第830話 棲んでいる何か
バティンとベルゼバブの二体のデモンを倒した事により、俺と配下達の活動能力が一気に低下した。バティンを倒した時に影響はなかったが、ベルゼバブを倒した途端に能力の低下に見舞われる。俺達は一時、休息する事を余儀なくされてしまった。グレースが出したテントでテント村を作り俺達はそこで休んでいた。
そして今、豊穣神デメールが俺と同じテントにいて、前に座り話をしている。俺は正直眠りたいのだがデメールが突然やってきて、話したいことがあると言って来たのだ。
デメールが言う。
「なるほど、それで山の洞窟は崩れてしまったと?」
「そう。ベルゼバブとか言うデモンに手こずってしまって、最終的に崩落しました」
「そうか…」
「何か問題がありましたか?」
「あそこは少し前まで、ウチの住み家だった」
やっぱり…以前見た精霊神の洞窟とそっくりだったから、もしかしたらと思っていたら、あれは豊穣神の住み家だったらしい。
「とすると、作ったのは前の虹蛇?」
「その通り。だけど洞窟は辛気臭いからねぇ、あそこを出て明るく爽やかな森で過ごしていたらバケモンたちが襲って来たって事さ」
「洞窟の場所を知っていた者がいたって事ですね」
「世代が変わった、あんたらには分からんだろうがねぇ」
「なるほど」
「精霊神と虹蛇とアトム神は既に世代交代してしまった。龍神も仲間にいるんだろう? 龍神は会っていないから分からんが、あんたは何か中途半端だね」
「俺が中途半端?」
「何かが抵抗して表に出てきていないっていうか、なんだろうねぇ?」
デメールの言っていることが分からない。ルゼミア母さんからは魔神を受体したと聞かされているが、デメールの口ぶりからすると俺は半端らしい。それはこれまでも聞いて来た事なので、前世代の神に聞いてみたいと思っていた事だ。
「どういうことか分かりますか?」
デメールは腕を組み、まじまじと俺の顔を見て言う。
「そうだねえ。急に気配が低下したから、いい機会だと思って見に来たんだ」
「なんです?」
「わからないねえ」
ガク! 俺はずっこけそうになるが、今はそんな体力も無い。だが核心に迫れると思ったところで肩透かしに合い、一気に脱力感に襲われる。
「はあ。そうですか?」
「だけど…」
デメールが小さい体を俺に近づけて、瞳の中を探るようにジーっと見つめて来る。
「なんすかね?」
「なるほどなるほど、ふむ」
何かに気が付いたように、腕組みをやめて腰に手を当てた。
「手を見せて」
俺が右手を差し出す。
「もう一つも」
両手を差し出すと、デメールはまじまじと俺の手の平を見ていた。手相占いでも始めようというのだろうか? とりあえず俺はされるがままにしている。するとデメールは俺の目を見て言う。
「ベロを出してごらん」
「へっ?」
「いいから」
俺はベーっとベロを出すとデメールがじっと見て、更に俺の目の下をクイっと指で下げる。
「なーるほどねぇ」
「なにか?」
「待て待て」
俺がそのままベロを出しっぱなしにしてるとデメールが言う。
「いつまでベロを出してる?」
「じゃあ引っ込めて良いって言って」
「ああ、すまんすまん。じゃあ上着をまくり上げてお腹を見せて」
お前は診療所の医者か! と突っ込みたくなる。だけどなぜか隣にいるシャーミリアが俺をじっと見ている。なので俺は良く分からずに、シャーミリアに向かって頷いた。するとシャーミリアが、優しく俺の上着をたくし上げて腹を出してくれた。デメールが腹をクイックイッと押す。
「何か分かりました?」
「じゃあ背中を」
俺が聞いてもスルーして無表情でデメールが言う。すると今度はシャーミリアが俺の背中を出してくれた。そしてデメールが背中をトントンし始める。
「息を吸って、吐いて、吸って、吐いて」
俺は言われたとおりに息を吸って吐いてを繰り返した。
「いいよ」
「はい」
一通り俺の体を、診療所の医者が見るように探ったデメールが改めて俺に向き直る。そして俺に告げた。
「なにかいるね」
「…どういうことです?」
「あんたの中に何かいる」
「えっ! えっ! 体の中に? 寄生虫?」
「馬鹿だね。そんなもんじゃないよ」
「なんです?」
「魔神は確かに受体しているけどねぇ、一体なんだろうねえ? ウチには初めて感じた気配だね」
「気配ですか?」
「そうだねえ」
「一体何が?」
デメールはジッと俺を見つめ続けている。何かを探るようなその目は、慈悲深くとても優しい眼差しだった。デメールがおもむろに俺の額に手を当て目を閉じた次の瞬間、パッと俺から手を放して後退りした。
「おおぅ…」
「どうしました?」
「こりゃどえらいもんを、棲まわせておるようじゃ」
「どえらいもん? なんですか?」
「わからん。わからんが、食われるかと思うた」
「食う? 豊穣神様を?」
「そのように感じたのう」
「俺は食べないですよ」
「分かっとる。魔神の奴め…なんちゅう奴を飼っておるのか…。いや野放しにせざるを得ないと言ったところか」
デメールが何か言っているが、俺には何のことかさっぱりわからなかった。
「何が棲んでるんです?」
「わからん。物凄い事だけは分かるがの。恐らく、どんどん育ってしまったのじゃろう」
えー、やだー! 俺の中で何かが育ってる? エイ〇アンとかじゃないよね。
すると俺の隣りからシャーミリアが言った。
「ご主人様がご主人様たる所以でしょう」
「えっ! シャーミリアには何か分かるの?」
「申し訳ございません。分かりかねますが、私奴もギレザムも他の魔人たちも繋がりは感じております」
それを聞いたデメールが言う。
「ふむ。魔人達は鎹じゃな」
「なんです? それ」
「おぬしを繋ぎとめておるようだ」
「系譜ってやつですかね?」
「そう呼んどるのか?」
「魔人たちはそう言ってます」
「なにか分からんが、”それ”がこの魔人の眠りの原因じゃぞ」
いちいち強いデモンを倒す度に訪れる倦怠感。最近はすぐに眠る事は無くなったが、それでもかなりだるくなってしまう。
「最近はデモンを倒しても大丈夫になってたんですけどね」
「今回倒したデモンが、かなりの高位な者だったのかもしれん。しかし…そのせいで」
デメールが言葉を切った。そこでしばらく考えて言う。
「魔神自体が危うくなっている。というよりも、あえてそうしているようでならん」
「あえてそうしてる? 魔神が? 何のために?」
「なんじゃろな? そればかりは魔神に聞かんとわからん」
「そうですか」
険しい顔だったデメールがクスりと笑った。そしてなんとも言えない慈愛に満ちた笑みを浮かべて言う。
「だが、なんだろうな? 愛すべき者のような気もしてくる。魔神が肩入れしているのはそのためか? ウチには分からんがの」
「愛すべき者…」
とにかく俺の内部に変なのがいるのは確定らしい。だとしたらお祓いしてくんねえかな?
「えっと、豊穣神様がそれを消す事は出来ますか?」
「無理じゃろ。というよりも、ウチのほうが危ない。魔神が未来永劫おさえつけてくれることを祈るばかりじゃな」
そしてデメールが、ふとシャーミリアを見つめた。シャーミリアはそれを正面から見返している。
「頼むぞ魔人たちよ。おぬしらが主を繋ぐ鍵じゃろ」
「はい!」
「シャーミリアは何か分かったのか?」
「申し訳ございません。全く分かりませんでした」
「そうか。とりあえずよろしくな」
「かしこまりました!」
するとデメールが立ち上がった。立ち上がったと言っても、座っているのと何ら変わらない高さだ。そしてテントの外に向かって言う。
「アンジュ」
「はい」
「入れ」
「はい」
テントの外からアンジュが入って来た。
「ウチも次の世代を見つけんといかん。既に周りは準備を始めているようだ」
デメールが誰ともなくそう言うと、アンジュが慌てて答える。
「で、デメール様はデメール様のままで!」
「そういう風にも思っておったが、そうそうのんびりもしておられぬようでな」
「どうするのです?」
「ま、そうはいっても成り行きに任せるしかなさそうじゃ。ウチが信者稼ぎを怠って来たから、力が弱すぎてどうする事も出来ん」
「…それでも、わたしはついていきます!」
「頼りにしておるよ」
「はい」
そしてデメールが俺の方を振り向いて言う。
「恐らくはお主が全てをひきつけてしまうだろう。前の神でそんなことを言うとった奴はおらんかったか?」
そう言われてみれば、俺が出会ったり行動するのは偶然じゃなく必然だと前の虹蛇が言っていた。まるで仕込まれたような出会いや出来事が全て必然なのだと。
「虹蛇が言ってました」
「やはりヤツは分かっとったか、他には?」
「えっと、精霊神とは会っていませんし、たしか龍神からは覚醒していないと言われた気がします。アトム神は…」
「アトム神は?」
「ただただ、偉そうでした」
「あーははははは! あやつらしい!」
「昔からああですか?」
「そうじゃ。なぜか、今度は物凄くしおらしい者に世代交代がされたようじゃが」
「妹なんです」
「あ奴ならそんな事もする。それは、アトム神の策略じゃろうて。本当の妹ではあるまい」
「って事は、俺が覚醒していないのを良い事に利用した?」
「まあ、そうとも言う」
まったく…神様の風上にも置けない神様だ。
「とりあえず、眠る前にウチが恵みを与えてみよう。無駄骨かもしれんがの」
「なんです?」
「アンジュ」
するとアンジュが、ポケットから宝石が付いた鏡みたいなもんを取り出した。そしてそれをデメールが受け取って床に置く。さらに何か不思議な踊りを踊り始めた。
「えっと何を?」
俺が話しかけると、アンジュがめっちゃ怒った顔で言う。
「黙れ! デメール様が恵みを下さるのだ! ありがたく座っていろ!」
「あ、ああ。ハイ」
そしてしばらく豊穣神が踊ると、鏡の中から光が出て来てテント内に広がっていく。凄く暖かく安らぎを覚えるような、不思議な光だった。回復魔法や光魔法とも違う、なんとも言えない心地よさだ。しばらく光り続け、その光が納まるとデメールが鏡を拾う。
「今回は大丈夫じゃろ」
「なにがです?」
「なんでもない。ではアンジュ、疲れたのでウチを抱いていっておくれ」
「はい」
そして豊穣神はアンジュに抱かれてテントを出て行った。すぐにシャーミリアが俺に言う。
「眠気が納まりました…」
「ああ。目が覚めた」
「どういう事でしょう?」
「回復魔法や癒し魔法の類では無かったよな?」
「それならば私奴に苦痛が加わったでしょう」
「確かにな」
豊穣神の不思議な踊りで、俺達のだるさが消えたらしい。するとテントの外から声が聞こえた。
「ラウル様」
「ああ、マリアか?」
「まだお眠りになっては居なかったのですね?」
「ていうか、眠くなくなった」
「そうなのですか? それではお夜食をお食べになりますか?」
「そうだな! 腹減った!」
「魚のパイ包みを焼きました。モーリス先生が一緒に食べるか聞いてこいと」
「行く」
「はい」
そして俺はシャーミリアと二人でテントを出る。あたりは薄暗くなってきており、テント村の中心では焚火が焚かれ、その脇にはグレースが出したであろう竈があった。めちゃくちゃ食欲をそそる香りがして来て、俺の腹が盛大に鳴った。
「よかったです」
「ああ、マリアのパイが前線で食える幸せ」
「グレース様が、ネクターも準備しておるようです」
「宴だ! たぶん魔人のみんなも起きたと思う」
「そうなのですか?」
「みんな繋がっているからね」
「ではお誘いしてまいりましょう」
マリアが他のテントを周り、魔人達に声をかけて回るようだ。空にはひときわ明るい星が瞬き始め、俺の大切な人たちが焚火を囲んでいる。今日は戦いの事を考えるのを止めて、ひと時の団欒を楽しむことにしようと思うのだった。




