第768話 お風呂談話
いやあ…鉄板の『アレ』に直面する事になるとは思わなかった。女を男だと勘違いする例のアレ…服を脱いでみたら実は女だったとかって…てっきり男だと思ってました!すみません!とかいうヤツ…。だが、ここは冷静にいかなければならない。俺は知っているのだ、ここで男だと思っていました!!なんて言ったら絶対に相手は傷つくし、関係性が悪くなると言う事を。
そう、俺も馬鹿じゃない。
「……」
「……」
馬鹿じゃないが、何を話して良いか分からない。いや、いろいろ話そうと思っていたんだが、頭が真っ白になって話が出来なくなった。むしろかなり緊張して、リュウインシオンを見る事が出来なくなってしまった。
だって裸だし。
お湯の温度が低く、ずっと浸かっていられることが救いかもしれない。暑いお湯にこんな状態で浸かりっぱなしだと、絶対にのぼせていただろう。とにかく今は身動きを取る事が出来ない。
「なにかお話をされないのですか?」
リュウインシオンの方から聞いてくる。俺は横目で彼女をチラリと見て、目をそらして全く違う方向を向いていた。長い黒髪に目鼻立ちがはっきりした、一瞬イケメンに見えた顔が真っすぐに俺を見つめている。
「そ、そうだな。あの、あれだ。温泉はあちこちにあるのか?」
本来話そうと思っていた事とは程遠い、どうでもいい事を聞いてしまった。
「そうですね。迎賓館はもちろんですが、何カ所かに湯屋があって市民も入れます」
「凄いね。それはきっと旅行者も喜ぶだろうね」
「以前はそうでした。ですが旅行者は来なくなってしまいました」
それはそうだろう。北のシン国からは警戒して人が来ることは無いし、恐らくここより南の国は敵が占領しているはずだ。人の流れを止めるのはあいつらのやり方で、情報を止めて攻略を阻止しようとしているのだ。
てか、そんな事より!今をどうするかだ!
「……」
「……」
話がブツっと切れてしまった。話すべきことが頭から無くなった。風呂から上がってからじゃないと、まともの話をすることが出来ない。どうしよう?俺が変に意識をしていることがバレたらまずい。
「お気に召されませんでしたか?」
逆にリュウインシオンが不安そうに言う。
「ん?いやいや!すっごく気に入ったよ。大きな浴場は大好きだし、お湯もぬるめだからずっと入っていられるし」
「それは良かったです」
「……」
「……」
ヤバいほど、話が弾まない。というか俺はだんだんと不安になってきていた。この現状をカトリーヌに知られたら、どう思われるだろう?もしかしたら俺を軽蔑するのではないか?めっちゃ焦って来た。マリアやミーシャに知られたらめっちゃ怒られるのではないだろうか?
…どうする…
《ご主人様。何か異常に心拍数が上がられているようですが、どうかなさいましたか!》
シャーミリアが、俺の異常に気が付いて念話をしてきてくれた。
《ミリア!助けてくれ!なんとリュウインシオンは女だったんだ!》
《はい?ご主人様は御存じなかったのですか?》
《えっ!知ってたの?》
《魔人は全員気が付いていると思われます》
マジか…俺だけが気が付いていなかったのか…
《分かっていたなら言ってくれよ》
《お気づきになった上で、わざとではなかったのですか?》
《わざとすると思うか?》
《はい。ご主人様に対する忠誠心を試したのでございませんか?》
なるほど…魔人たちはおろか、恐らくはリュウインシオン自身もヘオジュエもそう思ったのだろう。それならばこの状況は腑に落ちる。
「ラウル様」
念話に集中している俺にリュウインシオンが声をかけた。
「は、はい!すいません!」
「い、いえ!どうされました?何か考え事をなさっていたようですが?」
リュウインシオンが不安そうな声で聴いてくる。それでも俺はリュウインシオンを見ることなく返事をした。
「なんでもない。やっぱり風呂はいいよな」
「は、はい」
「……」
「……」
また途切れる。どうしたらいいものか…
「何やら、ラウル様がぎこちないように感じますが、何か思っていることがあれば気兼ねなく言っていただいてよろしいのですよ!もしかしたら属国になれ!とかそう言ったお話ではありませんか!」
違うよ。
「いや、あの…」
「献上品をご所望でございましょうか?出来る限りの事はさせていただきます!」
ヤッバい。これじゃあ俺がパワハラをしているような感じだ。俺の国の軍事力をかさに着て、無理難題を吹っ掛けてくると警戒しているようだ。
「ちょっとまて」
「は、はい!」
ヤベえぞ。
《ご主人様。体調に異常はございませんか?》
《ミリア!助けろ!》
俺は丸投げする事にした。もう何も考えられない。
そしてしばらくすると…カラカラカラカラ、と浴室の扉が開いた。
「誰!」
リュウインシオンが布を体の前面に持ってきて警戒する。女性ならば警戒するのは当たり前だ。
「ご主人様の秘書、シャーミリアです」
「ああ、シャーミリアさん!」
リュウインシオンがホッとした声を出す。
「はい」
「ラウル様配下の、カララにございます」
「は、はい!」
「ご主人様の下僕、マキーナにございます」
「ど、どうも」
「ラウル様の大切な方を守護しております、ルフラにございます」
「これは…皆さん…どうして?」
リュウインシオンが驚いていると、湯気の向こうから絶世の美女軍団が、一糸まとわぬ神々しい姿で現れた。もちろん俺はそっちを見る事が出来ないでいる。
「ご主人様の命により、体を揉みほぐして差し上げます」
「そ、そんな!ラウル様が大切になさっている、魔人国の方にそのような事をしていただくわけにはまいりません!」
「いえ。リュウインシオン、それをしなければ私奴めがご主人様に叱られてしまいます」
いや、そんなことで叱った事なんて一度もなかったと思うけど。
「そう…なのですね?すみません。魔人国のしきたりなどを存じ上げないものですから」
「それでは失礼いたします」
シャーミリアとカララが俺を、マキーナとルフラがリュウインシオンの側に寄り添って体をマッサージし始めた。
助けろとは言ったが…いったいこれは…
気のせいか、シャーミリアやカララが舌なめずりをしたように見える。でもよく見たら真剣な顔をしているので、気のせいのようだった。
「あ…」
リュウインシオンがツボに入った、コリをほぐされる気持ちいいゾーンに入ったらしい。
カラカラカラカラ
また一人、入って来た。
「また…誰か…」
リュウインシオンが心地よさそうにしながら虚ろに言う。
「アナミスにございます」
あーそう言う事ね。
なるほどなるほど仕上げにきたようだ。俺には分かる、アナミスは最後の仕上げにやって来たのだ。むしろ俺一人に女が六人、多勢に無勢でむしろ俺だけが緊張する状態になった。そしてアナミスがマッサージされている俺達に向けて、赤紫の靄を流し込んできたのだった。
……
俺の意識は深いまどろみに沈み込んでいく…。
気がつけば俺は自分の部屋のベッドに寝かされていた。カトリーヌが俺の側に座って、団扇のようなもので俺を仰いでいた。
「カティ…」
「お目覚めでございますか?」
「は、はい」
もしかしたら昨日の一件を聞いて怒っているかもしれない。もしそうだったら、俺にはジャンピング土下座の用意がある。
「良かったです。なんでもお風呂でのぼせて、眠ってしまわれたと聞きました」
「誰に?」
「シャーミリアです」
「なるほどなるほど!うん!そうなんだよ、俺は全く記憶が無いんだが、どうやら風呂場で眠ってしまったようだね」
「心配しました。でもお元気そうで何よりです!」
「ごめんね。疲れていたのかもしれない」
「それはそうだと思われます」
「ごめんね。みんなも疲れたろ?」
「いえ、お側で眠ってしまいましたわ」
「ずっとついていてくれたのか?」
「はい」
カトリーヌが屈託のない笑顔を向けてくる。まちがいなく、魔人達は上手くやってくれていたらしい。俺のエマージェンシーを聞いて、すべてを収束させてくれたようだ。
よかったよかった。
「今は夜か?昼か?」
部屋が少し暗くて時間がよくわからない。
「昼前にございます。雨が降りやまぬようで外は少し暗いようです」
「まだ降ってんのか?」
「はい」
俺が体を起こすと、服を着ていない事が分かった。すっぽんぽんで眠ってしまっていたようだ。カトリーヌがガウンのようなものを俺にかけてくれる。
「これは?」
「アラリリスのローブのようです」
「これは随分着やすいな」
「肌触りが良いですわ」
「これの事も聞いてみよう」
「では」
そして俺はガウンを着てベッドから降りた。すると側にはヴァルキリーが立っている。
《ヴァルキリー、今日も一日頼むぞ》
《はい我が主!》
「カティ、俺の服はどこ?」
「こちらです」
俺の服は畳んで棚に置いてあった。俺がそれを着ようとガウンを脱ぐと、カトリーヌは慌てて目を逸らす。素っ裸なので、いろんなものが出ているからだ。俺はそそくさと服を着て一旦椅子に座った。
「ラウル様が、お目覚めになった事をお知らせします」
「ああ」
カトリーヌがドアに行って、外にいる人に声をかけている。俺の当番の人がいるのだろう。しばらくすると、俺の部屋に食事が運ばれてくるのだった。至れり尽くせりで申し訳ない。俺はテーブルに座って料理を頬張る。
「美味しいな」
「変わった料理です」
カトリーヌも一緒に軽く食事をとった。なんか二人きりでゆっくり食事をとるのも久しぶりだ。
「この国の民を大勢救えたことは本当にうれしいよ」
「はい。ラウル様のお気持ちが皆に伝わり、その力が集結されてこの結果になったと思われます」
「そうだな」
「魔人一人一人の力、モーリス先生やデイジーさんのお力、マリアやカナデの力、すべてがこの奇跡を起こしたのですわ」
「もちろんカトリーヌもな」
「非力ながら、お力になれた事は光栄にございます」
「非力なもんか。洞窟の民達や、炎天下で死にかけた人はカティのおかげで助かったんだ」
「そのようなお言葉をかけていただけるとは、とても幸せです」
「本当にありがとうな。カティ」
「はい」
遅い朝食をとりながらも、俺とカトリーヌは慣れたように話をする。なんだか母さんと話をしているような感じがする。恐らく見た目も似ているからだと思うけど、どこか貴族の気品も感じる。それなのにざっくばらんに話をすることができるのが、彼女の良い所だと思う。
「ここより南の国はどうなっているのでしょう?」
「わからん。だけど、俺は必ず真の敵を追い詰めて叩き潰す。グラム父さんやサナリア領軍の仇をとるんだ」
今の一言を発しただけでも、メラメラと気持ちが燃え上がってくる。俺の中の復讐の火はまだ消えていないのだ。
スッっとカトリーヌが、ナプキンで俺の口元を拭いてくれた。俺は興奮して、口の周りにソースをつけていたらしい。まるでイオナのような仕草につい甘えてしまいそうになる。
「それでラウル様、話は変わるのですが」
「なんだい?」
「昨日、リュウインシオン様と一緒にお風呂に行かれませんでしたか?まさか湯船は一緒だったという事はございませんか?」
ギッックゥゥゥ!!!
「ご、ごほ!ごほ!げほっ!」
「大丈夫ですか?」
「い、いや。そんなわけないだろう!リュウインシオンは、この国の次期王様になる人だぞ?」
「そうですか…それなら良いのですが。もしかしたら、ラウル様はお気づきになっていないのかと思ったものですから」
「なにが?」
「あの方は女性でございます」
うう‥‥
「知ってたんだ?」
「もちろんです、ご存知なかったのですか?」
「いや、実はね!最初は騎士の格好をしていたし、顔もススだらけだったから全く気づかなかったんだよ!カトリーヌは気が付いていたのか?」
「もちろんです」
「えっと、マリアも?」
「はい」
「そうなんだ!俺はてっきり男だとばかり思いこんでさ!女だと分かった時は心臓が止まるかと思ったよ!」
ピクッ
ん?カトリーヌの雰囲気が変わった気がする。
「そ、そうですか。ラウル様が、女だと分かったのはいつですか?」
あ…
「えっと、いつだったかなあ…。ご飯の時だったかなあ…、あいさつに来た時かも」
「…そうですか。分かりました。とにかく彼女は女性ですので、今後のお付き合いはお気をつけになった方がよろしいかと思いますわ」
「もちろんだよ!わかってるって!」
微妙な空気が流れながらも、ニッコリとカトリーヌが笑ってくれたのでその場は収まった。まるでイオナのような、言論誘導ぶりに俺は舌をまく。だけど俺の表情から何か読み取られるかもしれない、そんな時はあれしかない。
「よし!ヴァルキリー!開閉!」
ヴァルキリーの背中が開き、俺は急いでヴァルキリーを装着した。
絶対バレてない。きっとバレてない。
俺はそう自分に言い聞かせるのだった。でもなんで俺まで眠らせられたんだろ?リュウインシオンだけでよかったはずなのに。まあスッキリしているのでオッケーと言う事にしよう。