第701話 因果
もうすぐここに、シャーミリアが礼一郎を連れてくる。それまでの間、俺は転移魔法の小僧が逃げられないように時間稼ぎをすることにした。
やつは闇魔法に包まれており、姿は見えていないが確かに声は小僧のものだ。この出現した黒いモヤモヤは小僧の闇魔法で、うねうねとのたうち回りながら炎のように揺らめいている。
「どうするんだ?無事に日本に帰りたいのか?帰りたくないのか?」
「うるせえぇ!」
「帰りたいです!」
「私も!」
どうやら中で揉めているようだ。闇魔法はある程度の範囲までしか広がらないのか、俺が距離を取っていれば取り込まれる事は無さそうだ。北の村でモーリス先生たちが取り込まれなかったのはそのためだろう。
「裏切んのか!」
小僧が叫ぶ。
「阿久津君は帰りたくないの?」
女の声が聞こえる。転移魔法使いの小僧は阿久津というらしい。
「そんなに簡単に帰れるはずがねぇ!騙されて皆殺しにあうぞ!」
「阿久津君って言うんだね?」
「あぁっ!俺の名前がバレたじゃねえか!!」
「いや、阿久津君。皆殺しにするわけないじゃないか。ただ君らはこの世界にいるということ自体がおかしいから、帰ってほしいだけなんだよ」
お前以外はな。
「騙されねぇぞ!!」
「まあいい。ならば皆ここで終わりだ」
「まってくれ!」
「まってください!」
「おい!」
取り巻きと阿久津の考えは真っ向から違うようだ。ここで揉めてしまえば恐らく内部抗争で消し合ってくれるだろうが、待てと言われれば俺もやぶさかではない。
《ご主人様。連れてまいりましたが、本当によろしいでしょうか?》
《連れて来い》
《はい》
礼一郎は戦場となった都市を一歩一歩、自分の足で歩いて来た。シャーミリアとマキーナとアナミスが周りを囲んでいる。念のため礼一郎が何かをしでかさないように監視しているのだろう。
「礼一郎。どうだ?体調は悪くないか?」
俺のそばに立った礼一郎はまだ具合が悪そうだ。
「大丈夫です」
答える声はしっかりしていた。どうやら魅了はアナミスが解いたらしく、目の焦点もしっかり合っている。
「知り合いなんだって?」
「はい」
「何がしたいんだ?」
「会いたいです」
「そうか…だがそいつはいま、そこの黒い靄の中にいるんだ。隠れたまま出てこない」
「そうなんですね…」
礼一郎の目が暗く沈む。どこか目が据わっているようにみえるが、怒っているのか悲しんでいるのかよくわからない。
「おい!お前の友達を連れて来たぞ!」
「……」
阿久津が答える事は無かった。せっかくお友達を連れて来たというのになんてやつだ。
まあ…友達じゃないんだろうけど。
「ラウルさん」
礼一郎が俺を呼ぶ。
「なんだ?」
「友達なんかじゃありませんよ、あんなやつ」
礼一郎が強い目力で訴えかけるように言う。
「阿久津は友達だって言ってるぞ」
「違う…あんなやつ友達なんかじゃない」
きっぱりと言った。
「おい!てめえ!礼一郎!良く俺の前でそんなことが言えたな!お前は俺の言う事を聞くためにいるんだろうが!」
さっきから、ちらちらと闇魔法の揺らぎが激しくなっている。どうやら礼一郎を連れて来た事で、阿久津の精神が不安定になっているようだ。それが闇魔法に反映されているのだろう。
「いや違う!お前の言う事なんてもう聞かない!」
「そんなことを言える立場かっっつーの!」
「お前の奴隷じゃない!」
「てめえ、ずいぶん偉くなったもんだな!俺にそんな口をきいてただで済むと思ってんのか!はやくその白髪野郎を殺せ!」
礼一郎は震えているようだった。阿久津が恐ろしいのか、だんだんと顔から血の気が引いてきている。礼一郎は俺をチラリと見た。
「ん?どうする?俺を殺すか?」
「…いいえ」
「そうか。では、あとは何がしたい?」
「もういいです…」
礼一郎はガッカリした表情でうつむく。
「阿久津よ…、残念ながらお前に友達なんていないぞ」
俺は落胆しながら言った。
「はあ?当たり前だ!こんな弱っかすが俺のダチなわけねえ」
「それを聞いて安心した」
「な…っ、どういうことだ?」
「いや、なんでもないさ」
礼一郎の友達じゃないのなら、別にこいつがどうなろうと知ったこっちゃない。
すると、また阿久津が叫ぶ。
「おい!礼一郎!お前はやっぱりクズだ!」
「……なに!!」
「おまえこそ友達を売るようなクズだって言ったんだよ!」
「……!!」
礼一郎は唇を噛んで、拳を握りしめるとギリギリと闇魔法を睨みつけている。
阿久津は更に続けた。
「そんなクズを、俺が友達だって言ってやってんんだ!早く言う事を聞けよ!」
鬼のような形相をしている礼一郎が、涙をためていた。何か思うところがあるらしい。
「……」
「泣いてんのかよ!バーカ!お前はお前の親友を俺に売ったんだぞ!まったく酷い奴だよな!自分を信じている友達を売って、自分だけ助かろうなんて信じられないぜ」
俺にはなんの話かよく分からないが、どうやらあっちの世界でひと悶着あったらしいな。
「礼一郎どうなんだ?」
「…売りました…」
「そうか、さしずめコイツに脅されたんだろうな」
「……」
礼一郎がまたうつむいてしまった。相当悔しい思いをしたらしい。
「阿久津よ。お前が追い詰めたんだろ?礼一郎は本来そういう性格ではない」
「なんだってんだ!お前にコイツの何が分かるってんだよ!」
「礼一郎はな、こっちの世界に来てすぐ人間を救うために戦ったんだよ。自分の命だって危ないのに、自分が信じる正義のために、捕らえられている人間を救おうと思った。それで俺の仲間達を間違って殺してしまったが、それはこいつなりの正義があったからだ」
「はっ!おめでたいねえ!自分の仲間を殺した奴を守るとか、バカすぎなんだよ!」
「阿久津。お前は見知らぬ人を助けるために、自分の命をかけて戦えるのか?」
「知らない奴のために、なんで命かけんだよ!」
「やっぱりお前にはわからんだろうな。そしてお前と礼一郎のやりとりで、俺はもっと分かった事がある」
「お前の話なんてもう聞かねえよ!」
「俺が勝手に話してんだよ!」
俺が怒鳴りつける。
「……う…うるせぇ…」
「礼一郎はな、友達を裏切ってしまった罪の意識で戦ったんだ。友達を裏切ってしまい二度とそんな思いをしたくない、その思いが人を救うっていう答えに繋がったんだ。俺の部下を殺したことは許し難いが、何故俺がこいつを保護したくなったのか、ようやく今、それが分かったよ」
「ははは!おめでたい!自分の仲間を殺した相手を助けるなんて、そんな奴がいるんだ!あーはっはははは!」
「笑えばいい。だがお前には一生分かるまい。自分の欲や生き延びるために、同郷の人間を大量に殺すような奴に分かるわけがない」
「しらねえよ!とにかく、コイツは親友を裏切った。そして仲間を殺されてるのに、ヘラヘラとそいつを庇うおめでたいヤツがいるって事だけは俺も分かったぜ!」
まったく救いがたいやつだ。これを更生させるなんてことはもう無理だろう。恐らく懲役を食らったところで反省もしない。
「礼一郎…もういいよな」
コクリと礼一郎が頷く。
どうやらもう諦めたらしい。何を言ったところで阿久津とは理解し合えるわけがない。
「はっ!そんなこったから、あいつは死んだんだ!」
阿久津が叫ぶ。
「なに…」
礼一郎が暗い目で闇を睨む。
「礼一郎のせいであいつは死んだ!」
「違う…」
礼一郎が物凄く怒っている。目の据わりが半端ない。
「お前が親友を裏切るからわりぃんだよ!」
「違う!お前が殺したんだ!屋上であいつを追い詰めなければ死ななかった!」
「おいおい、俺のせいだって言うのかぁ?」
「そうだ!お前が俺達をあんなに追い詰めなければ、あいつは死ななかったんだ!」
「あーはっはははは!!だったらどうだってんだ!アイツなんか死んだって痛くも痒くもない!俺には一切関係ねぇってんだ!」
「なんだと!謝れ!あいつに謝れ!」
「死んだやつに謝ってどうすんだ?おまえは馬鹿じゃねえのか?」
「くそ!殺してやる!」
礼一郎の体に魔力が膨れ上がってくる。そして体の周りに氷の槍が浮かび上がって来た。
「やってみろよ!」
「まて!」
俺の制止も聞かずに礼一郎は、闇に対して氷槍を打ち込んだ。だが氷槍は闇に吸い込まれるように消えてしまう。
「あははははは!そんな魔法効かねえんだよ!」
「くそ!」
礼一郎が今度は体全体に風をまとい始める。
「だから、止めろって!」
俺が声をかけるが、礼一郎は一切耳を貸してくれなかった。そのまま風魔法を闇に叩きつけるが、闇はただ揺らいだだけで何も起きなかった。
「あーはっはっはっはっ!バーカ!全然効かねえ!友達殺しの奴の攻撃なんて食らうかよ!」
「俺は殺してない!」
礼一郎が闇に近づき始めた。ぐいっ!と俺が礼一郎を羽交い絞めにするようにして止める。
「まて!闇魔法はあいつのテリトリーだ。中に入ったら取り巻きに精神を乗っ取られるぞ」
俺が言うと、礼一郎は足を止めた。
その時…
「いえ!私は能力を使いません!」
闇の中から女の声が聞こえてくる。どうやら魅了を使うのは女らしかった。
「みんなでそこから阿久津を連れて出てきてくれないか?」
「それは出来ません。この中から勝手に出る事が出来ないんです」
「あたりめえだ!俺の闇魔法は最強なんだ!」
こいつは厨二だったか…正真正銘の。
まったく厄介な魔法だった。攻撃性はないが、この中は完全に外から隔離された安全地帯になっているらしい。俺が中に入った時は真っ暗で、無限に広がる空間のように感じたが、人を惑わせるだけでなく物理的な作用もあるように思う。
「ラウル様!」
唐突にミゼッタの声がかかる。俺が振り向くとミゼッタとカトリーヌとマリアが居た。
《すみませんラウル様》
ルフラが念話を使ってきた。どうやらカトリーヌはルフラを纏っているらしい。
《危険だぞ!どうしたんだ?》
いきなりやって来た人間達に俺は焦った。
《日が落ちるまでそう時間はありません。アウロラ様の受体がはじまるようです。そうなる前にラウル様にはアウロラ様の側に居ていただいた方が良いとの事です》
《誰が言った?》
《イオナ様と恩師様、サイナス枢機卿です》
《…いや、受体は見て来たし、特に問題はないのだがな…》
《すみません》
《なんでミゼッタとカトリーヌとマリアがいる?》
《すみません。カトリーヌです》
いきなり俺とルフラとの念話をカトリーヌからジャックされた。
《どうした?》
《私がルフラを纏い、近隣を探索していたのですが…シャーミリアとアナミスが念話で話しているのを傍受しまして…》
俺は思わずシャーミリアとアナミスを見る。二人は何故見られたのか分からないようで、キョトンとした顔をした。
《どうやらラウル様が難航しているようだと知りました。そしてそれをこの三人で話したところ助けに行きたいという事になったのです》
《いや、とにかくわかった。あとは大丈夫だ!》
《すみません…》
アウロラの受体に間に合うようにここを終わらせたいが、この闇魔法の処理の方法が分からない。そしてなぜか阿久津は余裕をぶちかましている。
ッキッィィィ!!
いきなり鳴ったその音に何事かと振り向く。するとシャーミリアが、俺の首元で斬月刃を絡め取っていた。だが回転が止まることなく、シャーミリアの爪をすり抜けてどこかに飛んでいく。
「バティンだ!」
俺が言うと、シャーミリアとマキーナとアナミスが周囲を警戒し、ファントムが俺の前に立ちはだかった。
《シャーミリア!この三人を守れ!》
《は!》
もうすぐ陽が沈むというのに、厄介なやつが残っていた。フーに腕を燃やされて戦闘不能になっていたはずだが、斬月刃は体の状態に関係なく使えるようだった。日本から来た少年少女の対処に集中していたため、バティンに対しての警戒を緩めていた。円陣を組むように周りを警戒し次の攻撃に備えるのだった。