第708話 次期教皇
俺達はファートリア神聖国の今後について話し合いを持つべく、魔人軍基地の司令部にある応接間のような場所に集まっていた。
ケイシー神父のせいで、一日無駄にしたものの、銀のヤカンが見つかって良かった。銀のヤカンは何の気配も発さないため、魔人たちでも感知する事が出来なかったのだ。ある意味とても安全な隠れ家であると言っていいだろう。泥を落として魔法のヤカンの蓋を開けると、中からジンと共にエミルとケイナが出てきた。
「申し訳ございませんでした…」
ケイシー神父が謝罪の言葉を述べる。
テーブルをはさんでエミルの前に俺が座り、モーリス先生とサイナス枢機卿とイオナが囲んで座っている。俺の後ろにはシャーミリアとファントムが立ち、ケイシー神父がそのテーブルの脇に土下座をして謝っていた。それを俺はどうしたものかといった顔で腕組みをしていた。
「まあ仕方なかろう」
モーリス先生が静かな声で言う。
「あ、ありがとうございます!」
モーリス先生の助け舟にケイシーがすがりついた。だがエミルが何やら含みのある言い方をする。
「ケイシー神父、ラウルのコルトガバメントで脳天を撃ち抜かれなくて良かったね」
エミルは何を物騒な事言ってんだ?
「の、脳天ですか?」
「ああ、もしかしたら…カッとして…なんてこともあったかもしれない」
「すみませぇぇぇんんん!」
ケイシー神父が頭を床にこすりつけて謝る。するとサイナス枢機卿も、ケイシーと一緒に頭を下げて俺達に謝罪をしてきた。
「ラウル君、申し訳ない。うちの神父がとんだご無礼をしたのじゃ、なんと申し開きをしたらよいのか」
「いやいやいやいや!枢機卿は頭を上げてください!良いんですよ!私は別に気にしていません!魔人達もそうだな?」
「は!ご主人様がお許しになっている者を、私奴らがとやかく言う事はございません」
シャーミリアが能面のような無表情で言う。
「ほら、魔人達も一切気にしていませんよ。枢機卿!とにかく頭を上げてください」
「すまぬのじゃ」
サイナス枢機卿が頭を上げると、本当に申し訳なさそうな顔をしていた。自分の部下の失態を平謝りする上司そのものだ。
「ケイシー神父も疲れていたんだよな?そうだよな?」
俺がケイシーに言うと、首を縦に激しく振って頷く。
「というわけで、後はいいんじゃないですか?」
俺が次の話に移るために話を終えようとした。俺はこんなこと本当にどうでもよかった。無事にヤカンが見つかったんだし、それよりも先の話をしたかった。
「そうなのかラウル?足に一発撃ちこむくらいのお仕置きは必要なんじゃないか?」
「おいおい!エミル!もういいだろう」
「ラウル君。もしそれで済まされるのなら、ケイシーの足を撃ち抜いてくれるかの」
ケイシー神父がいっそのこと!と言った雰囲気で言う。
「サイナス枢機卿まで!そんな事しなくてもいいですよ」
なんだかみんなが俺に対し、ケイシーにお仕置きをするように勧めてくるんだが…
「ふむ。なら仕方がないのじゃ、皆がそれを望むのなら一発やった方が良いのじゃ」
「モーリス先生まで…」
「すみません!すみません!!!」
それを聞いたケイシーが絶望的な顔になり、必死に床におでこを擦り付けて謝っている。可哀想になってきたので、俺はどうやって皆を納得させようかと困っていた。俺や魔人たちよりもむしろ周りの人たちの方が、このまま許してはいけないという雰囲気になっていた。
するとイオナが優し気な笑みを浮かべて、皆の顔を見回して何かを言おうとしている。イオナの事だから「これでひとつお勉強になったわね?」とかなんとか言ってまとめてくれるだろう。
「あらあら、それではラウル。仕方ないんじゃない?一発くらいなら…」
衝撃的なひと言!
「母さんまで!?」
「あら?なにかおかしかった?」
「おかしいですよ!」
ケイシー神父は、もはや泣きそうに震えて叫び出した。
「ごめんなさぁあい!ごめんなさぁぁぁぁい!」
「ほら!ケイシーもこんなに反省しているようだし、もうそろそろこの辺で…」
「あら?そうかしら?やはり誰かが責任を取らなければならないのでは?」
「十分ですよ」
コンコン!
その時、ドアをノックする音が鳴った。
「マリアです」
「どうぞ!」
俺が言うとマリアがお茶を運んできた。そして土下座しているケイシーと、周りを囲んでいる俺達を見る。だが全く表情一つ変えないで、俺達のテーブルへと近づいてきた。
「お茶が入りました」
「あら、マリアありがとう」
そしてマリアはぺこりと頭を下げて部屋を出て行こうとする。
「マリア、ちょっと待って」
イオナがマリアを呼び止めると、マリアがくるりと振り向いた。
「はい、イオナ様」
「あのね、ちょっとケイシー神父がやったことについての責任問題になっているのよ。ラウルはその罰を与えないと言うし困っていたの」
「そうなのですね?ですが、最高責任者であるラウル様がそうおっしゃるのであれば、それでよろしいのではないでしょうか?」
「そうなんだけど、それじゃあ示しがつかないのよねぇ…」
「私には判断がつきません」
「でしょうね。でもこのままだと話が進まないから、あなたがやって頂戴」
イオナが何かおかしなことを言いだした。一体何をいっているんだ?
「私が何をやるとよろしいのですか?」
「あなたの銃でケイシー神父の足を撃ち抜いて頂戴」
「え…?」
「そうじゃないと話が進まないようなのよ、私は本意じゃないんだけど」
「かしこまりました」
マリアはメイド服のスカート下の太ももにあるホルスターから、ベレッタ92を取り出してケイシーに向ける。
「おい!ちょっと待て、マリア!」
「う、うわあああ、ごめんなさいぃぃぃ!ごめんなさぁぁぁぁあい!」
ケイシーがより一層大きな声で泣き始めた。さすがに銃で足を打つなんて罰はやり過ぎではないだろうか?
「マリア!」
カチン!
……かちん?マリアが躊躇せずに、ベレッタ92の引き金を引いたと思ったら弾は出なかった。
「あ、あああ…ああ…」
ケイシーのズボンの股の間が濡れて、床にシミをつけていた。どうやら失禁してしまったらしい。
「マリア?弾は?」
「空です」
「空?」
俺は何が起きているのか分からなかった。足を撃ち抜かれているはずが、ベレッタ92からは弾は出ずに何も起きなかったからだ。
「…一体、どういうことだ?」
俺は皆の顔を見回した。するとサイナス枢機卿が立ち上がって、ケイシーに跪き手を差し伸べる。
「ケイシーよ、これでわかったかの?」
「へっ?へっ?」
「お前の腑抜けぶりに、わしが業を煮やしたのじゃ!それで皆に芝居をうってもらうようにお願いしたのじゃよ!」
「すまんのう…ケイシー」
「ごめんなさいね…辛かったわね」
「俺も辛かった」
モーリス先生とイオナ、エミルがケイシー神父に謝る。
「私もすみませんでした。ケイシー様」
マリアも深く頭を下げた。
「は、はは…よかった…よかったよぉ…すびばせんでしたぁぁ!」
ケイシーは泣きながら謝っている。これはサイナス枢機卿が仕組んだ、ケイシーにお灸をすえる為の一芝居だったらしい。俺も聞いていなかったのでびっくりして、心臓がまだドキドキしている。
「お前は事もあろうに、魔人国の王子やユークリットの王族であるカトリーヌ様、そしてユークリットの大賢者が必死に探している時にさぼったのじゃ。ラウル君が寛大な御方だから何事も起きなかったが、本来ならば、王族を相手にこのような真似をしたら首を刎ねられるのじゃ」
「わ、わがりまじだぁぁぁ!」
なるほどそういう事だったのか…とはいえやりすぎじゃないのか?いや、俺が甘いのか分からないけど、ケイシーはきっとこれに懲りて、もう二度とこんなことはしないだろう。
「マリア…ケイシーを連れて行って着替えさせてあげてくれ」
「かしこまりました」
マリアがケイシーの側によって、手を差し伸べる。
「じ、自分で立てますぅ!ヒックヒック!」
「大丈夫です」
マリアがケイシーの手を強引に引っ張って立たせた。そしてそのまま部屋を出て行くのだった。あまりにもケイシーが哀れで、俺はかける言葉も無かった。
「皆様。私どもの不始末の為にお付き合いくださって、本当にありがとうございました」
サイナス枢機卿がまた俺達に頭を上げる。
「ふむ。わしもいろんな弟子がおったわ。ケイシーより酷い者もたくさん居たのう。まああれでキツイお灸がすえられたじゃろ」
「すまん」
「お互い様じゃて」
なんか、この二人が真面目に話をしているのを初めて見るような気がする。いつものおじいちゃん達の小競り合いはなりを潜め、きちんとした話になっている。
「あやつは教皇の甥なのじゃ、次期教皇があのざまでは示しがつかん。聖都で何の教育も受けておらんかったようでな、これからわしが指導していこうと思うておるのじゃ」
「あら?サイナス様が次期教皇ではなくて?」
イオナがサイナスに聞いた。
「わしはその立場ではありませぬ。ああ見えて、ケイシーには素質がある。大神官やデモンに魅了されずに、この聖都で生き延びたという事実もあるしのう。あやつには未来のファートリアを担ってもらわねばならんのじゃ」
「なかなか大変だわ」
「それは重々承知の上なのじゃ。何とか一人前に育てたいと思っておる」
「わかりました。なにかございましたら、私も協力いたしますわ」
「かたじけないのじゃ」
サイナス枢機卿がまた頭を下げた。
「あのー」
俺が手を上げる。
「なにかの?」
サイナス枢機卿が答えた。
「この一連のお芝居を、出来れば私にも教えていただきたかったです」
「それはそうなのじゃが」
「私が内緒にするように言ったわ」
「母さんが?」
「だってあなた、ケイシー神父と旅をしたでしょう?恐らく情が湧いてしまって出来ないんじゃないかと思ったのよ」
確かにそうだ…俺はケイシーが可哀想だと思った。一緒に旅をした時に分かったのだが、アイツはめっちゃいい奴なのだ。サイナス枢機卿が次期教皇と言ったのにも頷ける部分があった。だけどこのドッキリは酷すぎる気がする…
「まあ…それは…」
「教えなかったのはすまなんだ。わしもラウルには言わんほうがええと思ったのじゃ」
「モーリス先生…」
「自分では気づいとらんじゃろうが、ラウルは身内に優しすぎるのじゃよ」
「は…はい…」
確かに身に覚えがある。俺は身内には甘いのかもしれない。
「時には厳しさも必要なのじゃよ」
「はい」
どうやらこれは俺に対しての教育でもあったらしい。俺は、こんなことを言ってもらえたのは初めてのような気がする。まだまだ教えられることが多い。
「まあ…わかりました。でも、ケイシーに対しての仕打ちはちょっと酷いと思いますよ。彼をあそこまで追いつめなくても、分かってくれたはずです。もう少しやり方があったのではないかと思います」
俺がそう言うと、サイナス枢機卿とイオナ、モーリス先生が顔を見合わせた。そしてその後でエミルを見る。
「こういうヤツなんですよ、ラウルは。本当に身内に優しいんです」
エミルは笑顔でそう言った。
「そのようじゃな」
「ふむ」
サイナス枢機卿とモーリス先生が頷いた。
「ラウル。先ほどのサイナス枢機卿の話は本当なのよ。王族や他の国の偉い人を差し置いて、さぼったり手を抜いたら普通に絞首刑はあり得るの。だからやりすぎなんてことはないのよ。ケイシー神父の為を思うなら、あなたも分かりなさい」
イオナが真正面から俺に真面目な顔をして伝えた。
「…わかりました」
「ええ」
マジでケイシーは肝を冷やしたはずだ。そして俺も、身内に対しての甘さをもう少し抑えていく必要がありそうだ。
まあ自信ないけど。
「では!ケイシーの件はこれにて一件落着ですね?」
「すまなんだ。それではファートリア神聖国の今後についてじゃな」
「はい!それを決めないと先に進めませんので!」
「わかったのじゃ」
サイナス枢機卿が納得した。
今回の件で、この世界の常識は、俺が思うよりシビアなのだと気付かされた。異世界人とデモンの襲来で、たくさんの魔人を失った。それは俺の甘さが招いた結果でもあったのだろう。その甘さをこの三人は俺に教えようとしたのかもしれない。
俺は、魔王子としての心構えを考えさせられるのだった。