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第705話 戦場の赤い月

大量にそびえ立っていた光柱が全て消え去り、ファートリア聖都に暗闇が訪れる。消えた異世界人たちが残した青白い残滓だけが、まだ仄かにその場を照らしていた。


俺は腕の中で眠るアウロラを起こさぬよう、そっとイオナに向かって歩いて行く。


「母さん…」


イオナは俺の顔からアウロラに視線を落とすと、優しく微笑んだ。


「眠ってしまったようね」


「うん」


「よほど疲れていたのかしら?」


「アトム神を受体したことが影響してるのかも」


「そうなのね…」


イオナは不安そうだったが、俺はアウロラを自分の腕からイオナへと渡した。アウロラは深く眠ったまま起きる気配はない。俺達魔人が進化する時のように、彼女もまた、体の中で変化が起きているのだろう。


「母さん。心配かい?」


イオナが首を振る。本当は不安なのだろうが、その気持ちをかき消しているのかもしれない。


「それにしても凄い戦いだったみたいね」


「酷いものだったよ」


「もしかしたらこの子も狙われていたのかしらね」


「次世代の神だから、間違いなく狙われていたと思う」


「ラウル、この子を守ってくれてありがとう」


「当然だよ」


イオナがふと周りを見渡す。聖都にくすぶっていた炎は全て消えたようだが、その焦げた匂いが未だに辺りを包みこんでいた。その時、ふいに夜空に大きな影が現れる。


「イオナ、あなたも私と同じ立場になったようね」


俺達の頭上から声が下りてくる。黒龍のメリュージュがイオナに向かって話しかけてきたのだ。


「ええ…メリュージュ、この子はアウロラのままなのよね?」


やはり不安なようだ。イオナの言わんとしている事はよくわかる。アトム神を受体した事によって、アウロラの人格が変わってしまったのではないか?そんな不安がよぎったのだろう。


「ふふっ、もちろん変わらないわよ。オージェの時に私もそう思った…そしてあなたのように少し不安になったわ。でもオージェは変わることなくオージェのままだったわよ」


「そうだったの…。お互い、自分の子が神なんて不思議ね」


不思議な縁を感じているようで、イオナが穏やかな笑みを浮かべてメリュージュを見上げた。


「でもあなたはその昔、ユークリットの女神と言われていたのでしょう?」


「あれは通称で、本当の事じゃないわ」


「本当に、そうかしら?」


黒龍のメリュージュが、からかうように笑う。ユークリットの女神と謳われたイオナのその娘が、本当の神になってしまった。嘘から出た実というわけではないが、なんと数奇な運命なのだろう。二人の母親は、可愛いアウロラの顔を覗き込んでいた。


さてと…


俺はある人を探し求めるように周りを見渡す。


「ミゼッタ…」


ミゼッタはバティンとの戦いで命を落としていたが、アトム神がその魂を呼び戻し蘇生させてくれた。もうダメかと諦めかけるほどだったが、どうにか生き返ってくれたのだった。


「あそこか…」


暗闇ではっきりとは見えないが、地面に人が寝かされているようだった。歩いて近づいて行くと、その周りには、何人かの人がしゃがみ込み顔を覗き込んでいる。寝ている一人がミゼッタで、その隣に寝かされていたのがモーリス先生だ。先生はあの転移魔法を全力で防いだ結果、魔力切れを起こして気を失ってしまったのだ。


「二人はどうだ?」


その傍らに膝をついて二人をみていたのは、カトリーヌと聖女リシェル、そしてサイナス枢機卿だった。その後ろにはマリアとケイシー神父が心配そうな顔で見守っている。


「ミゼッタは意識が戻っております。モーリス先生はまだ回復しておらず、お眠りになっておられます。ですが二人とも無事のようです」


カトリーヌが答えてくれた。


俺が近寄ると、ミゼッタは俺に気がついて上半身を起こそうとする。


「ミゼッタ、無理はするな。寝ていてくれ」


「いえ、大丈夫です」


ミゼッタはそう言うが、起き上がるのが辛そうだ。隣にしゃがみ込んでいたカトリーヌが、ミゼッタを支えると、自分の太ももに頭を乗せて寝かせてあげた。モーリス先生も聖女リシェルの太ももの上に頭を乗せていて、幸せそうな顔ですやすや寝ている。よほど気持ちがいいのだろう。


「ラウル様の言う通りよ。あなたは大変だったから、無理はしないでいいの」


カトリーヌが、ミゼッタの顔にかかった髪の毛をそっと撫でてどかした。俺に顔を見えるようにしてくれたのだ。ミゼッタは俺を見つめて申し訳なさそうな顔をする。


「ごめんなさい。勝手な事をしたみたい」


「いやミゼッタ、おかげで助かった。だがこれからが大変だぞ」


「はい…」


ミゼッタは自分のやったことが良く分かっているようだった。


「これからミゼッタは、アトム神を受体した者として狙われるだろう。敵のデモンがあの場所にいたからね」


「もちろん分かってます」


「君には、このままグラドラムに戻ってもらった方がいいのかもしれない」


「嫌です」


「えっ」


食い気味に即答されるとは思っていなかった。思わず次の言葉を失う。


「私の力は、きっと役に立つと思います」


「いや…さっき死ぬ目にあったろ?あんなことがあるのが戦場なんだ。命を大事にしてほしい」


「もう待ってるだけなんて嫌なんです。みんなが命がけで戦っているのがわかりました。私は今まで、みんなの役に立つために自分の魔法に磨きをかけてきたんです。どうか私を使ってください」


ミゼッタは心を決めた者の眼差しで俺を力強く見据えた。


「だけど…」


それでも俺がミゼッタの考えを改めさせようとすると、他からも声がかかる。


「あの!」


それはミーシャだった。ミーシャもミゼッタと同じように力強い眼差しで俺を見つめてくる。


「私もずっと思っていました!ラウル様達は危険な死地で、苛烈な戦いを繰り広げられております。私たちはそれに守られるまま、安全な場所で帰りを待ち続けるだけ…そんなの耐えられません!」


そう言われても、ミーシャに限っては魔力も体術もない、ただの薬師の卵だ…かなりマッドだけど。前線に出たところでどうにもならないのだ。ミゼッタよりも足手まといになる可能性がある。


「だけどな、ミーシャ。今回見てもらったら分かるように最前線はとても危険な場所んだよ」


「であれば、尚の事です!確かに私は前線に出ても役に立たないかもしれませんが、薬師としての技術があります。前線基地で役に立つはずです!」


「…前線に出ても戦闘には出さないぞ」


「それは重々分かっております。足手まといにならぬよう、私は前線基地の後方にて技術を役に立てたいのです!」


やれやれ…どうしてこの子らは、そんなに前線に出たいのか…。困ったもんだな…


「なら私も連れて行ってくれるのね!」


ミゼッタが一緒になって畳みかけてくる。


「はぁ…わかったよ…。連れては行くが、戦闘に参加できるとは思うな」


「もちろんです!」

「ありがとうございます!」


ミゼッタとミーシャが喜んでいる。よほどグラドラムで待ち続けるのが辛かったらしい。


「だが今回の事があるからな。俺は誰にも死んでほしくないんだ。無茶をしないと約束してくれるか?」


「うん!」

「わかりました!」


ミゼッタはカトリーヌの膝の上でニッコリと笑った。ミーシャもその大きな目が、こぼれ落ちんばかりにはしゃいでいる。


すると枢機卿が俺の肩に手をかける。


「ラウル君。むしろ心強い味方が増えたではないか」


「枢機卿…」


「守る者がおることで、限界を超えた力を発揮できることもある。そして彼女らの能力ならば、決して足を引っ張らないとわしは思うがのう」


「…まあそれは否定しませんが」


「ならば君は彼女らを連れて行くべきだ。それが君の使命じゃな」


サイナス枢機卿が言った。聖女リシェルとケイシー神父もその後ろから肯定するように頷いている。どうやら彼らも似たような気持ちを抱いているらしい。


皆の話がまとまった時、カトリーヌがふいに空を見上げる。


「月が…」


「本当だ。月がいつもより大きく見えるな」


空に浮かぶ月は満月のようだが、いつもより更に大きく赤く輝いていた。まるでこの地で死んだ者達の血を全て吸い込んで、浄化してくれているかのように。


聖女リシェルが慈悲の瞳で俺に告げる。


「死んだ者に弔いの祈りを捧げます」


「わかりました」


聖女リシェルが静かに胸の前で手を組んだ。聖女リシェルとサイナス枢機卿、ケイシー神父もそこに跪いた。するとイオナとカトリーヌとマリアも跪いて胸の前で手を組む。ハイラたち日本人組も跪いた。


「みんな!」


俺が魔人達に声をかけると、魔人は一斉に跪いて胸の前で手を組む。魔人に祈りの習慣はないが、この国の風習を覚えさせるには良いのかもしれない。聖女リシェルの哀悼の言葉が流れ、そのまま慰霊のための祈祷が始まった。


俺達は目を閉じリシェルの言葉に耳を澄ました。その鈴が鳴るような美しい声は、俺達の魂を浄化するように凛と響くのだった。


「皆様お直り下さい」


聖女リシェルの祈祷が終わる。聖女リシェルが指さした方向にたくさんの遺体が並べられていた。日本人の少年少女、ファートリアの騎士や魔法使い、ルタンから来た精鋭の兵も含まれている。


聖女リシェルはその静かな声で俺達に告げた。


「これで屍人になる事はありません。明朝より彼らの埋葬を行いたいと思います」


「わかりました。我々魔人が力をお貸し致します。墓地の掘り起こしと墓標の用意も魔人致しましょう。丁重なお祈りを頂きましてありがとうございました」


俺が聖女リシェルにお礼の言葉を述べた。


「たとえ世界が違えども、魂はきっと同じ道を辿るのです。いずれ生まれ変わった時には、幸せな生をお送りするようお祈り申し上げました」


「はい」


「輪廻を辿り、元居た世界に戻られる事を」


聖女リシェルはそう囁いて、並ぶ遺体にふわりと光を注いだ。


「ありがとうございます」


今度はこんなバカげたことに巻き込まれる事が無いように願う。日本で幸せに生きていたのに、知らない地で死ぬことになるなんて不条理すぎだ。俺も、せめて次の生は平穏無事に生きられるようにと祈った。


シャーミリアがスッと俺達の前に現れる。


「それでは皆様。戦いでお疲れになった事でしょう。ここは私奴とマキーナ、ファントムが見張る事に致しましょう」


彼女は静かにそう言った。


「あなた方もお疲れなのでは?」


聖女リシェルが、シャーミリアに気づかいをしてくれる。


「今は夜。私奴とマキーナは更に力を増し、体もすっかり元通りとなりました。私奴に休養など不要でございます。そして明け方までには、私奴たちだけで埋葬を終わらせられるでしょう。それとも、もっとお祈りが必要なのでございましょうか?」


シャーミリアが聖女リシェルに問うた。聖女リシェルはそれに首を振る。


「いいえ。もうお祈りは終わりました。あとは毎日の礼拝にて彼らに祈りを捧げ続けるだけでございます」


フワリとした笑みを浮かべて、神々しい美貌のリシェルが答えた。それにも増して美しいシャーミリアがそれに答える。


「それではお任せくださいませ。皆様は一刻も早く休息をとっていただけますように」


シャーミリアがきっぱり言うと、サイナス枢機卿がそれを肯定するように話した。


「リシェルよ。シャーミリアさんがここまで言ってくれているんだ、一度基地に戻って皆で休んだ方が良かろう」


「かしこまりました。それではお言葉に甘えまして、休まさせていただきます」


「ええ、その方が良いでしょう」


頷く聖女リシェルを前に、シャーミリアが満足げに笑って返す。その笑いには何か含みがあるようだが、誰も気が付かない。


俺と俺の配下達以外は。


「では車を用意します!」


俺はすぐさま、73式大型トラックを三台ほど召喚した。


「マリア、キリヤ、ハルト。運転を頼めるか?」


「もちろんでございます」

「「はい!」」


三人が運転席へと乗り込んでいった。


「では皆さん!荷台に乗ってください。スラガ!モーリス先生をお運びしてくれ!」


「は!」


スラガがモーリス先生を背負い、トラックに向かって歩いて行く。


「ミゼッタ、おいで」


「う、うん!」


俺はミゼッタの前にしゃがみ込むと、ミゼッタは俺の首に手を回し、背中に覆いかぶさってくる。そして俺はそのまま立ち上がるが、ミゼッタの体は想像以上に軽かった。


「ミゼッタ。ちゃんと食ってるのか?」


「た、食べてるよ」


「少し体重増やさないと、いざという時に力が出ないぞ」


「わかった。もっと食べるようにする」


「まあ…俺達と行軍すれば、嫌でもシャーミリアのバーベキューが食べれるぞ」


「た、楽しみにしてる」


ミゼッタが苦笑いして答えた。俺に背負われたミゼッタは肩に頭を乗せてくる。


「煙臭いだろ」


「ううん。いいの」


「生きててくれてありがとな」


「うん」


「あの時はゴーグに何て言っていいか分からなかったぞ。とにかく元気な顔をアイツに見せてやってくれよ」


「分かった…ごめん」


そして俺とミゼッタに空から声がかかった。


「乗りなさい」


上から黒龍のメリュージュが言うのだった。


「いえ、トラックで行きますよ」


「あなたとミゼッタ、アウロラとイオナは私が安全に運ぶわ。私の背中はどこよりも安全よ」


そしてその背中を見ると、すでにトラックに向かったはずの眠るモーリス先生が居た。それを見た俺もメリュージュの背に乗る事を決める。


「わかりました、お願いします」


俺はミゼッタを背負いながら、そしてイオナがアウロラを抱いたままメリュージュの背に乗った。


「では皆さん!お先に基地でお待ちしてます」


「うむ!わかったのじゃ」


俺がサイナス枢機卿に手を振ると、聖女リシェルやケイシー神父、そして生き残った騎士と魔法使い、ハイラたち日本人組が手を振り返してくる。


そして俺は直属の配下に向かって叫ぶ。


「お前達!みんなを基地まで護衛してくれよ!」


俺が言うと、スラガ、アナミス、ルピア、ルフラ、クレ、マカ、ナタが答えた。


「「「「「「「は!」」」」」」」


メリュージュがその翼を羽ばたかせ夜の空に舞い上がる。ひときわ大きく輝く赤い満月に黒龍のシルエットが浮かび上がるのだった。異世界の空は澄渡り、星がこぼれ落ちんばかりに輝いている。


「礼一郎…頑張れよ…」


俺はその月に向かって、日本に帰ったであろう礼一郎にポツリとつぶやくのだった。

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