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第589話 ブラック貴族

あれ?


ここ確か…文官を育てるために読み書きを教えてたんじゃなかったっけ?


俺とカトリーヌがヴァーグ子爵を連れて学校に入ると、不思議な光景が目に飛び込んで来た。本来は座学をしているはずだが、エントランスではモーリス先生を前に3人の生徒たちがある事をやっている。


先生は俺達に気が付いたが、口に手をあててウインクし声を出さぬように合図をする。子供たちは胸の前に手をつき出し、その両手の間に15センチ大の水の玉が浮かべていた。


カツン!


ヴァーグ子爵のかかとが鳴ってしまった。


パシャン


一人が水を落として割ってしまう。


パシャン

パシャン


すると全員が浮かべていた水の玉を落としてしまった。どうやら集中力を欠いて魔法が続かなくなったらしい。


「やめて良いのじゃ」


先生が言うと、目を瞑って集中していた子供たちは顔を上げた。


「すみません」


ヴァーグ子爵が言う。


「良いのじゃ。それで話はある程度終わったのかの?」


先生が俺に聞く。


「はい。ある程度説明はしました、それで…先生いまのは?」


「驚いたじゃろ」


「はい」


「特別に選抜した子らじゃ。今日は水魔法に特性がある者に集まってもらっておる」


「他の子らは?」


「魔力の無い子らは、奥でスティーリアとカリマが座学を教えておるぞ」


「それにしても3人とも水魔法ですか」


「そうじゃ。そのほかの属性を持つ子らもおるのじゃ」


「以前、淡い魔力を持っている子達がいるとおっしゃってましたが」


「その子らじゃよ。わしはもう間もなくこの地を去るでな、座学は3人の先生にまかせ魔法が使えそうな子の基礎をみてやっておった」


3人の子供は5歳から8歳くらいか。でも俺の幼少の頃のように、魔力枯渇で倒れる事は無さそうだ。今も自主練習して3センチ大の水の玉を浮かばせている。


「やはり先生の教えだと、これほどはっきりと魔法が使えるようになるのですね」


「そう言えばラウルの時は一つも魔法が使えんかった。あれはラウルがあえて見せておらんのじゃったのう」


「すみません。心配されると思いまして。そして私の魔法は少し使っただけでも、すぐに失神してましたし」


「やはり、武器の呼び出しは異常なほどに魔力を消費するのか。普通の人間には使えん魔法なのじゃろうて」


「そうかもしれません」


そしてモーリス先生は子供たちの所に行って、ちょこちょこと話をした。すると子供たちは立ち上がって、奥の座学の教室に向い入って行くのだった。


「素直でええ子らじゃ」


「あの年で魔法ですか、やはり先生の教えが良いのでしょうな」


ヴァーグ子爵が言う。


「まあ小さいうちが肝心じゃからの。これであの子らが魔法に興味を示し続ければ、すくすくと伸びて行くじゃろうて」


「なるほどです」


先生は奥の部屋を指さした。


「なら話をしようかの」


ヴァーグ子爵と俺達はモーリス先生について隣の部屋に移動する。そこは元々兵舎の食堂のような場所だったのだろう。椅子と机が理路整然と並んでおり、50名が一度に食事をとれそうな場所だった。


「では」


4人が椅子に座り、俺の配下達が部屋の壁際に立つ。すぐにモーリス先生が話を始めた。


「ヴァーグ卿よ」


「昔のようにヴァーグとお呼びください」


「ふむ。ヴァーグよ、どうじゃな?この都市にようやく戻れた感想は」


元々貧民として潜んでいたが、ようやく貴族の本当の姿を現せたことで”都市に戻った”という表現を使っている。


「はい。すっかり様変わりしました。生き残った者はたまたま国内外に出払っていた商人や兵士でしたし、その数は風前の灯火と言っても過言ではないかと」


「そうじゃな。じゃが全滅では無かった、ヴァーグが民を守って来てくれたおかげじゃな」


「必死にかばった甲斐がございました」


「わしらは、すっかり皆殺しにあったと思っておったのじゃ」


「あの状態では無理もありません」


「ユークリット王都の出身者は、外に出ていた冒険者だけになってしまったのかと思っておった。まさか民を生きて連れ戻してくれるとは礼を言うのじゃ」


「なにをおっしゃいます!私たちが帰る場所を先生達が作ってくださったのではないですか!」


「まあ少々おかしな状況ではあるがのう」


「それでも私は、ユークリット王国は滅びる事が無いと確信いたしました」


「それはそうじゃな!それでヴァーグよ、この都市に来て貴族がおったことに驚かんかったか?」


「はい。見たことのない貴族ばかりでした。私とて少々顔が利く貴族でしたが、知らぬ顔ばかりで不思議に思っておりました」


「じゃろうな」


「あれらはどこから来たのです」


ヴァーグ子爵はやはりそこに疑問を持っていた。そりゃそうだ、知らん顔の奴らが貴族として貴族街に住んでいるのだから。


「あれは平民から急遽爵位させた…いや王が不在なので、正式に王が任命して叙爵させたわけでもない。この都市を平常に戻すために強制的に貴族に上げた民じゃな。言ってみれば全員が平民から上がりたての準男爵といったところじゃ」


「選ばれた者と言う事でしょうか?」


「それが違うのじゃ、どちらかと言うと強制的に貴族にしたと言ったところかの。平民というか全員が村人なのでな、彼らには絶対に村人だったことをばらさぬように口留めしておる」


「そう言う事でしたか」


「ヴァーグよ。この地にはいつか王が戻ってくる事になる」


「王が…」


ヴァーグがチラリとカトリーヌを見た。


「まあ、今は詳しい事は何も言えん。そしてのう、宰相も財務大臣も元は冒険者と商人なのじゃよ」


「それは、なんとなく気が付いておりました。所作や言動からもそうではないかと」


「さすがは鋭いのう」


「先生の教えの賜物です」


「わしゃそこまで教えておらんわ」


「そうでしたか?」


ヴァーグ子爵は先生に冗談を言ったようだった。真顔で言うので真剣に言ったのかと思った。それを証拠にモーリス先生が笑っている。


「それでじゃ。ユークリットの貴族の生き残りとして、ヴァーグにお願いしたいのじゃよ。ユークリット王国の未来のために一肌脱いではくれぬか?」


「先生がそうおっしゃるのであれば、何も断る事は出来ません」


「すまんのう。兎にも角にも、これからの都市運営はいばらの道となるじゃろう」


「それは覚悟の上で戻ってまいりました」


「うむ。それで面接をした元ユークリットの民じゃがの」


「はい」


「彼らの中から、男爵として相応しい者。もしくや騎士爵を与えてよいものを選出してはくれんかのう?元々ユークリット王都で、ある程度の地位にいた者もおるのじゃろう?」


「それはそうですね、ですが正式に王の任命が無ければ彼らは納得しないのではないでしょうか?」


「そこでじゃ。そこにおる王の血筋をもつカトリーヌの代理任命という事で、納得してもらえるように説得してほしいのじゃ」


ヴァーグとモーリス先生がカトリーヌを見る。カトリーヌはそれを真正面からそれを見返していた。もちろんその任命式をやるつもりでいる。


「なるほど。それであれば異論のある者は少ないかもしれません」


「正式な任命式を行えば、それなりに形もつくじゃろ。領地を与えてそちらの管理も任せるようにすればよいと思うのじゃ」


「それならば喜んで拝命するでしょうが、防衛面はどうなるのでしょう?各領地に行って再び敵に襲われたら、兵をもたない貴族はあっという間に滅んでしまうでしょう。この王都にはラウル様の屈強な兵が守りについておるようですが」


ヴァーグ子爵は至極ごもっともな事を言う。


「それは大丈夫ですヴァーグ子爵、私たちが兵を派遣しましょう。その後、村人から徴兵しても良いかと思います。私の兵が戦い方や体術などを指導いたします」


恐らく普通の兵士より強くなると思うし。


「しかしラウル様。今のユークリットの国力では、その恩義にお返し出来るものが何もありません。今日明日食べていくだけのギリギリの生活をしているのです」


「ええ。今はですよね?」


「といいますと?」


「まあ、出世払いというのでしょうか?何かを返せるような生活になるまでは見返りはいりません。流通や貿易がもっと活発になり、農業が復活していけば次第に潤う事でしょう。その後返せる分を検討していくという事で良いかと思います」


「いつになるかもわかりませんぞ」


まあ…魔人は長ーく生きるから、いつ返してもらってもいいんだけどね。そして元々困ってないから、そんな無理して返してもらわなくてもいいし。


「それはかまいません。ただ一つ条件があります」


「なんでございましょう?」


「国政の最高顧問としてモーリス先生を据えて、私を相談役として向かい入れてくださいませんか?」


「願っても無い。ですが…先生はそんな堅苦しい役職、お嫌ではないですか?」


流石ヴァーグ子爵、先生の教え子だけあって分かってらっしゃる。先生は一つの場所に留まっていられるような人じゃない。自由に行動して自由に学んで、自由に遊んでとにかく自由人だ。


「いやヴァーグよ、それは形式上じゃ。後ろ盾のないヴァーグ子爵に皆が従わんかもしれん。もちろんおぬしに人徳が無いわけではないが、人間は欲が絡めばどうなるか分からんからのう。わしへの民の忠誠心とラウルの兵の虎の威を借りるのじゃ」


「そこまで考えていてくださったのですか…」


「ヴァーグがやりやすいようになるのであれば、わしの名前をいくらでも使うがよい」


「…あ…ありがとうございます」


ヴァーグ子爵は感動していた。先生のヴァーグ子爵が一番やりやすいようにという考えがつたわったらしい。


「じゃがの。ラウル達から聞いておるかの?」


「はい。貴族の使用人として獣人を招き入れる事、そしてそれを差別する事が無いようにと」


「そのとおりじゃ差別は好かん。王宮に言われても貴族にならんかったのは、その考え方が気に入らんからじゃ。もちろんヴァーグたちが悪いわけではない、ユークリットやバルギウスやファートリアでも貴族にとっては普通の事じゃからの。普通の事を責められても訳が分からんじゃろ」


「まあ、正直はじめて聞く価値観といいますか、当たり前だったことを覆された気持ちです」


「そうじゃろう。わからんで当然じゃ、ヴァーグは生まれたころよりユークリット貴族じゃからのう。じゃが世界は広いのじゃ、このユークリットから出ずにいればわからん事じゃ。わしは世界を旅して見聞して来たが、そんな考えを持っておるのはこの3国だけよ。属国のラシュタルやシュラーデンでも差別意識などもっておらなんだ。そのちっぽけな考えを無くしてしまいたいと思っていたのじゃよ」


「世界ですか…私もいつか見てみたいです」


「そうじゃな、じゃがその前にこのユークリットを何とかせんといかんぞ」


「は!先生からの命はこの身を賭してもやり遂げます」


「頼んだのじゃ。行政と法令順守、都市の防衛、貴族の管理と各貴族領の管理などを一手に引き受けておくれ。もちろんそれに必要な部下を選出してやらせてよい」


うわあ…ブラックな先生が出て来た。一気に仕事をヴァーグ子爵に押し付けちゃったよ…先生のそういうところ。好き!


「か、かしこまりました!」


「それでわざわざ学校に来てもらったのは、ある事を説明する為じゃ」


「王城の敷地内に学校があるとは思いもつきませんでした」


「ここは将来的に王宮に仕える人材を、幼少の頃より英才教育する場所じゃ」


「そのような学校は聞いた事がありません」


「わしも初めて作ったのじゃ。そこのラウルと相談の上でな」


「すみません。私も最善だと思ったものですから」


「いえ!先生もラウル様もとても先見の明がおありになるかたです。きっと将来的にユークリットの為になるのでございましょう」


「わしは、そう確信しておる」


「はい!」


「ここの者達に力がついたら卒業させ、すぐに王宮の仕事をさせるようにしてほしいのじゃ」


「わかりました」


ヴァーグが納得してくれたようだ。これでこの学校の運用の意図も分かってくれたと思う。


「して、市民から上げたという準男爵たちですが」


「なんじゃ?」


「彼らは何の仕事をしておるのです」


「いい質問じゃ!」


先生が嬉しそうに言う。


「は、はい」


「彼らは貴族としては赤子みたいなものじゃ。そして普通の村人上がりじゃから欲ももたぬのじゃ、じゃが忘れないでほしいのは全ての貴族にこのラウルの息がかかっておるという事じゃ。ぞんざいに扱ったりせぬように貴族としての指導をしてほしいのじゃよ」


「ラウル様の…」


「まあ…私のと言うより、カトリーヌのと言っておきましょう」


「カトリーヌ様の」


「そう言うわけです。ヴァーグ卿よ、彼らを導けるのはあなたしかおりません」


「かしこまりました。その任をお受けいたしましょう」


えっと。どんどんヴァーグ子爵の仕事が増えていくぞ…


「それと、官房長官としてハリス宰相の下について欲しいのですが」


また仕事が増えた。こんなに押し付けて大丈夫なのだろうか?俺はモーリス先生とカトリーヌのブラックぶりに驚く。


とにかくカトリーヌはこれ以上はどうかな?と言う感じで恐る恐るいう。


「もちろん!お引き受けいたします」


うん。どうやら勢いで受けちゃったなこれ。ハリスとマーカスを楽にさせる代わりに、ヴァーグ子爵がとんでもないブラックな役職になっちまった。


「官房長官はウルド司法長官と同等の立場です。お互いの力関係は五分五分とうことになりましょう」


「わかりました」


ヴァーグ子爵は自分が死んでも思いを遂げようとするような人だ。きっとこの重職に耐えきってユークリットを導いてくれるに違いない。母さんが戻ってきた時にやりやすい環境になってる事を祈って、目の前の頑張り屋さんに心でエールを送るのだった。

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