第314話 天才薬師バージョンアップ
座ったまま甲冑の兜を取った婆さんがこっちを見ている。婆さんがフルプレートの甲冑をきているのは、なかなか面白い光景だった。
デイジーの顔が少しずつ不機嫌な表情になってくる。
「モーリス。おぬし相変わらず気がきかんな!」
「えっ。なっ、気が…?」
モーリス先生が唖然としていた。
「普通レディが倒れていたら抱き起こしてくれるもんじゃろ!」
「レディ…て。」
「なんじゃ!わたしゃ結婚歴もないレディじゃぞ!」
「勝手に立てばいいじゃろう?」
「…重すぎて立てんのじゃ。」
上半身を起こすのでやっとだったらしい。
「ファントム。」
俺がファントムに指示を出す。
ズンズン
「ひっ!」
ファントムが近づくとデイジーは引き攣った表情になった。
ガシャガシャ
ファントムはフルプレートの音を立てながらデイジーを立ち上がらせる。するとデイジーはその場に棒たちになったままピクリとも動かずに言う。動かないというより動けないように見えるが。
「魔人よそのままわたしを建物の中に連れて行っておくれ。」
「ファントム!デイジーさんを部屋に連れて行ってやれ。」
フルプレートのデイジーはファントムに片腕で持ち上げられて、ブランブランしながら連れられていく。まるで野良猫の首を掴んで持たれているみたいだ。
「お主たちもせっかく来たんじゃし。いろいろと見ていけばよかろう。」
デイジーがファントムに野良猫のようにぶら下げられながら皆に言うのだった。
俺達はデイジーの言葉に従い研究所に入っていく。研究所の中は広くて棚にはいろんな意味不明の物が置いてあった。さらに研究器具のようなものがあちこちに置いてあり、鎧も数体が壁に掛けてあった。
「ファントムや、ちょっとこっちによっておくれ。」
デイジーがファントムに指示を出しているが、勝手に俺以外の言うことを聞くわけがなかった。
「ファントム。デイジーさんの言うとおりに動け。」
「そうそう。わたしの…違う違うそっちじゃない!わたしの指のさすほう!そうそう。そしてその背もたれ付きの…そうこれ!ここにわたしを置いておくれ。」
ガシャン。
立ったまま背もたれに寄りかかりながらこっちを見る。どうやらそれは鎧を支えるための器具のようだった
「み、ミーシャよ…鎧をはずしてくれんかの…。」
「は、はい。」
そしてミーシャがデイジーのところに行って鎧のベルトを全て緩めていく。どうやらこの鎧は彼女一人では脱ぐことができないようだ。
ガラン
ガシャン
ガチャ
コロン
デイジーの周りに鎧が転がっていきデイジーの本体が出てきたようだ。前掛けと幅広のズボンをはいているが、鎧を着ていたためにしわしわになっている。
「ふう。」
「デイジーさん。大丈夫でしたか?」
「なにがじゃ?」
「いやいきなり玄関から飛び出てきて転がって、怪我とかしてないんですか?」
「もちろん怪我はしとらん。」
「それならいいんですが。」
「このドワーフの鎧に秘密があるんじゃが、まあそれはおいおい。それよりパーティーはどうじゃったラウルよ。」
「まあ、無難にすごしましたよ。」
「はっはっはっいいねえ。無難にすごしたのかい。」
「はい。」
「あたしゃそれが出来ないのよね。」
「苦手なんですね。」
「苦手なんてもんじゃないよ。」
本当に嫌そうな顔で言う。ミーシャがほほえましくデイジーを見ている。どうやらミーシャはデイジーの事が気に入っているらしい。
「デイジーよ。さっき吹っ飛んで出てきたのは何でじゃ?」
「ああ、これだよ。」
デイジーが指さした先にあるのは、親指ほどのカプセルのような物だった。いったい何の素材で出来ているのか分からない。それが一つ開いてテーブルの上に置いてあった。
「このちっさな箱?」
「ああその中に閉じ込めてた薬剤のせいさね。」
「薬剤?」
「空気に触れると気体になってしまうんじゃが、その容積が何万倍にもなるんじゃよ。」
「そんなものが?」
「その容器の向きにより指向性が出る気体なのじゃが使い道が良く分からん。とりあえず試行錯誤しとるのじゃが今はどうしようもない。」
デイジーの前の棚にはそのカプセルのような物がずらりと並んでいる。全部同じ形をしているのできっと同じものなのだろう。
「これがそうなのかの。」
サイナス枢機卿がカプセルの一つに触ろうとする。
「およし!!鎧も着ないで触るんじゃないよ!危ないじゃないか!」
「す、すまぬ。開けなければ良いのじゃろ?」
「その容器もまだ完全に完成しとらんのじゃ。」
「わ、わかった。とにかく触らんでおこう。」
「とにかく、そんなものは大した発明ではない。」
「これが大した発明じゃないじゃと?」
「そうじゃ。」
よくよく見るとこの部屋にはいろんな容器に入った物、武器のような物、剣のような物、薬草や魔石などの素材が至る所にある。その中でもひときわ目につく一角があった。
「デイジーさん。あそこにあるのはいったい。」
俺がその一角を指さすとデイジーが言う。
「ああ、全て魔獣からとれた素材じゃよ。この海で獲れた物や魔人国で獲れた魔獣の部位などのあれこれじゃ。」
「腐ったりしないんですか?」
「それも全て薬品で防腐処理をしておるわ。」
「防腐処理?」
「ミーシャが開発した防腐剤によって魔獣の部位が腐らんようになった。」
俺がミーシャを見るとニッコリ笑う。
「ミーシャもいろんな開発に携わっているのかい?」
「はい。」
するとデイジーがそれを聞いて言う。
「ラウルよ。この子はな天才じゃよ。恐ろしいひらめきと勇気でいろんな薬剤を作りおった。」
「いろんな薬剤ですか?」
「ここは研究に本当に適した土地でな、海の魔獣や魔人国から流入してくる魔獣の部位、そして何よりも魔人達の存在が不可欠なんじゃ。」
「魔人達の?」
「彼らの血液、体液、髪の毛、爪、催眠霧、この洞窟内にいるアラクネの子の糸などありとあらゆるものがそろうのじゃ。まるで伝説の物語の中にいるようなものじゃな。研究するにあたってこれ以上の場所はないじゃろうな。」
「そうなんですね。」
「そうじゃ。」
「魔人がお役に立ってうれしいです。」
俺が言う。
「まあ良いわ、とりあえずわたしの所で調合したお茶でも飲めばよかろう。」
「ん?お茶?何か薬品のような物が入った物とかかの?」
「モーリスよ。ずいぶん耄碌した物じゃの、わたしがそんなものを飲むわけがなかろう。」
「ま、まあそうじゃな。」
モーリス先生がたじたじになっているのが珍しい。きっとデイジーにはずっとこんな調子でやられてきたのだろうと思う。
「では皆さん。休憩室へ。」
ミーシャが言う。
「デイジーさん。休憩の後でぜひ研究の成果をいろいろ教えてください。」
「もちろんじゃ。ミーシャはすべてラウルの役に立つためにだけやっておるのじゃ。不思議な物が出来る事もあるが、おぬしが世界を取り戻すために何が必要かをミーシャは必死に考えておるわ。」
「そんなんだね。ミーシャありがとう。」
「いえラウル様、お礼などいりません。」
「なにを遠慮しとるミーシャよ!ラウルの側にいたいのじゃろう!」
デイジー婆さんがポツリという。
「その、まあ‥はい。」
ミーシャも照れながら言う。
「というわけじゃラウルよ。この地にいる間だけでもミーシャと仲良くしてやっておくれ。」
「もちろんですよ。ミーシャは命がけの逃避行をやった仲です。私にとってはかけがえのない存在ですから。」
「ほう!よかったのうミーシャよ。おぬしはただのメイドではないそうじゃぞ。」
「そんな私など滅相も無い。」
「いや、ミーシャはサナリアから命を賭けて逃げて来た仲間じゃないか、絶対に不幸にさせるつもりないよ。」
「あ、ありがとうございます。」
ミーシャがそのアンバランスなほどの大きな瞳を潤ませながら礼をする。まるで人形のようなその顔立ちを久しぶりに見ると、ドキドキしてしまう。
「とにかく茶をしようではないか。」
俺達はミーシャの後についてさらに奥の部屋へと入っていく。研究室の先には廊下があり廊下にはいくつもの扉があった。その一番奥に休憩室があるらしい。
ガチャ
「おお!」
おどろいた。物凄くセンスのいい客室がそこにあったからだ。
「どうしたんじゃ?」
「この部屋はとても落ち着きますね。」
「ふむ。わたしの趣味じゃから多少、婆臭いでな。ラウル達にはつまらんじゃろ?」
「いえ。なんというか安らぎます。」
「そうかそうか。それならよかった。」
ここは洞窟の中だというのに木造の雰囲気があった。壁はベージュで床は毛長の茶色格子の絨毯が敷かれている。天井や窓枠などが薄紫になっており、洞窟の中だというのに窓が光っていた。
「この窓は不思議な物じゃな。」
モーリス先生が言う。
「簡単な作りじゃよ。洞窟の上に取り付けてあったような光源を集めて、窓の外に四方から照らすように置いてあるのじゃ。」
《十分簡単な作りじゃない。そもそも洞窟の中に、窓がある建築物がある方が不思議だ。とにかくこの部屋はまるで天気の良い外にいるかの如く明るい。》
「椅子はたくさんある。魔人達も休憩するのでな。適当に腰かけておくれ。」
「魔人達もですか?」
「そうじゃな。じゃがおぬしらがここにいると遠慮して使わんかもしれんがのう。そもそも研究に没頭する魔人達は、あまりここで休憩をとっている姿を見た事が無いがの。」
「そういえば魔人達も研究をしているんですか?」
「わたしがいろいろ教えてやってもらっておるのじゃ。若い魔人は覚えも良くダークエルフにはかなり賢いものが多い、わしが1言えば5できる者もおる。おかげで毎日が楽しゅうてしかたないわい。」
「それは良かったです。魔人達にいろいろ教えてくださってありがとうございます。」
「こっちがお礼を言いたいくらいさ。ラウルよ!こんな環境を用意してくれてありがとう。」
デイジーが深々と俺に頭を下げた。
「ん?デイジーよずいぶん丸くなったのではないか?」
モーリス先生が言う。
「ふん。おぬしらに下げる頭などないが、ラウルはわたしにこんな面白い事をさせてくれている。ファートリアバルギウス連合の圧政に苦しんで薬を細々と作り続けるより、派手にぶちかましてやれる物をたくさん作れるのじゃ!楽しゅうて仕方ないわい。」
「そ、そうかの。それなら良かったのじゃ。ミーシャもこんな婆じゃがよろしく頼む。」
「誰が婆じゃい!」
「さっきおぬし自身が言うとったろ!」
「自分で言うのは良いが、じじいに婆などと言われとうないわ!」
「そうか…わ、わかった。すまなんだ。」
なんかずーっとモーリス先生が押されているのが珍しい。デイジーさんには妙な迫力があるのだ。
「ちょっとお茶を入れてやるから、ここでまっておれ。」
デイジーが部屋を出ていくとミーシャが後をついて行った。なんか圧倒されて部屋がいきなり静かになった。前世組も誰も話を切り出さないし、リシェルもケイシーもただ黙ってそこにいた。モーリス先生とサイナス枢機卿だけがこそこそ話を続けている。
「と、とにかく、デイジーさんも元気そうで何よりです。」
「げ、元気すぎるんじゃなかろうかの。」
「先生。元気な事はいいことですよ。そしていろんなものを開発していらっしゃるようです。私たちの役に立つものがあるかもしれません。」
「そうじゃな。」
「あれでものう…昔は美人じゃったんじゃよ。」
サイナス枢機卿が言う。
「枢機卿!「昔は」って失礼ですよ!」
聖女リシェルから怒られる。
「そ…そうじゃな。今ももちろんそれなりじゃと思うが、まあ年には勝てんというか。」
「そうそう。ずいぶんと変わり果ててしまった気もするがのう。」
「司令までそのような!女性にとってそれは禁句です。」
「すまなんだ。ただなんというか婆は婆でも、迫力がありすぎて驚いたんじゃ。」
「確かに迫力はありましたね。」
聖女リシェルもどうやらそこは同意見のようだった。
「きっと研究が出来るのがうれしいんじゃないでしょうか?」
「ふむ。それはたぶんそうじゃろう。」
「じゃが随分と精力が、漲っとったような気がするんじゃが。」
《そう言われるとそうだ。前にルタン町で会った時は、もう少し物静かな婆さんだったような気がする。》
「なにか秘密でもあるんでしょうか?」
「どうじゃろうな。」
するとデイジーたちがお茶を持って部屋に戻ってくる。
俺達は噂をしていたのを悟られまいとすまし顔になった。
「ふん。おおかたわたしの悪口でもいうとったのじゃろ?」
「そ、そんなことは無いぞ!わしらは何も言うとらんぞ。」
モーリス先生が動揺しながら答える。
「何を言うとるんじゃ。そこの魔道具ですべて丸聞こえじゃったわ。」
「え!?」
「うそ!」
「ほーらやっぱりわたしの悪口を言ってたんじゃないかい。」
「すまなんだ。」
「悪口というほどでも。ところでデイジーよ、どの魔道具で聞いてたんじゃ?」
「あほか。そんな魔道具など作っとらんわい。」
「うぐぐ。」
「あぐぐ…。」
どうやら二人はデイジーにかまをかけられたようだった。
「とにかく美味い茶を入れてやる。少しはゆっくりしていけ。」
デイジーとミーシャは丁寧な手つきで全員のお茶を入れてくれるのだった。
なんだかんだ言っても古い知己の二人に会えたのが嬉しいように見える。目じりにしわが寄り口角が上がっている。
俺はこの3人の関係性がなんとなく気になるのだった。