第607話 女王のもてなし
「こちらです」
メイドに連れられて俺とモーリス先生、エミル、ファントムがふかふか絨毯の廊下を歩いていく。
「いや…」
「じゃのう…」
「ですねぇ…」
俺もモーリス先生もエミルも、その不思議な光景に絶句していた。
どうして?と言う疑問しかない。
メイドは俺達のざわつきには特に反応する事も無く、ただ前を向いて目的の部屋へと向かっている。その後ろを歩きながらも、俺は聞かざるをえなかった。
「先生…なんでですかね?」
「まてまて!ラウル。あまりのことで忘れておったわ。そもそもなぜに、わしまで?」
モーリス先生がハッとした顔をして言った。
「確かに…」
「先生もそう思いますか?私の衣装まで…だけど…」
エミルはエミルでかなりの高身長だが、その衣装はピッタリ似合っていた。
「先生、エミルも待ってください。それはこの際おいておきましょう」
「じゃな」
「ああ」
俺達がファントムを見上げる。最初見た時には嘘だろと思った。かなり正確な採寸でもしたんだろうか…
「……」
ファントムはどこを見るでもなく、真っすぐ前をみて黙々と俺達について来る。そのファントムがおかしいのだ。ファントムは頭のてっぺんから足の先までとてもおしゃれにキメこんでいた。
「あれはシルクハットですよね」
「そうじゃな」
「とても品質が良さそうな帽子ですね」
「ふむ」
そう、まずは帽子だ。いつもはフードを深くかぶっているのだが、今は世にも恐ろしい顔の上に白のシルクハットが乗っているのだ。
「そして、蝶ネクタイですよね」
「まちがいないのう」
「華やかだ」
そう、恐ろしい顔の下には綺麗な白の蝶ネクタイがしめられていた。これをつけてあげた人はよく失神しなかった。もし耐えたのであれば、相当な胆力の持ち主と言わざるを得ない。
「それで、なんで白だったんですかね?」
「なぜじゃろうな」
「むしろ、ひき立ってますね」
「ああ、怖さがな」
そう、肩から下は白の燕尾服が着せられていた。足の先を見れば革靴もしっかりと白だ。
「まぶしいくらいです」
「しかも嫌にピッタリじゃしな。完璧な採寸をしたようじゃ」
「まったくです。私でも身長があるので難しいと思うのですが」
「ファントムのをそろえたのなら、エミルのなぞ造作もないじゃろ」
「確かに」
ファントムは全身真っ白の燕尾服にシルクハットまでが白、だが顔色は青銅色なのでまるで銅像が着ているようにも見える。だがその表情はとても恐ろしいもので、完全に服が死んでいるのだ。服装はとても華やかなのに、死に顔がすべてを台無しにしダークなオーラが一面に漂っている。
ニコリともしない。
もともと表情が無いので仕方がない。
「先生は…心臓に悪いので見ない方が良いんじゃないですか?私は慣れているので、直視し続けても全く問題ないですが…」
「そうじゃな、何か大切なものを見失ってしまいそうじゃ」
「ですね」
モーリス先生とエミルはファントムから目をそらした。いつも一緒に居るので、あんがい平気かと思いきやキツイらしい。
《お前も災難だな》
《……》
念話でファントムに語り掛けて見ても全く反応は無い。自分が置かれている状況を全く理解していないのだろう。そもそも理解するとかしないとかの概念でいいのかどうかも分からない。
「まあファントムがピッタリなのじゃから、わしらの服も採寸したように合うのは当たり前じゃな」
「はい」
俺達3人はかなりドレスアップされていた。
俺は黒地の全体に銀の刺繍が施された上着に、フリフリのネクタイが首元からぶら下がっている。中に着ているベストも同じ刺繍のものだった。黒い細身のズボンがまたカッコイイ。
「ラウルはまさに王子じゃな」
「王子ってこんな格好してるんですか?」
「そうか、ラウルは見たことないのじゃな」
「はい」
「王子がパーティーに出席する時はおおむねそんな感じじゃて」
「なるほどです。先生のタキシードも素敵ですけど」
「わしは似合っとらんじゃろ?」
「いえ、渋くてカッコいいです」
「そうかの?」
モーリス先生は俺から褒められてまんざらでもないようだった。髭はそのままだが髪は束ねられて、それがまた様になっている。薄茶色の上着に襟部分がこげ茶のツートンタイプのおしゃれなスーツで、ベストもいい素材を使っているのが分かる。黒系のビロードの蝶ネクタイが全体を引き締めている。
「エミルは素材が良いからいいよな」
「そんなこたぁねえよ」
ちょっと照れたように答える。
エミルはシルバーの布地の長いコートのような服を着ていた。詰襟が高く高貴なイメージを醸し出していた。全体にグリーンを使い自然な風合いの柄の刺繍が入っている。
「まるで長老の正装みたいじゃないか」
「こんなところで、こんな衣装を着るとは思っていなかったよ」
「よくエルフの正装を分かってたよな」
「まあ、昔は人間の住む場所にも来ていたらしいしな、もしかすると書籍や伝承などで調べたのかもしれんな」
「なるほど」
「ふむ。それはそうじゃ、エルフについての文献は魔導書より多いのじゃ」
「そうなんですね」
俺達はいつの間にか広い部屋へと通されていた。使用人たちがたくさんいるが、何かを準備して右往左往している。
「それではお待ちください」
「あ、ああ」
メイドが俺達の側から離れて行ってしまった。
「先生、ここはいったいなんですかね?」
「わしの記憶に間違いが無ければ、舞踏会場だ」
「舞踏会場?」
「そうじゃ」
「なんでこんなところに?」
「しらん」
確かにそうだ。俺と先生は何も聞かされずに着替えさせられ、ここに連れて来られたのだ。先生が何かを知っている訳はない。エミルもどこかソワソワして、ちょっと挙動不審になっている。
「何すんだろう?」
「わからない」
そう…俺だってわからない。
すると一人の紳士が近づいて来た。
「見違えましたな」
「ルブレストよ、いったい何が始まるのじゃ」
「我にも分かりません」
「そうか」
「とにかく、立っているのもあれです。あちらに飲み物もありましたので、そちらにまいりましょう…しかし…彼はよくあの服を着てくれましたな…」
ルブレストがファントムに目を止めて絶句している。そりゃそうだ、正気を保っているだけ凄い。
「とにかくまいりましょう」
俺達はルブレストについて、奥にある飲み物が用意されている席についた。
「ファントムは窓の外を見て立っていろ」
「……」
「賢明だ」
ルブレストが言う。俺も気が付いていた…ファントムがこの室内に入った瞬間に、卒倒した人間が2人と気分を悪くした人間が数名いたようだ。担がれて出ていく人間もいた。俺はそれを察知したので、ファントムに外を向くように指示をした。こうしておけば誰もコイツの顔を拝むことは無い。
「ふう」
「堅苦しいのは苦手か?」
「苦手です」
「王子たるもの慣れておかねばならぬのではないか?」
「やっぱ、こういうのあるんですかね?王子って」
「もちろんだ」
「そうじゃぞ、ラウル。だからわしは王宮が嫌いなんじゃ」
「先生。その気持ちわかります」
「モーリス様もですか?」
ルブレストが呆れたように言う。
「極力逃げて来た人生じゃったわ」
「モーリス様らしい」
渋い剣士がタキシードに包まれて屈託のない笑みを浮かべる。その姿には違和感が無く、こういう場にも慣れているのが分かる。
「人間の城にエルフが正装でいるのは違和感ありませんかね?」
エミルが聞く。
「あるな」
「やっぱり」
「だが、ラウルが目指している世界は種族関係なく同じ世界で生きて行くのだよな」
「そうです」
「ならばここにエルフがいる事は意味がある」
なんかもっともらしくて納得しそうだが、いったい何が行われるのか分かっていないだけに、意味があるかどうかも分からない。
「で、ルブレスト。もう一度聞きますが何が始まるかは?」
「わからん」
「この格好の意味は?」
「もちろんわからん」
「そうですか」
気づけば周りで準備をしていた人たちはいなくなっていた。数名が扉の側に立っており、壁沿いにずらりと使用人が並んで静かになっている。
「お寛ぎの皆様!ティファラ陛下のおなりです」
その声を聞いて俺達が立ちあがり扉の方を見た。ドアが開かれてそこにティファラが入って来たのだった。
パチパチパチパチパチ
使用人たちが一斉に拍手をする。
「おお!」
「美しいのう」
「すばらしい」
ティファラは裾が広く上は銀の装飾をあしらった、ホワイトのレーシーなドレスを着て入って来た。ウエストが細くて、まるでフランス人形のようだ。
「皆様おまたせしました」
ティファラが声をかけて来る。その威厳に満ちた姿に俺達4人は頭を下げた。ティファラは王となり既にそのオーラを纏っているようだ。
「そしてみなさんもどうぞ中へ」
ティファラが振り向いて言う。
「カトリーヌ様が入られます!」
執事が言うと先ほどと同じように拍手が起きた。
上品なカーテシーをして入って来たのはカトリーヌだった。裾が広がったストレートビスチェタイプの、薄いピンクドレスを着ていた。胸より上にはストラップなどが無く、肩からデコルテのラインが綺麗に見える。
「可愛い‥‥」
俺は思わずつぶやいてしまった。
「ラウルの嫁さん候補なのだろう?」
「まあ、母が強制的に決めた縁組ではありますが」
「贅沢言うなよ」
「も、もちろん!何か不満があるわけじゃありませんよ」
ルブレストが慌てる俺を見て笑う。
「どうぞお入りになって」
「マリア様が入られます!」
次にマリアが入って来た。マリアのカーテシーも美しい、小さい頃からイオナに仕えて来たので心得ているらしい。
「おお」
「がらりと雰囲気が違うのう」
「ですね」
マリアは青布に白の刺繍が入った、裾がレースになっているドレスを着ていた。そう言えばマリアのこういう姿を見るのは初めてかもしれない。いつもメイド服を見ているので、こんなドレスアップしたマリアは見たことが無かった。赤茶色の髪はアップされ、ドレスに合うように編みこまれて貴族の娘と言われても納得する。
「ではお次の方」
「ハイラ様が入られます!」
ハイラは水色のドレスを着ていた。なかなか着慣れないのかそわそわしているようだが、やはりドレスアップするととてもかわいい。女性と言うのは恐ろしいものだ。
「ケイナ様が入られます!」
ケイナは緑色のドレスを着ている。全体的にひらひらとしており、肩まで開いたデコルテのラインがとても美しく見える。エルフ特有の美しい顔が更に引き立っている。
「アナミス様が入られます!」
アナミスは紫のドレスを着ている。裾に刺繍がありパフスリーブが可愛いドレスだった。彼女はギャルっぽい風体と常に煽情的な格好をしているのだが、こういうシックな服装だと雰囲気が変わる。
「マキーナ様がはいられます!」
マキーナは紺色のドレスだった。切れ長の目と黒髪にあっておりシックな装いとなっている。どうやら各自のイメージに合わせた衣装になっているらしかった。
「みんなきれいじゃの」
「はい先生。いつも血と消炎にまみれた戦場ばかりで、こういう事をさせてこなかったですから。やはり女性ですし、どことなく嬉しそうですね」
「そうじゃな」
「では最後に」
「シャーミリア様が入られます!」
最後に入って来たシャーミリアは赤の光沢のある素材で回りを囲み、前面がワインレッドのビロードになっているドレスだった。縁には深い金色の刺繍が施されており、腕の部分がレース遣いになっている。その抜けるような白さと真っ赤な唇がより一層引き立ち、神々しさも感じるような美しさを誇っていた。華やかと言うのはこの人のためにある言葉かもしれない。
《申し訳ございません。ご主人様、ティファラ様のおっしゃるままに》
《いいんだよミリア》
《は!》
「ラウルよ」
「なんでしょうルブレスト」
「魔人と言うのはこんなにも美しいものなのか?」
「そうですね。人間離れしてますよね」
「神々が作りたもうたと言っても疑わぬだろうよ。精巧な人形師でもこれほどの美を作る事はできないだろうな」
「そう思います」
ルブレストは自分の王や、カトリーヌとハイラよりも魔人達の美しさに魅入られてしまったようだ。それは仕方がない事だと思う。兎にも角にも美女がドレスアップしてこれだけ揃うと、魂が抜かれてしまいそうになる。女で身を滅ぼす男の気持ちが分からんでもない気がした。
「では皆さん!ラシュタル城へようこそ。本日はぜひお楽しみになってくださいまし」
ティファラが言う。
お楽しみ?何をするのかは分からないが、ドレスアップしてなにか催しものをやるらしい。俺たちまでドレスアップした理由は分からないが、ティファラがゆっくりと、こちらへ近づいて来るのだった。