第626話 日本人中学生
シャーミリアが押さえ込んでいた詰襟の学生服を着た少年が、一瞬おかしな素振りを見せた。
「ぐっ!」
しかしシャーミリアは少年の不穏な気配に気づき、何かしでかす前にきつく押さえ込む。仰向けに倒れた日本人少年の胸を、ヒールの尖ったブーツを履いた絶世の美女が踏んづけている。前世でこんなシーンを見られたら、青少年保護の観点から絶対に捕まりそうだ。そのおでこにはM240中機関銃がつきつけられており、少年は身動き取れずあえいでいる。
「ミリア、息が出来ないようだ。少し緩めてやれ」
「しかし」
「少年、何かおかしなことをしたら殺すぞ」
俺が脅しをかける。それよりもチアノーゼで顔が青っぽくなってきた。このままだと窒息死するだろう。
「ゴホッゴホッ!」
少年は酸素を求めて、大きく息を吸い込んだ。血も足りていないので、青い顔が普通に戻る様子も無かった。
「貴様、魔法を使うそぶりを見せたら額に穴が空くぞ」
シャーミリアの脅しに、むせりながらもコクリコクリ頷いて、少年が胸のあたりをさすっている。
「ふぅ…」
少し落ち着いてきたようだった。
「いいか?彼女が言った通りだ。俺が質問した事以外しゃべるなよ、おかしな真似をしたら頭が飛ぶぞ」
コクリ
とりあえず物分かりが良くなった。
「どこから来た?答えろ」
「と、東京」
やはり、日本から来た転移者だった。
「お前の年齢は?」
「14歳」
「なぜここにいる?」
「わからない。気がついたら草原に寝ていたんだ」
「どうやら、お前は魔法が使えるようだが?昔からか?」
「違う。目覚めたら使えるようになってた。ここに来てから急にだよ」
なるほど。こいつはハイラたち日本人と同じように、こちらの世界に来てから魔法が覚醒したと見て良いだろう。
「そしてお前は何をした?」
「生きる為に彷徨って、そして戦ったんだ」
戦った…か…。
「なるほど。この世界に来る前は何をしていた?」
「な、何って?」
「職業、行動なんでも良いから言ってみろ」
「学校にいた」
「何してた?」
「呼び出された友達を見に行ったんだ」
「呼び出された友達?」
「学校のイジメグループに友達が連れて行かれたから」
「それで?」
「屋上にあいつらがいたから、俺はそいつらを陰でみていた」
「友達はどうしてた?」
「ボコボコにやられていた」
「助けなかったのか?」
「助ければ奴らは、また俺に向かって来る」
なるほどね。友達がやられているのを見にいったけど、何もできずにいたわけだ。
「それで?」
「いきなり光が降りて来たんだ」
「そして…お前はここに来たということか?」
「そう」
どうやらハイラたちが、こっちの世界に来たのと同じことが起きたようだ。だがこいつだけが向こうからこっちに呼ばれて来た、という事かもしれない。
「そして草むらに寝ていたと?」
「そう」
「目覚めて、何かあったか?」
「いや、なんかの骨とボロボロの服があった」
「それでどうした?」
「周りになにも無かったから、とにかく人のいる場所を探そうと思って歩いたんだ」
「そう言うわけか。それであの建物にたどり着いたというわけだな?」
「そうだよ!なんでずっと質問するんだよ!俺はまだ中学生なんだ!守られる対象だろ!」
グイッ。シャーミリアが再び少年の胸を踏んづける。するとみるみる顔が赤くなってきた。
「緩めろ」
「ごほっ!ごほ!」
「勝手にしゃべるな。お前には話す権利は無い、ご主人様が許可を出した時だけだ」
シャーミリアが言うと、コクリコクリと頷いている。
「教えてやろう。お前は他の世界に紛れ込んだんだ」
「やっぱり…と言う事は!ここは異世界ですか!?ぐっ」
またシャーミリアが踏んづける。すぐに顔が赤くなって死にそうになる。そのまま俺は手で緩めるように指示をする。
「誰が話して良いと言った?」
シャーミリアが冷たい目で言うと、少年がコクコクと頷いていた。
「お前は人間だよな?」
俺が聞くと、コクリと頷く。
「デモンと言う言葉は聞いた事あるか?」
「アニメとか漫画で」
「なるほど。実際に見たことはあるか?」
「実際には無い」
どうやらデモンに呼び出されたわけではなさそうだった。どうしてこちらの世界に来たのか、原因が分からないらしい。
「こっちに呼ばれる前に変わった事は?夢を見たとか、お告げがあったとか何でもいい」
「覚えていない。思い出そうとしても思い出せないんだ」
「わかった。とりあえずミリアはこいつを押さえててくれ」
「は!」
あまり有益な情報は取れていないが、こいつがここに現れた事と光柱が消えたことは、なにか関連性がありそうだ。ひとまずここで尋問し続けても埒が明かないので、念話で全員の状況を聞く事にする。
《アナ、そっちはどうだ?》
《こちらには10人ほど逃げてまいりましたが、全てマリアが狙撃で行動不能にいたしました》
《他のみんなは?》
《何もしておりません》
すげえなマリア。走る標的の足を狙って全部仕留めちゃったか…魔人達との行動で、彼女のスナイプには磨きがかかっているようだ。
《マキーナはどうだ?》
《こちらには6名ほどが逃げてまいりましたが、全て行動不能にしております》
《了解だ》
もちろんマキーナはシャーミリアの眷属。人間ごときに後れを取る事は無かった。そしてファントムに聞く事はしなかった…返事がないから。とりあえず指示だけ出しておくことにする。
《ファントム、仕留めた人間達をトラックの所まで持ってこい》
《……》
《マキーナは運べるか?》
《縛って連れてまいりましょう》
《紐なんか持ってたっけ?》
《長い木の細枝を束ねて縛り上げます》
マキーナは見た目とても細い女性だったが、シャーミリアの眷属だけあって物凄い力の持ち主だ。人間の大人が何人でかかっても勝てるわけがない。
「おまえ」
俺は少年に声をかける。
「はい」
「なにもするなよ」
「はい」
少年がうなだれて力なく答える。そして俺は倒れている男の下へ近づいて、足をもって引きずろうとする。
「な、なにをするんだ?」
パン!
男が抵抗したので、ワルサーP99を召喚して怪我をした足をまた撃つ。
「ぎゃああ!!」
「わめくな。次はこれがお前の頭を吹き飛ばす」
「う、ぐぐ」
そして俺はそいつを他の一人の所に連れて来た。
うん、面倒くさい。
「おい!お前!」
俺は離れた場所に倒れているもう一人に声をかける。
「な、なんだ!」
「お前、ここまで這つくばってこい」
「なぜだ?俺達をどうするつもりだ?」
パン!俺はかまわずそいつの怪我をした足にワルサーを打ち込んだ。
「ぐがぁぁぁぁ」
「聞いてなかったのか?とにかく這ってこい」
ズルッズズズズ。男は仕方なく激痛の足を引きずってこっちに這って来た。3人が集まったので俺は次の指示を出す。
「足を並べろ」
「なにを?いや!まてまて!待ってください!」
俺がワルサーを足に向けると、さすがに観念したようで3人が足をそろえた。
「よし」
俺は直ぐに拠点防衛に使う鉄条網を召喚して、3人の足を一気に括り付けた。
「いてぇ!」「なんだよこれ!」「や、やめろ!」
男達が騒ぐので俺は再びワルサーP99を男たちの前にかざした。
「おとなしくな」
コクコクコク
男たちはおとなしくなった。
《アナ!ファントムはそろそろ、そっちについたか?》
《はい。捕虜10人を鷲掴みにして連れてきました。ひしゃげている人間もいるようですが?》
《死んでる?》
《いえ。辛うじてですが息があります》
まあファントムに手加減は出来ないか。
《まあいいや。とりあえず置いといて》
《はい》
《ファントムは直ぐ俺達の所に来い》
《……》
ファントムがここに到着する前に、マキーナが枝で束ねた人間達を引きずってやって来た。男たちは見るからにボロボロになっている。だが全員辛うじて生きているようだった。
「よし。ご苦労様」
「いえ。遅くなりました」
「まったく遅くなってないよ」
「は!」
いつもだがマキーナは、とても謙虚だった。シャーミリアの眷属ということもあり、シャーミリアより目立つ行動を避けているようにも見える。
ドドドド。そこにファントムがやって来た。
「ひっ!」
中学生がガタガタと震え出した。ファントムはフードをかぶっているが、その恐怖のオーラが伝わって来たのかもしれない。どことなく前世のホラー映画に出てきそうな感じだし無理もない。
「よしこの人間達を運べ!」
ファントムに言うと、すぐに人間達の下にいき鷲掴みにした。俺やマキーナが用意したロープや有刺鉄線の意味が全くない。
「ぐぎゃ」「い、ぐぁ」「おぇえ」
ま、死ななきゃいいけど。
「ミリアとマキーナは、コイツが余計な事をしないように連れて行ってくれ」
「「かしこまりました」」
二人の美女が中学生の両脇を抱えてぶら下げるように連れて行く。万が一、魔法でも使おうものなら一瞬で殺してしまうだろう。とにかくあの危険な魔法を使わせるわけにはいかない。中学生は無抵抗に、ただうなだれてずるずると連れられて行く。
「ラウル様!」
トラックがある場所まで戻ると、アナミスが俺のところに来た。
「死んだ奴いる?」
「辛うじて息はしているかと」
「ほっといたら死にそうなやつには、急いでハイポーションをかけてやって」
「はい」
アナミスがトラックに戻り一次進化魔人に声をかけている。するとトラックから降りて来た魔人達が、次々に手にポーションのカプセルをもって、人間達の下へと歩み寄っていった。俺はひと先ず皆をそのままにして、モーリス先生の下へと向かう。
「おお、ラウルよ。あ奴らは南で捕らえられていた者かの?」
「恐らくそうです。どうやら、あの少年が開放したようですね」
「‥‥なるほどのう」
「先生から見てどうでしょう?」
「凄まじいものじゃな」
「やはりそうですか」
「まるで魔人を見ているようじゃ。ハイラ嬢たちと居た日本人達にも感じたが、魔力量はかなりの物じゃぞ」
「とにかく、彼を無力化したいのですが」
「ふむ。まかせておれ」
俺はモーリス先生を連れて、中学生の下へと歩いて行く。モーリス先生が少年の前に立って話しかけた。
「顔をあげてみよ」
少年はおもむろに顔をあげた。さっきまで緊張していたためか、モーリス先生の顔を見ていきなり泣き出した。
「ぐずっ、う、うう」
「ふむ。やはりかなりの物じゃが、全くの力まかせに力をふるったようじゃな」
先生は少年の様子をしばらく眺めて言う。
「いいじゃろ」
「シャーミリア、マキーナ放していい」
二人が少年の腕を解くと、ぺたんと座り込んでしまった。どうやら腰が抜けてしまったらしい。
「ラウル様」
「カティ。この子から血が抜けているんだが、どうにかできるか?」
「難しいと思います。食べて休まねば戻る事はありません。しばらく休養を取らねばならないでしょう」
「そうか、仕方ないな」
「残念ながら」
「いいんだ」
マリアとハイラも俺達の側に来て少年を見た。
「あれ?」
「ああ」
エドハイラが中学生を見て気づいたようだ。まあ詰襟の学生服なんて、こっちに来てから見た事が無いしすぐわかる。
「もしかして」
「どうやら転移者らしい」
「そんな…いったいどこから?」
「まだ原因は分かっていない」
「そうですか…」
エミルもトラックから降りて来て俺の側にやって来た。やはり詰襟の制服を見て驚いているらしい。
「ラウル。どういう事だ」
「わからん。気がついたらこっちの世界にいたんだと」
「なるほどな。それであんなことをしたと?」
「どうやらそうらしい」
この少年はいきなりこの世界に連れて来られ、いきなり魔法が使えるようになり、そして何の因果かうちの牢獄にたどり着いて凶行に及んだ。なぜそんなことをしようと思ったのかは、聞き出せていないが事実は事実だった。
「しかし。牢獄のやつらも、あれだけ長い事閉じ込められて諦めていなかったんだな?」
「青天の霹靂といった感じだったろうな。恐らく自分たちは見捨てられたと思っていたろうからな」
「誰かが仕向けたという事でもないのか?」
「どうやら本当の偶然らしい」
「よりにもよって、お前の兵隊を殺すなんてな」
「さてと…どうしたものかね」
「ああ」
予想外の犯人によって起こされた犯行だった。全く想像していないところからの出来事に、俺達はその対応に困っている。
「ご主人様」
「ああ、わかってる」
そう。シャーミリアが言っているのは、自分たちの仲間を殺されてどうするつもりなのかという事だ。とにかくこれから、ここに集まった人間達と相談の上で、少年の処遇を決めないといけない。
少年はただ座り込み、うなだれているだけだった。