第592話 慕われる狼王
俺達がシュラーデン王都に行くため、民を驚かせないようにとマーグが馬車を用意してくれていた。何から何まで至れり尽くせりの対応に頭が下がる。全員が乗れる2頭立ての立派な乗合馬車だった、人数まで計算に入れて用立ててくれたらしい。
その行く道にて。
「すまん、カトリーヌ」
「先生は飲みすぎなのです。もうちょっともうちょっと、などと続けるからそうなるのですよ」
「面目ない」
大型の乗合馬車に揺られながら、モーリス先生がカトリーヌにペコペコ謝っている。それはもちろん昨日の酒のせいだった。相変わらず先生はタガが外れたように飲んでしまい、重い二日酔いになってカトリーヌの魔法で癒してもらったのだった。
「先生もお若くないのですから、少しはご自身のお体を考えていただかないと」
「はい…すまんのじゃ…」
モーリス先生が消え入りそうになっている。もう孫に怒られているただのおじいちゃんだ。
「マーグもなんで次から次へとお酒を出すのですか?」
「も、申し訳ございません!恩師様がお喜びになるのがうれしくて」
「もう残りは無いと言えば終わりましたのに」
「は…私の至らぬところでございました…」
マーグも消え入りそうになっている。屈強なライカンの超進化魔人がペコペコと謝っていた。
「私はお止めしたのですよ」
マリアが急にいい子ちゃんになった。馬の手綱を引きながら後ろも見ないで言う。
「まあ、マリアは悪くないと思うけど」
マリアにはカトリーヌは何も言わない。
「まあまあ、カティ。先生もしばらくぶりのお酒だったんだし、その辺でいいじゃないか」
するとカトリーヌは俺をじろりとにらんだ。
「ラウル様…ラウル様は、先生に一番お酌をしてたようにお見受けしたのですが?」
ヤベエ!見てるとこは見てたらしい。
「そ、それは…」
「ラウル様なら、あの場にいた誰よりも止められたはずではないですか?」
「それはそうだけど、でもせっかく美味しいお酒だったんだし」
「私は節度が大事だと言っているのです!」
「ごめんなさい…」
もう謝るしかない。そして次から気を付けるしかないと思う、ていうか酒を飲む度にこんなお小言をもらうのはしんどい。
「あのカトリーヌさん」
「なんです?」
エドハイラが話しかけた。
「もちろんカトリーヌさんが、おっしゃることは正しいと思います」
「そうですよね」
ああ…やっぱりエドハイラもあっち側の人間に…
「ですが…」
「はい?」
「モーリス先生も、おもてなしをしてくれたマーグさんへの感謝もあっての事だと思うんです。もちろん飲みすぎは褒められたものではありませんが、人のお気持ちを察して無理をして飲んだとは考えられませんか?」
いや、違うと思う。
「それは…」
「ですから今回は、マーグさんの気配りに免じて許してあげて欲しいのです」
「そ、そうなのじゃ!ハイラ嬢の言う通りなのじゃ」
「ふぅ…。わかりました、ハイラさんの言葉に免じて許しましょう」
「すまぬ」
「申し訳ございません」
「ごめんなさい」
先生とマーグと俺が頭を下げた。
「節度を持ってお楽しみください」
「わかったのじゃ!」
「は!」
「ありがとうカティ!」
3人はカトリーヌに礼を言うが、心の中ではエドハイラに感謝していた。彼女のおかげでカトリーヌのお叱りから解放されるのだ。こんなに嬉しい事はない!
「あとは言いません」
カトリーヌがいつもの笑顔に戻った。心配して言ってくれたので、先生もしばらくは忠告を聞くだろう。しばらくは。
「それにしてもラウルよ、まだ王都まで距離があるのに人通りが凄いぞ」
エミルが話題を変えてくれた。
どれどれ。
カトリーヌから解放されて、俺達は周りを見る余裕が出来た。
「本当だ」
「ずいぶん賑やかなようじゃのう」
「マーグ、彼らはいったいどんな人達なんだ?」
「様々にございます。商人に冒険者に恐らくはラシュタルからの民もおります」
「なるほど。逆に王都から外に出ている人も大勢いるようだが」
「彼らはラシュタルの海沿いでとれた海産物を、干物にして村に卸しにいってます。または村々から出された依頼をこなす冒険者達ですね」
「凄いな。本当にギルドが機能してるんだ」
「はい」
王城外の街道は賑やかで、冒険者や民を目当てにした露天商などもいた。
「ラウル様。まるで昔に戻ったようです」
「だなマリアと出かけたユークリットを思いだす」
「ふむ。そうじゃのう、まるで戦争など無かったような賑やかさじゃ」
「はい」
ざわざわと人が行きかう街道を進むと、向こうの方にシュラーデンの市壁が見えて来た。そしてその門の前にもズラリと人が並んでいる。
「マーグ、人が並んでいるようだが?」
「検問所を設けておりまして、魔人と役人が合同で不審なものが入らぬように見張っております。安全だと確認された者だけが中にはいれます」
なんと…シュラーデンは既にユークリットなどよりも復興が進んでいるようだった。かなり都市機能が回復しているらしい。
「先生。前に来た時とはずいぶん違うようですね」
「そうじゃな、あの時とは全く違うようじゃ」
「クリーム麺と揚げ鳥パンは食べられますかね?」
「ふぉっ、ラウルよあれが気に入ったか?」
「はい。あれは美味かったです!」
ジャンクな感じがして最高だった。あれがまた食べられると思うとつい生唾をのんでしまう。
ガラガラと音を立てて、もうすぐ正門にさしかかろうとしていた時だった。マーグがおもむろに馬の手綱を引いているマリアの隣に座った。
「おう!王様じゃねえか!お客さんかい?」
皮の鎧に大きな斧を持った筋肉隆々の男が、マーグを見つけて声をかけて来た。恐らくは冒険者なのだろう。
「そうだ。我の大切なお客様だ」
「おっと、そいつは大変だ!おーいみんな―!王様が大事な客を連れて来たってよー!」
冒険者の男が声をかけると、その辺にいた荒っぽそうなやつらが動き出した。いきなり王様がこんなところで呼ばれて、セキュリティー的に大丈夫なのだろうか?
「おい!みんな、王様の馬車が通るからちと道をあけてくれ!」
「おう!わりいな!王様の大事な客人らしいんだ」
「馬車の邪魔にならないように脇によってくれ!」
そこらへんから声が発せられて、並んでいる人たちがきちんと道の両脇に寄ってくれた。
「王様のお客さんとやら!ゆっくりシュラーデンを見てってくれよ!」
筋肉隆々の男はそう声をかけると踵を返して、王都とは逆の方へと歩き去って行ってしまった。
「ラウル…なんかめっちゃフランクじゃね?」
「だな…」
エミルと俺がそんな話をしている時も、また声がかけられる。
「王様!この前は東の森に出たグレートレッドベアーを追っ払ってくれてありがとうよ!」
「うむ。造作もない」
どうやらそいつも冒険者だった。マーグは冒険者に軽く手を上げて答える。
「あら!王様!いつも畑に大量の肥料を運んで来てくれてすまないねえ!畑に寄っていっておくれ!野菜がたくさんあるからねえ!好きな野菜を持ってっておくれ!」
野菜を詰んだ荷馬車に乗った、恰幅の良いおばちゃんがマーグに言う。
「いや、今日は大切な人を連れて来たのだ。申し訳ないがまたの機会に立ち寄らせてもらう」
「ああ、遠慮なく来ておくれ!王様ならいつでも歓迎さね!」
マーグは軽く手を上げておばさんに答える。
声をかけられながらゆっくりと門に近づいて行くと、門番がチラリとマーグを見た。見たところ進化魔人ではなく、マーグが言っていたお役人の生き残りのようだ。
「王よ!お話をされていたお客様ですね!」
「そうだ」
「わかりました!おい!その馬車を通せ!だれか!手綱を引いて差し上げろ!」
「いえ。大丈夫です。私ができます」
マリアが言う。
「わかりました!それではシュラーデンへようこそ!」
馬車は何事もなく並ぶ役人たちの間を、シュラーデン王都内へと入って行くのだった。マーグはすっかり街の人間達から覚えられてしまっているらしい。
「マーグ。なんかみんなと知り合い?」
「はあ。どうやら人助けをしているうちに、このようになってしまいまして」
「いいんじゃね?」
「そうでしょうか?」
「なんか気取った王様なんかよりずっといい」
「我は特に何をしたわけでもないのですが」
マーグは謙遜しているわけではない、心からそう思って言っている。都市内にも人はごった返しているようだった。
「凄いものじゃ」
「はい先生」
人がいるのでゆっくりと住宅街へ進んでいく。確か奥に進むと王城があったはずだ。街には食事処もたくさん増えているようで、あちこちからとてもいい匂いがする。しかも花屋や宝石屋も健在のようで、以前ティラが服を買った店もある。
「あ!王様!この前は迷子の息子を見つけてくださってありがとうございます!ぜひまたうちに寄っていってくださいね!」
店の前を掃除していた、エプロンをつけた女主人が声をかけて来た。
「息子はどうしてる?」
「あれからは反省してあちこち出歩かないようになりました」
「まあ、叱るのもほどほどに」
「うちの悪ガキはあのくらいじゃこたえませんよ」
「わかった」
マーグが手を上げると女主人が手を振る。
「えっ?マーグ迷子探しなんかもしてるの?」
「はあ…依頼があれば」
「おもしろいのう!」
どうやらモーリス先生はマーグのやっている事が気に入ったらしい。街の人に好意的に思われているのは悪い事じゃない。
「王様!今日も格闘のおけいこはやすみ?」
今度は子供の集団の、一番前にいる小さい男の子が聞いて来る。恐らく年のころは6歳ぐらいだろうか、もう少し大きい子供たちもいるのだが、その男の子が明るく声をかけて来た。
「すまんな。今日は大切な人たちが来ているのだ」
「なーんだ。それじゃあ仕方ないね!王様は忙しいから我慢する!」
「おれも!」
「私も!」
「じゃあ自分たちで練習する!」
「そうしてくれ。我は用がある」
「「「「わかった!」」」」
子供達が走り去っていった。
「なんか…マーグすっごい人望ある?」
「人望とは?」
「いや、なんていうか信頼関係と言うかなんというか」
「よくわからぬのです。いつの間にかこうなってしまいまして」
モーリス先生、カトリーヌ、エミル、マリア、エドハイラの人間組が、うんうんと頷いていた。もちろん俺にも分かっている、恐らくマーグは民の要望を全て聞いているのだ。それが信頼につながり王を託されたような気がする。
いや…間違いなくそうだ。
「ですが…ご主人様。王に対する態度といたしましては、少し礼節を欠いているように思われます」
シャーミリアがチクりと苦言を言う。
「まあ、ミリアの言うとおりだけどさ。こういう形があっても面白いんじゃない?」
「ご主人様の思慮深いお考えが、おありになるのですね。愚かな発言をお許しください」
「いや。ミリアの言う通り威厳とかも大事だし、王様たるもの舐められてはいけないとは思う。だけどマーグは舐められているように見えないし、凄く尊敬されているようにも見えるんだ。マーグだから可能なのかもしれないし、ミリアの言う事はあながち間違いじゃないから気にするな」
「はい」
シャーミリアが言っている事も間違いはない。人はあまりに優しくしすぎるとつけあがってしまう。だがマーグの外見からは強さがにじみ出ているから、彼に逆らおうなどという者が元からいないのだろう。強いオーラがムンムン出ているのが人間達にも分かるはずだ。
「ミリア。例えば俺が王だ!って言ったところで、こんなガキが?って人間なら思っちゃうんだよ。そういう生き物なんだ」
「ご主人様にそのような口を利いたら私奴が…」
まあ止めなきゃ殺すだろうな…
「まあ、それも一つの方法だと思う。でも俺がもっと年をとって迫力がついたら、そんな事しなくてもよくなるんだよ」
「かしこまりました」
「あの、ラウル様。しかしカトリーヌ様がおっしゃると人間は膝を屈するようです。カトリーヌ様もラウル様のようにお若く見えますが」
「アナミス。人間は権力に弱いんだ。魔人達のように強さや魔力量が左右するわけじゃない。ましてや人間には魔人の系譜なんて概念も無いしな」
「そうなのですね」
うん。魔人達が言う事はよくわかる。逆に魔人国王のルゼミアを人間が見たとしたら、理解しがたいだろう。少女のような見た目で煽情的な格好、奔放な物言いは人間が想像する王様とは程遠い。まあ世の中にはいろいろあるんだよね。
魔人達も日々勉強、人間社会について少しずつ学んでくれるとありがたい。
「それではラウル様。王城内にておくつろぎください、我と魔人達で人間達に声をかけ午後に王城に連れてまいります」
「わかった」
俺達は馬車を降りマーグに連れられて、以前オージェが訓練道場に使っていた王城へと入って行くのだった。想像していなかったが、王城内には人間がたくさんいた。皆メイド服を着ており掃除や家事などを行う人らしい。
「王様!お客様ですね!」
「ああ。丁重にご対応してくれ」
「わかりました!」
18歳くらいの少し目の吊り上がった、それでいて可愛らしい雰囲気の茶色い髪の子が言う。
「あ!」
その女の子は俺と先生を見て驚いていた。
「む?」
「えっ?」
「あの!覚えていないかもしれませんが、料理屋の‥」
「おお!わかるのじゃ!」
「あの時の!」
そこでメイドをしていたのは、俺達が以前街の飲食店に行った時に応対したウエイトレスだった。どうやら町娘が王城内でメイドの仕事をしているらしかった。




