いていた扉からスッと礼拝堂に入ると、祭壇の前で祈りを捧げている神父がいる。
ずいぶん真面目なこった。
ところがそれを見てアナミスが言った。
《ラウル様。あの神父、魅了がかけられております》
《なに!?》
《恐らくはデモンによる干渉を受けているかと》
《マジか?》
《いかがなさいましょう?》
《罠だろうか?》
《分かりません》
魅了を解けば、もしかしたら魅了をかけた術者に解いた事がバレるかもしれない。それをトリガーとして、突如デモンが転移魔法陣から湧き出て来る可能性もある。周囲の転移魔法陣を全て解除出来ていない可能性も踏まえ、俺はどうするべきかを考えた。
《出よう。まずは王都に向かう商人を捕まえる事が先決だ》
《《かしこまりました》》
そうして俺達は礼拝堂のドアをすり抜け、鐘のある塔を再び登って外に出た。まだ暗いが、そろそろ外で人が動き出す音がする。俺達はすぐさま教会を離れ、市場に向かい始めるのだった。
「確かに魅了だったか? アナミス」
「はい、デモンの残滓もございました」
「こんなところにデモンが居るのかな? 人も普通に生活しているようだけど」
するとシャーミリアが答えた。
「未だデモンの気配はつかめておりません。そしてなぜ故、教会だったのでしょう?」
「分からない。神父の魅了と魔法使いの転移は関係すると思うか?」
「「はい」」
だよなあ。全く無関係なわけがない。何らかの理由でデモンがここに現れ、転移魔法陣を設置して魔法使いの罠を張り、神父に魅了をかけて立ち去って行った。全部が関係しているのは間違いないが、それが何を意味するものなのかは分からない。
俺達が市場に到着すると、店を開く準備をするために数台の荷馬車が停まっているのが見えた。まだ空の屋台があちこちにあり、全ての屋台に人がいるわけではないが、数軒の屋台では商人がせわしなく動いている。ちょっと聞き込みするのは早いようで、もう少し人が出てくるのを待った方が良いだろう。
「市場に特におかしなところは無さそうだ」
「そのようです」
そして俺はアナミスに指示を出す。
「大きめの店を準備している奴を探そう。その中で、一番早く店の準備が終わりそうなやつに催眠をかけようかと思う」
「かしこまりました」
俺達がぶらぶらと市場を周っていると、そこそこ大きな店を準備している人を発見する。他の店よりも人数が多く、その商人が他より羽振りがよさそうだ。
「あれで」
「はい」
そして俺達は市場の端っこに座り、そいつらが準備を終えるのを待った。更に時間が経てば次々に商人が来ると想定されるので、タイミングよく催眠をかける必要がある。おおよその準備が出来たのを見計って、俺とシャーミリアを前にしアナミスが後ろをついて来た。
俺達がその店に並ぶ商品を見ているふりをしていると、商人から声がかけられた。
「おはようございます! 随分早くに買い物に来てくれたんだねえ」
「ああ。掘り出し物は朝一が良いって言うだろ?」
「そうだね! あんたら買い物上手だ。夫婦かい?」
えっ? 俺とシャーミリアが? 夫婦に見える?
俺がシャーミリアを見ると、平常心を装っているように見えるが明らかに動揺しているのがわかる。
《シャーミリア、変な事言うなよ》
《は、はい》
はあはあ…
息が荒い。とりあえず俺はシャーミリアを無視して、店の主人に答えた。
「そうだ。うちの店の物を買い付けに来たんだ」
「商売人かい! 今日は良い野菜と魚があるからね、まとめ買いならお安くしとくよ!」
主人の周りでは、従業員らしきやつらがせわしなく店の準備を続けている。主人はそいつらに背を向けて俺達と話をしていた。するとあっというまに赤紫の靄が主人を包み、スッと靄が消え去った。
《ラウル様。かけました》
《了解》
「あのー、ちょっと教えてもらいたいんだけど、王都に出入りしている商人って知ってるかい?」
「知っている…」
「もし店を従業員に任せても大丈夫なら、俺達をそこに案内してほしいんだけど」
「もちろんだ」
すると商人は後ろを向いて、従業員たちに言った。
「大事なお客様だ。ちょっと席を外すから、お前達は準備を進めて商いを始めておくれ」
「「「「はい!」」」」
俺達は商人の男について行く。市場の中は少しずつ活気が出始めていて、準備が出来た店から商売を始めていた。客足はまだまばらだが、俺達が歩を進める先に人だかりが見えて来る。すると俺達を連れた主人が言った。
「あの店だ。王都で仕入れたものを売って、王都に帰る際には、この村で食料を仕入れていくんだ」
「随分人気だな。いつもあんな感じか?」
「いつもいるわけじゃないから」
なるほど、たまたま来ていた商人という訳ね。
「知り合い?」
「昨日、あの店の主と酒を酌み交わした」
それは好都合だ。やはり大きい店は大きい店同士でくっついていた。
「他にも、王都に出入りしている商人はいる?」
「いくつかいる。でも今日居るのはあの人だけだ」
なるほどね。とりあえず欲しい情報は取れたから、この商人は用済みだな。
「店に戻っていいぞ。頑張って商売してくれたまえ」
「わかった」
俺達を案内した商人は、自分の店に戻って行った。俺達は目の前の混んでいる店の後ろに立ち、商売の様子を見始める。だが次々にお客が訪れて、話しかけるチャンスが巡ってこない。
「忙しいんだな」
「他の店と置いてあるものが違うようです」
そこに並んでいるのは生活必需品的なものだった。きっと村では手に入らない加工品が並んでいるのだろう。ひとまず、俺達は商売の目処がつくのを待つことにした。周りの店もどんどん開店して行き、この店の品が無くなってきたころ、ようやく客足が他に向き始める。
そこで俺はやっと店の主らしい奴に声をかけた。
「どうも」
「悪いねお客さん! もうだいぶ売れてしまって、めぼしいものは残っていないよ」
いや。俺達の目当てはあんた自身だよ。
「いいんだ。商売繁盛でいいじゃないか」
「おかげさまでね」
俺と話しているうちに、商人があっという間に赤紫の靄に包まれた。
《かかりました》
《了解》
「王都からはいつ来たんだい?」
「昨日」
「いろいろ商売の話がしたいんだが、今日は店じまいをした方が良いんじゃないか?」
「ああ…そうだな、店じまいだ」
そして主が後ろを向いて、従者らに言った。
「商談がある! 今日は売れてしまったから店じまいだ! 宿に戻っていてくれ」
「「「「「「へい!」」」」」」
「じゃ、行こうか?」
「そうだな。行こう」
俺は王都からの商人を連れて繁華街へと歩いて行く。俺達が食堂街に着くと、もう店が開いていて市場に来た人らの胃袋を満たし始めていた。俺達も一つの店に入ると、めっちゃ美味そうな匂いがした。
するとすぐに店員が来る。
「いらっしゃい!」
「あーどうも。えっと、美味い朝食を二人分頼めるかな? あとは飲み物を四つ」
「あいよ!」
店員が注文を聞いて厨房に戻っていく。俺達は席に座り、前に座った商人に話を始めるのだった。
「最近、王都で変わった事はあるかい?」
「ある」
「ほう、それを教えてくれるか?」
「わかった」
催眠状態の商人がポツリポツリと話し出すのだった。