切れない剣
「さて、そろそろ時間です。向かいましょうか」
そう言ってシーマが立ち上がったのを見て、マチルダも頷き、愁を抱っこする為に近づいた。
伝説の剣についての話をするために、チョウと話をする約束の時間までもう間もなくとなったのだ。
「あら、もうそんな時間?晩御飯までに帰ってきてね」
「今夜のごはんも楽しみにしていてねリン」
「ありがとうサラ、ユーリ。楽しみにしてる」
倫はエミリオを抱きながら微笑むサラ、サラの手伝いをする為に家に残るユーリへと笑顔を向けた。完璧に胃袋を掴まれている倫は、今から晩御飯が楽しみで仕方がない。
「やーの、やーの」
とてとてと、伝説の剣を引き摺りながら愁が声をあげている。いつもならマチルダが両手を伸ばすと『抱っこ抱っこ』と近づいてくるのに、今は気分が乗らないのか逃げ回っているようだ。困り顔でマチルダが追いかけている。
不思議なことに、どれだけ剣先を引き摺っても床板は傷ついていない。
「やー!やー!」
マチルダに腰部分を掴まれ、持ち上げられる。その拍子で愁の手から剣が離れた。
「とってー!とってー!」
「こちらを持ちたいのですね、シュウ様」
「ちょうちょちょーらいっ!」
シーマが剣を持ち上げると、嬉しそうに柄の部分を掴み、そのまま引っこ抜いた。つるん、と引っこ抜かれた部分は僅かに光を放つと、ぶよぶよとしたクラゲのような生物へと戻ってしまった。
「な?!え?!」
目を丸くするシーマの手元には、ピクニックで使った串が一本。
「あ、それ……」
「えぇ?!か、軽いと思ってました……ってええ!?」
倫に指摘され、大きな声をあげたシーマに驚いてマチルダの力が緩んだ拍子にするりと愁は抜け出した。
「ど、どういう事?どうしてメデューズが?」
「あれってメデューズっていうんだ。泉にいたんだよね」
「あ……っメデューズ?!」
「どうしたのユーリ?」
「メデューズは伝説の生き物。とっても珍しいから実物初めて見た」
「伝説?」
「そう、力ある者の近くに現れると言われているわ。――きっと、シュウの力に寄って来たのね」
「愁の力……」
神聖な気持ちになりながら三人が愁を見つめると、メデューズを捕まえて嬉しそうに笑っていた。そのままぷるんとしたメデューズは愁の口の中へ――。
「愁?!」
「ちゅぱちゅぱちゅぱちゅぱ!!!!!!!」
「シュウ!?え、これも?!」
「ちゅるちゅるちゅるちゅる!ちゅぽん!」
「く、口の中に全部入ったわよ?!」
頬が膨れ上がり、中でもごもごと蠢く様は若干ホラーである。
「だ、出しなさい!あーっんして!ほら、あーっ!」
「あーっん」
言う事を聞き、あんぐりと開けた口から、ぷよぷよとメデューズが出てきた。全体が唾液にまみれている。表情が無いが、なんとなく疲れていそうな飛び方をしている。
「あー!ちょうちょー!しゅーくんのっ!」
「ちょ、シュウ様?!」
愁はシーマの手にしていた串を奪い取ると、再びメデューズを突き刺した。その瞬間柔らかな光が全体を包み、先程までと全く同じ伝説の剣が姿を現したのであった。
「こ、これは……?」
ぽかんとする面々を尻目に、愁は再びメデューズを引っこ抜く。真に不思議であるが串に刺せば剣に、抜くと蘇生する仕組みになっているらしい。
「にひひ……」
楽しいのか、右手に串左手にメデューズを掴んだ愁は、何度もその行為を繰り返している。
「ざ、残虐……」
「あーっうーっ?」
頬を引くつかせる大人達の横をすり抜けて、エミリオが愁へと近づいていく。ずぼ、つるん、ずぼ、つるん、と繰り返す様子を幼児と乳児は目をキラキラさせて見ている。
きゃっきゃと嬉しそうに繰り返される遊びは終わる事を知らない。子供とはそういうものなのだ。
「……」
残虐とも取れる行為を終わらせようと、近づくマチルダを愁は横目で確認したが、無視する。捕えようとするマチルダから逃げたい気持ちもあるが、エミリオと一緒に笑うのも楽しい。悩んだ結果愁が出した答えはこれだった。
「むぐっ?!」
「どーじょ」
「きゃっきゃっきゃ」
「ま、マチルダ?!」
メデューズを口の中に突っ込まれたマチルダは、瞬時に吐き出そうとした。しかし、それを許さないのが愁である。口の中に入っているメデューズを串で刺したのだ。
「危ない!!」
倫は叫んだ。
その瞬間マチルダの口の中が光で満たされた。串だった持ち手は立派なグリップへと変わっていた。
「大丈夫?」
「大丈夫ですか?」
心配げな面々を見て、口をあけたままのマチルダがこちらを向いた。シーマとサラは治癒魔法を施す呪文を詠唱している。
「だいじょーぶ?」
愁も皆に倣って同じような言葉を口にした。お前が言うなである。
口の中を見た皆は胸を撫で下ろした。幸運なことに、傷一つなかったのだ。
「まあ、床板も傷つかなかったものね。物を切れない剣なのかしら」
手を頬に添え、サラは不思議そうに首を傾げた。
「本当に大丈夫なのか?」
「ああ、心底驚いた」
「もう一度口を開けてみろ」
「ああ……」
「本当に傷が無いな。良かった」
マチルダの口を覗き込んでいたシーマがある事に気付いた。
「マチルダ、お前今声を出したよな?」
「ああ」
「サラ、どうだ?」
「え……?あっ!」
サラも気付いて、両手を口元へと当てた。
「マチルダ、ユーリの耳元で何か囁け!」
「あ、ああ!ユーリちょっと耳を借りるぞ。ユーリ、どんな気分だ?」
「マチルダさんやっぱり良い声ですね!――っああ?!治ってませんか?!」
「治ってる……?俺は皆と話をしてもいいのか?……リン様!」
「すごい!眠くならないよマチルダ!」
「これで、リン様と話す事も、シュウ様と歌を歌う事も出来ます」
「マチルダァ、よか、良かったなぁ」
「良かったわね、兄さま……」
マチルダも、シーマも、サラも目が潤んでいる。シーマは自分のせいでマチルダの声が出せなくなったと長らく密かに苦しんでいたらしい。三人は肩を寄せ合い、抱きしめ合っている。友情とはこういうものなのだろう。
「でも、どうしてでしょう?」
ユーリの問いかけに、皆は愁が引き摺る剣へと目を向けた。
「もしかして、切る剣ではなく、治す剣……なのかしら?」
「何はともあれ、今日はマチルダの声が戻った記念すべき日!ご馳走にしよう!皆で作ろう!」
「そうね、兄さま!追加で買い出しもお願いするわ」
「声が戻ったマチルダも連れていくよ!街の皆も喜ぶだろう」
「リン様、お礼に今夜はとっておきの料理をご馳走しますよ」
「わあ!楽しみ!」
和気あいあいと楽しい雰囲気の中、誰一人として何かを忘れている事に気が付いていなかったのであった。
数時間後、面会室にて青筋を立てて切れているチョウがいたとかいなかったとか。