第583話 不適切事案と再発防止措置
迂闊だった。
敵意が無いという当初のシャーミリアの言葉が頭に残っていた事と、終始低姿勢だった相手の所作も相まって完全に油断していた。しかしシャーミリアは俺に再三、3人の緊張状態を伝えてくれていた。これは俺のミスだ。
「しまっ!」
俺が言葉を発するのと、3人の刃がハリスとマーカスの喉元に走るのが同時だった。理由は分からないが、3人は最初からこれを狙っていたのだろう。俺の提案は恐らく千載一遇のチャンスだったに違いない。
シュッ
かなりの腕前だ。太刀筋には迷いが無く一直線に目標との線を走り抜けて行く。俺の頭には首から血を流すハリスとマーカスのビジョンが浮かんだ。
パシッ
次の瞬間。
ダンクライドはハリスの手を掴み、後ろの一人の手はマーカスの手を掴んで握手をしていた。もう一人はスカッと手を振り上げて挙手の格好をしている。
「えっ?」
「なにか?」
ハリスとマーカスは何が起きたのか気が付いていない。どうやら俺が連れて来た人間という事で安心しきっていたのだろう。懐から出て来た短剣は目に入っていなかったらしい。ただ御覚悟を!と声を上げて握手してきた不思議な現象となっている。
「えっ?」
「あれ?」
「は?」
3人の男たちも何が起きたか分からずに、ハリスとマーカスの手を握っている自分に驚いている。挙手している人はよろけて転んでしまった。
「だっ!大丈夫ですか?」
ハリスが慌てて転んだ男に近寄って尋ねている。
「あ、あれ?」
俺は確かに見た。彼らが懐から短剣を出してハリスとマーカスに突き入れようとしていたのを。だが3人の短剣は一瞬にしてシャーミリアが一人でとりあげ、二人の手をハリスとマーカスに握らせた。一人はそのままの勢いで転んだのだった。シャーミリアはすぐさまその短剣をファントムに飲ませてしまった。
《よくやった》
《予測はしていませんでしたが、心拍数が異常に高まっておりましたので》
《いや、よく殺さなかったということでだ》
《は!ありがとうございます。この者たちはご主人様がお使いになるのです。殺すわけにはまいりません》
《はは、まあそうだな》
そして3人の後ろではアナミスとマキーナが、既にM17ハンドガンで狙いを定めていた。ウルドはタングステンのナイフを構えている。俺はスッと手を上げて武器を下ろすように合図を出す。
「そ、そんな」
「どうなってる?」
ダンクライドともう一人の男が呆然としていた。しかしこのまま放っておけば次の行動に移ってしまうだろう。
《アナミス》
《はい》
アナミスから赤紫の煙がでて3人をつつむ。立っている二人はシャーミリアとマキーナが支えて、床に横たわるようにゆっくり寝かせた。
「ちょっちょっと!」
「ど!どうしたのです!」
ハリスとマーカスは今の異常事態に気が付いていないのか、3人が行動不能になった理由を理解していなかった。眠ってしまった3人を見て今度は二人が呆然としている。
「すみません。この人たちは貧民街から、ここの仕事を手伝わせようと連れて来た者達です」
「どうして眠ってしまったのです?」
「アナミスが眠らせました」
「どうして?」
「それが…お二人は命を狙われました」
「ん?握手をしただけでしたが?」
「一人は転んでしまったようでしたな」
「短剣で突こうとしておりました」
「!」
「しかもかなりの手練れです」
「どういうことなのでしょう?」
やはり全くと言っていいほど気が付いていなかった。起こった事態についていけてない。
「私の油断が招いた失態です」
「ですが我々は傷ひとつ負っておりません」
「シャーミリアが未然に防いだまでです」
シャーミリアが二人に綺麗なカーテシーを披露している。二人のおっさんは柄にもなく思わず頬を染めてしまった。それほどに洗練された美しい礼だった。シャーミリアは二人が慌てないように気を配ったらしい。
いつの間にかこんな事が出来るようになったんだな。
「あの、ありがとうございました」
「いえ。ご主人様の意向に添ったまでです」
再び二人は倒れている3人を見る。
「ハリスさん。この人達と面識はありますか?」
「いえ」
「マーカスさんは?」
「ございません」
「わかりました。とにかくアナミスが覚醒させるまではしばらく眠ったままです。念のため縛って寄せておきましょう」
「はい」
ファントムが3人を一気に持ち上げて座らせた。
「よ!」
俺は自衛隊の警務隊が使う手錠を3つ召喚し、3人を後ろ手にしてかけた。
「縄を持ってこさせましょう」
「必要ありません」
更に俺は捕縛用のワイヤーを召喚し3人を縛った。
「しかし…どうして」
「とにかく、一旦落ち着いて彼らの処遇などを話し合いましょう。その前にこの都市内にどういう人間がいるのか、把握の方法も確立せねばなりませんね」
「わかりました」
ハリスとマーカスがソファーに座り、俺が対面に座った。魔人は全員立って3人を監視している。
しかし…びびった。こんなところでエミルのお父さんに死なれたら合わせる顔が無い。
「まず、ウルド。この3人との面識はあるか?」
「ございます。貧民街を取り仕切っている者達です」
「ああ、それは知っている。素性は分かるか?」
「申し訳ございません。貧民街にいる者は誰一人はっきりした素性は分かりませんでした」
うーむ。ウルドのその対応には問題がありそうな気がする。
「いえ!ラウル様。ウルドさんにそう申し伝えたのは私です。北から流れて来る難民の人たちを無条件で受け入れるように、そしてあの区画を介抱するようにしてはどうかと。門前払いをしては彼らは生きるすべがないように思えたものですから」
「なるほど」
「それは私も助言しました。ようやくたどり着いた王都にて平穏に暮らせるようにと」
「わかりました」
ウルドはハリスとマーカスに従ったまでのようだ。
「ウルド、これまで彼らと触れ合っておかしなところはあったか?」
「彼らは勤勉で都市内の人間がしたがらない仕事を、率先して受け持っておりました」
「それは聞いている。何か安全対策をたてていたか?」
「念のため衛兵に定期巡回させて、おかしな動きが無いかを常に見張らせておりました」
「ああ。確かに俺達が困っているところに衛兵が周って来たな。あれはウルドの指示だったか」
「昼夜問わず。常に巡回するようにはしておりましたが、ネズミが入り込んでいるとは…申し訳ございませんでした」
「いやウルドのせいじゃない。そして必ずしもネズミと限ったものではない。彼らには敵意が無かったんだ」
「そうなのですね」
「ああ」
俺は軽く息を吐いた。うちの軍に落ち度があったかどうかが問題だったからだ。ハリスとマーカスに責任を負わせるつもりは全くない、むしろこの二人が何をしたところで責任など無い。魔人軍としては最低限の対策を行ったうえで、これまで事故が起こる事が無かったのだ。ウルドを責めるのも間違っている。
今回の事で一番の咎人は油断したこの俺だ。
「これからは検問の方法を見直さねばなりません」
「そうですね」
「商人や冒険者も自由に出入りしてました…」
「そのようです」
ハリスもマーカスもこれまでの対策について、不備があった事に気が付いたらしい。だが仕方がない…冒険者の剣士と商人がそのルールを決めて施行する事は難しい。ましてや自分たちが要人であるという意識も低い為、簡単に王城に人を入れているところもある。もちろん俺とアナミスが魂核をいじったなんちゃって貴族だから問題はなかったが。
「門は東西南北にありますね」
「はい」
「どちらの門も全てうちの魔人が監視していますが、一部人間の衛兵も雇用しないといけません」
「それはどうしてでしょうか?」
「魔人はあまり人を疑いません。私の系譜の下で動いていますから、影響は受けていますが人間ほど疑い深くもないのです」
「そうなのですね?」
「はい」
「ですので検問には魔人と共に人間の衛兵と、緊急時の時のためにサキュバスを置きます」
「わかりました」
「毎日の監視と尋問が必要となってくる事でしょう。もちろん今の北大陸には市民証などないでしょうから、日用品や食料を運ぶ者やユークリットの問題の無い市民には、市民証を発行し出入りを楽に出来るようにします。ですが初めて来る人に対しては十分注意する必要があります」
「法の書に盛り込む必要があるというわけですね?」
「そういうことです。全ての不審人物の侵入を防ぐことは不可能に近いでしょうけど」
「はい」
「今回の法の策定において一番注意すべきところかもしれません」
そして俺はおもむろに気絶している3人を見る。するとそれにつられて二人も3人を見た。
「彼らはいったい何者なんでしょう?」
「すみません。皆目見当がつきません」
「そうですか」
「ご主人様。もしかすると残党が流れついたとは考えられませんか?」
「いや、残党なら敵意があるはずだ」
「確かに敵意が御座いませんでしたし、刃を向けていても殺意も感じませんでした」
「ならばここの長を殺さなければならない理由があり、それは私怨などに基づいたものではないという事だろう」
「はい」
ダンクライドと言う男、かなり品格を感じる男だった。冒険者でも市民でもない雰囲気を醸し出している。さらに暗殺術か剣術を体得しているようだ。
《さてと…なんだろね?》
《純粋な敵ではないように思えます》
《シャーミリアの言う通りなんだよな。俺も引っかかるんだ》
《しかしラウル様、彼らは操られている様子もありませんしデモンの干渉もありません》
《そうか。アナミスの見立てからすれば、俺が感じた感覚は間違ってないな》
念話で確認し合う。
「あの…」
「どうしましたハリスさん」
「彼らの事を思い出してみると、先ほど挨拶をする直前に私たちの国籍を聞いたように思います」
「あ…たしかに」
そう言えば忘れていた。あまりの出来事にそのことがすっかり頭から抜け落ちていた。
「我々がバルギウスの出身だと聞いて、覚悟!と言う言葉を吐きました。もしかすると…」
「なるほど…バルギウスの敵。すなわちバルギウス・ファートリア以外の国の人間と言う事になりますか」
「そう思います」
「なるほど」
分かった。この者たちはユークリット・ラシュタル・シュラーデンのどちらかの国の所縁の者という事だ。そして恐らくはバルギウスに占領されたユークリット王都に潜入し、一矢報いようと考えた者達だろう。
「どこの国だと思います?」
俺が二人に聞いてみる。
「ユークリットかと」
「ユークリットでしょう」
ハリスとマーカスの言葉がそろった。彼らも薄々そう感じていたのだろう。
「ですよね」
「はい。そしてここがバルギウスに占領されたと思い込んで、そこを納めている我々を狙ったのだと思います。殺気が無いというのはどういうことか分かりませんが…」
「おそらく、私怨ではないからでしょう。高い志の下にたくさんの命の後押しがあったのだと思います。ここの長を殺害するのは使命とまで高まっていたのでしょう」
「なるほど…」
「はぁ‥‥」
ハリスとマーカスが暗く息を落とす。彼らもバルギウスから家族を殺され追われた身であった過去があるため、その気持ちは痛いほどわかるのだろう。もちろん自分たちがその対象になるとは思っていなかったと思うが、バルギウス人として恥じているようにも感じた。
「あの…バルギウス人として思うところはあると思いますが、この方たちのように事情を知らない人は多いかと思います。事情を知らなければこうなるのは当たり前ですし、それを気に病むことはないです」
「わかっております」
「はい」
「むしろハリスさんとマーカスさんが今まで無事である事にホッとしています。魔人の警護があったにせよ危険はあったと思います。軽々しくこの仕事を任せてしまった事を謝罪します」
俺が頭を下げた。
「いやいやいや!ラウル様は頭を上げてください!」
「そうです!これは私達の背負った宿命のような物です」
俺は二人にただ頭を下げ続けた。二人が俺の側に寄って来て跪いて手を握り俺の顔を見ている。
「すみません。ありがとうございます」
部屋がシンとしてしまった。そんな時、
コンコン!
ドアがノックされる。
「どうした?」
俺が言う。
「カトリーヌ様とマリア様がいらっしゃいました」
オーガの進化魔人が伝えて来た。
「通せ」
ドアを開いて二人がやって来た。
「すみません、まだお話し中でしたか…これは…?」
カトリーヌが部屋の異様な雰囲気に気が付いた。
「ああ、ちょっとゴタゴタがあってな」
「そこにいる人たちは?」
「貧民街から来た3人だ」
「死んでいるのですか?」
「いや、気絶しているだけだよ」
「そうなのですね」
下を向いて気絶したままの3人を見て、急にカトリーヌが近づいて行く。
「カトリーヌ様。無造作に近づいてはなりません」
シャーミリアがスッと、カトリーヌの隣に寄りそう。
「えっ!」
男たちの側に来てカトリーヌが絶句したように息を飲んだ。ダンクライドを見て美しい目を大きく見開いたのだった。それを見た俺は立ち上がりカトリーヌの下に駆け寄るのだった。
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