第703話 生きていた親友
ファートリア聖都防衛戦は終わった。燃え墜ちた街からはまだあちこちから煙が立ち昇り、まるで決戦後のグラドラムのようになっていた。未だ光柱が立っているため、アトム神の受体は終わっていない事が分かる。
俺は都市を見渡す。
「まったく…酷いもんだ」
やるせない気持ちを吐き出すようにつぶやいた。
「また一からやり直せばよい」
俺を慰めるように、サイナス枢機卿が力強く言ってくれた。
「はい」
「それよりも…」
サイナス枢機卿が目線を降ろす。俺達の足元には阿久津の遺体が横たわっていた。こんな異世界にさえ来なければ消えることの無かった命だ。俺が礼一郎に日本人殺しをさせないために、コルトガバメントで射殺したのだった。
俺の前では礼一郎が四つん這いになっている。
「おええぇぇぇ!」
礼一郎が阿久津の遺体を見て吐いているのだった。憎んでいたとはいえ、同級生の遺体を見るのは精神的に辛いのだろう。完全に憔悴しきっていた。
「カティ!礼一郎に癒しの魔法を!」
「はい」
俺がカトリーヌに指示を出す。結果的に、ここに居てくれてよかった。
「では私もお手伝いいたします!」
聖女リシェルも名乗り出てくれた。
「お願いします」
王宮魔導士見習いだったカトリーヌと、ファートリアの聖女リシェルの二人が治療を行えば、治らぬ傷はないだろう。礼一郎の精神が壊れぬように、精神だけではなく肉体も癒すための治療が施された。礼一郎は盗賊の集落で、同級生の死体を見てトラウマになっていたようだが、その記憶が再び呼び起こされてしまったのだろう。
そりゃそうなるだろうな…これで自らが殺していたら、恐らく再起不能になっていたかもしれない…。心に傷を負わなければいいんだけど。
「れ、礼一郎?」
突然、誰かが声をかける。
「!?」
沈んでいた礼一郎が、はっと顔を上げて声のする方向を見る。そこには結界から現れた貴晴が立っていた。
「礼一郎じゃないか!礼一郎!お前もこの世界に来ていたのか!!」
「た…、貴晴?」
「そうだよ!」
「貴晴…嘘だろ!」
「それは俺の台詞だよ!」
「た、貴晴!!!」
礼一郎はダッと立ち上がると、貴晴に向かって駆け出した。貴晴からも駆け寄る。二人ががっちり抱き合って泣いてしまった。どうやらこの二人は知り合いだったらしい。
「アトム神様。何卒、日が落ちるまで時間をくださいますか?」
俺はその光景を見ながら、アトム神にお願いをする。
「苦しゅうない。お前の使命を遂げるがよい」
いつも俺を邪険にしていたアトム神が、この時は素直に言う事を聞いてくれた。俺はこの僅かな時間を、ここにいる異世界の少年少女のために使う事にした。
そこにシャーミリアが現れ告げる。
「都市内の少年少女は全て集めました」
俺はシャーミリア達に、都市内を捜索して異世界の少年少女を確保し、広場に連れてくるよう指示していたのだった。
「ご苦労様。あとはメリュージュさんとイオナ母さんが、基地にいる子達を連れて来てくれたら準備は終わる。太陽はどのくらいで沈むかな」
俺が言うとモーリス先生が時計を見る。
「ふむそうじゃな、六時五十分には沈むかの?」
モーリス先生が言った。
「ならあと三十分くらいですね」
「そのようじゃ」
魔人軍基地にも北の村で保護してきた異世界の少年少女がいるが、陸路では日没まで間に合わないと判断して、俺はメリュージュさんに連れてきてくれるように頼んだのだ。イオナも一緒に行くと言い出し、スラガとルピアが護衛として一緒について行っている。
「だいぶ死にましたね…」
俺はサイナス枢機卿に向かって言う。
「しかたないじゃろ。自分の国を守るため、そして罪のない少年少女を守るのはファートリアの騎士や魔導士の勤めじゃ」
サイナス枢機卿は俺が気にしないようにしてくれている。
「痛み入ります」
「受体が終わったら丁重に葬ってやろうと思う」
「はい」
そうだ。異世界の少年少女だけが死んだのではない。
ファートリアの騎士や魔導士が大量に死んだ。騎士や魔導士たちは俺が魂核を書き換えたことによって、純真無垢な人間に生まれ変わったやつらだ。異世界の少年少女を救うため、心の底から湧き上がってくる使命感でやっていた。名誉の殉職という事になるだろう。
シャーミリアが俺の顔を伺いながら言う。
「ご主人様、異世界の少年少女の死者はいかがなさいましょう」
「…そうだな」
異世界の少年少女は、ファントムが吸収すれば膨大な力となる。だが…サイナス枢機卿の手前でそんなことは言えない。でも戦力向上のためには吸収させたい…
「ラウル君。可能ならば我々ファートリアで、お引き受けしよう」
サイナス枢機卿が申し出る。むしろ残念な答えだ。
「えっと、ご迷惑ではないでしょうか?我々魔人が引き取りますが、いかかでしょう?」
「そう言うわけにもいくまい。この子らはファートリア神聖国に呼ばれたのじゃ。我々が丁重に葬るべきじゃよ」
「それは…」
「ラウル様、サイナス様の言う通りですよ。ファートリアの事はファートリアに任せていただければよろしいのです。お気になさらぬように」
カーライルが真っすぐに俺を見て言う。俺が気にしてるのは燃料としてだな…
「…わかりました。それでは異世界の彼らの遺体は、ファートリアの方々に委ねます」
「うむ。遠慮する事は無いのだよ。わしらも仕事をせねばなカールよ」
「そうですね、枢機卿」
サイナス枢機卿とカーライルが顔を見合わせて言う。まあ倫理観的には、それが一番いいとは思う。
…のだが…
俺は俺の利を考えて、異世界人の遺体を引き取ろうと思っていた。倫理観の欠片も無い考え方だけど、合理的に敵と戦うためのエネルギーにしようとしていた。
「ふぅ」
その時、ふとモーリス先生と目が合い、目で諦めろといっていた。俺がコクリと頷ずく。モーリス先生はどちらかと言えば、俺寄りの考え方を示してくれるのだが、やはりサイナス枢機卿や聖騎士は違うようだ。
「礼一郎!」
俺はその話を切り上げて、礼一郎に近づいて行く。礼一郎は貴晴と話をしていたが、俺の問いかけに振り向く。
「ありがとうございました」
礼一郎が深々とお辞儀をしてくる。礼一郎と知り合ってから初めての事かもしれない。
「いや、たまたまさ」
「それでも、俺の親友を助けてくださいました」
「貴晴がお前の言う親友だったのか!?」
「そうです」
俺は貴晴の方を見る。すると貴晴も俺に頭を下げた。そして貴晴は悲しそうな目をして俺に口を開いた。
「あの…」
「なにかな?」
「阿久津は…阿久津は死ななければなりませんでしたか!」
食ってかかるように俺に叫ぶ。
「悪いな貴晴君。阿久津の知り合いだったのか」
「クラスメイトです」
「もしかしたら礼一郎も?」
すると礼一郎が頷いた。
そして貴晴は話を続ける。
「はい、礼一郎と阿久津はクラスメイトでした。確かに阿久津は俺達に酷い事をしていましたが、殺されるようなことをしたのでしょうか?」
なるほど。この貴晴という少年はしっかりとした考えを持っているらしい。当然聞くべき事を聞いてきた。
「どうかな…こちらの世界に来なければ死ななくても良かったのだろうな」
「阿久津がいったい何をしたのです!」
貴晴が阿久津の死体をチラリと見て、さらに強い口調で言った。
「大量に人間を殺したんだ。こちらの世界の人間だけじゃなく、日本人の学生もたくさんな」
「えっ‥‥」
貴晴が礼一郎を見ると、礼一郎が俺の言葉を肯定するように頷いた。
「いまのこちらの世界には裁判が無い。そして阿久津は転移魔法を使い、更なる犠牲を出す可能性がある人間だった」
「それで処刑したと?」
「そういう事だ」
「ここで処刑する必要があったのですか?もう少しで僕たちは日本に帰れるのですよね?」
「そうだ」
「ならば、これ以上この世界に被害は出なかったんじゃないですか?元の世界には元の世界の法律があります!それで裁かれる必要があったのではないかと思うのです!」
貴晴の言いたいことは分かった。悪い事をしたなら、向こうの裁判で裁かれて罪を償うべきだという事を言いたいらしい。日本人だしそう考えるのは当たり前だ。
「貴晴君」
「はい」
「君は、こちらでやった阿久津の悪事を向こうの世界でどうやって証明する?」
「それは…」
「しかも、こちらの世界の魔物を殺したわけじゃない。日本人を大量に殺害したんだよ」
「はい…」
「日本に戻れば、それを証言するのは君と礼一郎となるよね?」
「そうです」
「日本の大人がそんな漫画のような話を信じるとでも?そしてどんな刑法が当てはまると思う?殺人罪か?普通の中学生が異世界で大量に人間を殺した罪?一体どんな罪が当てはまると思う?」
「……わかりません」
貴晴はこちらに来て、すぐにアトム神の結界に捕らえられてしまった為、詳しい事情が分からずに話している。真実を聞いたいま、少しずつ事態が見えてきたようだった。
俺は続けて言う。
「もう一つ言うとな、その力…向こうに戻っても使える可能性があるらしいんだ」
「嘘…」
「えっ…」
貴晴と礼一郎が目を丸くしている。
「阿久津はあちらでその力を使って何かしたかもしれない」
「それは…」
「そう。おそらく大量に被害者が出ていただろう…そしてこれは君らにも当てはまるんだ。こんな力は向こうに行ったら絶対に使わない方がいい」
「俺もそう思います!」
今度は礼一郎が俺を肯定して大きな声で言う。
「礼一郎…」
貴晴が礼一郎を見た。
「こんな力はいらない。人を簡単に殺せる力、そして無理やり人を従わせることができる力なんて…。こんな力で人を服従させても何もならないんだ。俺はもう二度とこの力を使わないつもりだよ!」
礼一郎が力説している。俺もそれを聞いて半分安心した。
「よく言った礼一郎!その通りだ。こんな力で人を従わせてはいけない。お前ならきっとそう言うと思っていたよ。俺がなぜおまえを処刑しなかったか…それはその心があると思ったからなんだ」
「はい。分かっています」
俺の彼に対する思いを、礼一郎は分かってくれていた。俺は礼一郎に初めて会った時に思っていたのだ、こいつは経験を積めば絶対に良い人間になると。やはり俺の目に狂いはなかった。
貴晴が礼一郎をキラキラした目で見つめている。
「礼一郎…そうだな。僕は自分の力が何かも分からないし、この世界に来てから何の経験もしてない。でもお前がそう言うなら、僕はお前を信じるよ」
貴晴が力強く頷いた。
「だけど貴晴。こんな力を持ったまま大勢が日本に帰るのはまずいと思わないか」
礼一郎は不安な顔で貴晴に告げた。
「…たしかにそうかもしれない」
「俺は絶対にまずいと思う」
「礼一郎が言うならそうなんだろう」
やはり貴晴は完全に礼一郎を信じきっているようだ。
「貴晴…」
勢いよく話していた礼一郎がいきなり口を噤む。
「どうした?」
貴晴が聞き返した。
「俺もきちんと謝らないと日本に帰れない。俺は貴晴に酷い事をしたんだ」
「酷い事?なんだ?」
「俺はあっちの世界で、阿久津たちが怖くてお前を売ったんだよ…」
「僕を売った?」
「ああ、いじめに耐えかねて、貴晴は金を持ってると言ってしまったんだ」
「ああそんな事か…」
貴晴は笑みを浮かべながら礼一郎の肩に手を置いた。
「そんなこと?」
「礼一郎が苦しくてそう言った事くらい知ってるさ。そして僕がお金を持っている事を礼一郎に言っていたし、阿久津たちが知る由もない情報だからな」
「そう…そしてそれはお前の大事な金だ!お母さんの苦労をさせまいと…」
貴晴は礼一郎の口を封じるように手を差し出して言う。
「実はね、僕はあいつらにお灸を据えようと思って自殺するフリをしたんだ。あの時、お前が見ていたのも知ってた。僕の勇気を見せる事ができれば、礼一郎は変わると思っていたから」
「貴晴ぅ…」
礼一郎は今にも泣きそうな顔になっている。
「そんなしけた顔するなって!」
「だってよう…」
「いいから!あんときあいつらをびっくりさせようと、飛び降りるフリしたら…本当に手を滑らせて落っこちちゃって!気がついたらこの世界にいたんだ」
「…ごめんな!ごめんな!」
「泣くなって!」
「やっぱり貴晴は凄いよ…」
「ばかやろう…」
二人とも泣いて抱き合っていた。この二人の絆は俺が思うより深いらしい。頬を濡らして肩を叩きあっている。
バサバサと羽の音が聞こえてきた。
《ラウル様。到着しました》
東の空を見ると、メリュージュが夕焼けの中を飛んでくる。太陽はもう地平線の近くにあり、まもなく受体が始まってしまうだろう。
「遅くなったわね」
メリュージュがゆっくりと着陸すると、背中から尻尾を伝って少年少女がおりて来る。
「やあ君たち。君たちも日本に帰れるよ!」
「聞きました!」
「本当なんですか!」
「うれしい!」
北の村で保護した少年少女たちが歓喜している。
「君らもこっちに来なよ!」
阿久津に無理やり従わされていたヤツラにも声をかける。
「はい!」
「すまねえっす!」
「ありがとうございます!」
すると阿久津の取り巻きだったやつらがこちらに歩み寄ってくる。
「えっと、この中に火の魔法を使う人は?」
俺はそいつらに質問をした。
「俺っす!」
「そうかそうか、あと人を従わせる魔法を使う子は?」
「私です!」
なるほどね…この二人はとても危険だ。自分達は阿久津に従わされて無理やりやらされていたらしいが、特に男の方は女の子に乱暴を働こうとしていたふしもある。
どうするかな…
「よくわかった!じゃあ中央広場まで行くからついて来てくれ!」
「「「「はい!」」」」
俺の言葉に少年少女は元気よく返事をする。
俺はギリギリまで迷っていたのだった。彼らをこのままの状態であちらの世界に帰すべきかどうかを…。この力を持ったまま日本に行ったらどんな奴が出てくるかが分からない。
阿久津はとりわけ酷かったが…同じようなやつが出ないとも限らんよな…
そんな事を考えながら、異世界の少年少女が集う広場に到着するのだった。