第734話 アラリリスの異変
恰幅が良く色黒の肌で髭を蓄えた主人、同じく色黒で整った顔をしたあどけない少女、同じく色黒で細身の体系をした従者。彼らはアンフィスバエナの唾液でどろどろではあるが、白装束で身を包み貧しそうには見えない。アラリリスの民なのだと言った。
「なにから話せば…」
「何からでもいい」
俺は商人が話し出すのを待つ。主はなかなか話を切り出さずに険しい表情をしていたが、俺は急かすことなく、じっくりと待つことする。ようやく商人がゆっくりと話を始めた。
「アラリリスは…もはや国と呼べるものではありません」
「お父さん!」
ようやく主が話し出そうとするのを、娘が慌てて止めた。何かに怯えているようだ。
「良いんだよ。ロメリナ」
「でも!」
「やめなさい!」
「でも!」
「良いんだ!」
俺の目の前で親子が争っている。話したらまずいことがあるらしい。とにかく話をさせなければ状況が分からない為、話を促すために俺から言葉をかける。
「娘さん。俺達は他国の人間だ。話しても問題はない」
だがロメリナは口を閉ざして何も言わなかった。
「……」
「ロメリナよ。話してしまおう」
「そんなことしたら、国の皆が」
「もはや、アラリリスは国とはいえないよ」
「だけど、生きている人がいるわ」
「あの状態の国で生きている…などとは言えんのじゃないか?わしらだって生きているなどと言えるものか…」
「……」
なるほど。箝口令でも敷かれていたのか、言ったら何かをされるという状況らしい。だが魔獣に襲われて食われた、というアリバイも作ってあげたし、この人らはデモンの干渉も魅了も受けていないので、話しても誰かに聞かれる事も疑われる事もない。そこで俺は更に声をかける。
「俺達から漏れる事は無い。俺達は恐らく君らの考える者とは違う」
「恐らくはそうなのでしょう。では、この子が恐れている事を話します」
そして少女は観念したのか、それ以上、父親に詰め寄る事はしなかった。
「いつからになるでしょうか…こんなことになってしまったのは…」
商人はぽつりと語り出した。
「前のアラリリスの王は人格者で、民を気遣い民と共に生きるお方でした。砂漠に近く厳しい環境のアラリリス国では、団結しなければ人々は生きていけません。前王はその厳しい環境であることを感じさせぬ、良き国を築き上げておりました」
「アラリリスは砂漠の影響は受けないのか?」
あの危険な砂漠の脅威に曝されても、アラリリス国は存続し続けられるらしい。もしかすると、シン国のように結界が張られているのかもしれないと思い、俺は訊ねてみた。
「地形のおかげだと言われております。アラリリスは切り立った崖に囲まれ泉が湧き出た、砂漠のオアシスとして旅人が集まった国なのです。時折砂漠の恐ろしい魔獣が出るものの、人々が団結して追い払い国の安全を保っていました」
どうやら地形に恵まれて国が存続しているらしい。グラドラムと似ているのかも知れない。商人が話を続ける。
「ある静かな昼下がりでした。突如、深く濃い霧が発生し、それが瞬く間にアラリリスを覆いました。アラリリスでは霧など出たことが無く、人々が何か天変地異の前触れではないかと騒ぎだしました」
「霧は珍しいのか?」
「はい。アラリリスではあまり見たことはございません」
「続けてくれ」
「はい」
北の大陸では霧など珍しくはないが、南のこの地では霧を見たことは無いと言う。人間は初めて見るものに恐怖を抱く。人々が騒ぐのもおかしな事では無い。
「それからです。アラリリスがおかしくなってしまったのは」
「どうなった?」
「霧が発生した日に、下町の住人が僅かに消えたのです」
「住人が消える?」
「そうです」
「何処かに行ってしまったと言う事か?」
「最初はそうなのだろうと、皆が思っておりました。実際のところ私も家族もそう思っていたのです」
そう言って商人は悔しそうな顔で口を噤む。
「それが違ったと?」
俺が話を続けるように尋ねた。
「恐らくは違ったのだと思います」
「恐らくは?」
「はい。と申しますのも確証が取れていないのです。でも間違いなく、人は都市を出て行ったわけでは無い、と私は思っています」
「どういう事だ?」
「これを言うと、私達も消されてしまうでしょう」
商人が覚悟を決めた眼差しで娘を見る。ロメリナも同じような顔をして頷いた。そして話を続けた。
「そのとき、いきなり王が替わりました」
「ん?戴冠式とかがなく?」
「通常ならばございます。ですがそれもなく突如、王が替わりました。おかしな事だらけでございますす。王が崩御したわけでもなく、また、王族でもない血族以外の方が王になるなど、ありえません」
「なんでそうなったと思う?」
「恐らくは、下町の住人だけが消えたのではなく、あの人望のあった王も忽然と消えたのだと噂が流れております。そしてそれにすげ替えられるように、新しい王が現れたのです。しかしその王はどうやらアラリリスの民では無いようなのです」
そんなアリエンティな事が起きれば、国の誰もが騒ぐだろうな。いつのまにか王が替わってるなんて、前代未聞だろう。
「異論を唱えるものが大勢いたろ?」
「はい。もちろんたくさんおりました。城には兵もおりますし、表立って騒ぐのは不敬にあたりますが、若者は気持ちを抑える事が出来ずに声をあげました」
「それでどうなった?」
「……」
とても言いづらそうだ。何かに怯えているようにも見える。だが商人はそのまま話を続ける事にしたようだ。
「異論を唱える者も…消えてしまいました」
《アナミス。ここまで、この者の言動に嘘はなかったか?》
一旦、アナミスに念話で確認をとる。
《ございません。全て真実です》
《了解》
こんな変な事が真実らしいが、敵の香りがプンプンしてくる。
「ですが…」
そのまま商人は続ける。
「それでも、まわりの人々にはどこか遠くに旅立って行ったのだと、言いはる者がおりました。しかし、さすがに私はそうでは無いと思い始めたのです」
「どうして?」
「それは…」
やはり口が重い。余程の事があったのだろう。俺はとにかく急かさずに次の言葉を待った。
「とうとう私の義弟が消え、従兄弟も消えたからです」
「前触れもなく?」
「はい。義弟とは前日に一緒に食事もして、これからの事やお互いの嫁さんの愚痴なんかを言ってましたから」
なるほど、身近な人にそれが起きれば疑わざるを得ないな。
「義弟や従兄弟は人々が消えた事に強く疑問をもち、王が不当に変わったのだと疑っていたのです。今思えば、彼らを信じてあげるべきだった」
「弟さんは疑っていたと?」
「はい。従兄弟と一緒に、それを探るような事もしていたと思います」
「で、消されたか?」
「私の中で、それが確証に変わる出来事が起きました」
「なんだ?」
「義弟や従兄弟が消えた事に、腹を立てた正直者の私の妻が、そのことを知り合い達に相談して、吹聴して回ったのです」
「それで?」
「周りの人間達はそれを信じようとしませんでした。やはり義弟や従兄弟は、自分らで勝手に街を出て行ったのだろうと。ですが諦め切れない妻は、止める私をよそに、更に多くの人に訴えかけたのです」
「なるほど」
「そしてある日、妻は忽然と姿を消したのです。洗濯物を取り込み鍋に火をかけたまま」
そりゃ決定的だな。明らかに消えたのではなく消されたとしか思えない。真実を突き詰めようとすれば、消されてしまうようだ。
「それでどうしたんだ?」
「それから、私は妻を探し続けたのです。ですが一向に見つけることはできませんでした。そんなある日親しい友人に言われたのです」
「なんて?」
「これ以上探るな、諦めろと」
「なんでだ?」
「これ以上やれば、私も消されるからだと」
「誰に?」
「それはわかりません。ですが、私もそのような気がしました。娘もおりますので私は黙る事にしたのです。そしてアラリリスの街は、親が消えた者、子供が消えた者、妻が消えた者、恋人が消えた者、友人が消えた者で溢れ返りました。そして皆、口を揃えて同じ事を言うようになりました」
「なにを?」
「消えたものはきっと生活が嫌になって、アラリリスを出て行ったのだろうと」
うん。聞いた限りでは絶対にそうじゃ無い。それに対して異論を唱えたり、探したりすれば消されてしまうという、恐怖が都市に蔓延しているようだ。
「それからは生活が一変しました。働き手も減り、農業も狩りも廃れ始めたのです」
「そりゃそうなるか…」
「はい。更に悪いことは続きます」
「どうした?」
「砂漠から強い魔獣が来るようになったのです」
「急に?」
「はい。この都市には言伝えがあり、それがなくなったのではと言われています」
「言伝え?」
「この国には、虹蛇様のご加護があり、それで砂漠の魔獣から守られているのだと。そしてそれが消えたのではないかと言われています」
ああ、若干一名、その原因となってるかも知れない奴を知ってるかも。とりあえずここは黙っておこう。
「ならアラリリスは、壊滅するんじゃないか?」
「それがそうはならなかったのです」
「ならなかった?」
「はい。新しい王が強力な軍隊を連れてきたのです」
「強力な軍隊?」
「はい。ドゥムヤと呼ばれる、人形の軍隊です。それは人間より遥かに強く、強い魔獣をも撃退する力があります」
なるほど。それは確かに俺たちも見た…てか焼いた。大量に。
「それで?」
「ドゥムヤは、都市に滞在するようになりました。あの人間は、まるで人間のように振る舞います。ですが食べ物も食べずに、昼夜を問わずに働き続けるのです。そのおかげで都市は前より安全になったかも知れません」
まあ、それならそれで良いような気もするが、なにか釈然としない。それは目の前にいる商人達も、同じ気持ちのようだった。
「なら良いのでは?」
「それがそうもいきません。再び街に変な噂が立ち始めたのです」
「どんな?」
「ドゥムヤは…」
商人はとても言い憎そうだった。すると隣に座っている娘が代わりに答えるのだった。
「あれは…消えた人間なんじゃないかと」
「人間?」
「はい。あまりにも人間らしく、時おり街を懐かしむように徘徊するのです。人と接触する事はありませんし、話す事も出来ないようなのですが、ドゥムヤはあまりにも人間に似ている気がします」
「そんな感じがするだけ?」
「はい。ですが街の皆もそう思い始めています」
えっ…もしそれが事実だったら、俺はこの人達の隣人を…ヒャッハァ!とか言って燃やし尽くしちゃったんだけど…
でも仕方がない。悲しいけど、これ戦争なのよね…
「怪しむ人が騒いだだろ?」
「最初はそうでした…」
「また騒いだ奴が消えたと?」
「そういう事です」
「あくまでも推測なんだな?」
「はい。確証はありません。そういった噂が流れているだけです。でも誰もが思っていても、口に出すことはできません。皆が皆を疑い始めているからです」
「疑い始める?」
「誰かがどこかに密告して、それで人が消されているのではないかとの疑いです」
ロメリナがそう言った時、シャーミリアから念話が入る。
《ご主人様。そこに一緒に座る、御者に身体反応があります。どうやら動揺しているようです》
《親子には?》
《変化はありません》
《了解》
御者は何かを知っているのかもしれない。俺は御者に質問することにする。
「そこの、お前はそれについて何か知っているか?」
すると御者は澄ました顔で答えた。
「いえ、何も知りません」
《アナミス、どうだ?》
《嘘をつきました》
《オッケ》
この親子が知らない事を、御者はつかんでいるのかもしれんな…
「それでお前たちは、王の命令でここにきたんだな?」
すると商人が答えた。
「そうです。あの兵隊は言葉を発さないので、理由を聞くなどはできませんでしたが、今回はなんと百体以上の護衛がつきました。恐らくはアンフィスバエナの情報が入っておったのでしょう」
「アンフィスバエナって言うのは、あの蛇の事か?」
「はい。アラリリスは虹蛇様を神と崇めておりますが、蛇の到来は幸運の訪れを意味しているのです。そして今、私達の前にアンフィスバエナが現れました。この地域では神獣と呼ばれています。それが現れた折に、あなた方はやってきた」
商人が言葉を区切ると、ロメリナが口を挟んだ。
「もしや、あなたはアンフィスバエナ様の化身ではないのですか!」
放った言葉は、俺の想像の斜め上をいっていた。そう言われてみれば、鎧の装飾が尖ったウロコに見えなくも無い。どう返答したらいいのか迷ってしまうのだった。
「質問はこちらからだ!」
「し、失礼いたしました」
ロメリナはそう言うと、肩をひそめた。だがその眼差しには、どこか敬うような希望の光が込められているのだった。