第778話 敵軍本部にて ~アブドゥル、バティン、視点~
その大広間は白の大理石で埋め尽くされており、相当の広さがあるように見える。その広間には舞台のような高座があり、その中央に巨人が座るかのような立派な玉座があった。そしてその玉座に一人の男が座っていた。その玉座の男はひじ掛けに肘をつき、握った拳を傾げた頭のこめかみに当てて広間を睥睨している。そこから見下ろす広間には、複数の人影が膝をついて頭を下げていた。
玉座に座った男は、特に感情のこもっていない声を発した。だがその声は太く低くて、腹の底に染み渡るような重さを持っていた。
「いったいどうしたっていうんだ? なぜ雁首をそろえてここに居る? 北の大陸を占領してくるんじゃなかったのか?」
「申し訳ございません。敵は我らの知らぬ力を使うのです」
「マルヴァズールよ、お前は北の大陸は任せろと言った。だから俺はバルギウスを出てこの南の大国を治めるためにやって来たのだ。デモンとやらの力はそんなものなのか?」
玉座の男がマルヴァズールに向けて静かに言った。威嚇するわけでもなく静かに言っただけだったが、その広間は凍り付くように静かになった。全員が言葉を発することなく、ただブラウンヘッドに尋ねられているマルヴァズールの次の言葉を待っていた。
広間に跪いているのは七人。
奥から
質問されているデモンのマルヴァズール、その後ろにアブドゥル。マルヴァズールの隣りにはデモンのバティン、その後ろに元ファートリア騎士のエフォドス・ビクトール。そしてその横並びに、火の一族ゼクスペルの生き残りが三人、フォイアーとファゴールとイーグニスがいる。
「答えないのか?」
答えないマルヴァズールに男が尋ねる。
「い、いえ。かなりの数のデモンを召喚してぶつけたのです。負ける事は無いと思っておりました」
「思ってた? 確信して事にあたったんじゃないのか?」
「もちろんそのつもりでした!」
「つもり? じゃ負ける事も考えていたと?」
《自分の主が責められている。だが、俺が声を発する事は許されていない。ここは黙っているしかない。まあマルヴァズールには、何の恩義も感じているわけではないので、コイツがどうなろうと知った事ではない》
「負けるつもりなど毛頭ございませんでした」
「なるほど。ならなぜ負けた?」
《コイツは馬鹿なのだろうか? マルヴァズールは、敵が知らない力を使ったと言ったろう? そこを詳しく聞かないでどうするってんだ?》
「それは…」
マルヴァズールが答えあぐねいていると、突然玉座の男から恐ろしいほどの威圧が襲ってきた。
「ぐうっ!」
「うう!」
「くっ!」
「ぐっ!」
俺は思わず失神しそうになったが、魔力を循環させることで耐える事が出来た。だがバティンの後ろにいたビクトールっていう男は失禁して気を失ったようだ。マルヴァズールもバティンも耐えたようだが、ゼクスペルの奴らは涼しい顔をしている。
「アラリリスに送っていたデカラビアからの連絡も途絶えた。誰か知っている者はいるか?」
「それについては私が」
そう言って高座の脇から一人の男が歩いて来た。北の大陸から戻って来たと聞いていたが、名をフェアラートという。金の長髪で顔が女のように綺麗な男だった。歩いていないかのようにスーッと玉座の隣り迄近づいて来る。
「なんだ、おまえか」
「はい。デカラビア及びギュスターブ、マンディテ、マノ、ルカーのデモンは、全て消滅されられたと見て間違いないかと」
《しかし…フェアラートは、なんでこの位置にいるんだ? 現場に出て仕事してるのは見たことないし、どんな力を持っているってんだ? ずいぶん偉い立場にあるようだ》
ブラウンヘッドが聞き返す。
「消された?」
「その後、何度か密偵を出しましたが、答えは全て消滅との事です」
「そうか…」
すると今まで黙っていた、ゼクスペルのフォイアーが口を開いた。これまた全く感情の乗らない、さらりとした口調だった。玉座の後ろに立つ、フェアラートに向かって問う。
「フォティアとナールを送っていたと思うが?」
「残念ながら、やられてしまったかと」
フェアラートは残念じゃなさそうに言った。すると答えたのはフォイアーではなく、イーグニスだった。
「そんな馬鹿な!」
「黙れ」
そんなイーグニスをフォイアーが制するように睨みつける。
「しかし」
「我が主の御前である。我らゼクスペルがいいわけをするのか?」
フォイアーが殺気の籠った声で言うと、イーグニスはそれ以上話をすることは無かった。フォイアーとて、フェアラートから伝えられた報告に不満はあるはずだが、それ以上は何も言わないようだ。
また大広間に静寂が訪れる。誰も言葉を発する事は無いようだった。
《それにしても…、あのゼクスペルの連中が役に立たないなんてな。敵は現代兵器を使っていたが、俺は言葉を発する許可をもらっていないから黙るしかない。ただ…どう見ても、あの玉座に座っている男は…、いや…気のせいか。ただアイツの見た目…名前…気になる》
その玉座に座っている男の名はブラウンヘッド。元のバルギウス一番隊隊長で、バルギウスから皇帝と共に忽然と身を隠した男だった。
そしてフォイアーの言葉に興味を無くしたように、ブラウンヘッドは次にバティンに声をかけた。
「バティン」
「はい!」
「お前の双子の兄弟はどうした?」
「申し訳ありません。消滅させられました」
すると、ブラウンヘッドのこめかみにメキメキと血管が浮いて来る。
「…お前らデモンは雁首揃えて何をしているんだ? そして火の一族ゼクスペルと言えば、この世界を滅ぼすほどの力があるんじゃないのか?」
さらりと言っているが、びりびりと殺気が伝わってくる。物凄い殺気が広間を荒れ狂い、ゼクスペルの連中も顔を引きつらせている。相変わらずフェアラートだけは涼しい顔をしているようだ。だんだんと殺気が高まって来て…俺は気を失ってしまった。
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「ブラウンヘッド様。あまり強い殺気を発せられれば、人間には耐えられません。かろうじて魔力で防ぐ事が出来ていたようですが、まともな話を聞く事が出来なくなるかと」
「人間の話など聞く必要があるのか?」
ブラウンヘッドはフェアラートをぎろりと睨んだ。
「まあ、必要な情報は取れないかと。失礼をいたしました」
「それで、フォイアーよ。炎の一族もその程度ってことでいいんだよな?」
我は…長兄のこのような姿を見たことが無かった。ゼクスペル長兄としての尊厳に満ちたその姿は鳴りを潜め、ブラウンヘッドの問いに難しい顔をしていた。次兄のファゴールも言い返す事が出来ない。我の一族がこんなに弱い立場になる事など夢にも思わなかった。だがこれは仕方のない事だ、ブラウンヘッドには逆らう事が出来ないのだから。
フォイアーが答えた。
「いえ。フォティア、ナール、フーの仇は討たせていただきます。もちろん、ブラウンヘッド様のお許しがあればでございますが」
「わざわざ許しを請う事もないだろう? 誇り高きゼクスペルなのだから」
「主様を前にして、その様な勝手な真似は出来かねます」
「勝手にしろ」
「そう望むのであれば」
ブラウンヘッドの言葉を受け、長兄のフォイアーが我とファゴールを見た。
「ファゴール、イーグニスよ。聞いての通りだ。我が兄弟のかたき討ちの許可を得た。いいな?」
「「は!」」
ファゴールに続いて我も頭を下げる。四番目と五番目と六番目の兄妹をやった奴らを、ようやく殺す時が来たようだ。実際は末弟のフーだけで十分だと考えていた敵の殲滅だったが、フーはおろかフォティアもナールも消されてしまった。敵は相当の力を持つ軍隊らしい。
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《恐らくは、炎の一族フーと一緒に出たにも関わらず、おめおめと自分だけ帰って来たボクを火の一族は殺したいのだろうと思う。だが、それはブラウンヘッド様が許可を下さなかった。ならばボクにはボクの出来る事があるからだろう。恐らく正攻法でやっても魔人軍を倒す事は出来ない。ならば搦め手が得意なボクを生かすのは当然だ》
「バティン、マルヴァズール」
ブラウンヘッド様が我らの名を呼んだ。
「はい」
「は!」
「お前達にも働く機会を与える。標的は敵軍全部、誰か一人でもいいから殺せ。どんな手を使ってもいい、やれるところを見せてみろ」
「「は!」」
正直、このマルヴァズールとは組みたくない。こんな卑しいデモンと一緒にされるのはまっぴらごめんだった。だがコイツが引き連れている、アブドゥルは使える。マルヴァズールを殺して、このアブドゥルを手に入れる事は出来ないだろうか?ボクが連れて来たこれ(ビクトール)は正直あまり使い物にならない。後は、モエニタの兵を貸していただくしかないだろう。だがあの敵を前にしたら、人間の兵など全く意味をなさない。
「行け!」
号令がかかり、僕はビクトールを担ぎ上げて部屋を出るのだった。隣にはアブドゥルを担ぐマルヴァズールがいる。相変わらず下卑た笑いをしていて気味が悪い。コイツと組むくらいなら、やっぱりゼクスペルに取り入った方が成功率は上がるだろう。
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「さて、どうなりますか」
フェアラートがブラウンヘッドに声をかけた。
「さてな。あいつらの力はそう弱くないはずだが、こうも一方的にやられるとはな」
「敵の情報も集まって来ておりますし、彼らならもっと良い情報を集めてくるでしょう」
「…情報を取る為の駒か…」
「まあ、上手くいったらそれに越したことは無いでしょうがね」
「ふん。俺が行って一気に叩けばいいんじゃないのか?」
「もちろん、ブラウンヘッド様が出向いて負けるなど万が一にもございません。ですが万全を期して戦った方が良いでしょう。それまでは何卒堪えてください」
「…まあいい。それで皇帝はどうしている?」
「安全に幽閉しております。なにせデモンの魅了も威喝も通りませんからね。だからと言って何か力があるわけでもありません。心配には及びません」
「俺が言っているのはそう言う事ではない。皇帝は虹蛇の分体を見つけたと言ったはずだ。だが俺は未だにその所在を知らないのだ」
「はい」
「お前も、魔神と精霊神の所在を掴んでいたと言っていたな?」
「申し訳ございません。それも消えてしまったのです、魔神の母親を見失い、精霊神も二カルス大森林から消えました」
「で、俺達が喧嘩しているのがそいつらだと?」
「そう推測するのが妥当かと思われます」
「…じゃあ、バルギウスの皇帝はもう用済みじゃないのか?」
「情報と引き換えに、バルギウス帝都を滅ぼす事をやめました。それも契約、むやみに殺す事は出来ないのです」
「面倒くさいな」
「すみません」
そしてブラウンヘッドは立ち上がる。そのまま玉座のある場所からカーテンの奥へと消えていった。その後ろをフェアラートが追いかけていく。モエニタ王国の居城内にある真っ白な大広間に、再び静寂が訪れたのだった。