第799話 凶悪な魔獣の出現要因
俺たちが建物に入るや否や、すぐにレビン村長が血相を変えて話し始めた。
「来たということは、辺境伯様の所に通達が届きましたか!」
「通達? なんの事だ?」
どうやらアリストには、何のことか見当がついていないようだ。
「辺境伯様は私からの嘆願書を見て、来て頂いたのではございませんか?」
「そのような物は届いていない」
「では、何故ここに?」
アリストとレビンの会話が噛み合っていない。アリスト辺境伯は少し考え落ち着いた声で尋ねる。
「嘆願書の内容は?」
「はい。実は突如、凶悪な魔獣が出現しだしたのです!」
「なるほど、例えばサラマンダーとか?」
「は、はい! そうです! 先程、通達は届いていないと?」
「届いてはいない。だが来る途中で、サラマンダーの群れに襲われたのだ」
「なっ! サラマンダーの群れにでございますか!?」
「そうだ」
「よ、良くぞご無事で」
「この御仁たちに助けていただいた」
そう言われたレビンは、改めて俺たちを見た。
「どうも」
「あの、失礼ながらあなた方は」
「北の魔人国から来た魔人です」
「ま、魔人?」
「ええ」
レビンは魔人を知らないようだった。恐らく南大陸の一般市民で魔人を知る者はいないだろう。そしてそんな奴が何故、アリストと一緒にいるのかって事が不思議だと思う。
「まずはレビン村長。落ち着いて話さないか?」
「わかりました」
通された部屋に座ったと同時に、使用人が飲み物を運んできた。
「ささ、どうぞ」
《シャーミリア。飲み物に毒の類は?》
《ございません》
念話で確認する。特におかしなところは無いのだが、念には念を入れる必要がある。
「では、いただきます」
俺がグラスを取ってゴクリと飲むと、アリストもレビンもグラスを空にする勢いで、ごくごくと飲み干した。恐らく緊張して、喉がからからになっていたのだろう。
そしてレビンは、俺とシャーミリアとファントムを見て…ファントムで視線を止める。
「あ、あう…」
ファントムを見て思いっきり恐怖の表情を浮かべてしまう。
「大丈夫です。コイツは俺の従順なしもべです」
するとレビンは襟を正して謝る。
「し、失礼いたしました」
こればっかりは仕方がない。ファントムを見たら大抵の人はこうなってしまう。フードを深くかぶっていても、その異様な雰囲気は隠せない。
「それでレビン村長。嘆願書は魔獣の事で良かったかな?」
アリストが話を戻した。
「そうです! 私が言いたかったのは、突然近隣に凶悪な魔獣が出現したと言う事です!」
「それは私も見た。サラマンダーなど山脈の奥地で稀に見るような、恐ろしい魔物だ。それがここまで来る道中の街道に現れたのだ」
「よくぞ、生きてたどり着きました」
「恐らくレビン村長が嘆願書を持たせた者たちは、サラマンダーに焼かれてしまったのだろう」
「そ、そんな…」
確かに、あんな魔獣がいきなり現れたんじゃ普通の人間は瞬殺だろう。
「どういう状況になっているのだ?」
「はい。冒険者も自警団もかなりやられました。この村にいる冒険者では歯が立たないような、危険度の高い魔獣が多数出現しているのです。私もこの村でずっと生きてきましたが、このような事は一度もございませんでした」
するとアリストが答える。
「サラマンダーなど私も若き頃に一度山脈で見たことがあるだけで、人間の住む場所で見た事など無い」
なるほどね。やっぱりおかしいと思ったんだ。てことは恐らく敵が何かを仕掛けてきている可能性がある。自然発生的にあんな魔獣が大量発生するわけがない。
「しかし、サラマンダーが街道に出るなど…。何匹くらいおったのです?」
「数百匹はいただろうな」
「す…数百匹ですと!? そのような数のサラマンダーが居て、どうやってここにたどり着いたというのですか!?」
「それはラウル様のお力によるもの。かなりの数を殲滅している」
レビンは信じられないものを見るような顔で、俺達を一人づつ眺めていきファントムで目を止める。やっぱりファントムを見ちゃうよな…
「それほどにこの御仁はお強いのですか?」
「いや、この人達といった方がいいだろう」
「こちらのお美しい女性も?」
レビンが更に信じられないようなものを見る目つきになる。なので今度は俺が答える事にする。
「そうです。この秘書であるシャーミリアは、魔人軍でも1、2を争う強さを持っています。それよりも、出現した魔獣の事を聞いてもいいですか?」
「ど、どうぞ」
「魔獣が現れたのはいつ頃ですか?」
「昨日です」
「昨日ですか」
「はい」
どうやら間違いなく、俺達本隊の出発に合わせた動きのようだ。
「村には侵入してこないのですか?」
「今のところは…、討伐して戻った怪我人で診療所がごった返しているくらいで、村まで魔獣は来てはいません」
「どのあたりで襲撃されたのです?」
「森です。最初に襲われたのは、薬草を取りに行った若い冒険者でした」
「今、村の防衛はどうなっています?」
「怪我をしていない冒険者と自警団が、警護にあたっていますが数が足りません」
「わかりました」
俺とアリストが顔を見合わせる。俺が何かの答えにたどり着いた事に気が付いたらしい。そしてアリストの方から口を開いた。
「これは…、ラウル様のおっしゃっていた敵の仕業である可能性はありますか?」
「恐らく十中八九…いや十割そうだと思います」
「そうですか…」
アリストが乾いた喉を潤そうとしたのか、空になったグラスをもった。それに気が付いたレビンが、ドアの方に振り向いて使用人を呼んだ。
その間に俺はシャーミリアに念話で話す。
《シャーミリア。これたぶんデモンの仕業かね…。もしくはカナデのような能力者だろうな》
《私奴もそのように愚考いたします》
《恐らく狙いは、先行部隊との分断だ》
《はい》
《となれば、俺達本体の侵攻を遅らせている間に、先行部隊を叩くつもりだろう》
《あのような魔獣は足止めにもなりませんが?》
《まあ、普通に考えたらそうだよな》
《先を急ぎますか?》
《いや、それも罠の可能性がある。まずはこの村周辺の異変を確認する必要があるだろう》
《かしこまりました》
再び飲み物が運び込まれて、アリストとレビンがそれを一気飲みする。俺も一口飲んで話を続けた。
「アリスト辺境伯。恐らくはこちらの作戦を読んでの事でしょう。ひとまずウルブス近郊には魔人軍が集結している。恐らくはウルブスの都市に脅威が迫る事は無いです」
「それは、わかります。ですが、これは…恐らく先行部隊との分断を狙ったものでは?」
どうやらアリストもその事に気が付いたらしい。恐らくはその通りだが、もう一つ懸念される事がある。
「恐らくですが、俺達がここを出ればこの村に魔獣が入って来るでしょう」
俺が確信をつく。するとレビン村長が慌てて聞いてきた。
「な、どういう事です! なぜこの村に魔獣が来るのです!」
慌てるレビンをアリストが制した。そしてアリストがゆっくりと口を開いた。
「まず冷静に聞いて欲しい」
「はい」
「我がウルブスは、魔人国に対し降伏を申し出た。そしてアラリリス国の領土となったのだ」
「な、なんですって?」
「モエニタの領ではなくなると言う事だ」
「お、お言葉ですが、アリスト・ガルディア・ウルス辺境伯様は、王家の血を引かれているのではございませんか?」
「そのとおりだ」
「そんなことをすれば、モエニタ国軍に仕返しをされるのではないのですか?」
するとアリストは少し考え込むように黙ってから口を開いた。
「例えば、私がモエニタ国に忠誠を誓い、魔人国へ宣戦布告したとしよう」
「はい」
「さすれば、このモエニタは一週間の後に全土が焼け野原となるだろう」
「え、あ…、ぜ、全土が? 一週間で? そんな馬鹿な」
「私はこの目で神の雷を見たのだ。あれが我が国で使用されれば、人の命など数十万単位が一瞬で消える」
「そんな、あ、悪魔のようなことが…」
「事実だ」
「はい…」
レビン村長の目がファントムを見ている。確かにデモンより見た目が怖い気がするが、俺の腰ぎんちゃくみたいなもんだから、そんなに怖くはないんだけどな。
「だが、彼らはそうしないそうだ」
アリストが俺を見た。
「そうです。俺達は北の大陸をめちゃくちゃにした悪魔を追って、南の大陸まで来たんです。その悪魔は北ではデモンというのですが、それらが火の一族という種族まで巻き込んで我々と戦っているんです。そしてそれは出現したとされる、火神が関係しているのかもしれません」
今の説明でレビンはあまり理解をしていない顔をしているが、なんとなく目の焦点があってきて俺に尋ね返してくる。
「とすると、あの凶悪な魔獣たちはそれらの者達が仕向けていると?」
どうやら理解してくれたらしい。
「そのように考えています。既に先行部隊が奥地に進んでいますが、その隊と我々の分断を図っているのでしょう」
「ウルス辺境伯? それは本当なのですか?」
レビンがアリストを見て、この話の真偽を問うような表情をする。確かに、こんな荒唐無稽な話を、いきなり来ていきなり信じろと言ったところで無理がある。だが恐らくはこれが真実に近いと俺は思っている。
「にわかには信じられないだろう、それは私とて同じ。だが王都から人が来なくなったことも事実としてある。王都で何かがあったとみるのが妥当だろう。その真偽を我が目で見るまでは、ラウル様を信じてみようと思っている。…そしてもう一つ、教会は信じるな」
「そ、そんな罰当たりな」
「あの魔獣騒ぎの糸を引いているやもしれん」
「神父は良い人ですし、到底そのような事が出来るとは思えません」
「そうか。なら一度会っておくか…」
「それは、そうしていただければと思います」
レビンがいまいちピンと来ていないようなので、俺も核心を話そうと思う。
「おそらく、この村は人質に取られています。その事で少しの間、俺達の足止めが出来るだろうと考えている可能性があるんです」
「納得は出来ないですが、話はわかりました。それで冒険者や自警団が壊滅するような、狂暴な魔獣が跋扈しているのです。辺境伯様は、領兵を連れて来ていらっしゃるという事ですか?」
「連れて来ていない」
「連れて来ていない!? 何を言っていらっしゃる? …ではどうやって守ろうと?」
「それを彼らにお願いしている」
するとレビンは俺の方を見て尋ねてくる。
「恐れながらラウル様。魔人軍は何人来ているのです?」
「えーっと…、七人ですね」
「‥‥」
「七人です」
「…何をおっしゃっているのです?」
「だから七人で来てます」
「そんな馬鹿な! どうやってここまで来たのです!」
「えっと、七人で魔獣を蹴散らして来ました」
俺の答えを聞いて、レビン村長がちょっと怒ったようにアリストを見た。その視線を受けて、アリストが肩をすくめて言う。
「ラウル様のおっしゃる通りだ」
「な…」
すると、今度はそのモタモタした会話をシャーミリア嫌って言った。
「人間よ。ご主人様のお力を疑うと言うのか?」
突然の物凄い殺気にレビンが震えあがる。だが何とか口を開いて呟く事が出来た。
「い、いや…でも現実的に…」
「ならば、この周辺に巣くう魔獣を私一人で殲滅すれば信じると?」
「貴方様のような華奢で美しき女性が一人で?」
「他にどう聞こえた?」
「な、なんと申し上げて良いのやら…」
レビンが困ってしまったので、俺が助け舟を出す事にする。
「我が軍は一騎当千の兵がゴロゴロしているのです。周囲十キロ程度なら、このシャーミリア一人でも十分かと」
「じゅっきろ…」
「それより、魔獣をけしかけている元凶が脅威となります。シャーミリアが動いている間に、俺達がその元凶を突き止めて討ち取れば済むこと」
「そのような真似ができるのですか?」
「ええ」
もうレビン村長は何も言わなかった。なんというか、馬鹿と話しているような感覚になったのだろう。でも俺は全く嘘をついていないし、シャーミリアも全く嘘をついていない。とにかくこの村の安全確保をするために動く必要があった。